第11話 安土城へ
「帆の数が多いですな!」
「向かい風でも進めるのか?!」
乗船した氏郷らが驚きの声を上げた。
当時の日本の船は、1本マストに一枚の大きな四角形の帆を、船体に対して垂直に張る横帆を使って進む。
順風の中では風を大きく受ける事が出来るので効率が良いが、進む方向と風向きが異なれば面倒である。
帆の向きを変え、舵を操作してジグザグに進む必要があった。
また、完全な逆風となると進む事は叶わず、港に留まり、航海に適した風が吹くのを待たなくてはならない。
対してスペインのガレオン船は、数本の帆柱に大きさや形、向きが異なる帆を組み合わせ、逆風の中でも進む事が出来た。
船体と同じ向きに張られた三角形の縦帆を備え、どんな風の中でも航海を続ける事を可能とした。
一行はそれぞれの帆の用途、構造物に対する説明を受け、その度に感嘆の声を上げた。
「瞬く間に三河湾とは!」
康政が唸る。
陸路とは違い、海の旅はあっという間であった。
伊豆半島を越えて駿河湾を横切り、遠州灘の砂浜を横目に、渥美半島を過ぎて三河湾へと入る。
箱根の山道を歩かないで済んだのが、大幅な時間の短縮に繋がったのであろう。
「見よ! 民が驚いた顔で見ておるぞ!」
ポカンと口を開け、沖を進む船を見送る領民の姿があった。
「おーい!」
氏郷が手を振る。
その顔は誇らしげで、自慢気に見えた。
応えるように子供達は船を追い、海岸沿いの道を走る。
「本当に来るとは……」
家康が呟く。
沖に浮かぶ船を見つめるその顔には、呆れを含んだ驚きの表情が浮かんでいた。
「しかし凄いな」
大砲の試射を見学し、その威力の凄まじさに感じ入る。
それは居合わせた家臣も同様であった。
一人では持てないような重さの弾を物凄い速さで打ち出し、遠く離れた対象物を破壊する。
固く閉ざされた城門も、瞬く間に壊せそうだった。
「あの大砲があれば、城に籠る敵も容易く落とせますな」
徳川四天王の一人、本多忠勝(31)が物欲しそうな顔で述べた。
忠勝は信長から花も実も兼ね備えた勇士と称えられた武将である。
「あれだけの数があるのだから、一つくらい貰い受けても罰は当たらないと思うのだが……」
沖に浮かぶ南蛮船は3隻で、それぞれに多数の大砲を積んでいる。
その中の一つなら、なくなっても困らないのではと思った。
たった一つだけでも戦力には大違いであろう。
「忠勝、無理を言うでない」
「ははっ、申し訳ありません」
家康に咎められ、忠勝は引き下がった。
勝二が説明する。
「仮に大砲が手に入ったとして、それを運用するには大量の火薬、砲弾も用意せねばなりませんよ」
「そうだな」
当時の火薬である黒色火薬は硝石(硝酸カリウム)、硫黄、木炭で構成されている。
その中で硝石だけは日本で手に入れる事が難しく、加賀の五箇山で製造していたとはいえ製法は秘匿されており、甚だ高価な品であった。
「戦に勝っても財政に負担を掛ければ本末転倒ではありませんか?」
「確かにな」
勝二の言葉に家康が頷く。
折角手に入れた領地でも、その後に費用ばかりが嵩むのならば戦を仕掛けた意味が薄い。
「戦略的に重要な地域であれば別なのでしょうが、多大な費用を掛けてまで大砲を運用する必要があるのかでしょうね」
「成る程」
「敵対する相手が大砲を手に入れれば、対抗せざるを得ないのでしょうが……」
「それはそうだな」
敵が威力のある装備を整えれば、領地を守る為にも対抗する必要がある。
とめどない軍拡競争の始まりだ。
「ヨーロッパまでの距離は船で10日程となってしまいました。彼らの持つ強力な武器は、これまでと違って楽に手に入れる事が出来ます」
「そうだな」
未だに実感は湧かないが、こうしてやって来た南蛮船を見ると近いのだなぁと思う。
これからどうなるのかと不安にもなろう。
「とりあえず信長公はスペインと手を結び、大砲を手に入れられる筈です」
「あの威力を目にすれば、まず間違いないな」
それは容易に想像出来た。
「ヨーロッパにはスペインと敵対する、イングランドといった国があります。信長様に対抗する為、それらの国に近づく諸侯が現れるでしょう。そうなれば、武器を買う為だけにこの国の金銀がいくらも費やされ、儲かるのは向こうの国だけとなってしまいます」
「確かにそうだ」
争いが続けば田畑が荒れ、国が疲弊する。
苦しむのはそこで暮らす民となろう。
「天下を安んじるには国を纏める必要があるという訳か……」
「まさしく」
平和を得る為に戦をせねばならないとは、大いなる矛盾であろうか。
「我ら徳川は信長公との同盟関係を維持するだけだ」
勝二らの出発を見送る家康が言った。
三河湾から知多半島を回り、伊勢湾に入った。
木曽川と揖斐川が注ぐ河口付近に船を泊め、上陸する。
「真であったか!」
「信長様?!」
大勢集まった見物客の中、好奇心に溢れた顔で出迎えたのは信長本人だった。
興味津々な様子で遠くのガレオン船を見つめている。
ひとしきり眺め、満足したのか勝二に向き直り、尋ねた。
「この国が大西洋に移動したのだな?」
「そのようです」
その鋭い視線を受け止め、答える。
信長は大きく頷いた。
「隣にいるのは誰だ?」
勝二の横で目をキラキラとさせている男に気づき、問うた。
「この方はスペインより派遣されたカルロス様です」
共に上陸したカルロスを紹介する。
日本の礼儀は教えてあるので問題なく済んだ。
「伴天連共も連れておるぞ」
信長が後ろを振り返って言った。
見物客の中に、一際目立つ黒い服装の宣教師達がいる。
船から降りてきた仲間を迎えた。
「まさか本当だったとは……」
仲間からの報告に、信じられないという顔をした。
「儂をあの船に乗せよ!」
「早速でございますか……」
そんなイエズス会士達を他所に、信長が乗船を強く求めた。
氏政も家康も安全を考慮してガレオン船には乗っていない。
船には火薬を積んでおり、いざという場合を考えて家臣が許さなかったのだ。
対して信長はそんな心配を無視し、意気揚々と乗り込む。
「ほう? 比較にならぬ複雑さだ!」
まるで子供のように嬉々として見て回る。
「これは何だ?」
目についたモノを矢継ぎ早に質問し、専門用語の分からない勝二を困らせた。
「この船を操るには高い技量が求められるな」
船の隅々まで心ゆくまで堪能し、その事を言い当てた。
「一人前になるには数年かかるそうです」
「だろうな」
その答えに納得し、船を降りた。
船の見張り役を残し、カルロスを連れて安土城へと向かう。
城を見るなりカルロス一行は驚いた。
小田原城の規模にもビックリしたが、安土城はまた別の驚きがあった。
本国の要塞にも見劣りしない、見事な作りである。
建築資材も様式も随分と違っていたが、それを作り上げた者達の技術の高さを実感する。
初めて見る全く違う文化を持った国に、カルロスの興奮は否が応でも高まった。
志願して良かったと思った。
「カルロス殿に金閣寺を見せに行きたいのですが……」
今回はあくまで調査である。
同盟の話など、突っ込んだ話し合いまでは進まなかった。
それらが終わり、カルロスの願いであった金閣寺を見に行く事にした。
信長は暫く考え、ニヤリと笑う。
勝二は嫌な予感がした。
「南蛮の船で京へ行け」
「え?」
何を言っているのか理解出来ない。
「ここから京に向かえば直ぐですが?」
琵琶湖を使えば苦もなく京都に辿り着ける。
それなのに、海から向かえば紀伊半島をグルリと回らねばならない。
わざわざそんな遠回りをする意味が分からなかった。
問いかける勝二に信長が言う。
「南蛮船を使って石山本願寺を攻略して参れ」
「え?」
石山は今の大阪で、本願寺が根城にしていた場所である。
信長包囲網の重要な一角として機能し、難攻不落の石山城があった。
それらは聞いて知っていたが、攻略して来いとはどういう事か。
「すみません。仰る意味が分かりませんが……」
混乱して尋ねる。
信長が言った。
「本願寺は頑強に抵抗し、今は信盛が対峙しておる。南蛮船の力を使うも良し、それを圧力にして交渉するも良し、お前が解決して参れ」
「船は彼らの物なのですが?」
無茶を言うなと思った。
しかし信長は頑として譲らない。
逆に問いかける。
「全て言わねば分からんのか?」
忖度しろという事だろうか。
勝二は信長の言わんとする所を考え、口にした。
「交渉しろという事ですか?」
ガレオン船を使わせてくれとは交渉次第ではあろう。
「海は九鬼水軍が抑えておる。危険はなかろう」
「はぁ……」
ひとまず安心出来る話ではあった。
それでも渋る勝二に信長が冷徹な声で指示する。
「尽力せよ」
「はい……」
勝二はカルロスに頼み、大坂に向かった。
※小田原城などの位置関係




