楯の形 ~ 楯は騎士と名誉を守るもの
西洋の紋章。
日本の家紋。
そのどちらも個人や家紋を識別し、相続されるものだ。
だから、家紋も紋章の定義に則ったものであると認知されている。
しかし、家紋にはそれらを管理する公的機関がなく、体系的なルールも存在しない。
少し調べたが、家紋自体の起源もいくつか説があるものの、明確ではなかった。
僕たちの家系はどんな家紋を使ったのか。
家紋は、僕たちの家系はどこから来たのか。
僕たちはそれを忘れていく。
歴史が消えていく。
それは……それはきっと遺憾と言わざるを得ないだろう。
歴史のヒントを少しでも得られるのなら、紋章学を続けるべきだと、僕は思った。
昼休み。
情報科の教室で、細長いケースに詰め込んだ自作の弁当をもそもそと食べていると、同級生の一人が僕の机の前に来た。
「星宮。お前、一条先輩と会ってるんだって?」
僕と同じく情報科二年の早乙女だった。
僕が校内で口をきく数少ない人間の一人。
「選択科目で一緒になった。それだけだよ」
「噂になってるぞ。一条先輩からマンツーマンで授業受けてる男子学生がいる。それが、情報科で一番目立たない、"陰"のような男子学生だと」
「当たってるのは後半だけだね」
「少なくとも、星宮は噂になってる。ジョークみたいな話だが、一条先輩を狙ってる不届き者に刺されるかも知れない。後半の情報も塗り替える必要が出てくるだろうな」
早乙女は小さく笑った。
どうやら僕が知らない間に、事態は面倒なほうへと転がっているようだ。
早急に対策しなければ。
「誰も予想していなかった人物が、誰も成し遂げなかった偉業を成し遂げることだってあるだろう」
「映画のセリフ?」
「イミテーション・ゲーム。アラン・チューリングの友人、クリストファーのセリフ。暗号解読に挑む天才数学者の話。情報科の学生に人気の作品だ。誰もが憧れるものさ、偉業を成し遂げた人物と証跡に」
誰かと付き合うことが特別だなんて、僕は思わない。
それに今の状況はなし崩し的なものだ。
昼休みが半分終わる頃、僕は弁当箱を空にした。
残りの時間で紋章学の予習をしておく。
三回目の世界史概論の授業。
今週も担当教諭は現れなかった。
一条先輩とエリス会長はその理由を知っているようだが、僕は聞かなかった。
それは男性から女性に対するデリカシーの問題だ。
一条先輩は鼻歌交じりに黒板にチョークを滑らせる。
見る見る内に幾何学模様が並んでいく。
「今日は楯の形の話ですよね」
僕はプリントアウトしてきた資料を机の上に出した。
一条先輩はそれを見て目を丸くする。
「星宮君、手際が良いのね。流石、私が見込んだだけあるわ」
「見込み違いにならないように、少しだけ努力しました」
僕の言葉を聞いた途端、一条先輩は僕に抱きついた。
清々しい、柔らかな香りが鼻孔をつく。
僕は一条先輩のなすがままにされていた。
体温が急上昇しすぎて、頭の回転が止まってしまったのかも知れない。
エリス会長の咳払いが聞こえて、一条先輩は僕を離した。
「貴方にも紋章への愛が芽生えたのね!」
「いえ、そこまでは行ってません。それに、勘違いされるから急に触るのは止めてください」
「隠し立てしなくていいのよ! 自信と誇りを持って!」
一条先輩は、きっと愛するものへの態度が素直すぎるのか、それとも愛情表現に問題を抱えているか。
どちらか、だ。
僕は冷静を装って、シャツの襟を整えた。
「今でこそ紋章は紙面の上に描かれているけれど、本来は楯の外側に描かれていたと、話したわよね」
「紋章が楯の形になっているのは、そのためです」
楯は古来から防具として使われている。
激しい戦闘で上下左右に動かすため、楯は軽量の木材が好まれた。
中世の楯は木板を金具で補強したもので、周縁部には金属の枠をはめた。
そして、早い時期から軍事、戦闘技術とは別に、美的装飾が用いられるようになってきた。
当初、ゲルマン民族は楯を単色で塗った。
これは自分の一族や家門を示すものというより、どの部族に帰属するかを表すものだった。
ハリイー人は黒い楯、ラインフランク人は白い楯、というように。
楯全体が単色で覆われていることから、こうした楯は「単彩」という紋章用語で呼ばれている。
楯中央部には攻撃を受け流すための丸い突起物、楯芯が付けられ、補強のために鋲が打たれた。
楯芯は念入りに磨き上げられ、光の反射によって敵の目をくらます効果もあった。
楯芯と鋲打ちを並べることで、比較的簡単に特定の模様を描くことができる。
しかし、こうした楯芯による単純な模様は、まだ個人の識別に役立つような特徴的なものだとはいえない。
紋章を使った最初の例とされるアンジュー伯ジョフロワ四世の楯は、大きく湾曲した、兵士の頭から足までを隠すノルマン式の楯だ。
矢から身を守るため、この時代には全身を覆う楯が必要とされていた。
ここでも明らかなように、楯芯はジョフロワ四世の時代、十二世紀まで維持されている。
楯芯を原型とする図形、ネッセルブラット(イラクサの葉)やカーバンクル(槍花車)も存在するが、この時代は紋章が発展する過渡期といえるだろう。
時代とともに楯の形状に変化が出てくると、紋章を描くのにノルマン式楯は次第に使われなくなる。
代わりに十三世紀にはノルマン式楯よりも短い三角楯が現れる。
兜が発達し、密閉型の大兜によって頭を守れるようになり、ノルマン式の楯ほどの大きさは不要になったためだ。
しかし、当初の三角楯は幅の狭い作りであり、紋章を描くにはスペースが足りなかった。
十三世紀中葉以降は楯の形状は縦横の長さをある程度等しくするようになり、三角楯は古典的な紋章楯へと発展していった。
フランスではこうした楯は「小さな楯」と呼ばれ、中世末期まで戦闘や馬上槍試合で使用された。
小さな楯のバリエーションの1つが下部がUの字になったもので、これは十二世紀にはスペインで誕生したとされている。
この半円形は十三世紀後半にはスペインからフランスへ受け継がれたが、ドイツへはなかなか伝播しなかった。
十四世紀半ばから、馬上槍試合専用の楯として、タルチェが開発された。
タルチェの右上には槍受けと呼ばれる切れ込みが入っており、ここに槍を通して使った。
この窪みのおかげで楯を構えたまま槍を突き出すことが可能となり、さらに槍の荷重を軽減することにも繋がった。
攻撃と防御を併せ持つ性能によって、タルチェは馬上槍試合だけでなく、実戦でも用いられるようになっていく。
タルチェはドイツから発生したとも、アジア人由来でハンガリー人が持ち込んだとも、スペイン人が考え出したとも言われるが、真相は不明である。
タルチェから非常に大きい置き楯が派生したと考えられている。
置き楯はイタリア北部パヴィーアに因んでパヴェーゼと呼ばれる。
置き楯は歩兵用の装備ではあるが、紋章学では特別な意味を持つ。
それは、置き楯に都市の紋章が描かれたという点である。
パヴェーゼは個人のものではなく、都市という共同体のものだった。
中世末期、イタリアでは馬面楯が使用された。
馬面楯は鎧を装着した馬の頭部を正面から見た輪郭を模したものだ。
聖職者が好んで使用したもので、メディチ家出身のローマ教皇が用いた紋章が特に有名である。
そして、婦人用の紋章として、中世末期までは菱形楯が好まれた。
これは紋章としての意味しか持たず、防具として使われたことはない。
菱形楯は未婚あるいは寡婦のものである。
未婚女性は菱形に父の紋章を描き、寡婦は楯は垂直に二等分してデキスターに亡き夫の、シニスターに実家の紋章を刻んだ。
「楯にも色々な種類があったわけですね」
「その中で、特に紋章を描くのに向いていたのが三角楯だったというわけ」
中世末期には楯の形状は馬上槍試合での実用から離れていったが、最も重要なのが三角楯であることは変わらなかった。
馬上槍試合でも戦闘とは無縁な独自の形状の楯が用いられることはあったが、そこに紋章が描かれることはなかったのである。
「楯の形状ごとに、ドイツ式とかスペイン式とか名前が付いているけど、必ずしも名前になっている国でその楯が使われていたわけじゃないの。楯の形のバリエーションはずっと増え続けて、各地で色々な形状が使用されているわ。森護先生の本には60種類もの形の楯が載せられているくらいよ」
「そんなに。よくもそんなに考えましたね」
「とはいえ、製造技術や実用性の問題もあって、初期の形状はそこまで複雑じゃないわ。一般的には以下の形状が有名ね」
1. 古フランス式 (Old French)
2. フランス式 (Modern French)
3. オーバル (Oval)
4. ロズンジ (Lozenge)
5. スクウェア (Square)
6. イタリア式 (Italian)
7. スイス式 (Swiss)
8. イギリス式 (English)
9. ドイツ式 (German)
10. ポーランド式 (Polish)
11. スペイン式 (Spanish)
楯にも歴史があるものだと、僕は感心した。
楯について説明したところで、エリス会長の一声で僕たちは休憩に入った。




