第13話 説明会の続き
キリスト教の説明会が続く。
「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は啓示宗教と呼ばれます」
「啓示というと、天の啓示というような?」
勝二の言葉に顕如が尋ねた。
「天の啓示、つまり天啓でも良いのですが、神からの言伝があって初めて成り立つ教えです。モーゼはシナイ山で神より十戒を賜りました。イスラム教を興したムハンマドは、天使ガブリエルより神の言葉を授かりました」
「成る程」
「彼らは神の言葉を預かった者、預言者とも呼ばれます。また、キリスト教の始祖であるイエスは、人々を苦しみから救う救世主、キリストとも呼ばれます。それに対しイスラム教では、ムハンマドこそが最終的な救世主であるとしています」
「ふむ」
仏の道にある者では理解しづらい話であろうか。
「それでは本題の、キリスト教の教えについて説明したいと思います」
「そ、そうですか。宜しくお願いします」
長い前置きであった。
「イエスは言います。自分がして欲しいように他の者にせよと。それが聖書の全てだと」
「え?」
顕如は思わず面食らった。
余りに単純明快だったからだ。
あれだけ焦らした癖に、そんな説明で済ませるのかと。
「拍子抜けされましたか?」
「い、いえ、そんな事はありませんよ」
微笑みかける勝二に咳払いをして応えた。
図星を指されて気まずい。
勝二が続ける。
「自分がして欲しいように他の者にせよ。逆に言えば、自分がして欲しくない事を他の人にするな、ですね」
「己の欲せざる所を人に施す事なかれ、ですか」
論語の言葉と同じであった。
「モーゼの十戒にはこうあります。一つ、主が唯一の神である事。二つ、偶像を作ってはならない事。三つ、神の名をみだりに唱えてはならない事。四つ、安息日を守る事。五つ、父母を敬う事。六つ、殺人をしてはならない事。七つ、姦淫をしてはならない事。八つ、盗んではならない事。九つ、隣人について偽証してはならない事。十、隣人の財産を貪ってはならない事」
勝二に続いて顕如が述べた。
「不殺生、不偸盗、不淫、不妄語、不飲酒、不塗飾香鬘、不歌舞観聴、不坐高広大牀、不非時食、不蓄金銀宝ですか」
「えぇと?」
理解出来ない顕如の言葉である。
分かり易いように説明してくれた。
「見習いの僧侶が守るべき戒律ですよ。一、生き物を殺してはならない。二、盗んではならない。三、女人と交わってはならない。四、嘘をついてはならない。五、酒を飲んではならない。六、世俗の香水や装飾品を付けてはならない。七、歌や音楽、踊りを鑑賞してはならない。八、膝よりも高い寝具や装飾を伴う寝具に寝てはならない。九、食事は一日二回で、それ以外に間食してはならない。十、お金や金銀、宝石を蓄えてはならない、です」
「十戒と似ていますね」
「そうですね」
互いに頷いた。
勝二が言う。
「モーゼの十戒では、偶像を作ってはならないとか神は唯一であるとか、ちょっと理解出来ないモノはあるにせよ、我々の常識とそこまでかけ離れている訳ではありませんよね?」
「ええ」
顕如は肯定した。
「イエスは言います。自分を愛するように隣人を愛せよと。敵の為に祈れと。悪人に歯向かうなと。右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せと」
「ほう?」
「突飛な教えですか?」
「そこまでおかしくは思いませんね。頷けますよ」
出来る出来ないは別にして、違和感はない。
「結局、尊い教えはどこも似たり寄ったりだという事ではないでしょうか」
「確かにそうですね」
その理由は単純である。
「人々の中で暮らしていく上で、嘘をつかないとか盗まないとか、お隣さんと仲良くするとか、そんな事は当たり前だからです」
「確かに」
「しかし、その当たり前の事が出来ないから人は苦しみます」
「人の弱さですね」
顕如は大いに頷いた。
「人は誰でも己の理想とする姿があるでしょう。誰にでも優しくするとか、弱きを助けて強きを挫くとか、強い者に媚びへつらわないなどです。ですが現実は悲しいモノで、思うようにはいきません。理想が叶わないだけなら諦めれば済みますが、己の弱さから他人を傷つけたり、生きる為に嘘をついたり盗んだりすれば心が痛みます。自分ではどうにもならない場合、神に救いを求めざるを得ません。信仰が必要とされる所以です」
「成る程」
「食って寝て出す人の営みはどこでも同じで、結果生まれる悩みも似たモノとなります。悩みは同じですから、求められる救いも同じようなモノになります」
「生病老死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四苦八苦ですか」
生まれ、病気となり、老い、死ぬ恐怖に苛まれる。
愛する者と別れ、憎む相手と出会い、欲しい物が得られず、心と体が思うようにいかない。
人の苦しみに洋の東西はない。
「死への恐怖は特にそうですね。仏教では極楽浄土に行く事が救いでしょうが、キリスト教では最後の審判によって、天国に行けるか地獄行きかが決まります」
「地獄もあるのですか?!」
それも共通していよう。
地獄に行きたくなければ良い行いをせよ、だ。
ひと段落ついたので、勝二は話題を変えた。
「似た部分に言及しましたので、次は違う面を見てみたいと思います」
「助かります」
それこそ顕如の求めていたモノだった。
「御仏の教えと彼らの教えの一番の違いは、神を唯一つとするかどうかだと思います」
「そういえば十戒にありましたね」
主を唯一の神とする事、だ。
「先ほど、教えはどこも似たようなモノだと申しましたが、神を唯一とするかどうかで教義の雰囲気はガラッと変わってしまいます」
「どういう事ですか?」
意味を掴みかねた。
「神は唯一と考える人は、異なる神を信じる人を容易く排除します」
「それはどうしてでしょう?」
やはり良く分からない。
「信じる神が他の神を信じてはならないと言っているので、他の神を認める事は神を信じていない事になります」
「そ、そういう事ですか……」
単純と言えば単純だ。
唯一神への信仰は絶対の帰依を要求する。
「彼らにとっての隣人は、あくまで同じ神を信じる者しか含まないようです」
「そこまでですか?!」
勝二の言い切りように驚く。
「それが証拠にメキシコのアステカ王国は、違う神を信じていたお陰で愛を与えられず、滅ぼされてしまいました」
「それは真ですか?!」
「更に言えば、彼らは同じ神を信じる者でも排除します。それを示すのが十字軍の行った蛮行です」
「何ですかそれは?」
勝二はそれらの経緯を詳しく語った。
「彼らの神を信じない、劣った文明に属する者には容赦しません。また、同じ神への信仰を持つ者であっても、得られる筈の利益が損なわれると分かれば、途端に冷酷そのものと化します」
「そのような事があったのですね……」
顕如は絶句した。
「別の証拠がアフリカの黒人の扱いです」
「まだあるのですね……」
お腹一杯ではある。
「彼らは黒人を劣った人種とし、奴隷にして恥じません。いえ、宣教師の中には反対の声を上げている者もおりますが、多勢に無勢です」
「尊い教えを説くのですから、そうありたいモノです」
仏と神の違いはあるが、人々を教え導く立場に僧侶と宣教師の違いはない。
行先は違うが仲間みたいなモノだ。
尊い教えを信じる者達の過ちを聞かされ続けたので、多少は心が慰められた顕如であった。
気になった事を尋ねる。
「しかし、隣人を愛せよという教えとの整合性はどうつけるのですか?」
自分がして欲しいように他の者にせよ、でも同じだ。
「彼らは聖書の中に正当化の理由を探します」
「どういう事ですか?」
勝二が説明を重ねる。
「旧約聖書の中にノアの子セム、ハム、ヤペテの件があるのですが、彼らはそれを根拠に奴隷を肯定します」
「というと?」
「カナンというハムの子供がいるのですが、彼の行いに怒ったノアが言います。カナンは呪われよと。僕となって兄弟であるセム、ヤペテに仕える事になると」
「成る程。しかし、それが何だというのですか?」
だからどうしたと思ってしまう。
「そのカナンが黒人の祖なので、黒人を奴隷にする事は聖書に書かれているとして正当化しています」
「馬鹿馬鹿しい!」
顕如はバッサリと切り捨てた。
理由になっていないと思った。
隣人への思いやりを掲げているのならば傾聴に値する教えだと思ったが、とんだ期待外れだと感じる。
「顕如様がそう思うのは当然です。彼らも本当は分かっている筈です。ですが、大きな利益を目の前にして、ちっぽけな良心に従って儲けを不意にするのは、よっぽどのお人好しか愚か者がやる事です。こじつけでも屁理屈でもいいので、自分の行為を正当化出来る理由が必要なのです」
「疚しいから、ですか……」
心に一点の曇りもなければ正当化の必要はない。
疑問を差し挟む事なく事に当たれるだろう。
自分の行為が後ろめたいから無理やりにでも正当化し、正しい事をしていると思い込むのだ。
「だから彼らは狂信的です。それが啓示宗教の危うさです」
「というと?」
「彼らの信じる尊い教えは神からの啓示あってこそですが、ではその啓示が、啓示を受け取った者の勘違いでしかなかったとしたらどうでしょう?」
「それは笑えませんね」
そんな事態を想像し、顕如は肩を竦めた。
例え話で言う。
「知らない山道を歩くとして、知っていると言うから案内役を頼んだのに、全く知らない事が途中で判明するようなモノですね」
「仰る通りです。途中で分かればまだマシですが、帰り道も分からない程に迷った挙句ですと万事休すとなりかねません」
勝二も頷いた。
「神からの啓示が本当なのか、真相は誰にも分かりません。確かめる手段がありませんし、仮に啓示は本当だと神から啓示を受けたら、それは別の預言者の誕生です。イエスは復活したのだと、キリストなのだと信じるしかありません。考えようによっては危うい態度と言えましょう」
「成る程」
こうして説明会は終わりを告げた。
「本日はありがとうございました」
「拙い説明で申し訳ありませんでした」
顕如が感謝の言葉を述べた。
「歴史から始められた時には驚きましたが、彼らの教えをある程度は理解した気がします」
「申し訳ありません。正確を期したつもりでしたが、回り道が過ぎましたか……」
顕如の言葉に勝二はハッとした。
職場の女性社員から、説明が遠回り過ぎると度々クレームをもらっていた事を思い出した。
「いえ、最後まで聞いてみれば勝二殿の意図は理解出来ますよ。説話にも同じような話がありますし、急がば回れです」
「ありがとうございます」
顕如の言葉に感謝する。
「しかし信長公の場合だと、同じように説明すると激怒しそうではありますね」
「た、確かに!」
その様子が容易に思い描けて勝二は戦慄した。
「勝二殿の性格なのでしょうが、信長公の勘気に触れないようお気を付け下さい」
「気を付けます!」
こうして勝二は石山城を去った。
「頼廉」
「何でございましょう?」
顕如は傍に控える頼蓮を呼んだ。
「尾山御坊に赴き、武器を収めて織田家に従うよう説得して下さい」
「分かりましたが、それはやはり……」
加賀における本願寺の拠点、尾山御坊。
そこを明け渡すとすれば顕如の意図は知れる。
「ええ、織田と和議を結びます。我々が信長に下る際、加賀と共にあれば無碍にはされないでしょう」
「分かりました」
薄々感じていたが、遂にこの時が来たかと頼蓮は思った。
「五箇山はどうされますか?」
硝石の生産地として名高い五箇山が信長の手に落ちるとなれば、ただでさえ勢力を拡大している信長が益々勢いづくだろう。
頼蓮の懸念に対し、顕如は一言だけ言った。
「考えがあります」
顕如がそう言う以上、頼蓮が口を挟む事は出来ない。
「孫一殿」
「何ですかな?」
次に顕如は孫一を呼ぶ。
「貴方は勝二殿に従い、彼の身を守って頂きたい」
「顕如様の御命令とあれば。しかし、その目的は何ですかな?」
傭兵として雇い主の命令には従うが、その意図が掴めなかった。
「勝二殿には織田家の中で出世して頂くつもりです。しかし、武功のない彼が出世すれば同僚からの嫉妬が渦巻くでしょう」
「それから守れという事ですな。しかし、武人でもない者が織田家で出世出来ますかな?」
孫一の見立てでは、勝二に武将としての才覚はないように思われた。
武家の出でもなさそうであるし、名もない彼が出世するのは相当に難しいのではと。
織田家には羽柴秀吉という前例があるが、彼の場合は戦上手があってこそだ。
「我々が信長に下れば、畿内は織田家によって統一されたような物です。そうなれば政が重要視されるようになるでしょう。戦だけが出世の道ではなくなる筈です」
「それは分かりますが、それはそれで、人の好さそうなあの男には無理なのではないですかな?」
孫一は平和そうな勝二の顔を思い出して言った。
顕如が意味深に笑う。
「それはどうでしょうね。結構な食わせ物かもしれませんよ」
「まさか?!」
孫一には信じられなかった。
宗教に関する記述はあくまで主人公の個人的な見解であり、揶揄する意図はありません。




