第105話 バチカンへの旅路
沿道を埋め尽くす人々に見送られ、信長一行はマドリードを後にした。
色々と不満も多い滞在ではあったが、愛着を覚える部分もあり、二度と訪れる事はないであろう街の景色を、その目にしっかりと焼き付けた。
「やはりこの馬は素晴らしい」
馬上の信長が、珍しくニコニコ顔で言った。
フェリペよりあの馬を譲り受け、旅の供としている。
漆黒の毛並みが日の光を受けて艶やかに輝き、歩を進める度にキラキラと光るようだった。
「駿馬という言葉がこれ程相応しい馬もいないでしょう」
並んで走る蘭丸が相槌を打つ。
お世辞ではなく本心から出た意見だった。
信長の乗っている馬は穏やかな性格で扱いやすく、こちらの言う事を良く理解した。
言葉が違うのに不思議なモノだと思う。
「必ずやこの馬を持ち帰り、増やさねばな」
「交配でしたか」
以前、勝二が説明した事のある品種改良である。
作物の方では実験が始まっているが、家畜となると手探り状態だった。
巨躯を誇るペルシュロンと併せ、日本への導入を図る。
『平気ですか王女殿下』
『ええ、大丈夫よ』
宮殿を守っている筈のアルベルトが馬車と併走し、中のイサベルに尋ねた。
王女がバチカンへ同行する事となり、急遽、彼が護衛隊を率いている。
長旅なので馬車が使われ、イサベルが乗っていた。
当時の馬車はサスペンションが未発達であり、車輪にゴムが巻かれている訳でもないので車内の揺れが凄まじい。
綿を詰めた敷物を厚く重ね、少しでも旅が快適となるよう工夫していた。
「この靴ってヤツ、結構履き心地がいいな」
「草鞋に比べれば丈夫ですしね」
同じく馬上の重秀の感想に勝二が応える。
持って来た草鞋はとうに尽き、マドリードで手に入れた靴を履いていた。
牛の革で出来た履物で、足袋のように足を包む構造となっており、紐で縛って固定する。
草鞋に比べれば柔らかく、かつ強靭だった。
「それでも底が擦り切れてしまいますから、早くゴムを手に入れないと……」
「アマゾンだったか?」
ポルトガルが領土としていた南米のブラジル。
そこに広がる熱帯雨林には有用な樹木が多く生えており、中でもゴムの木は真っ先に手に入れたいモノ筆頭である。
足袋や革靴の底に塗れば長持ちするようになり、かつ衝撃を和らげ、疲れを軽減させる効果がある。
『キャッ!』
『王女殿下!』
道の凹みで馬車が跳ねたのだろう、車内のイサベルが悲鳴を上げた。
馬車は大きくなく、飛び上がった拍子に頭を天井にぶつけたのかもしれない。
車内を想像して勝二は顔を顰める。
重秀も体験乗車しており、イサベルの苦労が偲ばれた。
「あれはある意味拷問だよな」
「車輪の外側にゴムを塗れば馬車の乗り心地も上がりますよ」
そうすれば馬車の普及も進もう。
「すっかり夫婦のようですね」
「馬鹿言うんじゃねぇ!」
信親のからかいに幸村が顔を顰める。
幸村の前には旅装束のノエリアがちょこんと座り、馬の揺れに身を任せている。
馬に乗れない彼女の為、幸村が同乗させていた。
「カトリックは一人の夫に一人の妻だそうですよ?」
「俺はカトリックじゃねぇし、仮にそうであっても違うって言ってんだろ!」
二人の言い合いを、ノエリアはキョトンとした顔で眺めている。
これくらいにしておかないと本気で怒りそうだと思い、信親は冗談を飛ばすのを止めた。
「我々の向かっているバチカンとは、一体どのような場所なのでしょうね?」
「カトリックの総本山だったか?」
好奇心が疼く。
「ローマっつー町の中に町があるとか想像つかねーけどよ」
「堺のようなモノでしょうか?」
昔の堺は大名の影響から逃れ、自治が行われていたと聞く。
二人の知識ではそれくらいしか思い浮かばなかった。
「ま、行けば分かるだろ」
「百聞は一見にしかずですね」
二人は目の前に続く山道を見つめた。
「真にもって嘆かわしい!」
頼廉が嘆息した。
「カトリックとは民の困窮の上に成り立つ組織なのか!」
セビリアでもマドリードでも途中の町でも、教会が一番立派な建物であった。
嘆く頼廉に弥助が伝える。
「戦になったら人々は教会に立て籠もるし、大きさは必要だよ」
「何と! そのような理由があったのですか!」
その説明に納得する。
それなら仕方あるまい。
「それに、それを言うなら本願寺のお寺だって立派でしょ?」
「そ、それは、まあ、人を多く呼ぶには建物が大きくないと……」
途端にしどろもどろになる。
「それと同じじゃない?」
「い、いや、まあ、そうですな。人の多い町では建物も大きくなりますな」
バツが悪いと頭を掻いた。
「でも、言いたい事は分かるよ」
「と申しますと?」
その同意にオヤという顔をする。
不思議そうな顔の頼廉に弥助が自身の経験を述べた。
「ゴアにあった教会も随分と立派だったけど、故郷から連れて行かれた僕達奴隷は、それはもう酷い扱いを受けてたからね。仲間は何人も死んでいったし」
「そ、そのような過酷な目に遭われていたのですか……」
弥助の生い立ちは詳しく聞いた事がなかったので、その告白に驚く。
「中に入るなんて事は出来なかったけど、遠くからいつも神様に祈ってたよ。どうか助けて下さいって。生まれた場所に戻して下さいって」
「な、成る程……」
そのような境遇で何を思うのか、頼廉には想像の外だった。
「祈りが半分通じたのかな? ヴァリニャーノ神父様に助けてもらい、奴隷ではなくなったけど」
「良かったではありませんか!」
明るい顔で言う弥助にホッとする。
「でも、もう半分は叶わなかったよね。何時の間にやらショージの家来になってるし、僕を奴隷にした人達が信仰しているバチカンに向かっているし」
「故郷に帰りたいのですかな?」
頼廉は周りをキョロキョロと見た。
「逃げようと思えば逃げられますぞ?」
誰も弥助に注意を払っていない。
彼が逃げるなど思ってもいないようだった。
ふらっと道から逸れて茂みに隠れれば、そのまま気づかずに進んでしまうだろう。
親切心で言ったであろう頼廉に弥助が笑い出す。
「逃げるなんて今更だよ。嫁さんも出来たし、今は楽しいから」
「人生万事塞翁が馬ですな」
心よりホッとした。
旅は順調に続き、スペインとフランスを隔てるピレネー山脈に差し掛かろうとしていた時だった。
「一体何だ!」
通り掛かった村で騒ぎとなっており、多数の村人が広場に集まっていた。
怒声、罵声が響いてくる。
信長に説明する為、アルベルトに調べてもらう。
顔色を変え、慌てて戻って来たので、何が起きているのか尋ねた。
『何ですって?!』
アルベルトの報告に驚愕する。
驚く勝二の様子に周りもただ事ではないと知る。
「何があった?」
信長は再度尋ねた。
唾をゴクリと飲み込み、勝二は答える。
「魔女狩りです!」
「まじょ狩り? 鷹狩のようなモノか?」
そういえば鷹狩ともご無沙汰だなと言いたげな顔で信長が言った。
主の言葉に勝二はずっこけかける。
「お恐れながら全く違います!」
強く否定した。




