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物語の中心に巻き込まれたくない令嬢は、今日も庭の草を抜いています。  作者: 京泉
after

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節度という檻(ラリッサ)

 ノルデン男爵家に嫁ぐことになったと告げられたのは、すべてが決まった後のことだった。

 理由など言うまでもない。グレイ公爵家の体面を守るため──つまり、わたくしの「問題」を世間から隠すための政略結婚。婚姻の体裁を借りた処分であり、実質は追放。

 最初から、わたくしに選択肢など与えられてはいなかったのよ。


 輿に揺られ、退屈で無味乾燥な景色が延々と続く田舎道を越えた先、霧の中から姿を現したのは、無骨で野暮ったい石造りの建物。

 あれがノルデンの館だという。門をくぐる前から、重苦しい空気が肌を這った。華麗さの欠片もなく、趣という概念を知らぬ造り。あれを「邸宅」と呼ぶのは、あまりに寛容すぎると思ったわ。


「──よくいらっしゃいました」


 玄関に立っていた白髪混じりの執事は、言葉こそ丁寧だが、その響きには敬意というものが欠片も感じられない。形式的な口上を述べ、すぐに視線を逸らすその態度──公爵家の令嬢に向けるものとしては失礼極まりない。

 もちろん、彼らにしてみれば、もうわたくしは「公爵令嬢」ではなく「男爵夫人」なのだろう。それでも、わたくしの格が下がるわけではないのよ。にもかかわらず、誰ひとり「ラリッサ様」と呼び、敬う者がいない。浅ましいほどの無礼だわ。


 案内された部屋は、広さこそあれど暗く沈んだ色調で、古びた退屈な調度ばかり。窓辺のカーテンも、紅茶の香りも、王都の上質なものとは比べるまでもない。視界に入るすべてが、わたくしの基準に到底及ばない。

 紅茶を淹れる使用人の所作を見ているうち、わたくしの苛立ちは限界を超えた。


「遅いわね、あなた。まあ、男爵家の使用人だものね。わたくしは公爵家の嫡出、こんな香りも華やかさもない紅茶など飲めないわ。もっと香り高く淹れなさい」


 そう言って、わざと紅茶を床に零してやった。これこそ、相応しい叱責よ。貴族──それも公爵家の血を引くわたくしの言葉は、当然絶対であるべきなのだから。


 けれど使用人は怯えも抗議もせず、ただ静かに頭を下げ、淡々と床を拭き始めた。感情などという人間らしいものが存在しないかのように。

 ぞっとするほど無機質な反応。


 この屋敷の者たちは、わたくしが何をしても眉ひとつ動かさない。声を荒らげても、氷の彫像のように微動だにせず、決められた所作だけを淡々とこなす。返ってくる言葉も、わたくしの苛立ちを和らげるどころか、均等で冷ややかな響きばかり。


 そして夜。

 わたくしは、笑ってしまうほど簡素な誓いの場に立たされた。


 広間の祭壇の前に立つ男──飾り気もない礼服を纏い、年上で、冷ややかな灰色の瞳を持つ人物。これがノルデン男爵だという。

 背筋を真っすぐに伸ばし、わたくしを見つめるその視線には、媚びも熱もなく、ただ静かな重みだけがあった。


「ようこそ。ノルデン男爵家へ。今日からあなたは、ノルデン男爵夫人です」


 淡々とした声なのに、なぜか背筋を伸ばさせられる圧があった。


「まず、あなたに告げねばならないことがあります。ここでは、使用人も家族同然です。職責はあれど、立場を盾に理不尽を通すことは許されない」


 ──わたくしに向けられた? まさか、説教?


「あなたが誇りを持つことは結構です。けれども、誇りと節度は別物です。公爵家の娘であったからこそ、男爵夫人としての節度を示してください」


 耳を疑った。男爵風情が、公爵家の嫡出たるわたくしを諭すなど──屈辱という言葉では足りない。

 

「夫人としての責任? 笑わせないで。わたくしは望んで来たわけではなくてよ」

「承知している。それでも、この家にいる限り、家を守る責務を共に担う者だ」


 理屈ばかり。身の程知らずの言葉。


「わたくしには公爵家の誇りがありますわ!」

「誇りは、他者に命じて得るものではありません。自らの振る舞いによってのみ、示されるものです」


 ああ、なんて鬱陶しい説教かしら。耳障りな声をこれ以上聞いていたら、わたくしの品位が汚れるわ。

 反論する価値すらない。わたくしは唇を噛み、視線を逸らし、男爵に背を向けた。


 広間を出てすぐ自室にこもると、机の上に真紅の薔薇が活けられていた。誰の気遣いか知らないが、その存在そのものが無言でわたくしを諭すようで、余計に癪に障る。


 窓の外は霧と木立ばかり。華やかな街並みはなく、馬車の蹄の音も、噂話も、香水の香りもない。王都では、わたくしは常に話題の中心だったのに。


 このような退屈な片田舎で、わたくしの輝きが埋もれるなんて──わたくしには似合わない。飾り気もないこの館ごときが、わたくしを押し込められると思ったら大間違いよ。

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