第四十一話:それに、僕は一人じゃない
ギルドでの最終報告会議を終え、屋敷に戻る。本当に目まぐるしく状況の変わる一日だった。
何しろ、当初立てたスケジュールの通り進んでいたとしたら、まだ調査をやっているはずなのだ。フィルが口出ししていなかったら、今頃エトランジュは事前調査やモデルアントの研究に忙殺されていただろう。
アルデバランの破壊は本当に驚いた。あれは普通ではない。
マクネスの発言が本気かどうかはともかく、真相の究明のためにギルドは動くだろうしエトランジュも途中で協力を求められるだろう。
だが、エトランジュはそれどころではなかった。
大きく深呼吸をして、昨日からずっとぼんやりとしているフィルに話しかける。
「あの…………フィル……その……」
昨日から、調子がおかしかった。すんでのところで助けて貰った時から……いや、もしかしたら、もっと前からかもしれない。気づいていなかっただけで。
何しろ、やや人見知り気味で仕事一辺倒だったエトランジュが家に人を招くなど、あまつさえこんなに長く接するなど、初めてだったのだ。不意打ちで散々な目に遭わされたが、そんな事すらもうどうでもいいと思っている。
決定的なのは、あの表情だ。アルデバランの死骸を見つけた時にフィルが浮かべた、恐ろしい表情。
心の奥底に眠っていた感情が一瞬表に出たのだろうか、狂気すら垣間見えるその表情を見た瞬間から、エトランジュは少しだけおかしくなったのだ。
隣にいるだけで、心臓の鼓動がいつもより早い。恥ずかしくて顔を正面から見れないし、昨日まで何の気なしにできていたはずの会話が覚束ない。
それは、エトランジュ・セントラルドール、生まれて初めての経験だった。
心臓が強く鼓動し、とっさに胸を押さえる。動悸がした。血が巡り過ぎたのか、頭がくらくらする。顔が熱い、恐らく鏡を見れば真っ赤になっている事だろう。
エトランジュは自分の状態を何度も何度も分析した結果、一つの結論に到達せざるを得なかった。
これはもしかして…………恋という奴なのでは?
自分の事ながら余りの趣味の悪さに驚きだ。
相手はあんなに色々エトランジュにしておきながら、性的な興味は一切ないと言い放った(しかも多分本当)、《魔物使い》狂いの鬼畜である。
《機械魔術師》には傷や状態異常を癒やすスキルも存在するが、残念ながら今の状態には通じない。両手を頬に当て、頬の火照りを少しでも冷ます。
もしも今のエトランジュの状態がバレたらどんな目にあわされるかわかったものではない。そんな事は合理的な、魔導機械の研究者として許される事ではない。
で、でも……そう。少しはいいところもあるのです。
方法はどうあれエトランジュの身体を気遣ってくれたし、恐らく誰にでもそうするとはいえ、危険を顧みず助けてもくれた。それに、性的な興味は一切ないと言いつつも魅力的と述べたのは嘘ではないはずだ。
……………………そ、そうだ! いいところ、SSS等級探求者なのです! アリス達をもてあそんで得た地位ですが!!
…………だ、大丈夫。まだ、きっと、時間はあるのです。
どう分析してもいいところよりも人間的な欠点が目につく。一人悶々としているエトランジュに、フィルがふと何気なく言った。
「あぁ、そうだ。今日で僕、屋敷を出るから。長い間、世話になったね」
「は、はぁ。………………はぁぁぁぁ!?」
「!? ど、どうしたの?」
来て欲しいと言ったわけでもないのに乗り込んで来た癖に、いて欲しいときにいなくなるってどういう事なのです!?
なんて事、口には出せない。《魔物使い》の中にはスレイブの精神を揺らしてコントロールする者もいると聞いているが、たちが悪すぎる。
全力で顔が歪むのを抑えるエトランジュに、フィルが言う。
「もうこれ以上ここにいても得るものはないからね」
一言一言何かを言われる度に心臓が跳ねた。もうエトランジュの精神力はゼロだ。
「わ、私は別に、いなくなるなら、清々しますが……【機神の祭壇】は、どうするのですか?」
そもそも、フィルがエトランジュの所にやってきたのは、白夜からの依頼達成のためだったはずだ。
SSS等級依頼が幾つも残る状態を根本解決するためには魔導機械の神をどうにかするという話で、そのためにエトランジュの協力が必要という話で――。
フィルは少しだけ屈み目線を合わせると、ごしごしとエトランジュの頭を撫で、顔を真っ赤にするエティに言った。
「エティ、それは君に任せるよ。付き合って上げたいけど、時間がかかりすぎる……」
「は……はぁぁぁぁぁ? ほ、本気、なのですか!? ここまで、色々やっておいて!?」
「元々その予定だった。けど、少しだけ予定を早める」
確かに。確かにフィルがここにやってきたのはエトランジュに頼み事をするためであり、エトランジュに協力するためではない。だが、フィルとエトランジュの目的とするものは恐らく一致しているはずだ。
そもそも、フィルはエトランジュに守ってくれと言ったし、ハグもしたし、額にだけど、キスまでしたのだ。
そりゃ制限時間があるのは知っていたが、はしごを外すとかそういうレベルではない。
「あの…………フィ、フィル? その……わ、私に付き合ってくれるなら……わ、私の、データを取らせてあげても――」
怒りと衝撃と寂しさでどうしていいやら、頭の中がぐちゃぐちゃになり、血迷うエトランジュに、フィルはとても真剣な声で言った。
「エティ、僕は今夜――――恐らく、とても、危険な事をしに行く。多分この街にやってきて一番危険な…………エトランジュ、君も、注意するんだ」
その一言で、一瞬で頭が冷えた。
危険な事。いつも何も言わずに危険な事をするフィルが断言する危険な事だ。目を細め、聞き返す。
「……もしかして、私がそれを、許容するとでも思っているのです?」
「いや、これは一人でやらなければならない事だ。詳しくは言えないけど――信じて、ここで待っていてくれ」
その声には、恋心とはまた別の話として、つい従いたくなるような魅力があった。
これが――SSS等級探求者だ。純人などという最弱種族で、迷わず他者を助け、一人で平然と死地に赴く。SS等級のエトランジュがSSS等級探求者に至る上で足りないもの。
そして――余りにも危険なものだ。一歩間違えれば命を落としかねない所業。そして、一歩も間違えなかったのがきっと、目の前の青年なのだろう。
心臓が強くどくんと鳴る。唇が歪む。きっと、今自分は酷薄な笑みを浮かべているのだろう。
そして、自分でも信じられない程冷ややかな声が出た。
「私がそんな言葉に乗せられると思うのですか? ソウルブラザー、今ここで拘束してもいいのですよ?」
「乗せられるさ、ソウルシスター。それに、僕は一人じゃない」
フィル・ガーデンはその言葉に笑みを浮かべると、己の胸を拳で叩いて見せた。
アリス・ナイトウォーカー。《魔物使い》たるもの、いつ何時でも、スレイブと共に戦うという事だろうか?
これまで《機械魔術師》として研鑽を積んできたエトランジュはその時初めて、己がスレイブになれない職を持っている事を悔やんだ。
《機械魔術師》に契約魔法は効かない。この《魔物使い》の青年にとって、エトランジュには共に戦う権利すらないのだ。
泣くつもりなんて無かったのに、自然と涙が零れる。
フィル・ガーデンはそっと近づくと、以前やってくれたようにエトランジュを静かに抱きしめてくれた。
§ § §
準備は整った。心構えも万全だ。エトランジュの屋敷を出る。
レイブンシティは変わった街だ。だが、とてもいい街だった。
出会いもあった。ランドにガルド、セーラ達、《明けの戦鎚》。セイルさん達元素精霊種のパーティに、《託宣師》のエル。リンに広谷、そしてもちろんエトランジュ・セントラルドールに、アム・ナイトメア。小夜と白夜だって――僕はその名を二度と忘れないだろう。
だから、こんな事になってしまったのがとても口惜しい。
だが、同時に、とても……高揚していた。目の前の苦難がより大きい程血が騒ぐのはもはや探求者の性と言えるだろう。
エティは見送りに来なかった。玄関から一歩出て、声をあげる。
「ドライ、見ているんだろう? 今夜だけは彼女を屋敷から出すな」
「交渉は失敗ですか、フィル様」
いつの間にか後ろに立っていたエティの片腕が冷ややかな声で言う。
ドライ。エティのたった一人のスレイブにして、友。恐らく僕に思うことくらいあるだろうに、何も語らない彼の忠誠心はその見た目からは想像できないくらい厚い。うちの子にも爪の垢を煎じて飲ませたい気分だ。
「交渉なんてできるわけがないだろう? 少し、仲良くなりすぎた」
さすがに純人の敵対値増加抑制でもできる事とできない事がある。だから、ドライを呼んだ。彼女が絶対に付いてこないようにもう一手。
ドライが僕の言葉に淡々と言葉を放つ。
「……不肖、私め、フィル様には感謝しております。貴方と知り合ったエトランジュ様は随分楽しそうだ」
「ふん……まるで遺言のようじゃないか。縁起が悪いな。悪いけど、僕はまだ死ぬつもりはないよ。それで、命令は?」
僕の言葉に、ドライが肩を竦める。顔がない無貌のスレイブはその時、確かに笑っていた。
「お願い、承りました。ご安心ください、フィル様。私めの行動には……一切の禁止制限がかけられておりませんので」
そうだと思ったよ。
友人に制限は欠けない。ドライというスレイブにはエトランジュの内面が反映されている。
顔がない姿に、積まれた感情機能。
人から遠ざけ、しかしより人に近く。乱暴に触れれば崩れ去りそうな、硝子細工のような繊細なバランス。
かつて、原初の《機械魔術師》は新たなる生命を生み出し神を目指した。これもまた、『神』を目指す上でのアプローチの一つなのだろうか。
「それじゃ、行ってくる。エティの事は任せたよ」
「行ってらっしゃいませ」
ドライが恭しく頭を下げる。僕は清々しい気分でエトランジュの屋敷を後にした。




