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第113話 問答

 サンタンジェロ城に架かる橋を通り、テベレ川を渡る。

 近づけば近づく程に城の大きさに圧倒された。


 「このような物を大昔に作り、今も使っているとはな」


 信長が感慨深げに呟いた。

 ローマ中が遺跡だらけで唖然とする。

 城を見上げながら進む中、勝二が口を開く。 


 「このお城にはこんなお話がございます」

 「申せ」


 信長に促され、話し始めた。 


 「フェリペ陛下のお父上カール1世は神聖ローマ帝国の皇帝でもありましたが、在位中にイタリアを巡ってフランスと争い、時の教皇がフランス側に立った為、このローマの町を攻めております。およそ50年前の事です」

 「ほう?」


 戦の爪痕はどこにも残っておらず、町は平穏そのものだ。

 通りを行き交う人々の顔にも陰鬱さは見られない。


 「皇帝軍はスペイン、イタリア両軍と、神聖ローマ帝国から連れて来た、ライツクネヒトと呼ばれるドイツ人の傭兵部隊で構成されていました」

 「ライツ?」


 聞き慣れない単語に戸惑う。

 スペイン、イタリアの言葉は比較的聞き取りやすいのだが、その言葉は何やら響きが違った。

 勝二が説明する。


 「ライツクネヒトです。フェリペ陛下の曽祖父、マクシミリアン1世がスイスの傭兵団を手本に作った歩兵部隊で、非常に派手な衣装が特徴と聞きます」

 「傾奇者かぶきものという訳か」


 戦功を確かな物とするには目立つ格好が重要である。

 他人の印象に残りやすいので、どこで何をしていたか覚えてもらえるのだ。

 当時の戦働きは自己申告と、それを裏付ける者の証言で確定する。

 没個性的な衣装では軍勢の中に埋没してしまい、折角の奮闘が無駄になってしまいかねない。

 そのライツクネヒトも同じなのだろうと思った。


 「ライツクネヒトには新教であるルター派が多く、カトリックを敵視していた為、指揮官の戦死を契機に規律を失い、殺戮や略奪、婦女への暴行を働き、ローマ中が大混乱に陥ったそうです」

 「神を信じる者も一皮剥けば同じだな」


 略奪は戦に付き物であるが、統率が取れていないのは頂けない。

 軍の程度が知れるというモノだ。


 「故郷より遠く遠征して来たという側面もあるやもしれません」

 「成る程。言葉も通じぬ者達に情けは掛けぬという事だな」


 信長は合点がいった。

 スペインでもイタリアでも疎外感があったのだ。

 彼らの仲間内でヒソヒソ話されると、自分達の悪口を言っているのではないかと邪推してしまう。

 溜まった不満が爆発したのかもしれない。 


 「その際、時の教皇クレメンス7世はサンタンジェロ城に籠城、皇帝軍が去るのを待ちました」

 「どれ程持ちこたえた?」


 後ろに流れた城を振り返り、尋ねる。

 蟻すら通さないように見えるサンタンジェロ城。

 どれだけ耐えられたのか興味を持った。

 しかし、その結果は拍子抜けである。

 

 「翌月には降伏したようです」

 「たった一月だと? つまらぬ!」


 吐き捨てるように言った。

 半年、一年持ち堪えたのではないかと思ったのだ。


 「降伏はしましたが、城が攻略された訳ではないようです」

 「成る程。確かにこの城を攻めるのは骨が折れそうだ」


 堅牢さは疑いようがない。

 勝二の話もそれで終わりなようだ。

 ふと思いついたように信長が言う。


 「しかし、スペインからこの町を攻めるのであろう? 西洋の戦は大がかりであるな」


 海を越えて他国を攻めると言っても、大坂湾を越えて四国に上陸するというような話ではない。

 明国に攻め入るのと同じであった。 


 「地中海では2千年以上も前から船で交易を行い、戦もしておりました」

 「ふむ。長い歴史があるという訳だな」


 それが当たり前の感覚なのだろう。 


 「それはそうと」


 信長がイサベルに目をやる。

 視線に気づいた彼女が尋ねた。


 『ワタクシに何か?』

 『いや、その方の祖父はこの町を攻めたそうだな』

 『どうしてその事を!?』


 信長は既にスペイン語を習得している。

 流暢な発音で紡がれた内容にイサベルは衝撃を受けた。 

 しかし、それは信長の期待していた答えではない。


 『儂の質問を聞いておらぬのか?』

 『え?』


 若干苛立ちながら言う。

 

 『このローマの町を攻めたのか聞いておる』


 信長のイライラに気づいたイサベルは不承不承頷いた。


 『じ、事実ですわ……』

 『それならば良い』

 

 ローマに憧れを持っていた自分の祖父が、その町を攻めていたなど滑稽であろう。

 しかしそれは、国同士の絶え間ないせめぎ合いの結果であり、無関係の者に悪く言われる筋合いもない。

 イサベルは挑むような目で信長に問うた。


 『祖父は確かにローマを攻めましたが、それが何かありまして? 日本も戦乱が続いていると伺いましたが』


 あなたも同じでしょうと言いたげである。

 けれども信長には通じない。

 冷静な顔で言う。


 『その際、兵がこの町で随分と暴れたそうだな』

 『うっ!』


 言葉に詰まるイサベルに質問を重ねる。


 『カトリックでは略奪を働いても良いのか?』

 『い、いえ、勿論違いますわ!』


 慌てて答えた。

 信仰心篤い彼女にとり、いくら戦争とはいえ略奪を正当化する事は出来ない。

 焦るイサベルに対し、畳みかけるように問う。


 『略奪だけではないな? 戦とて女を犯すのか? 神の愛、正義とやらはどこにあるのだ?』

 『そ、それは……』


 答えに窮する。

 言い訳も出来なかった。

 堪らず顔を伏せた王女に語る。


 『その方の父はカトリックの盟主を自負しておるそうだが、カトリックを世界に広めたところで何になる? 神の名の下に、同じ神を信じる者であろうが殺して犯し、その富を奪うのであろう?』

 『い、いえ、決してそのような事はなさいませんわ!』


 流石に看過出来ず、イサベルは抗議した。

 しかし、ピシャリと言い返される。


 『その方の祖父が現にやっているのであろうが!』


 怒っているようには見えないのが逆に恐ろしい。

 抗弁を試みた。


 『で、でも、乱暴狼藉を働いたのはドイツ人の傭兵と聞きます!』

 『たとえその主体がドイツ兵であろうが、スペイン兵もその場におったのであろう!』

 『それは……』


 否定する事が出来ない。

 単独でローマに入ったドイツ軍が略奪を行ったのであれば、スペイン軍に主たる責任はないだろう。

 しかし事実は違い、ローマにはスペイン軍も到着していた。 


 『多勢に無勢であれば、言葉の通じぬ者達の蛮行を眺める事しか出来なかったやもしれぬ。しかしそうではあるまい?』

 『……』


 イサベルは答えられなかった。

 その通りであるからだ。

 むしろ、とまで考えたところでその男が口にする。


 『それとも、自分達も進んで狼藉を働いたのに、他に責任を押し付けるつもりではなかろうな?』

 

 心を読まれたようでギクッとした。

 王室の宝物庫にはその時の戦利品がいくつも眠っている。

 イサベルは幼い頃からそれらを見て育ち、ローマへの夢を膨らませていたのだ。

 顔色を変えた王女に信長は溜息をつく。


 『図星であったか』


 イサベルは俯いたままだった。

 先程の自分の発言が思い出される。

 ドイツ人に責任をなすり付け、スペインとは無関係を装った。

 押し黙るイサベルを哀れと感じたか、会話の練習とでも思ったのか、信長が言う。


 『人前で神へ祈りを捧げるな。また、信仰は己の心の中に留めよ』

 『え?』


 思わずイサベルは顔を上げた。

 祈りや信仰など、普段の信長ではおよそ考えられないような話題に思える。

 そんな彼女を無視して話を続けた。 


 『まず第一に、人へ見せる為に祈るのではあるまい?』

 『それは、そう、ですわね』


 疑問もなく頷ける。


 『そしてその方らは、神へ祈る行為を以て安心しておるのではないか?』

 『どういう意味ですの?』


 言いたいことが分からない。

 安心を得る為に祈っているのではないからだ。

 信長が説明していく。


 『安心する理由の一つは体裁が整うからだな。他が熱心に祈りを捧げているのに自分だけ祈らないと、大丈夫かと不安になるであろう?』

 『そう……かも……しれませんわね……』


 イサベルは子供の頃、半ば義務となっていた教会での礼拝をさぼった事がある。

 その時は止むを得ない理由があったからだが、一日中大いに不安になったモノだ。

 それは神への祈りを欠いた事に対してではなく、周りから陰口を叩かれるかもしれないと恐れての事だった。

 

 『なので祈ると安心するのだ。周りと同じ事をしているからな』

 『確かに……』


 それを祈りと呼んで良いのかは分からない。


 『逆に、他がやっているのに一人だけやらないと批判される。馬鹿だのうつけだの言われて排除されるであろうな』

 『魔女狩りは、そのような事情から生まれたのかもしれませんわね……』


 チラッとサラを見て言った。

 一方の信長は自身の若い頃を思い出していた。

 意図しての事だが、随分と反感を買っている。


 『二つ目は高尚な事を口にしただけで、さも自分がそうなのだと錯覚するからだ』

 『それは?』


 イサベルは先を促す。


 『お題目を毎日唱えていると、出来てもいないのに出来ていると思い込んでしまう。目標を立てただけで達成した気になるのと同じだな』

 『それは確かに言えておりますわね』


 舞踏会に備えて痩せないといけない時があった。

 計画を練った事に満足し、後で泣きを見た。 


 『悟ってもいないのに悟ったと勘違いする。我が国ではそれを増上慢ぞうじょうまんと言う』

 『ぞーじょーまん、でございますか?』


 不思議な響きの言葉だった。


 『神の愛、正義などと日頃から口にしていると、そんな物などどこにもありはしないのに、さもあるかのように錯覚してしまうのだ』

 『それは承服しかねますわ!』


 反射的に抗議したが、した後で後悔する。

 先ほどと同じだからだ。

 思った通り、直ぐに指摘が入る。


 『錯覚ではないか! ローマで起こしたその方らの蛮行は何だ!』

 『うっ!』


 やはり言い返せない。

 黙るイサベルに続けた。


 『お題目はお題目でしかない。口でいくら綺麗事を述べても、行動が伴わなければ意味がないのだ。いや、口にした事を嘘にするので尚悪い。言わない方がマシなくらいだ』

 『それで、心の中に留めよと言われたのですわね』


 信長の言葉の意味をようやく理解した。

 

 『フフッ』


 思わず笑みが漏れる。 

 目ざとく信長が指摘する。 


 『何がおかしい?』

 『いえ、お優しいなと思いまして』

 『優しい? 儂がか? 馬鹿を申せ!』


 イサベルの言葉を鼻で笑った。

 そんな信長には構わず、噛みしめるように呟く。


 『いえ、お優しですわ』


 手に負えんと信長は天を仰いだ。

 と、二人の会話を後ろで見守っていた勝二が叫ぶ。


 「サンピエトロ大聖堂が見えてきました!」


 一行は一斉に顔を上げ、通りの先を見つめて唖然とする。


 「何という大きさだ!」


 目の前には巨大な建物が見えた。

信長にしては饒舌ですが、興に乗っていたようです。

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