第128話 三姉妹の嫁ぎ先
「手間を取らせてすまぬ。大事な事を忘れていた」
再び集まった諸侯を前に信長が謝った。
「一体何をです?」
珍しいモノを見たとでも言いたげな表情の家康に答える。
「日ノ本の地図を作ろうと思うのだ」
「日ノ本の地図?」
「そうだ」
信長は懐から紙の束を取り出し、諸侯の前に広げた。
「今までの地図がこれで」
それは見慣れた地図だった。
全国を歩いた行基の作った物で、尾張や美濃、三河などの位置関係が大まかに描かれている。
「スペインで手に入れた地図がこれだ」
続いて信長は別の物を広げた。
描かれた地図に一同は驚愕する。
「なんと詳細な!」
大雑把な自分達の物とは違い、入り組んだ海岸線まで細かく描かれた地図だった。
「各々方であればこの地図の持つ意味が理解出来よう?」
「これは素晴らしいですな!」
真っ先に家康が反応した。
兵を統率する者にとり、精細な地形の把握は戦の肝要である。
しかし、戸惑っている者がいる事を素早く察し、説明するように言う。
「これだけ詳細であれば、兵を進めるにはどこからが良いか、守る場合にも拠点をどこに築くか、現地に行かなくても判断出来よう」
「そ、そういう事ですな!」
氏政が誤魔化すように声を出した。
周りもウンウンと頷く。
「これを作ると?」
「そうだ」
家康の問いかけに即答する。
「しかし、どうやって?」
皆目見当がつかない。
他の者もそうらしく、怪訝そうに首を傾げている。
「勝二!」
「ははっ!」
信長は勝二を呼んだ。
諸侯の前にも臆する事なく進み出る。
アフリカで乞われ、手作業で地図を作った事があるので不安はない。
「不肖ながら説明させて頂きます。地図を作るのは、誤差さえ気にしなければ難しくありません。羅針盤(方位磁針)と距離を測る紐、目印に使う棒、書き留める紙があれば事足ります。ご参考までに西洋で買い付けた実物をお持ちしました」
「ほう?」
皆興味深そうに出された道具を見つめる。
氏政には見覚えがあった。
「田畑の測量に使う道具と似ているな」
「氏政様の仰る通りです」
検地で使う物と被っている。
「地図を作る作業は、田畑の広さを測量する工程と基本的には同じです」
勝二は説明を続けた。
「観測を始める地点を選んで杭などを刺し、地形に変化のある点に梵天(測量用の目印)を刺してその方位と長さを測り、紙に記す。その繰り返しです」
その概要をざっと話した。
「習うより慣れろ。練習がてら地図を作ってみましょう」
勝二は弥助らに指示し、梵天を持たせて部屋の四隅に立たせた。
諸侯は勝二を囲み、その手元を見つめる。
「4本の梵天で囲ったところを地図にします。まずは観測を始める地点を決めましょうか。とりあえずここからにします」
勝二は一番近い幸村に近づいた。
「この地点“い”から測量を始めます。杭の代わりに床に墨を打ち、その上に羅針盤を置きます。羅針盤は水平となるよう心掛けて下さい」
羅針盤は杖の先にくっついている。
杖が床と垂直になるように立て、羅針盤を水平にする。
「目標の梵天“ろ”の方位は60度で、距離は10尺(約3メートル)です。因みに方位ですが、北を0度、真東を90度、真南を180度、真西を270度とし、北に一周すれば360度とします。角度はこの分度器で測ります」
勝二は試作した360度測れる分度器を示した。
羅針盤、つまりは方位磁針と組み合わせ、正確な方角が分かるようにしている。
コンパスを作って円を描き、4分割(90度)してそれぞれを更に4分割(45度)し、更に4分割(22.5度)して残りは目分量で分けた。
誤差が出るが許容範囲と考える。
素材は温度湿度による変化が少ない陶器とした。
鉄で作れば磁石が狂う事を恐れた。
「この梵天から次の梵天“は”を測定します。方位は170度、12尺5寸(約3メートル80センチ)です」
次々と繰り返し、全てを測り終えた。
「測り終えた数値を基に地図を作ります。地図は規格の決まった紙に収まるよう、適当な縮尺にします。今回は10分の一にしましょう」
実測値で地図を作れば日本列島と同じ面積の紙が必要となる。
「基点から梵天“ろ”までが10尺なので、その10分の一で1尺(約30センチメートル)です。そして分度器を使って60度の線を引きますが、それには北を定める必要があります。地図は北が常に上方向となるようにしますので、紙に一本の直線を引き、片方を北とします。これから60度ずらし、1尺離れた位置が梵天“ろ”です。次の“は”、“に”を描きます」
勝二は4点を紙に描き終えた。
「おい、線が離れておるぞ?」
気づいた氏政が指摘する。
3点目である“に”から引いた線が基点“い”と交わらない。
勝二はニッコリとして言った。
「誤差が生じているのですね。地図作りはこの誤差をどれだけ少なく出来るかに懸かっています」
それこそが正確な地図を作る肝要である。
「どうやって誤差を少なくするのだ?」
疑問に思った氏政が尋ねた。
「それにはこのような方法がございます」
勝二は伊能忠敬が用いた、誤差を減らす工夫を説いた。
「そのように精細な地図を作ってどうするつもりか?」
勝二のデモンストレーションが済み、おもむろに義重が声を上げた。
「隣国を攻める段取りではないのか?」
詰問するような口調であった。
睨みつけんばかりの義重に対し、信長が言う。
「その懸念は尤もだ」
「やはりそうか!」
「早まるな、そうではない」
「そうではないのなら何だというのか!」
矢継ぎ早に繰り出す義重に淡々と答える。
「南蛮に勝つ為だ」
「南蛮に?」
一同は驚愕した。
呆気に取られて信長を見つめる。
そんな諸侯を知ってか知らずか、吐き捨てるように言う。
「地図を見れば分かろうが、我が国と南蛮との間には大きな差がある。儂はこれが許せぬ!」
怒気を込めて叫ぶ。
「このような地図を使っておったら、いつまで経っても南蛮に追いつけぬ!」
叫ぶと同時に行基の作った地図を破り捨てた。
そして宣言する。
「南蛮に負けぬ地図を作り、南蛮に負けぬ船をこしらえる!」
それだけではない。
「南蛮に負けぬ大砲を作り、南蛮との戦に勝つ!」
その目は並々ならぬ決意に満ちていた。
周りの諸侯は呆然として信長を見やる。
我に返った義重が咎めた。
「南蛮を言い訳に他国の領土を奪うつもりであろう!」
「織田家はこれ以上領土を広げる気はない」
「口ではどうとでも言える!」
戦国大名の口約束ほどあてにならない物はない。
「では、その証明として我が妹の次女、初を佐竹家に嫁に出そう」
「何!?」
まさかと思った。
「冗談でこのような事を言う訳がなかろう。それとこの際だ、三女の江は徳川家へと嫁がせるので宜しく頼む」
「何と!?」
家康は唖然とした。
未だに嫁ぎ先を決めないので、出家でもさせるのかと思っていたのだ。
「長女の茶々は毛利家だ」
「ぶふっ!」
輝元は口に含んだ茶を噴き出した。
※参考資料
Description English: Transcript of the oldest map in Japan, Gyoki-zu(8th century).
日本語: 「行基図」写本
Date1656.A.D
Sourcehttp://www.tulips.tsukuba.ac.jp/exhibition/kochizu/denshi.html
Author村上勘兵衛(Murakami Kanbei)
地図作りのやり方はイメージです。




