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第99話 信長、フェリペと会う

 その部屋は天井にまで精細な絵画が施されていた。

 壁に嵌め込まれた、色とりどりのステンドグラスから日の光が差し込み、大理石で出来た床に美しい模様を描いている。

 足を踏み入れた瞬間に一行は息を呑み、頭上にばかり気を取られて足元を彩る景色にはまるで気づかなかった。

 聖書のエピソードをモチーフにした絵であったが、彼らにはその意味するところは分からない。

 静謐に包まれたその空間を通り抜け、一行は国王が待つへと向かう。

 

 一行を待ち構えていた者が恭しくその扉を開けた瞬間、伴天連の教会で聞いた事のある音色が耳に入って来た。 

 その広間は先ほどまでとは違い、天上がやけに高く、奥行きも広い。

 思わず気圧けおされそうになるのを堪え、彼らは足を踏み出す。

 巨大な空間にパイプオルガンの奏でる旋律が響く中、大勢の先客が左右に別れ、信長一行に注視していた。

 その一番奥、幾段もの階段を登った先に、この国の王であり、新大陸にも広大な領地を持つフェリペ2世が玉座に座り、睥睨している。

 

 一行は予め言い含められていた通りに国王の前まで進み、止まる。

 信長を先頭にし、その後ろに列を作って並んだ。 

 勝二は通訳として代表者の斜め後ろに控える。

 見下ろす日の沈まない帝国の統治者と、見上げる日出国ひいずるくにの者。

 両者は同盟者であり、訪問したからとて膝をつく事はない。

 誰一人として頭を下げる事もなく、親善使節の歓迎式典が始まった。 


  


 『あれが奇跡の国から来たという日本人か』

 『噂通りに変わった恰好ですな』

 

 式典を後ろから見守る貴族達が囁き合う。

 

 『見よ、あの頭』

 『ご丁寧に剃り上げているらしいですぞ』


 見た目を揶揄する。


 『タンジェの反乱では活躍したそうだが、蛮族だからじゃないのか?』

 『勇猛さと野蛮さは似ているようで全く違いますからな』


 それを聞き、鎮圧に加わったアンダルシア、バレンシア地方の貴族達が苦笑する。

 自分達も同じように思っていた事を思い出していた。


 『小さな島国の野蛮人が、我が偉大なるスペイン王国と同盟を結べるとは、国王陛下の温情に感謝するがいい』

 『神の奇跡と認定されたからといって、陛下も特別扱いする必要はないでしょうに』


 聞けば日本は未だ統一政権すら出来ておらず、地方ごとに群雄が割拠しているらしい。

 その中で最大の勢力を誇るのが織田家で、日本の中心部を支配して莫大な富を掌握しているそうだ。

 つまり今来ている者はスペインにおける公爵、侯爵に相当し、国を代表している者ではない。

 そのような者を、他国の王と同じに遇するなど考えられなかった。

 自国の貴族達がそのような会話をしている中、式典は滞りなく進み、フェリペと信長が親しく言葉を交わす段となる。


 『わざわざタンジェの鎮圧に参加されたとの事。協力感謝する』


 まずはフェリペがねぎらった。


 『貴殿らの活躍、このマドリードにも届いている。勇猛果敢に戦い、立ち塞がる敵を討ち破ったとか』

 「為すべき事を為したまで」


 フェリペ、信長の言葉をカルロス、勝二が間に入って通訳していく。

 カルロスはまだ日本語を上手く使えないが、通訳はそれぞれにいないと宜しくない。

 通訳する者が恣意的に訳せば大問題だからである。

 

 『我が国とは趣の異なる武器を巧みに扱うと』

 「我らは武人であるので、武器の習熟には殊更気を使っている」


 カルロスが既に刀や鎧兜を持ち帰っている。

 しかし道具を見て知っているだけと、実際に使っているところを見るのは別問題だ。


 『となれば、軍事訓練を常に行っているという事か?』

 「武芸百般に通じておくのは武士たる者の勤め」


 フェリペは戦争に参加した事はない。

 国王たる者、戦いよりも国を統治する方法を学ばねばならなかった。


 『では、どうだろう? タンジェで発揮した諸兄らの持つ力を、マドリードの民達にも見せてはもらえまいか?』

 「我らは武人だ。芸人の如く見世物になるつもりはない」


 大道芸人になれと言われ、はいそうですかと頷ける筈もない。

 若干慌ててフェリペが言い直す。


 『そのような意味ではない。日頃の訓練の様子を見せてもらえればそれで良いのだ』

 「それならば嫌とは言わぬが、代わりに貴公らの鍛錬の様子も見せてもらいたい」

 『勿論だ』


 信長の返事にホッとする。

 これも民衆への慰撫工作だった。

 噂の日本人を民衆の前に出し、国王の評判を高める狙いである。

 こうして日本人の一行は、その武芸を披露する事になった。


 式は進み、使節団が持って来た土産品の紹介となる。

 

 「貴国との友好を祝う為、我が国で産する品物を持参した。収められよ」

 『細かな気遣い感謝する』


 信長の指示で、その広間に無数の木の箱が運び込まれた。

 それを指揮している人物にフェリペが驚く。 


 『何故?』


 セビリアで家久らに難癖をつけたマニャーラである。

  

 『いえ、あの、これらは陛下への大事な品でありますので、セビリアを治める私自ら運ばせて頂きました』

 『ほう? 感心な事だ』


 フェリペは皮肉を込めて言う。

 事のあらましはカルロスより報告を受けている。

 新大陸からもたらされる、莫大な富を産む品々が集まる地、セビリア。

 その地を治める者であれば、船を襲うイングランド人への憎しみは理解出来るが、栄光あるスペイン帝国の貴族が、外国より招いた客人に対して横暴に振舞ってはならない。

 通常であれば罰に相当するペナルティを科すところだが、どうやら日本人は何とも思っていないとの事。

 産物をここまで運び、イングランド人の一部を、その故国まで送り届ける事で不問にする事となったようだ。

 そうしているうちに全ての木箱が揃ったらしい。


 「勝二、説明致せ」

 「ははっ!」


 信長の言葉に一人の男が進み出る。


 『それではご説明させて頂きます』


 日本側の通訳をしていた男であった。


 『まずはご婦人方への品となります』

 『何? 女達へ?』


 真っ先に自分への贈り物だと思っていたフェリペは面食らう。

 申し訳なさそうにその男は言った。


 『出来れば陛下のお妃様、姫君に直接ご説明したいのですが……』

 『構わぬが、妃は体調が優れぬ。これ、イサベル、カタリーナ』


 フェリペは娘達を呼ぶ。

 

 『はい、国王陛下』

 『何でございましょう?』


 常に近くに控えているので反応は早い。


 『お前達が説明を聞いてやれ』

 『分かりましたわ』

 『喜んで!』


 娘達に命じた。

 二人はドレスの裾をそっと持ち上げ、使節団のいる下まで降りる。

 警護なのかそれぞれの執事、剣を持った鎧姿の騎士が間に立っていた。


 『ご説明の前に予め宣言させて頂きます』

 『何でしょう?』


 勝二の言葉にイサベルが応える。

 気立ての良さそうな女性だなと思った。

 一方のカタリーナはツンと澄ましており、下賤な外国人とは会話を交わすのも御免だと言いたげである。

 

 『これらの品をご紹介するのに、いかがわしい考えや疚しい気持ちは些かもございませんので、その点はご留意下さい』

 『分かりましたわ』


 何が始まるのだろうとイサベルはワクワクした。 

 噂の日本人と言葉を交わしている状況に興奮しきりである。

 髪形や顔つき、身につけている衣服や礼儀作法に至るまで、そのどれもが見知ったモノとは大違いだ。

 その男が箱から取り出す品々に、目は釘付けとなる。


 『それは一体何ですの?』


 一品目は光沢のある繊維で編まれた衣服らしかった。

 絹で作られているのだろう。

 執事を介して手渡され、その感触から分かった。

 日本では絹が取れ、美しい衣服を作っている事は知っている。

 着方は分からなかったが、カルロスが持って帰った産物の中に入っており、父の執務室に飾られているので毎日のように見ている。

 それに比べれば随分と小さい。

 同じように色鮮やかな刺繍が施されているが、前以上にどうやって使うのか見当が付かない。

 訝しがるイサベルに男が言う。


 『これは乳房を包み込むブラジャーにございます』

 『乳房?』

 『何ですって?!』


 その単語にギョッとする。

 カタリーナもそうであったようだ。

 人前で話す内容ではないと思ったが、真剣な男の目に、疚しい気持ちはないとの言葉を思い出す。

 この事かとイサベルは思った。

 ブラジャーは自慢の逸品なのだろう。

 細かな模様が刺繍されており、さながら絵画を見ているようだ。

 自分達をはずかしめる為にやっているのではないと理解する。

 しかし、そんな事には気づいていそうにない妹と父を心配し、冷静にさせるつもりで大きい声を出す。


 『面白そうですわね! どうやって使うのか教えて下さる?』


 イサベルの声に妹も国王もハッと我に返った。


 『ありがとうございます』


 男もイサベルの意図に気付いたようだ。

 目で感謝の意を伝えてくる。

 

 『まずはこの紐の間に腕を入れ、肩の位置まで引き上げます。次に乳房をこうやって包み込み、後ろをボタンで留めれば完成です』

 『まあ!』


 よく考えられている下着であった。


 『乳房は個々人によって大きさもまちまちですので、それぞれに合った大きさを選ぶ事が肝心です。裏に小さく番号、1(ウノ)、2(ドス)、3(トレス)、4(クアトロ)といった具合に振っておりますので、参考にして下さい』

 『分かりましたわ!』


 更に別の物が出てくる。

 三角形の布の切れ端から紐が伸びており、これも何に使う物か分からない。


 『これは?』

 『それはパンツです』

 『ぱんつ?』


 勝二は感情を殺して淡々と説明を続けた。

甲斐に植えた桑で蚕を育て、絹を取り、反物に仕上げます。

それを使い、信玄の娘であり、信忠の正室である松姫が、旧武田家臣の奥方達を使ってブラジャーに仕立てています。

なお、デザインはお市です。

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[気になる点] 日本の産物じゃないよ、未来の産物だよ。
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