第二十八話:生き急ぐ者から先に死んでいく
親しき仲にも礼儀ありという言葉を知っているのだろうか?
まさしくその一日は、エトランジュがこれまで過ごした中でぶっちぎりで最低の一日だった。
エトランジュはこれまで優れた《機械魔術師》になるためだけに生きてきた。そのためならば、素材を集めるためのダンジョン攻略も、海千山千の商人との交渉も、徹夜での魔導機械の研究も苦ではなかった。
フィルはエトランジュに友人がいないと言ったが、それは間違いだ。エトランジュには、(最近余りコンタクトを取っていないが)共に魔導機械の研究に明け暮れた友人が何人もいる。勤勉に《機械魔術師》としての技術を鍛え上げる日々は何の心配も不安もない喜びの日々だったのだ。
ドライが命令を無視してきたのも、手錠や足かせを嵌められたのも、そしてもちろんベッドにうつ伏せに寝かせられ得体の知れない注射を打たれたり全身マッサージされたりするのも初めての経験だった。
頭が朦朧とし、心臓が自分のものではないかのように激しく鼓動していた。全身からの発汗も、パッシブスキルでいつもスムーズに動く身体が思うがままに動かない心細い感覚も、そしてそれらに翻弄され醜態を晒したのも、一生忘れる事はないだろう。
傷だ。これは、エトランジュの順風満帆な人生についた深い傷なのだ。
そして、何より最低なのは――。
魔力阻害効果のある手錠が力を失うと同時に、スキルを発動、その力を借りて手錠を破壊する。
休息を訴える心と身体を叱咤し、両手をつき生まれたての子鹿のように起き上がり、震えるエトランジュに、ドライが悪びれない様子で言った。
「おはようございます、エトランジュ様。バイタル、メンタル、オールグリーン。リフレッシュできたようで何よりです」
「!? ううう、嘘なのです!」
「活動能力が前日比で三十二パーセント向上」
ありえない。だが、ドライは嘘をつかない。
身体が熱い。全身が心地のよい疲労に包まれている。先程ドライに着替えさせてもらったばかりなのに、寝間着は汗で湿っていた。汚れを排除するのはスキルでできるが、こんな事は初めてだ。
思わず頭を押さえる。脳が休息を、眠気を訴えている。だが、身体は施術を受ける前と比べて明らかに軽い。魔力の巡りまで良くなっているようだ。
フィルに散々マッサージされたり結ばれたりして弄ばれた髪を掻きむしり、感情を吐き出すように叫ぶ。
「あああああああ、ありえないの、ですッ! フィル、何をやったのですか!」
「フィル様はギルドに出掛けたまま帰っていません」
ドライが無情に答える。ありえない。
これでは…………あんな辱めを受け、好き放題されたのに――フィルに文句を言えないではないか。
何を言っても言いくるめられるに決まっているし、何より成果が出ているのにろくな材料もなく反論するのは一人の魔術師としてのポリシーに反していた。
感情に身を任せることができれば楽だったが、当の本人もいないときている。
「そ、そうだ――フィルを、捕まえて、同じ目に遭わせて、やるのです!」
「エトランジュ様、それは危険です。エトランジュ様にはそういうスキルがありません」
拳を握りしめ叫ぶエトランジュに、ドライが窘めるように言う。
確かに……低い身体能力で知られる純人相手では少しのミスが致命的になりうる。そもそも、生体相手はエトランジュの専門外だ。
だが、捕まえることくらいならば――。
興奮のままにそんな事を考えたその時、窓から強い光が差し込んだ。とっさに光から目を庇う。屋敷が微かに震えた。
異変は一瞬だった。すぐに窓の外に夜の闇が戻る。だが、気の所為でも夢でもない。
ドライがすかさず報告をあげる。
「高エネルギー反応を確認。炎熱光線系の攻性兵器と推測されます」
「エネルギー反応――夜に、こんな街のど真ん中で!?」
窓を開け、外を確認する。先程の異変を示すものは何もない。
光も揺れたのも一瞬だった。もしかしたら気づかなかった人もいるかもしれない、くらいには。
夜に活発に動く者は限られる。探索者も好んで夜に外に出歩く者はいないし、魔導機械も同様だ。
あんな光、見るのは初めてだ。近くで発生したわけでもなさそうだが、あれが魔導機械によるものだとすれば、新種によるものだろう。
いつの間にか、手に汗をかいていた。
「…………嫌な予感が、するのです」
「エトランジュ様、夜に出歩く事は推奨されません」
「…………わかっているのです」
あれが本当に街中で発生したのかはわからないが、ギルドは気づいているはずだ。ここ周辺の都市はギルドが街の防衛も担っている
夜が明けた後にギルドを訪ねれば見解を教えて貰えるだろう。
大きく深呼吸をすると、窓を閉め、カーテンを閉める。
ドライが恭しくお辞儀をした。その様子はいつもと何も変わらず、先程フィルに騙されエトランジュを拘束した者とは思えない。
「屋敷のセキュリティを強化しておきます」
「はい、任せたのです。それで、フィルは?」
「ギルドに行ってくると、聞いております。その後の事は…………ですが、指示は受けています。エトランジュ様をしっかり休ませるように、と」
まったく、ドライは誰のスレイブなのですか……。
突然の揺れもあり、すっかり先程まで抱いていた怒りは吹き飛んでいる。
毒気を抜かれてしまった。まだ仕事は沢山残っているが、フィルのせいで少し急げば間に合うくらいには減っている。
大きく伸びをしてすっかり軽くなった身体をほぐすと、ドライに指示を出す。
「では、私は指示通り休むのです。フィルが戻ってきたら扉を開けて、私を起こすのです、ドライ」
「かしこまりました」
着替えをし、ドライの手でクリーニングされたベッドに潜り込むと、すぐに強い眠気が襲ってくる。
意識が泥に引きずり込まれるように落ちる。
――結局、夜の間、エトランジュがドライに起こされる事はなかった。
§
「これは……一体――」
レイブンシティ屈指の広い通り。そこに今、昼間から、探求者や機械人形、ギルドの職員達が集まっていた。
金属製の幅広の道路のど真ん中に、深い穴が穿たれていた。
深さは少し覗いただけでは底が見えない程。縁はどろどろに融解し再び固まった跡があり、油断して足を滑らせれば真っ逆さまだろう。
レイブンシティの道路は他の都市と比べて遥かに頑丈だ。魔導機械の部品を流用して生み出された合金は重い魔導機械が走ってもほとんど傷も付かない。
熱への耐性を持ち、一般的な火災事故ではびくともしない。実際にこれまで様々な事故や喧嘩などが起こったが、わずかな凹みすら出来た事がなかった。
これまで見たことのない異様な光景にざわめく人々。そこで、人混みを割るようにしてエトランジュが入ってくる。
「…………これが……昨日のあれの原因、ですか」
にわかに信じがたい話だった。魔導機械の素材を元に開発された素材をここまで深く穿つには莫大なエネルギーが必要だ。
この地には強力な魔導機械が何体も確認されているが、これをやったのが魔物ならば間違いなくダンジョンボスクラスだろう。
近くに跪き、溶けた縁を触っていると、後ろからついてきたドライが言う。
「エトランジュ様、余波で街路樹がへし折れています。街路灯は無事のようですが……」
「樹の数本で済んだのは……僥倖、なのです。レイブンシティの地下にはエネルギー管も走っているはずですから……それが破壊されたらもっと大きな被害になっていました」
馬車が立ち往生する程度では済まなかった。
レイブンシティは魔導機械の街。地下には街中に動力を届けるための管が走っている。もしもそれを貫いていたらエネルギー供給が滞り街の機能が停止し、被害は更に広がっただろう。
一撃だ。この跡は――たった一撃の強力な『何か』で穿たれたものだ。
考え込んでいると、ギルドの職員を伴ったマクネスがやってきた。
職員の魔導人形たちがてきぱきと観測用の機材を組み立て、人混みを退避させる。マクネスはエトランジュを見つけると、眉を顰めて言った。
「エトランジュ……君も来ていたのか」
「ギルドに先に行ったのですが、大忙しだったようなので」
「ふん。大通りのど真ん中にこう穴を開けられちゃ、流通も止まる。まさかS等級相当の攻撃にも耐える強度を持つ特殊合金に大穴が空くとは――問題はそこではないが」
「原因はわかっているのですか?」
《機械魔術師》、マクネス・ヘンゼルトン。攻撃に特化したエトランジュとは別で、製造面に熟達しているが、間違いなく一流の術者だ。
ずっと街にいるのもあるだろうが、何人もの術者が消息を絶つ中、長くこのレイブンシティにいる稀有な人物でもある。
この街でもトップクラスに有名な副ギルドマスターの姿に、住民たちがざわめく。エトランジュの問いに対し、マクネスが返したのは沈黙だった。
額にしわが寄っている。そこで、聞こうと思っていた事を思い出す。
「そう言えば、マクネス。フィルが行きませんでしたか? 昨日からずっと帰ってこないのですが……まったく、どこに行ったのかわからないけど、うろちょろして――」
突然やって来たかと思ったら、突然いなくなる。この街に来てから彼には本当に振り回されっぱなしだ。
ここまで大きな騒ぎなのだ、性格的に来ていてもおかしくないと思っていたが――。
きょろきょろと人混みを確認するエトランジュに、マクネスは一度大きく息をすると、押し殺すような低い声で言った。
「エトランジュ、彼は――死んだ」
「…………は?」
衝撃が奔った。一瞬、思考が空白になる。
一体何を言っているのだろうか? ドライをたぶらかしエトランジュを拘束して見せたあの男が死ぬわけがない。
そもそも、ダンジョンに向かったわけでもない。ギルドに向かうと一人出ていっただけで――。
凍りつくエトランジュに、マクネスが冷徹にすら感じる抑揚のない声で続ける。
「エトランジュ、君も気づいてるだろうが――このレイブンシティの街路灯には何かあった時のために監視カメラが仕込まれている。私も信じられないが――この大穴は、彼が襲撃を受けた跡だ」
「え? ……え?」
聞こえてはいるが、理解ができない。探求者が死傷することなど頻繁にあるが、余りにも唐突過ぎて感情が動かない。
息が少しだけ苦しい。先程まで体調は最高だったはずなのに――青ざめるエトランジュに、マクネスが憎たらしくなるくらいのポーカーフェイスで、懐から小さな魔導機械を取り出す。
その上部が開き、音もなく立体映像が再生された。
夜。闇の中、幅広の道路を一人歩くフィルの姿。街路灯に取り付けられたカメラから撮られたせいか、映像は斜め上から見下ろすような形のものだった。
紙袋を片手に、フィルが歩く。何を考えているのかはわからないが、どこか機嫌が良さそうだ。
その先にどのような運命が待っているのかも知らず――。
「ポーションを買いに行った帰りだったと、調べがついている」
「…………」
映像を凝視していると、空から何か黒い魔導機械が現れる。それも――無数に。どこから現れたのかは知らないが、随分と珍しい魔導機械だ。
その下半身から白い光が放たれる。フィルが慌てたように周囲を見回すと、焦ったように叫ぶ。
『蛍……ッ!? 憑依対策かッ!』
それが、フィルの最後の言葉だった。魔導機械が力を失い落下し、刹那――空から太い光が降ってくる。
画面が激しく震える。これだ。これが、エトランジュが昨晩見たアレの正体だ。
まるで光の柱が立っているかのようだった。道路が震え、発生した衝撃に街路樹がへし折れる。
そして――静寂が訪れた。
残ったのは真っ赤に熱されどろどろに溶解した大穴だけだ。
「上空は――上空は、確認できていなかったのですかッ! あの、魔物は――」
「監視しているのは地上だけだ。あの魔導機械は――彼の言う通り、モデルは蛍だろうな。ほとんど見られない魔物だ」
「憑依、対策……!? ありえない、傷はともかく魂への干渉を行う魔導機械が、いるなんて――」
それは、ありえないはずの話だった。
魔導機械にも得意分野がある。浄化は神職系職が得意とするものであり、魔導機械が最も苦手とする部分だ。
手を尽くせば同じ現象を起こす事は不可能ではないが、普通はそんな魔導機械は作らない。加えて飛行能力まで持たせ小型化するとなると――。
魔動機械は光を放ち終えると、落下した。持たされていた全てのリソースを使い切ったのだ。
つまりそれは、あの魔導機械が憑依を破壊するためだけに作られたものである事を示して――。
エトランジュも一度だけ見たことがある、憑依を利用した転移。
ピンポイントで狙われていた……?
必死に考えるエトランジュに、マクネスが言う。その表情は冷静だったが、その強く握られた拳は細かに震えていた。
「君は聞いているかはわからないが――話を聞く限り、彼は少し、危険な領域に踏み込んでいたのかもしれない。しかし、まさか…………こんな街中で攻撃を受けるとは――」
前例がなかった。
超高度からの高エネルギー系攻撃。上空からの完璧な奇襲。あれを無防備に受ければ、《機械魔術師》だって蒸発するだろう。
スキルを使えれば対処も容易いが、それだけの余裕がなければいくら強力なスキルを持っていても意味はない。
「街の周囲をモニタリングしているレーダーに敵影は引っかかっていなかった。監視範囲を、広げる必要があるな。この攻撃を放った魔導機械についても――」
「エトランジュ様……」
ドライがふと背中に触れる。そこで、エトランジュは初めて自分が大きくふらついた事に気づいた。
手足に力が入らない。冷や汗が流れる。心臓が握られたような悪寒が全身を包み込む。マクネスが何か言っているが、それ以上、耳に入って来なかった。
大丈夫、エトランジュ・セントラルドールは強い。友人が死ぬ事など珍しい事ではない。そもそも、まだ最初に会ってから数ヶ月しか経っていない。
経っていないのに――。
戦わなければ、と、自分に言い聞かせる。仇を討たなければ、と。だが、なぜだろうか、不思議と闘志がわかない。
自分が一緒にいたら防げただろうか? あるいは、この間のようにドライを付けていたら?
無意味な想定だ。時は巻き戻らない。たとえ《機械魔術師》の強力なスキルをもってしても――。
「仇は討つ。あの男は――ヒントをくれた。エトランジュ、今は、悲しんでいる場合じゃない」
「…………その、通り、なのです。フィル……馬鹿な人、だったのです」
馬鹿な。あんなに弱いのに、首を突っ込みすぎた。飄々とした態度に騙されてしまった。
つけていたドライ経由で見ていた【黒鉄の墓標】の冒険も余りにも危険だった。まるで何かに追われるように――。
この世界ではいつも、生き急ぐ者から先に死んでいく。
立ち直らなければならない。魔術師は精神力が重要だ。せっかくフィルのおかげで元に戻ったのに、このままではその死が無駄になる。
大丈夫、大丈夫だ。悲しむのは全てが終わった後でいい。
拳を握り、過呼吸気味になっていた呼吸を、心臓の鼓動を落ち着ける。《機械魔術師》の持つスキルはこんな時にでも正常に発動した。
私は――まだ、戦える。
そう自分自身に言い聞かせたその時、ふと場違いに明るい声が響き渡った。
「あーーーーー! 見て見て、リン! 何があったのかと思ったら、こんなでっかい穴が――」
「…………急に走り出さないで、アム。…………穴?」
聞き覚えのある声に、ようやく多少落ち着いた鼓動が再び速まる。
振り向くと、アム・ナイトメア――フィルのダメな方のスレイブが、能天気に大穴を覗き込んでいた。その穴がフィルの墓標だとも知らずに。
修行のために預けているとは聞いていたが――なんと言うべきか。
戸惑うエトランジュに、その目が向けられ、その表情にぱぁっと花開くような笑みが浮かぶ。その様子は以前アリスの罪を暴いた時と同一人物には見えない。
「エトランジュさんも来ていたんですね……野次馬ですか?」
野次馬……? そんなわけが――。
一瞬頭に血が上りかけ、すぐに深呼吸をして自身を落ち着かせる。マスターの死で一番衝撃を受けるのは間違いなくスレイブである彼女のはずだ。
フィルの死を止められなかったエトランジュに文句を言う権利はない。
エトランジュは大きく深呼吸をすると、アムの両肩を掴み、目と目を合わせて言った。
「落ち着いて……落ち着いて、聞くのです、アム。フィルが…………襲撃にあって、死んだのです」
エトランジュの言葉に対して、アムの反応は想定外のものだった。
薄墨色の双眸が丸くなる。数度不思議そうな表情で瞬きすると、右手を持ち上げて見せる。
ろくに日に焼けていない抜けるような肌。その手の甲に、薄っすらと絵のようなものが浮かんでいる。それを確認すると、アムは言った。
「え、でも……仮契約の紋章、消えていませんけど?」
「!?」
「成長するまで契約はお預けされちゃったんですけど、契約が完全に外れたまま成長するとフィルさんじゃ契約できなくなる可能性があって――」
アムが頬を上気させどこか自慢げに説明を始めるが、そんな事どうでもいい。
右手を取り、じっと手の甲を見る。確かに、契約の紋章だ。まだ力は通っておらず非活性のようだが、絆が繋がっているのを感じる。
この種の紋章はどちらかが死ぬと消えるものだから――。
「生き…………てる?」
生き……てる。間違いない。慌てて穴の中を覗き込むが、中はとっくに誰かが調べただろう。
「………………ありえん。道路に穴を開けるレベルの熱攻撃だ。生身で受けて耐えられるわけが――そもそも、カメラの映像には確かに――」
アムの言葉から状況を察したのか、マクネスさんも呆然としている。
機械を取り上げ、もう一度映像を再生するが、確かに、フィルは光の柱が立ち上がった瞬間そこにいたし、光が消えた時には何も残っていなかった。
彼が本当に生きているのならば、一体彼はどこに――。
と、その時、それまで何もわかっていない緊張感のない表情をしていたアムが声をあげた。
「ふふん…………どうやら、この私の出番みたいですね!」




