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第9話 小田原へ

 一人の男が部屋で机に向かい、積み上げられた書類の山と格闘していた。

 部屋の内装は質素であるが、色調が整えられて落ち着いた雰囲気を出している。

 調度品はなく、机と椅子、本棚が置いてあるだけの、殺風景と言えるような部屋だった。

 そんな部屋の主は手を伸ばして紙の束を掴み、中身に目を通してサインしていく。

 サインした書類は机の横に置かれた台に載せる。

 黙々と同じ作業を繰り返し、書類を減らしていった。

 また一つの書類を片付け、新しいモノに手を伸ばす。 


 『陛下、大変です!』


 慌てた声と共に扉が乱暴に開かれた。

 男はしかめ面をし、突然の闖入者ちんにゅうしゃをギロリと睨む。


 『部屋に入る時にはノックをしろと言った筈だぞ!』

 『す、すみません!』

 『全くお前という奴は……』


 何度言っても治らないその癖に、男は大きく溜息をついた。

 能力は申し分ないのだが、ノックを忘れる、テーブルマナーが宜しくない、宮廷における淑女への態度が粗雑など、どうしたモノかと思う事が多い。

 それを補って余りある才能の為、その地位に就けているが、場をわきまえない振る舞いに、女性陣を中心に苦情を寄せられているのも確かである。

 育ちが悪いので仕方ないのだが、気を付けるだけではないのかとも思う。

 本当に分かっているのかと疑っていた。

 国王である自分の言葉を、真面目に聞いていないのではないかと。 


 『それで? どうしたというのだ?』


 それを言い出すとキリがないので、スペイン国王フェリペ2世(52歳)は尋ねた。

 問われた家臣、カルロス・アロジョが途端に目を輝かせる。

 国王は嫌な予感がした。


 『極東の島国である日本が、アゾレス諸島の西に現れたそうです!』

 『何?』

  

 思った通りだった。

 アゾレス諸島は隣国ポルトガルの持つ領土で、イベリア半島の西、船で1週間の距離にある小さな群島だ。

 副王領ハバナからの帰路の途上にあり、物資の補給に便利だと聞いている。

 日本と言えばアフリカ、インドを超え、マラッカを過ぎた先にある、極東の島国の筈。

 それがアゾレス諸島の近くに現れたという。


 『全くお前という奴は! 街の噂をわざわざ報告に来るなと何度言えば分かるのだ!』


 それもこの若い官僚の悪い癖だった。

 街の噂を聞きつけ、嬉々として報告に来る。

 この前は人魚が海岸に打ち上げられたと言いに来た筈だ。

 何を馬鹿な事をと取り合わなかったのだが、案の定イルカの見間違いだと分かり、ガックリと肩を落として落ち込むカルロスだった。

 それでも人魚の存在を微塵も疑わない彼に、これが見もしない彼方かなたの地へ冒険に出掛けられる、コンキスタドールたる資質なのかと感心した。

 しかし、見た事もない人魚の美しさを繰り返されればウンザリもする。

 今度はまるでエル・ドラードでも見つけたかのようなカルロスの様子に、フェリペ2世は苛立った。

 仕事の邪魔をするなと声を荒げたくもなる。

 しかしカルロスは一歩も引き下がらない。

 自信満々に言った。


 『これは嘘ではありません! ハバナから帰る途中の船員達がその目で見てきたそうです! 日本から持ち帰った証拠の品も見ました!』

 『見た?』

 『はい! 私がこの目で確認しました!』

 『お前が? いや、しかし、どうして証拠の品だと分かる?』


 何やら風向きが違った。

 いつもは聞いてきた話をするだけなのに、今日は自分で確かめてきたと言う。 


 『イエズス会東インド管区巡察師、アレッサンドロ・ヴァリニャーノが、日本から国王陛下にてた手紙ですので確かです!』

 『イエズス会だと?! それを早く言わぬか!』

 

 カトリックの保護者にして敬虔な信徒であるフェリペ2世にとり、イエズス会は特別な存在である。

 教皇に仕え、無私の心で世界各地へと布教に出掛ける宣教師達は、カトリックの誇りにして宝だと思う。

 そんなイエズス会士の言葉であれば、町の者達が根拠もなくする噂話とは違って当たり前だ。


 『その手紙はどこにある?』

 『ここに!』

 『良し!』 


 早速その手紙を受け取って目を通す。


 『真にそのような事が?!』


 信じらない話であった。

 日本が大西洋に移動したなどと。

 もっと詳しい話を聞かねばならない。


 『日本にいた神父も来ているそうだな?』

 『はい! 船長と共に王都に来ております!』

 『よし、会おう!』

 『既に謁見の間に控えさせております!』

 『……流石だな』


 慌てているようで抜かりないカルロスに国王は舌を巻いた。




 『早速調査を兼ねた使者を出すのだ!』


 神父と船長の話は具体的で、確認しない事には始まらないと考えた。


 『その役目、私に任せて頂けませんでしょうか!』


 カルロスが申し出た。

 その顔には好奇心が満ち溢れ、ウズウズしている様が見て取れる。

 確かにこのような不可思議な現象を前にして、黙っていられる男でもあるまい。

 忙しい業務を処理するのに必要な人材ではあるが、一人いなくなって困るようでは官僚組織の破綻である。

 自身の作り上げた制度に自信がある国王にとり、何も問題はない。

 

 『そうだな、許可しよう』

 『ありがとうございます!』


 まるで玩具を与えられた子供のようにカルロスは喜んだ。




 「どうしてです?」

 「簡単に信じてもらえるとは思っていませんでしたが、まさか捕らえられるとは予想外ですね」

 「話にならないとはこの事だ!」

 「無念……」


 一行は捕縛され、牢代わりの屋敷に軟禁されていた。

 小田原に入り北条氏政ほうじょううじまさ(41)を訪ね、太陽が方向を変えた事について説明を始めたのだが、馬鹿な事を言うなと一蹴され、領民を不安に陥れる為にやって来たのだと勘違いされた。

 領民の平和な暮らしを思う氏政故であろうが、考えてみれば島が移動するなどと言われても、はいそうですかと素直に信じる方がおかしいのかもしれない。

 

 また、北条家と徳川家が同盟を結んだのは今年に入ってからである。

 その縁を頼りに一行は訪ねたのだが、家康と信長の間柄程には信頼関係を結べていなかったのだろう。

 氏政にとってみれば、いきなり訪ねて来られて荒唐無稽な話をされても、その意図を疑う方が先である。

 勿論、太陽の進む向きが変わった事には家臣共々気づいていた。

 領民の間に動揺が生まれている事を憂慮し、機会を見つけて不安の払拭に努めていた。

 しかし、その理由は分からない。

 理由が分からないまま、流言が広がる事を恐れ、城下の治安の維持を図っていた。


 「殿、あの者達は一体どうされますか?」


 家臣が尋ねた。

 家族思いであり、家臣や領民への気遣いを忘れない氏政を慕う者は多い。


 「徳川からの使者だ! 無闇に斬り捨てる訳にもいくまい!」


 北条家の最大版図を築いた氏政にとり、増やした領地に渦巻く不満には敏感である。

 北条の支配に反抗する者達は機会を捉えて流言飛語を広め、一揆や反乱を起こそうとする。

 同盟を組んだばかりの徳川家がそれをしに来たとは思わないが、かと言ってそのままにしておいて良いとは思わなかった。

 日本が大西洋に移動したと聞き、信じられなかったのは言うまでもないが、それよりも領民がどう考えるのかを心配した。

 そう判断した理由には何となく納得出来たが、それを無学な領民が理解出来るとは思えない。

 噂となって瞬く間に広まり、取り返しのつかない状態になる事を何よりも恐れた。

 南蛮が来るなどと、誰が不安に思わない事があろうか。

 無闇に恐れて恐慌が起きても不思議はあるまい。


 「黙って帰るならば何もしないが、何をしに来たのか調べねばなるまい。あの者達が領地に入ってからの行動を調べるのだ」

 「分かりました」




 「そう言えば、先代の氏康うじやす公は氏政公が茶碗の飯に二度、汁を掛けるのを目にして嘆いたそうですぞ」

 「どうしてでございますか?」


 秀政の言葉に勝二は尋ねた。


 「飯に汁を掛けるなど何度もしている筈であるのに、未だに必要な量を見極められないのかという事ですな」

 「成る程」

 「細かい……」


 その事で北条家の未来を悲観したという。

 しかし、同じような逸話は毛利家にもあり、本当の事なのかははっきりとしない。


 「兎に角、問答無用で使者を斬り捨てる事はありますまい」

 

 秀政が安心させようと言った。


 「しかし、身に覚えのない罪を着せられる事はあり得ますね?」

 「それは、まあ、そうですな」

 「ここは北条家の領地ですし」

 「ですな」


 勝二にとり、上司の失敗を部下が被らされる事例には事欠かない。

 自社だけでなく、他社で起こった話も耳にしていた。

 今回も同じように、無実の罪を着せられる可能性があろう。

 違う事と言えば、裁判などあってないようなこの時代、命がなくなるという事であろうか。


 「しかし皆さん、随分と落ち着いていますね?」


 他の者達の落ち着きようを不思議に思った。

 武器は取り上げられている。


 「なぁに、いざとなったら素手で戦うまでです」

 「左様。この命、いつでも捨てる用意が出来ておる故」

 「三河武士の意地を侮ってもらっては困るな」

 「成る程……」


 流石は武士だなと思った。

 真似はいつまで経っても出来そうにないが。




 「殿! 大変でございます!」


 家臣の一人が息せき切って現れた。

 領地の見廻りに出ていた者である。 


 「一体どうしたのだ?」

 「沖に異形の船が多数現れました!」

 「何ぃ?!」


 その言葉に驚愕する。

 

 「里見か?」


 下総しもうさを治める里見氏とは度々争い、2年前に和睦したばかりである。

 新しい船を用意し、攻めて来たのかと思った。  


 「違います! 三本の帆柱に多数の大筒を備えた船です!」

 「それはまさか?!」

 「そうです。あの者達の言っていた船です!」

 「ま、まさか……」


 小田原の沖に現れた船は、徳川の使者が口にしていたモノと同じ特徴を持っていた。


 「いや、しかし……」


 信じる事は出来ない。


 「天守閣に登れば確認出来るかと思います」

 「そ、そうだな!」


 氏政は何事かと驚く家臣達と共に天守閣へと登る。


 「まさか本当なのか?」


 沖には見た事もない船が多数、浮かんでいた。

 帆を畳み、錨を下ろしているのかその場に留まっている。

 小舟を下ろしている所を見るとこちらに来るつもりなのかもしれない。

 どうすべきか考え込む。

 しかし頭が混乱してまとまらない。

 遂に決心し、叫んだ。


 「あの者共を呼べ!」


 話によれば南蛮の言葉が分かるという。

 氏政は家臣に指示した。


※小田原城の位置関係

挿絵(By みてみん)

カルロスは架空の人物です。


時系列的に間に合うのか分かりませんが、順風で早かったという事でお願いします。

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