第二十一話:それをどこで知ったんだ?
お茶を入れ、あらためて来客に対応する。ブリュムとトネールは既に脱いだ服を着直し、気まずそうにエティを見ていた。
そんな表情しなくても……僕とエティは別に恋人などではない。ただの友達だ。
どうやら彼女は上級職だが初心らしい。アリスに立ち向かえる程の精神力と、アリスを殺せる程の戦闘力を有している彼女が未だSSS等級になれていないのは、そのあたりが原因だろう。
入れてあげた自慢の紅茶を口に含み一気に飲み込むと、エティが声を震わせて言った。
「ま、まったく、意味深な事を言って全く来ないから何があったのかと思えば――」
恐らく、僕が彼女の屋敷に行った時の事を言っているのだろう。確かに、僕は彼女に揺さぶりをかけた。意味深な推理を行い、次に来る時は土産を持ってくると言った。
だが、エティが機嫌を損ねているのはそれだけではないだろう。僕はソウルシスターが大好きだが、言うことは言わねばならない。
「でも、エティ。実際問題、僕が自分の部屋で何をしようと勝手だ。トネール達は大事な友人だし、別に無理やり半裸に剥いたわけじゃない」
「お、お兄さん、半端ないよ。いつのまにか脱がされてたもん」
「もう、絶対絶対絶対、口車に乗せられたりしないかんね!」
ブリュムが引きつった表情でぎゅっと自分の服を押さえつけ、トネールが甲高い声で抗議する。
確かに、だ。僕はあわよくば彼女達の服を完全に剥いでデータを取ろうとした。服ありでのデータはいつでも取れるから、剥ぐチャンスがあったらそれに賭けるのはプロとして当然である。
だが、断じて言うが――僕の口がうまかったんじゃなくて君たちのノリが良すぎたんだよ。
「ほら、正気に戻っちゃった。人の研究を邪魔するなんていくらソウルシスターでも許されないよ。しっかり埋め合わせはしてもらう」
「はぁぁ? 埋め合わせ……?」
「そりゃ、もちろんデータリングの埋め合わせなんだから――有機生命種には余り興味はないんだけど、仕方ない。エティのデータを取らせてもらふ…………」
僕は、言葉を言い切る事はできなかった。瞬きする間に頬をつままれ、ぎりぎりと引っ張られる。
鈍い痛み。だが、エティが本気だったら頬が裂けていただろう。
「何を、埋め合わせるって? フィル、いくら優しい私でも許せる事と許せない事があるのです」
浮かんだ微笑みに、穏やかな声。しかしその目の奥の光はゾッとする程に冷たい。
ふん。裸の一つや二つなんだというのだ。僕なら、研究のためならば余裕で脱ぐのに。
エティはしばらく僕の頬をつねりあげ、じっと僕の目を見ていたが、やがて頬を離すと、眉を顰めて言った。
「…………なんで貴方、全く動じないのですか」
「《魔物使い》の研究が理解を得られないのは慣れてる」
「うわぁっ。悪気がないって、たち悪ッ」
謝るのはただだが、使いどころというものがある。たとえば今謝ったらまるで僕がセクハラでもしたかのようじゃないか。
まぁ、このあたりで話は変えておこう。台無しにされたのは仕方ないが、トネールとブリュムの好感度はまだ下がっていないし、まだチャンスもある。
「で、用事はなんだって?」
「………………こほん」
これ以上、この話を続けるのは無意味だという事を悟ったのだろう。
エティは一度咳払いをすると居住まいを正し、僕の目をまっすぐ見て言った。
「では改めて――フィル、貴方は私に用事があるのではないですか?」
澄み切った意志の強そうな目。強力な魔術師は得てして瞳に魔性を宿すものだ。
だが、負けはしない。吸い込まれそうな目を覗き込み、身を乗り出して言う。
「確かに……確かに、用はある。でも、それをどこで知ったんだ?」
ただその一言で、エティが押し負けたかのように目を逸した。
目は口ほどに物を言う。どれだけ実力差があっても負い目があれば負ける。
彼女の弱点を一つ述べるとするのならばそれは多分、彼女が我を通せる程強くも悪くもない事だろう。これでは戦闘で勝てても舌戦で勝てない。
だが、これを改善するのはアムを鍛えるのとはわけが違う。
改心させるのは簡単だが、性格を悪くするのは割と難しい。というか、そんな事をしたら僕から正当性が失われてしまう。
常に正しく在るというのは栄光を積む上で非常に大切な要素だった。
「そ、そんな事、どうでもいいでしょう……」
「つまりそれは…………口にできないような手段で知ったって事か」
「そ、そんな事は――」
SS等級探求者とは思えない、煮え切らない態度、目を逸し、その下ろした右手で手持ち無沙汰げに腰の工具をいじっている。
確かに、僕はもともと、ワードナーの死骸の解析を凄腕の術者であるエティに依頼するつもりだった。僕が前回エティに話した次に持っていくお土産だ。
一流の《機械魔術師》であるエトランジュ・セントラルドールの好奇心はもしかしたら僕に匹敵するほど強いだろう。だから、彼女が待ちきれなくなってお土産を取りに来るというのはありえない話ではない。だが、それは――僕が【黒鉄の墓標】で大物を倒したという情報を知っていれば、の話だ。
今のところそれを知っているのは僕とセイルさん達のみ。セイルさんはそれをギルドに報告したはずなのでギルドの職員が知っている可能性はあるが、エティは情報収集に力を入れるタイプではなさそうだし、ギルドに聞いてやってきたなら何の負い目もないのでそう言うはずである。
僕は立ち上がると、腰を下ろしたエティの回りをぐるぐる回ってその全身を観察した。
「な、なんなのですか?」
エティが目を頻りに瞬かせ、身体をひねり僕を視線で追う。
最低限の手入れしかされていない髪に、張り付いた隈。種族生来の資質か、肌は健康的な白さだが随分疲労が溜まっていそうだ。大規模討伐依頼の助っ人として仕事が多いのだろう。もしかしたら栄養も足りていないかもしれない。
僕も重要な案件に取り込む時は倒れる寸前まで動くことはあるが、それは僕が戦闘担当ではないためだ。戦闘に従事する探求者がこんな状況ではいけない。ただでさえ上級職の魔術師の魔法は複雑なのだ。
僕はその細い肩に手を置くと、腰を落として耳元で囁くように言った。
「さては…………後をつけてたな?」
「!?」
びくりと身を震わせるエティ。華奢なその肩に親指を添え、ぐりぐりと力を入れる。
有機生命種である彼女の肉体的構造は純人と余り変わらない。筋肉も血管も骨格も神経、純人より遥かに強靭だがそれだけだ。だからマッサージ技術も転用できる。
「ひゃあ!?」
ツボを押されたエティが身を捩り、艶めかしい声をあげる。
《機械魔術師》の近接戦闘能力が優れているのは、戦闘態勢時、装備とスキルによりあらゆる能力を向上させるからだ。無防備な《機械魔術師》の耐久能力などないに等しい。柔らかい肉を思う存分解し、首のつけ根をぎゅっと摘む。
《魔物使い》のグルーミングの技術はあらゆる職でも屈指だ。スレイブ相手ならスキルの補助もあって更に効果があるが、スレイブ相手じゃなくてもテクニックで相手を解せる。彼女のようなストイックな者には特に効果が高い。
どうやらやはりかなり筋肉が凝り固まっているようだ。エティが息も絶え絶えに言う。
「ッ……なに、を――」
「明らかに早すぎる。僕はセイルさん達を強く口止めしてないけど、普通一日かそこらで僕まではたどり着けない」
《機械魔術師》のスキル体系には大別して二通りの道が存在する。
すなわち、魔導機械の製造、操作に特化した製造系と、直接的な戦闘能力に秀でる戦闘系だ。といっても、一極型の術者は少なく、大抵の機械魔術師は両方ともそれなりに修めているものだが、これまで見てきた限りエティは戦闘能力に秀でたタイプだろう。
だが、尾行していたのはエティ本人ではない。いくら魔法により身を隠しても、魂を持つ彼女がアリスの目をごまかせるとは思えない。
製造系スキルには高い監視能力を持つ魔導機械を使い監視網を構築するスキルが存在していたはずだが、その線でもないはずだ。あれは広範囲を監視できる強力なスキルだが、街からダンジョンまで届く程ではない。となると、彼女が使った手段はそれ以外だと推測される。
僕が思い浮かぶ手法は後二つだが、恐らく彼女が使った手法は――。
「アリスの目を誤魔化せる程の仲間がいるのかな? 紹介してくれないかなぁ」
《機械魔術師》は自分で作った魔導機械のスレイブを持っているものだ。彼女程の術者なら相応の能力を持つスレイブを有している事だろう。
僕の言葉に、エティはゆっくりと頭を振った。
「ッ…………んんん……」
白い肌は染まり、汗が滲んでいる様にはなんとも言えない色気があった。
エティはスレイブではないが、僕はスレイブを癒やすのが大好きなのだ。相手と築けている信頼にもよるが、どこをどの強さで刺激すれば相手をリラックスさせられるかも熟知している。
先程までは強気だったエティの醜態に、トネール達が騒然としていた。
本来ならば横にして楽な格好にしてから施術するところだが、次の機会にした方がいいだろう。距離感を適切に保つのは人間関係の基本だ。
余程効いたのか、エティの目元には宝石のような涙が溢れていた。手を止め、本題に入る。
「で、なんで後なんてつけたんだ?」
探求者は何かと秘密を多く持つ職業だ。尾行はマナー違反だ。殺される可能性すらあり得る。証拠があればギルドからペナルティも受けるだろう。
僕は優しいので貸しにするくらいでそれ以上の沙汰を求めたりはしないが、お土産が何なのか気になったくらいの理由で彼女がそんな手段を取るとは思えない。
解放されたエティはしばらく胸を上下させ呼吸を整えていたが、
「それ、は……フィル、貴方が意味深な事を言うから、その――」
まだ火照りの残る顔でいいづらそうに僕を見る。なるほど、全部わかった。
「さては君…………僕が心配だったんだな?」
それにしては僕が不意打ちを受けた時に助けが来なかったが、あのダンジョンで尾行するにはそれなりに距離を空けねばならないだろうし、船の上にいた時は言うに及ばずだ。
それでも、あの大量のクリーナーの中、最後まで気づかれずに尾行を完遂したのだから、隠密に特化したかなり強力なスレイブなのだろう。
「…………」
図星をつかれて気まずいのか、エティが顔を真っ赤にして顔を伏せる。
まぁ、自らのスレイブを危険なダンジョンに差し向ける程僕を心配してくれていたのだ。彼女が教えてくれるまで聞かずにおこう。
エティはむずむずと身体を震わせていたが、ぱんと自分の頬を叩き仕切り直すと、まだ少しだけ動揺の残る声で言った。
「……こほん。で、クリーナーロードの部品を出すのです。私に預けるつもりだったのでしょう?」
「ない」
「……え!?」
エティが目を丸くする。この部屋に大物を置くようなスペースがないのがわからないのかい。
「ごめんごめん、あれ、アリスに保管してもらってるからさ。あ、そうだ。来るまで部屋で待ってたら?」
そうだな……エティの体調はかなり悪いようだ。三日くらい貰おうか。




