第三十六話:今から会いに行くよ
ギルドも随分、奮発したものだ。
境界船の乗船チケット。それは、最近の僕の目的の一つだった。
僕のホームグラウンドであるグラエル王国とレイブンシティは一つの巨大な大陸に存在しているが、この大陸は北部と南部で、境界線と呼ばれる前人未踏の山脈に完全に分断されている。
これまで何千何万の探求者が挑戦し散っていった、陸路でも空路でも縦断不可能な、魍魎跋扈する大山脈だ。そして、現在存在する北部と南部を行き来できる唯一の現実的手段が海路であり、そこを走る唯一の船こそが、数少ないL等級に区分される無機生命種――魔導機械、境界戦艦リュミール――通称、『境界船』だった。
かつて、とある《機械魔術師》がその船を製造する前まで、山脈の向こう側は伝説の地だった。
海や空に潜む凶悪な幻獣魔獣を強引に突破し突き進むその船も行き来するのは年に二度だけだ。その乗船チケットにどれほどの値がついているのかは想像が付くだろう。
ついでに、そのチケットを手に入れるのに必要なのは金銭だけじゃない。
その入手は、南部にコネも友人もいない僕にとって難度の高いクエストだった。苦労するだろうと思っていたが、まさかギルドが報酬として用意してくれるとは。
単純にチケットを金額換算するだけでも大規模討伐依頼の分配金よりもずっと高いのに、VIP待遇だな……だが、渡りに船だ。報酬で貰えなかったら、少なくとも次の出港には間に合わない可能性が高い。
《明けの戦鎚》の拠点を出る。会議が白熱したせいで外はもう薄暗い。
大きく伸びをして身体を解していると、後ろからついて出てきたエティが僕の名を呼ぶ。
「フィル……」
「……そんな寂しそうな声を上げないでよ。すぐに出て行く訳でもないんだし」
「!? あ、あげて、ないのですッ!」
探求者にとって別れは必定だ。出会いも別れも数限りなく、僕はこれまでの探求者人生で幾度となくそれを繰り返してきた。
北と南、その間には途方もない距離があるが、生きていればきっとまた出会う事もあるだろう。
「まぁ、とりあえずは……『灰王の零落』だ。依頼に失敗して報酬を貰えないなんて事になったら、マクネスさんの顔を潰してしまう」
境界船のチケットはいくら権力者でもそう簡単に手には入る物ではない。
何よりチケットは片道なのだ、僕が依頼に失敗したらチケットは払い戻しという事になるだろう。普通のチケットならばまだしも、境界船程になると単純な信頼失墜以上のデメリットが生じるはずだ。
逆に言えば、マクネスさんはそのあたりを含めて勘案した上でチケットを用意するほど、僕を信頼しているという事になる。
「こほん……それで…………さっき言ってた心当たりって何なのですか? 今ならば私以外いないのです」
エティがそっとこちらに身を寄せ、小声で尋ねてくる。
会議室では自分以外にも人がいるから言わなかったと思っているのか……可愛い。
少しは自分で考えなよ……と、相手がアムだったらそう言っていたところだが、今の彼女はスレイブではなく友人であり、同時にビジネスのパートナーだ。僕には彼女にできない事をする義務がある。
というか、もしかして、エティの力を借りるような事だと思ってる?
ありえない。もしも《機械魔術師》のスキルでどうにかダンジョンの中を探る方法があるのなら、あの動画の主もクイーンアントに会って驚くような事はなかっただろうし、マクネスさんが言うはずだ。そもそも、《機械魔術師》については僕よりも君の方が詳しいよ。
色々やってきたが、僕だって万能ではないのだ。僕ができる事は誰にでもできる事だ。
単純だ。【機蟲の陣容】は《機械魔術師》のスキルをある程度対策している。
ならば、対策されていない力を使えばいい。
歩き続けながら小声で質問する。
「エティ、君はこの街で最も強い探求者は誰だか知ってる?」
僕の問いに、エティが目を丸くする。そして、すぐにすねたような表情で、答えた。
「…………馬鹿にしているのですか? それくらい知っているのです。この地で一番強い探求者はランド・グローリーなのです。私と貴方を除けば、ですが」
その通りだ。現地の有力な探求者を調べるのは円滑に活動する上で欠かせない。
そこで、僕は続けて質問した。
「じゃあ一番、等級が高い探求者は?」
「…………? 貴方がSSS等級で、その次が私やランドのSS等級なのです」
「外れだよ。この地には――他に、SSS等級の探求者がいる」
調査が足りていないな。優秀さ故に余り他人と関わり合いにならない彼女では気づかなかったのも無理のない事なのかもしれないが――この地にはほとんどの探求者が知らないSSS等級の探求者が存在している。
先日、セーラ達にエティの仕事を押しつけた際に確認したのだ。
高等級探求者の情報(名前や職など)はギルドやその地の探求者に確認する事でわかる。
だが、(滅多にある事ではないが)本人から情報の非開示申請をあげればギルドで情報を得る事はできなくなるし、表だって活動していなければ探求者達の間で噂になる事もない。
――この地に住まうもう一人のSSS等級探求者はそういう変わった探求者だった。
エティが目を見開く。
世界には老若男女、種族も性格も様々な探求者がいる。
この地に飛ばされた時、僕は、財布は疎か探求者としての身元を証明するカードすら持っていなかった。自分の身の上を証明するのに、僕は行動で示すしかなかった。
最初にエティと図書館で対面した時、彼女は僕が自己紹介する上で提示した等級にも、荒唐無稽な身の上にも、特に反応を示さなかった。どうでも良かったからだ。
彼女にとって、重要なのは僕と相性がいいかどうかで、等級や言葉の真偽などどうでもよかった。だが、どうでも良くなかった者もいる。
《明けの戦鎚》だ。多くのメンバーを抱え、付近で最大のクランである彼らには相応の責任というものがある。イレギュラーな方法で接触を取ってきた僕を調べないわけがない。
そして、彼らは僕が自己紹介する際に開示した情報を、SSS等級という情報を信じるに値すると判断した。当時、ギルドですら確固たる情報を持たなかった僕の情報を、だ。
僕がセーラ達に確認したのは、彼女達が使った『情報屋』だ。
この街の高位探求者がひっそりと語り継いでいる凄腕の情報屋の名前だ。
――そして、セーラがもったいぶりながらも教えてくれたその名は僕も聞き覚えのあるものだった。
「《天眼》のザブラク・セントル。長い間、所在不明だった凄腕の情報屋。それが、この街のもう一人のSSS等級探求者の名前だ。今から会いに行くよ」
彼は僕に借りがある。彼は事なかれ主義のようだが――いい機会だ、返してもらう事にしよう。
§ § §
《明けの戦鎚》本拠地。百名近くいるメンバー全員が悠々と入れる会議室で、セーラは荒ぶっていた。
「もおおおおおお、何なの! フィル! 私たちに頼み事ばっかりして、自分の考えは何も話さないで!」
「まぁまぁ、落ち着け、セーラ。フィルの奴が考えを何も話さないのは初めからじゃねえか」
「だから、そもそもそれが問題なんでしょ!」
副クランマスターのガルドの言葉にも、セーラの怒りは治まらない。
昔の彼女ならばよほどの事がなければ、同じパーティメンバーで、実力でランドの右腕の地位にいるガルドに噛みつく事はなかった。
全てが変わったのは、あの男がペテンに近い手法でセーラのわだかまりを解いてからだ。
酷い借りを作ってしまった、と、ランドは嘆息した。
これはもしかしたら一生つきまとうかもしれない縁だ。ランドはフィル・ガーデンが嫌いではないが、これまでのトリッキーな立ち回りを見ていると今後の事が不安にもなってくる。
とびきりやっかいなのは、あの男が借りを作る事も貸しを作ることも厭わない事だろう。
ランドがこれまで会った探求者の中で一番、肝が据わっている。
「あいつ境界船で帰るんだろ? 境界線越えなんて滅多にない事だし、もう少しの辛抱じゃねえか」
ガルドの言葉に、一瞬だけセーラの表情が曇り、すぐに語気強めに反論してくる。
「それが……問題なんでしょう! このままじゃ、貸しを踏み倒されるでしょう!」
「お、おいおい、どうしろって言うんだよ」
呆れ顔のガルド。なんだかんだセーラもあの青年が気になっているのだろう。何しろ、長年の悩みを消し飛ばしてくれた恩人だ。善性霊体種は受けた恩を忘れない。
指を順番に折り曲げながら、息荒くセーラが言う。
「アリスの件で助けてあげたでしょ? 使いを送られてわざわざ屋敷まで行ったでしょ? 仕事を引き取ってあげたでしょ? それに色々聞かれて……周囲のダンジョンや街の事も教えて上げたし、とっておきの情報屋の場所だって教えてあげたのに!」
「情報屋…………まさか、ザブラクか!」
セーラの言葉に、ランドは思わず苦々しげな顔をする。
ザブラクはこの街で知る人ぞ知る凄腕の情報屋だ。
分厚いローブで全身を隠していて、種族も年齢も、何もかもが不明。わかっている事は――この街に古くから住んでいる事と、その情報収集能力が並外れている事。そして、情報の代価として、一大クランを築いたランドでも躊躇うような莫大な料金を取る事だけ。
その名は近辺の高等級の探求者の間でのみひっそりと伝えられており、みだりに外部の人間に伝えていい名前ではなかった。
つい先日、フィル・ガーデンの正体を聞くために数年ぶりに利用したが、それまでセーラも知らなかった名前だ。
お目付役として一緒についていったはずのガルドを見る。ガルドは珍しく気まずそうに言った。
「わりぃ、セーラが止める間もなく教えちまうから……だが、かまわねえだろう。フィルだって高等級の探求者だ」
「…………ふむ」
まぁ、問題はない。問題はないはずだ。
かの情報屋の存在が信頼のおける高等級の探求者にのみ伝えられているのは、ただの暗黙の了解だ。ザブラクが、正体を隠しているから、そういう風になった。
そもそも、情報屋というのは敵を作る職業だ。往々にして目立たないように立ち回る傾向がある。優秀な情報屋は探求者にとっても重要だ。
その情報屋はこの街の探求者にとって、本当に必要な時にだけ使う店だった。
大金の入ったトランクを片手に訪れたあの日の事を思い出す。
どこか甘ったるい奇妙な煙に満たされた狭い店内。
深いフードで全身を覆い隠したその男は、フィル・ガーデンの情報を求めるランドに、迷う素振りもなく、耳の奥に突き刺さるような甲高い声で言った。
『かーっかっかっかっか! その情報は…………売れねぇなぁ、ランドの旦那。千金を積まれようが、どれだけの借りがあろうが、その情報は――売れねえ。俺だけじゃねえ、それは――禁忌だ! ちょっとでも考える頭のある情報屋は、SSS等級探求者の情報を――あつかわねぇ。誰だって死にたかねえからなあ!』
その声はふざけているようで、隠しきれない興奮と恐れを含んでいた。
何もわからなかった。だが、本物だ。本物でなければ、そういう反応はしない。
その情報屋は、ギルドですら持っていない情報を知っていた。
SSS等級探求者。最弱にして最強に至った男。
《魔物使い》。フィル・ガーデン。
それは恐らく、情報屋にとって最大限の譲歩だったのだろう。
食い下がるランド達に、情報屋は、まるで熱に浮かされているような口調で言った。
『これはサービスだ、ランドの坊主。覚えておくといい。この世には、首をつっこんではいけないものってものがあるんだ! 探求者には――坊主が想像すらしない、怪物がいる。SS等級とSSS等級の間にある壁は、限りなく厚いッ! そして――SSS等級の間同士ですら――格差があるんだ。そして…………一握り、本当に一握りのSSS等級の『上位ランカー』だけが、幻獣魔獣の死骸で山を築き、同じSSS等級探求者をも蹴飛ばし――L等級探求者の座に足をかける。覚えておくといい、ランド・グローリー」
高等級種族、竜人。種に恵まれ、友に恵まれ、数多の魔物を倒し、ようやく至れたSS等級。いずれはさらに上を目指すつもりだったが、その言葉はランドの見たことのない世界を示していた。
その言葉には強い感情が、泥のように重く、暗い熱が込められていた。
『L等級のLは……LegendのLなんだぜ』
その後、実際に目で見て確認したアリスの能力はランドがこれまで経験した事のないものだった。
そして、あの時、フィルが話した事も、もちろん覚えている
「……L等級に足を一歩踏み入れた男、か」
ザブラクの語った言葉が真実ならば、彼はSSS等級の上位ランカーで、伝説の座に一歩、足を踏み入れた男という事になる。
これまでフィルの見せた手は確かに卓越していたし、これまでランドが見たことのない類いのものだったが、英雄と呼ぶにはまだ少し弱い。
何しろ、彼の基礎能力は余りにも低すぎる。SSS等級という座はスレイブが強いだけでなれるようなものではないはずだ。
高揚していた。明らかに困難な大規模討伐を前にしたからではない。自分よりも遥か格上の探求者の力をようやく見れそうで――。
まだぎゃーぎゃー騒いでいるセーラとそれを宥めようと必死になっているガルドを見て、ランドは深い笑みを浮かべた。
「L等級に手をかけた探求者――お手並み拝見といこうか、フィル」




