第10話 スペインとの接触
『山が見える!』
『本当か?!』
見張りの叫びに甲板から声が上がった。
『本当にあった!』
海の先を睨んでいたカルロスが叫ぶ。
アゾレス諸島を抜けて暫くし、船長の言葉通りに巨大な島影が出現した。
この海域に、このような巨大な島が発見されずにいた筈がない。
話の通りなのだと確信する。
『黄金の国ジパングか!』
ポルトガルの商人が多数行き交い、黄金の国など嘘である事は知っている。
それでも湧き上がる興奮を抑える事は出来なかった。
『どうするのだね?』
船長がカルロスに尋ねる。
長崎で別れた男に聞いた話では、日本は各地の勢力が争い、不用意に近づけば攻撃されてしまう恐れがあるそうだ。
安全を優先すれば長崎に向かうべきであるが、興奮している若い官僚には届きそうもない。
『あれは城?』
案の定、目に入って来る景色に釘付けだ。
見れば確かに城らしき建造物があった。
距離から察するに、かなり大きな建物だと判断出来る。
『城だと攻撃されるぞ!』
慌てて叫ぶ。
それこそ不用意に接近すれば、大砲をお見舞いされても不思議はない。
『攻撃する素振りを見せず、慎重に近づいていけば大丈夫!』
『何を呑気な!』
カルロスの言葉に唖然とした。
『大丈夫ですよね、神父様?』
同行している神父に尋ねる。
長崎から船に乗り、証拠を持って帰って来る使命を帯びていた。
神父はカルロスの質問に直接は答えず、陸地を指さす。
『あの高い山は有名なフジヤマだと思います』
『フジヤマ、ですか?』
城らしき建物の背後には高い山が見えた。
『フジヤマの辺りは北条家が支配する地だったと思いますが……』
『ホージョー? 危険なのですか?』
『訪れた事がありませんから何とも言えませんが、戦でも起きていない限り無闇に攻撃される事はないと思います』
『ほら!』
どうだと言わんばかりに船長を見る。
船長はヤレヤレとばかりに肩を竦め、船員に指示した。
『慎重に岸に近づくぞ!』
船は帆をいくらか畳み、その速度を緩めて陸地へと向かっていった。
『本当に上陸するのか?』
呆れた顔で船長が言った。
沖合に泊めた位置で小舟を下ろし、カルロスは上陸の為に乗り込もうとしている。
『何かあった時の為に砲撃する準備を頼みます』
『それは構わんが……』
幸いにして城から大砲が飛んで来る事はなかった。
海岸には人々が群がり、じっとこちらを見ている。
敵意は感じないが、いざという時の為に備えた方がいいだろう。
船長はオールを漕いで進む小舟を不安げに見送った。
『ようこそいらっしゃいました』
『スペイン語?!』
内心では若干緊張しつつも上陸したカルロスは、母国語での歓迎に驚いた。
見た事のない服を着た者達が列を作り、出迎えてくれている。
腰には武器なのだろう、二本の剣らしきモノを差し、鋭い目線でこちらを見つめている。
スペイン語を話したのは先頭に立っていた男で、他の者と違って剣を差していなかった。
『君は確かヴァリニャーノ神父様と共にいた?』
『勝二です。お久しぶりです』
男は神父の顔見知りであったようだ。
『どうしてここへ?』
『スペインから船が来る場合に備え、排撃する事がないよう領主達に頼んで回っていたのです』
『そこへ我々が来たという訳ですね。何という巡り合わせか! 神のご加護に感謝します!』
神父は天を仰いで十字を切った。
そうと分かれば話は早い。
カルロスは早速尋ねた。
『ここは黄金の国ジパングなのですか?』
分かってはいたが、やはり気になる。
カルロスの気持ちを慮ったのか、勝二が問い返す。
『マルコ・ポーロの東方見聞録ですか?』
『そうです!』
理解が早くて助かった。
期待して答えを待つ。
しかし、返ってきたのは残念そうな顔だった。
『黄金で出来た建物はありませんよ』
『そ、そうですか……』
頭では理解していたが、現地の者に否定されればダメージが大きい。
落ち込むカルロスを慰めようとでもいうのか、勝二が続けた。
『彼は話を盛っていますが、黄金の国というイメージを持った建物は今もありますよ』
『それは一体?』
『金閣寺という建物です』
『是非とも見たいです!』
途端に喜ぶ。
こうして交流が始まった。
『船を見せて頂きたいのですが……』
日本側の願いは分かり易い。
西洋の持つ兵器の力を知りたいというモノだ。
『構いませんよ』
快く応じてくれた。
乗り込む側は敵意がない事を示す為、腰に帯びた刀を下ろす。
少人数で小舟に乗り込み、ガレオン船に向かった。
「これが南蛮の船?!」
「凄い!」
集まった者達は南蛮船を見た事がない。
その大きさ、堅牢さ、構造の複雑さ、そして大砲の迫力に目を見張る。
「試しに1発撃ってもらう事は出来まいか?」
康政が頼み込んだ。
主君に伝える為にはあらゆる事を知りたい。
その願いは届き、大砲の試射が行われる事となった。
「おぉぉぉ!」
轟音を伴い、海上に白煙が立ち込める。
その音には岸から見守っていた者達も度肝を抜かれた。
発射された弾は目にも止まらぬ速度で飛んでいき、目標としていた荒れ地に土煙を上げてめり込んだ。
「この距離から届くのか?!」
その事実に驚愕する。
「船を傾ければもう少し遠くまで飛ばせる筈ですよ」
「何ぃ?!」
勝二の説明に一同は驚いた。
それもその筈で、一つの恐ろしいイメージが思い浮かぶ。
「城に届くのではないのか?」
それだった。
船からは大砲が届くのに、城からは反撃する手段がないという恐怖だ。
誰もが思ったその考えを勝二はきっぱりと否定する。
「流石に届きません」
小田原城は海沿いに作られているとはいえ、海岸線から1キロメートル近く離れている。
この時代の艦砲では届かない距離だった。
「それを聞いて安心したぞ」
一同にとり小田原城は他人事ではない。
説明にホッと胸を撫で下ろした。
そんな彼らに勝二が言う。
「安心するのは早いですよ。大砲は陸に下ろせますので、近づいて撃てば良いだけです」
「何だと?!」
考えてみれば当たり前の話だった。
「その方の言う通りであった。礼を言う」
帰る段になり、話を信じずに疑った事を氏政(41歳)が謝罪した。
「領民の事を第一に思う氏政様であるからこそです。お気になさらないで下さい」
その理由を聞いた勝二が述べた。
続ける。
「この地に住む民は皆優しい顔をしております。氏政様のご統治が素晴らしい事の証明でございましょう」
「止めよ、照れるではないか」
真面目な顔で言う勝二に氏政は顔を赤くした。
親からも褒められた経験がないので慣れていない。
しかし、勝二の顔色は暗い。
「どうした?」
気になった氏政は尋ねた。
問われた勝二は意を決したように口を開く。
「心配な事がございます」
「何がだ?」
「雨の降り方が変わるかも知れないという事です」
「少なくなるやも知れぬと?」
「はい」
それは初めに聞いた話であった。
移動した先は緯度が高くなっており、気温と降水量の低下を引き起こすかもしれないという危惧である。
良く分からないが、もしもそうなら恐ろしい。
「しかし、仮にそうだとしても、我らにはどうしようもないのではないか?」
氏政が感想を述べた。
確かに恐ろしい事だが、天の恵みは人間如きにはどうする事も出来ないだろう。
「それはそうなのですが、人にも出来る事がございます」
「何だ?」
氏政は先を促した。
「少ない雨や、涼しい気候でも育つ作物を増やす事です」
「それはそうだが……」
麦や粟、稗くらいしか思い浮かばなかった。
勝二が言う。
「アメリカ大陸にはトウモロコシ、ジャガイモ、スイートポテトという作物がございます。これらは雨が少ない地域や寒い地方でも育ちますので、取り入れれば飢饉への備えとなる筈です」
「そうなのか?」
聞いた事のない作物だった。
「特にスイートポテト、甘藷とでも申しましょうか、これは痩せた土地でも栽培出来る優れた作物です」
「ほう?」
痩せた土地でも育つのはありがたい。
「民の為、北条家で育て方を研究するというのは如何でしょうか?」
「ふむ」
新しい作物であれば育て方も分からない。
誰かが研究せねばならないだろう。
それを、その土地を治める武士がやるというのは初耳だが。
「農民にそのような余裕はございません。上に立つ者がその効果を確かめれば、農民も受け入れやすいのではないでしょうか」
「それは確かにそうだ」
納得出来る話であった。
「苗なり種が手に入るよう、私の方で手配しておきます」
「それはありがたい」
北条家に日本初の農業試験場が出来た経緯である。
一同はスペインの船に乗せてもらい、安土城へと帰る運びとなった。
『では、このまま海沿いに岡崎に向かい、尾張に向かって頂けませんか?』
『おぉ! 興奮します!」
南蛮船の到着を家康に伝えなければならない。
『錨を上げよ!』
船長の号令に船は出発した。
『陛下!』
勝二が安土に戻る途に就いた頃、一人の男が慌ただしく部屋の扉をノックした。
随分と慌てているようで、額には大粒の汗が浮かんでいる。
入りなさいと中から甲高い声がし、男は乱暴に扉を開けた。
閉める大きな音に部屋の女主人はしかめ面をする。
『一体何です、騒々しい』
読んでいた小説から視線を上げ、男を睨んだ。
その女性は赤味がかった髪を宝石がちりばめられた髪飾りでまとめ、鮮やかな刺繍の施された豪華な衣装に身を包み、贅沢な作りの椅子にちょこんと腰かけている。
傍にはメイドが控え、気難しい主人の命令に備えていた。
部屋に入ってきた男の目的は、読書を邪魔されて怒り気味のテューダー家第5代当主、イングランドとアイルランドを統べる女王エリザベス1世(46)その人であった。
睨まれても男は怯む事なく、伝えに来た事を報告する。
『大西洋に日本が出現したと、スペインから帰ってきた商人によって報告がありました!』
その報告に女王は首を傾げる。
『日本? ……日本とは何です?』
聞き覚えのない単語であった。
男は説明した。
『インドよりも更に東にある、中国の端に浮かぶ島国です』
ようやく思い出す。
『あぁ、そう言えば聞いた事があるわね』
本棚に飾られていた地球儀をメイドに持って来させ、ガラガラと回してアジアを見た。
『あったわ!』
そこには小さな島国が描かれていた。
『それでこの日本が何?』
『いえ、何と言いますか……』
女王の興味なさげな顔に二の句を継げなかった。
『教皇!』
ミサを終え、部屋へと戻る為に廊下を歩いていたグレゴリウス13世は、切羽詰まった声で呼び止められた。
『血相を変えてどうしました?』
振り返れば枢機卿の一人が顔色をなくしたような表情でつっ立っている。
一目でただ事ではないと感じた。
まるで悪魔に憑りつかれたように見える。
悪魔祓いに臨むような心持で努めて冷静さを保つ。
青ざめた枢機卿が口を開いた。
『大西洋に日本が現れたそうです』
『大西洋? 日本? それがどうしました?』
言っている事がまるで理解出来ず、教皇はそのまま問い返す。
『極東の国日本が、大西洋の真ん中に現れたそうです!』
『何ですって?!』
そこで初めて何を言っているのか理解出来た。
しかしその意味する所は理解不能だ。
『日本とは、イエズス会が布教しているあの日本ですか?』
なかなか布教の許可が下りず、苦労していると聞いている。
その日本が大西洋に現れたというのだ。
どう理解しろと言うのだろう。
暑さで幻覚でも見ているのではと疑った。
そんな教皇の心を読んだのか、枢機卿が言う。
『信じて頂けないのは承知しておりますが、私は誓って事実を述べております。現にイエズス会の日本布教区長フランシスコ・カブラルが、大西洋に浮かぶ日本からローマに戻って来ております!』
『何ですと?!』
どうやら幻覚や幻聴の類ではないらしい。
『島が移動した? まさか神の御業なのですか?』
カブラルから詳しい説明を聞き、教皇は誰にも聞こえないような小声で呟いた。




