第16話:怪盗はなぜ倒れたのか(後)
いよいよ解決、篇?
「まさか窃盗犯がやられた原因って、伝承にあるジャガンジャ様じゃないわよね」
田井中が伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンと共に森の探索に出かけてから数分後。
戸泉夫人は今回の、河濤村に逃げ込んだ窃盗犯が昏倒した事件の事を思い出し、家路を歩きながら夫に訊ねた。
「んん~~。確かになぁ」
もう二度と、迷惑行為と犯罪行為をしないと約束させられた戸泉は、彼女と共に歩き、頭をポリポリかきながら言う。
「窃盗犯のやった事は、ジャガンジャってヤツの――」
「ちょっとアンタ!」
夫人は慌てて夫の口を両手で塞いだ。
「本当にその……ジャガンジャ様が聞いていたらどうするんだい? 不敬だって事でアンタまでやられてしまうよ?」
「んーんー!」
分かった、という意思表示のため、戸泉は自分の口を塞いだ夫人の手をポンポンと叩く。彼女はすぐに手を放した。
「分かったから……でもよぉ、それならあの学者先生は大丈夫なのかい? あの人ズケズケと森の奥まで何度も入っていったぞ? 俺としては、あの学者先生の方がよほど不敬に思えるけどなぁ」
「…………それも、そうだねぇ」
戸泉夫人は考え込んだ。
しかし、窃盗犯の昏倒事件でドタバタしたせいで朝食をとり損ねたため、あまり頭が働かない。
「まぁ、食べてから考えようかね」
「そうだな。というかメシ食ってないのに血を採られて、今にも倒れそうだ」
そして二人は、話している内に自宅に着いた事もあり、ジャガンジャなる存在についての考察は後回しにする事にした。
※
「分かったって……早いですね田井中さん」
事件が発覚してからまだ一時間も経っていないのに原因を突き止めた事に、伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンは驚愕した。
「という事は、梅さんの調査は無駄に終わったんでしょうか?」
「…………………………梅ちゃんには、帰ったら何か奢るか」
伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンの指摘に、田井中は苦笑いを返した。しかし、まだ仮説の段階であるために「俺の仮説が間違っている場合もあるかもしれんから、まぁ一応調べてもらった方がいいとは思うが」と、一応付け加えておいた。
「それで、田井中さん……伝説の宇宙怪盗はなぜ倒れていたんですか?」
「おそらく、俺達の身近に、普通に存在する空気……二酸化炭素が原因だ」
「まさか、二酸化炭素中毒ですかッ!?」
河濤村という山林地帯に足を踏み入れるくらいだ。
ある程度は、山の危険についての知識を持ち合わせていた伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンはすぐに知識を引っ張り出せた。
「オジサンも知っているだろうが、森は生きている」
田井中は、環境保護団体が聞けばうんうん頷きそうな事を前置きしてから、話を続けた。「植物は日光を受けて光合成し、二酸化炭素を取り込み酸素を出す。だが夜はその逆。酸素を取り込み二酸化炭素を放出する。一説によれば、光合成で生成される酸素よりも、呼吸で生成される二酸化炭素の方が量が多い可能性があるとも言われている。そして重い空気である二酸化炭素が溜まりやすい環境……谷間や盆地のような場所であれば二酸化炭素の濃度は格段に上がり、その場所にいれば二酸化炭素中毒になるリスクが高くなる」
「登山家が気をつけねばいけない危険の一つですね。ですが、二酸化炭素が大量に生成されたのでしたら、なぜ私達や他の宿泊客や村人のみなさんは無事なんです? 少なくとも、真下明日子さんが二酸化炭素中毒になっていないのはおかしいです。同じ屋根の下にいたのですから」
「オジサンは不思議に思った事はないか?」
田井中は、ただただまっすぐに森を進みながら訊ねた。
「真下家の借りている別荘の周囲が……少々坂になっているのを」
「…………………………まさか、田井中さん」
伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンは、田井中の質問の意味をすぐに察した。
「真下家の別荘が、森から出てきた二酸化炭素の通り道の中に建ってるとでも?」
「あくまで仮説にすぎん」
しかしあくまで、田井中は慎重に意見する。
「なんであの別荘の建つ場所だけが、狙い撃ちされてるかのように坂になっているのか、の謎は分からんが……少なくとも、明日子ちゃんが二酸化炭素中毒にならなかったワケには説明がつく。二酸化炭素が空気よりも重かったおかげで、一階分の高さまでしか二酸化炭素が来なかったからだ。おそらく彼女は二階で寝ていて……そして、伝説の宇宙怪盗は一階で晩酌なり何なりをしていたんだろう。だから彼はピンポイントで二酸化炭素中毒になった」
「なるほど」
伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンは、田井中の仮説の信憑性が高そうだと思えてきた。
「宇宙怪盗が玄関前で倒れていたのは、酸素を求めての行動だった……そう考えると辻褄が合いますね。ですが」
「ああ、分かってる。森全体が二酸化炭素を出したらこのような事は起きない。平等に全員が二酸化炭素中毒になっているハズ。なのになぜ特定の人間だけが二酸化炭素中毒になったのか、だろ?」
「はい。それだけが分かりません」
伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンは頷いた。
「森以外が、二酸化炭素を出したとしたら?」
すると田井中は迷いなく、別の可能性を示した。
「森以外? それ以外で二酸化炭素を出すモノなど……森にありましたっけ?」
しかし伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンには、その別の可能性の心当たりはなかった。二酸化炭素という、意外なモノが原因であると言われた驚きのあまり、ど忘れしただけの可能性もあるだろうが。
すると田井中は、話を進めるためにもすぐ「アフリカ・カメルーンの北西」と話を切り出す。「標高一〇九一メートルに位置する火口湖『ニオス湖』の近くの村で起きた悲劇を……オジサンは知っているか?」
「ニオス湖? …………ッ! ま、まさか……この先にあるという湖はッ」
「ああ。俺達の予想が当たっているならば、この先にある湖は……湖底に二酸化炭素を溜めている」
ようやく、森以外に二酸化炭素を出すモノについて思い出してくれたオジサンに一度真剣な表情を向けてから、田井中は続ける。
たとえ歩いた先に、腰くらいまでの高さがある茂みがあっても。服が汚れるのも気にせずに、目的地までまっすぐ突き進みながら。
「そしてそれは、一定の周期で『湖水爆発』を引き起こし……どういうワケだか、二酸化炭素が俺達が今通っているルートで河濤村へと流れ込み……一九八六年八月二十一日にニオス湖の周辺の村で起きた悲劇……村人二千人近くと家畜三千五百頭が窒息死した事件と同じ悲劇が、河濤村でも起きかけ――」
すると、その時だった。
田井中の足が空を切った……かと思えば、次の瞬間には重力により下方へと引っ張られ――。
こんな展開、今までミステリに……いや、あった、かも?




