第101話 テルシオ
時と場所を移し、一行はマドリード郊外の訓練場に来ていた。
狐狩り用の森も広がる原野で、広い。
自分達の鍛錬風景は見せたので、次はスペイン軍の番である。
『先ほどは失礼した。宮殿の防衛を任されているアルベルトだ』
やや明るい茶色の入った黒髪を短めに切り揃え、筋骨隆々たる男が進み出た。
胸と腹を覆うだけの鎧を着こみ、兜は脇に抱えている。
その後ろには武器防具を身につけた、この国の軍隊がいる。
剣と盾を持った歩兵、長い槍を持った槍兵、弓兵、鉄砲兵、馬に乗った騎兵が見えた。
『陛下直々の命を受け、私が我が国の戦い方を説明させてもらう』
アルベルトは緊張しつつ言った。
日本人の武芸の程はその目で見て知っている。
目の前の者達が腰に差している剣、彼らの言い方では刀と言うらしいが、その切れ味の凄まじさには肝を潰した。
正確に言えば、兜を凹ませるくらいの事はアルベルトにも自信はある。
折れを気にせず、自分の剣を力の限り振り回せば叶うだろう。
しかし、二度と使う気にはならない筈だ。
命の掛かった場所で、いつ折れるのか分からないような物など恐ろしくて使えない。
けれども刀は違う。
頼んで実際に見せてもらったのだが、兜を大きく凹ませたにも関わらず、小さな刃こぼれがあるくらい。
研げば何も問題ないと言われ、衝撃を受けた。
そんな刀を差した相手と向き合っている。
もしも彼らがその刃を抜いて向かってきたら。
あり得ないと分かっていても、そんな恐怖が脳裏を過るのだった。
「どうした?」
『失礼』
アルベルトは信長の声にハッと我に返る。
雑念を振り払い、ここで為すべき事へと集中する。
『我が国の戦い方を説明する前に、まずはファランクスについて話しておこう』
「ファランクス?」
アルベルトが説明を始めた。
『ファランクスとは古代ギリシャで始まった陣形だが、完成され過ぎているので未だに影響を受けているのだ』
「古代ギリシャ?」
何の事か分からず、信長が勝二を見る。
「ローマ帝国よりも古い時代、今からおよそ2300年前くらい、今のギリシャに位置した古代の国の事です」
「左様か」
何となく理解した。
驚いたのは隣で聞いていたアルベルトである。
話の内容はさっぱり分からないが、耳に残った単語に驚嘆した。
『ローマ帝国を知っているのか!?』
まさかという気持ちである。
目を白黒させているアルベルトに、その心情を推測した信長がニヤリとした顔で尋ねる。
「ハンニバル、スキピオであろう?」
『ハンニバルまで知っているとは!』
日本人を蛮族と侮る心があったのは否定出来ない。
いかに戦いが強くとも、野蛮な輩を尊敬する事など無理な相談である。
しかし、かのハンニバルを知っているのならば話は別だ。
何故なら。
「倍の敵を包囲し、殲滅したカンナエでのハンニバルの指揮は、我らが手本とすべきモノだな」
『何と!』
アルベルトは言葉を失う。
まさに自分の思っていた通りを指摘されたからだ。
今でもハンニバルの取った戦術は、自分達の研究対象である。
尊敬のこもった目で自分を見るアルベルトに、信長は若干居心地が悪くなった。
ニコニコとした顔でいる勝二の尻を蹴飛ばしたくなったが、必死に思いとどまる。 咳払いのつもりでアルベルトに向かい、言った。
「話の続きを」
アルベルトが説明を始める。
『ファランクスだが、左手に盾、右手に槍を持った兵が横一列に並び、その後ろに同じ槍兵を何列も重ねて陣とする』
そこまで話し、首を傾げた。
『見るのが一番だな』
部下に命じる。
するとスペイン軍に動きがあり、槍と盾を持った兵士が一カ所に集まり始めた。
兵士達の前に立つ者の合図で整列する。
『あれがファランクスだ』
「盾を持った長槍兵という訳か」
信長は納得した。
整列した兵は皆背丈を越える槍を持ち、左手に小さな盾を備えている。
12人で1列となり、それが3列並んでいた。
『構え!』
アルベルトの声で、整列したファランクスが戦闘態勢に入った。
「おぉ! 何という槍衾!」
腰を落とし、長い槍を水平に構えた1列目の後ろに、前列の間から若干上向きに槍を突き出した2列目がいる。
3列目は45度くらいに構え、部隊の正面を隙間なく槍で埋め尽くした。
外敵に向けて針を突き出したハリネズミのようだと勝二は思った。
映画で見たスパルタ人だとも。
『鉄砲以外でどう破る?』
「ぬ?」
アルベルトに問われた信長。
挑まれているのかと思い一瞬ムッとしたが、その顔を見て怒りは消える。
悪意は感じなかった。
なので考える。
『あの盾で弓は防げるのか?」
『一応はな』
小さいながらも盾の役目を果たすようだ。
ならば弓兵は使えまい。
数で狙えば良さそうだが、そのような意図で出た質問ではないだろう。
「ではこうしよう。相手の右側面に騎兵をぶつける」
『右側面に騎兵を? どうして?』
アルベルトはその理由を尋ねた。
「長い槍を持った隊列は方向転換が難しいので、攻める際には側面を狙うのが常道だ。また、盾を持つ側から攻めても効果的な打撃は与えられないであろう」
『だから右側面か』
「そうだ」
古代ギリシャのファランクスは12人で1列、それが3列で1ユニットである。
敵と相対するのは12人であり、左右に方向転換する場合、12人で歩調を合わせ、グルっと回らなければならない。
列の向く方向を変えるだけでも一苦労だった。
回れ右をすればいいんじゃ……
そう思ったのは、学校で行進の練習をした勝二だからであり、その発想が出るのはもっと時代を下ってからの事だ。
12人12列の正方形で方陣を作れば、左右に方向転換をする場合、その場で回れ右か左をすれば事足りる。
しかし、それすらも集団行動の練習をしなければ不可能で、それをするには常備軍を備えなければならず、簡単ではない。
考え事をしている勝二に気付いた信長だったが、声を掛ける前にアルベルトが更に質問した。
『騎兵なのは何故だ?』
「人の足による突撃では対処されるおそれがあるので、早さのある騎兵を使う」
『素晴らしい!』
その答えに満足したようだった。
戦国の世を戦い抜いてきた信長には当たり前だったが、日本の事情など目の前の男には知る由もあるまい。
『ファランクスの弱点はその機動力と側面の脆さだ』
アルベルトの説明に信長が口を挟む。
「弓兵、騎兵で守れば良かろう」
『まさに!』
拍手せんばかりに頷いた。
『しかし弓を扱うには長い時間が必要で、騎兵は維持するのに費用が掛かり過ぎる』
「否定はせん」
それは日本も同様だった。
『その弱点を補う形で考えだされたのがローマ帝国のテストゥドとなる』
「何だそれは?」
そこまでは知らないかとアルベルトは安心した。
部下に命じ、陣形を変えさせる。
『あれだ』
「大盾で前面と上面を守るのか!」
体を覆うくらい大きな盾を、列の前と上で構え、防御に徹した陣形だった。
「確かに防御力は高かろうが、動きがのろすぎる!」
『尤もだ』
身動きさえままならないだろう。
『その後、様々な改良が加えられ続け、我が国は剣と盾を持つ事となった』
「槍を捨てたのか?」
アルベルトの言葉に信長が驚く。
槍を捨てるなど考えられない。
「イベリア半島は山が多く、山岳地帯に砦を築いていたイスラムを攻撃する際、長い槍では具合が悪かったのだ』
「成る程」
納得出来る説明だった。
セビリアからマドリードまでは山道ばかりであった事を思い出す。
山城を攻略するなら長槍は邪魔であろう。
特に山林の中では振り回す事さえ出来ない。
『しかし百年前に起きたイタリア戦争で、スイス槍兵を擁したフランス軍に我が軍は破れ、剣を槍に換えた』
「元に戻った感があるが……」
1494年、イタリア半島にフランス軍が侵攻してイタリア戦争が始まった。
片手剣と丸盾を装備し、軽騎兵に守られたスペイン軍は、両手持ちの長い槍を装備したスイス傭兵と重騎兵の組み合わせに敗北し、軍の編成を変える。
『それが今のテルシオだ!』
そう言うと共に合図を出す。
アルベルトの指示にスペイン軍全体が動いた。
「あれは?!」
その光景に信長は驚いた。
既視感があった。
『テルシオは11名の士官、219名の槍兵、20名のマスケット兵で構成された槍兵中隊と、同じく11名の士官、224名のアーキュバス兵、15名のマスケット兵からなる銃兵中隊と、それぞれの側面を守る弓兵、騎兵から出来ている。この中隊を基本単位として軍の編成を行うのだが、マスケットは高価なのでままならぬ……』
「槍兵と種子島を持った兵で構成し、弓と騎兵だと?」
アーキュバスとは小口径の火縄銃の事で、マスケット銃は日本における火縄銃である。
「蘭丸よ、長槍を持って参れ」
「ははっ!」
こんな事もあろうかと、通常の装備品を準備していた勝二である。
蘭丸も当然承知しているので直ぐに持って来た。
「これが我が国の足軽用の槍だ」
『これは?!』
差し出された槍にアルベルトが目を見張る。
弥助が披露した槍術は短い木の棒であったが、これはとてつもなく長い。
まるで自分達の槍、パイクのようである。
「我が織田家の槍は三間半(6.4メートル)で、一般的な槍の三間(4~5.5メートル)を上回っている」
『それは!』
全く同じ発想であった。
長い方が戦いには有利だと。
「我が国では長槍兵100、種子島100、弓兵100、騎兵100、それを纏める者数名で軍勢の基本を構成している」
『何?!』
それを兵種別編成と言う。
武田信玄と争っていた村上義清が編み出した戦術で、信玄にさえも通じた戦い方だった。
しかし数には勝てず、義清は信玄に敗れて逃げる事となる。
逃げた先が上杉謙信で、上杉軍に取り入れられ、瞬く間に諸大名の間に広まっていった。
『比率は違うがテルシオと同じ!』
偶然の一致か必然か、両者の構成は似ていた。
けれどもこの兵種別編成には重大な問題があった。
『しかし銃と騎兵が多過ぎるぞ!』
金がかかり過ぎるのだ。
なので資金に余裕がなければ鉄砲は減り、槍が増えていく事となる。
「戦いに強いだけでは乱世は勝ち残れぬ。金儲けの上手さも大事な強さだ」
『金儲けの上手さだと?!』
禁欲主義の教会には受け入れ難い価値観であったが、現実主義の軍人であるアルベルトには頷ける話だった。
参考資料
マケドニアのファランクス(パブリック・ドメイン)
資料の情報
Date 1984
Source http://www.au.af.mil/au/awc/awcgate/gabrmetz/gabr0066.htm
Author F. Mitchell, Department of History, United States Military Academy




