第二十話:今はちょっとタイミングが悪いな
目が覚めたのはすっかり日が昇りきった後だった。
僕は割と目覚めが良くないタイプだ。まだ少しだけ重い身体を引きずりながら、ベッドから這い出る。
王都にいた頃はもう少しマシだったのだが数ヶ月経っても元に戻らないとなると、水が合わないとかではなく、王都にいた頃はアシュリーの――《侍従》の持つクラススキルの力で僕自身が強化されていたと考えるべきだろう。アシュリーは割と自己主張のないタイプだったので、僕にばれないようにサポートしていても不思議ではない。
立ち上がると、まず大きく深呼吸をする。
無理をしたせいか、ばきばきに痛む身体を解しながら頭からシャワーを浴びて頭をスッキリさせる。
アムをリンに預けた後、僕は宿を変えていた。
リンの実家の宿――『小さな歯車亭』は決して悪い場所ではなかったが、アムをわざわざ成長のためにリンに預けたのに、同じ場所に住み続けるのは不都合だったからだ。
能力的にも精神的にもそれなりに成長しているアムだが、根っこのところがそう簡単に変わるはずもなく、性格的に考えても近くにいれば間違いなく甘えが出る。僕はスレイブを甘やかすのが大好きだが、時には涙を呑んで突き放すのが必要な事もある。
探求者にとって、どのランクの宿を借りるのかは頭が痛い問題だ。
ホームタウンならば家を買ってもいいが、依頼で遠方を訪れるたびに家を買っていたらいくらお金があっても足りない。高級宿では金銭的な負担が大きいが、余りにも安いと防犯面で不安が残る。設備と値段はだいたい比例しているから、自分とパーティメンバー(大抵、パーティメンバーは同じ宿に泊まる)の種族も考慮の上で選定する必要があるのだ。
僕が新たなレイブンシティの拠点として選んだのは、ギルドとエティの屋敷の間くらいにある中級探求者向けの物件だった。
スペースは広くないが設備は揃っているし、新聞だって毎日届けてくれる。セキュリティはそれなりだが、同じ宿に住んでいるのはそれなりに稼げている探求者ばかりで、安心できる。
そして何より――追加料金を払えば、食事を毎日部屋に届けてくれたり、買い物を代わってやってくれるサービスをやっている。
その分値段は高めになるが、安全には代えられない。スレイブがいない《魔物使い》はゴミみたいなものだし、アリスを呼べるからと言ってちょこちょこ呼び出していたら調べ物が進まない。できれば短期契約で護衛用の機械人形のスレイブの一体も手に入れたいところだが、状況を見ながら立ち回りを変えるのは探求者として長生きするコツの一つだった。
大きく欠伸をして、届けられた昼食のパンを口に詰め込みながらレイブンシティと近辺二都市に流通しているらしい新聞に目を通す。
レイブンシティと周辺の二都市は、孤立している。恐らく、この荒野の魔導機械がなかなか手に負えない存在だったためだろう。
大都市ができる場所というのはだいたい相場が決まっていて、生息する魔物の等級にも密接に関係している。自己増殖する魔導機械が蔓延る、しかも荒れ果てた土地に、人が住む理由などない。魔導機械の部品が取れるというメリットもあるが、デメリットの方が勝っている。
地図によると、最寄りの大都市までは馬車を使っても一週間。疲労のない魔導機械ならばもう少し短縮できるだろうが、そう簡単に行き来できない距離だった。
そのせいか、この三都市は外部からの物資抜きで生き延びられるようにできていた。
大地が死んでいるが故に育たない植物は魔導機械による培養でカバーし、その他の生活に必要な品などはスクラップにした魔導機械の魔物の素材で作られている。
武器も食べ物も新聞も何もかもが街の中で作られている。外部から訪れるのは街の噂を聞いた探求者や物好きな旅人くらいで、商人すらほとんどやってこないらしい。
外部の情報はギルドが中心となり魔導機械による通信でやり取りしているらしいが、本当によくもまあこんな所に街を作ろうと考えたものだ。
まぁ、もしかしたら…………『逆』の可能性もあるが。
新聞の中身をあらかた頭に入れるが、特に目立った情報などはなかった。ランドさんが言っていた大規模討伐依頼について軽く記事が出ていたくらいだ。
大規模討伐依頼は事前に綿密な調査の上で行われる。彼らは昨日のモデルアントの大行軍を察知できているだろうか? 討伐依頼に影響あるかどうかはわからないが、一応話はしておいたほうがいいかもしれない。
ワードナーとの交戦は非常に有意義だった。彼は忠実で何も言わなかったが、言動からわかった事も幾つかある。
ばらした部品は欠片一つ残さずアリスが保管していた。全て持ち帰れるのは、空間魔術師の強みの一つだ。それを然るべき所に依頼して解析してもらえば、さらなる情報が得られるはずだ。
しかし少し…………疲れたな。魔導機械相手に戦ったことはあっても、魔導機械ばかりいる環境というのは初めてだ。
何より、近くにスレイブがいないので気が滅入る。
…………育成したい。もうアムでもいいから、お世話したい…………こう、なんというか――腕が疼く。
僕は探求者である前に《魔物使い》なのだ。スレイブのお世話は趣味であり、仕事であり、本分なのだ。
食事を作ってあげたい。髪を結ってあげたいし、似合う装備を選んであげたいし、お化粧だってしてあげたい。そしてもちろん、データも取りたい。
ブリュムもスイもトネールもセイルさんも、皆撫で心地は最高だった。ワードナーのフォルム、あの気持ちの悪さもセンスの塊だった。今思い出しても胸が高鳴る。
だが、ワードナーと契約できなかったという事は、残念ながら……この地の魔導機械は皆、マスター持ちだろうな。
しばらくもそもそと食事を続け、僕は決断した。
…………よし、少し引きこもるか。
ワードナーの死がそのマスターに伝われば某かのアクションがあるはずだ。まだ大規模討伐依頼開始まで少し時間があるし、常に前に前に進むだけが探求者ではない。今後の方針も立てねばならない。
そうと決まれば、荷物から紙を取り出し、さらさらと手紙を認める。食べ終えた食器と一緒に外に出すと、部屋のカーテンを締めた。
§
「なるほど……で、昨日の今日で私達に手紙を出したってわけ」
「うん、そう」
「お兄さんさぁ、僕達をなんだと思ってるの? 普通、暇だからって呼ぶ? 確かに依頼終わったばかりで休みだったけどさぁ」
笑顔で首肯する僕に、トネールがげんなりした表情で言う。
手紙を頼んで丸一日。やってきたブリュムとトネールは今日は探索時とは異なり、ラフな格好をしていた。
二人は魔導師なので重装備ではないが、やはり探索用の装備は生地が違う。
群霊だけあってトネールとブリュムは顔立ちがよく似ている。性別と髪色が違うので間違える事はないが、二人を並べると比較もできてなんだかとてもお得な気分になるのだ。
彼らはスレイブではないが、なぜだろうか、足りなかったスレイブ分が補給されるのを感じる。口元が緩むのが止められない。
「もう友達じゃん? 私服もよく似合ってるよ」
「友達って…………依頼人からこう間も開かずに連絡が来るなんて初めてだよ。私達だけ呼ばれた時点でおかしいとは思ってたけど――」
「てか、なんで僕達だけ呼んだのさ。スイとセイルさんは?」
「ああ。もちろん彼らは明日と明後日に呼ぶんだよ。そうすれば三日楽しめるだろ?」
「………………」
どうやら僕の言葉がお気に召さなかったようで、二人が情けない表情で顔を見合わせる。友人を部屋に呼ぶのに理由などいらないのだ。
だが、幸い、トネールもブリュムも表情程気を悪くしてはいないらしい。気まぐれな精霊種は機嫌を損ねればすぐに帰ってしまうものだ。
トネールがどこか大人びた仕草で額を押さえ、早口で言う。
「僕さぁ、もっとこう、すごい話があると思ってたんだよ。あんな大きな魔物? ワードナーも出てきたし、さぁ」
「そうそう。なんでお兄さん、そんな自ら評価を落とすような事するの? せっかくちょっぴり上がってたのに」
「評価っていうのは、落ちたり上がったりしながら安定するものだよ。一時的な評価なんて気にならないね」
「…………はぁ。まぁ、データ取りたいって言うなら別にいいけどさ…………助けて貰ったし。何すればいいの?」
さすが精霊種、慣れ親しんだ相手には寛容だ。リフレッシュには十分である。
見たところ、トネールもブリュムも僕にはだいぶ好意的だ。群霊なだけあって心理的な部分も共通なのかもしれない。
とりあえずサイズを測るためにメジャーを取り出し、ふと思いついて念の為、確認する。
「ちなみに、服脱いでって言ったらOK?」
二人の目が一瞬丸くなる。頬がぴくりとひくつき、ブリュムが冷たい目で聞き返してくる。
「え? ………………何枚?」
「全部。ダメなら可能な限り」
なんかダメそうだな……正確なデータが取りたい。僕は、正確なデータが取りたいだけなのに。
てか、もしかして機嫌もリンクしてる? 片方の機嫌を損ねたらもう片方もアウト?
「いいわけないでしょ。お兄さん、もしや精霊ならいけると思った? スイでも断るよ」
「ブリュムじゃなかったら完全に通報されてたよ、お兄さん。僕達を最初に呼んだのは英断だ、さすがSSS等級だ」
全く尊敬の篭もっていない冷ややかな声。
精霊種は本来純粋で、人の常識とはかけ離れた存在だ。だが、そんな彼らも人間社会に下ると社会の常識に染まってしまう。
それなりに優れた《魔物使い》を自負する僕でも、交渉で服を剥ぐのはかなり難しい。攻撃的な交渉をすればなんとかなるが、流儀に反する。
自らの意志で服を脱がさせないと。白い目で見てくるトネールに念の為言う。
「ちなみに言うまでもないが、僕はブリュムだけにではなく二人に言ってる」
「!? 男女見境なし!?」
「当然だろ、僕はセイルさんにも言うよ。データが取りたいだけなんだ。データに興味があるだけなんだ! 僕はポリシー上、女性しかスレイブにしないけど、データ取得で区別はしない」
「……………………ダメ」
「……着せ替えとかお化粧とかさせたいんだけど、それは?」
「お兄さん、よくこれまで逮捕されなかったね」
正義の味方を自負している僕が逮捕されるわけがないだろう。
…………まぁ、何回かはされかけたかな。だが、大抵の事は交渉でなんとかなるものだ。僕はこれでもそっち方面では凄腕だったんだよ
「化粧と髪型変えるくらいはいいだろ? 《魔物使い》の性で、気になって仕方ないんだ、おかしな事はしないから頼むよ。嫌だったら抵抗してもいいし……」
手を合わせ、頭を下げる。
「……はぁぁ。しょうがないなぁ……お兄さん。特別だよ?」
「…………まぁ、命助けてもらったし」
あの時はこんな事になるとは思っていなかったが、命を助けておいて本当に良かった。
『御主人様…………最低』
脳内に冷ややかな声が響く。文句を言わない、思う存分洗わせてくれる動物タイプのスレイブが欲しいぜ。
カーテンの締め切られた部屋。そわそわしている二人を椅子に並べ、その後ろに立つ。
元素精霊種との交友ができるのは初めてではないが、二重群霊を調べるのは初めてだ。
サイズを調べて、触診して、血液検査をして――心が踊る。全裸にできなかったのが心残りだが、スレイブではないのでまぁ仕方ない。
「なるべく薄着になってくれる? ノイズが」
「…………全部は脱がないよ」
「後、話もさせてもらう。一応、ボス級が現れた事についてはセイルさんがギルドに話は入れたけど、色々聞きたいこともあるし……」
全てを話せるわけではないが、彼らは数少ないこの地に染まっていない味方だ。
僕はうきうきしながら二人をその場に立たせると、メジャーのテープを引き出した。
§
「いいよ、そのポーズ、最高! 図鑑に載せたいくらいだ!」
「…………お兄さん、テンション高いなぁ」
「そこまで喜ばれると、悪い気はしないけどね。載せちゃダメだよ?」
様々なポーズをとってもらいながら、ブリュムとトネールの写真を撮る。
既に上下共に脱いでもらい、二人共、薄い下着しかつけていない。肌の大半は隠れているものの、重さにはほとんど差がないし、肉付きもはっきりわかり、とても参考になる。血液も採取させてくれたし、どうやら彼らはノリがとても良いようだ。
精霊種の肉体は魔核と呼ばれる自然を顕現した特殊なコアを元に魔力により形成されている。トネールもブリュムも肌にシミひとつないのは彼らの肉体が人に似て物理的なものとは異なっている証左だった。
優秀な《魔物使い》は研究を怠らない。元素精霊種と契約を交わしているとかいないとか関係ないのだ。
たっぷり資料を撮ったのでカメラを置き、トネールの柔らかな薄緑の髪に触れる。
魔力で編まれた糸のように細い髪は淡く輝いていた。少しだけ気が高ぶっているのだろう、白い肌も少しだけ赤く変化している。もしも僕がもう少しだけ魔力と密接な関係のある職を持っていたら、彼らの肉体の隅々まで識る事ができただろう。だが、僕はないものねだりなんてしない。
「お兄さんさぁ、あんなに強いスレイブと契約しているのに本当に物好きだよねぇ」
「そーそー、私達にも殺意向けてたし、こんなところ見られたらやばいんじゃないの?」
「そりゃもちろん、さっきから抗議が凄いよ」
「!?」
頭の中でギャーギャー響いているが、僕の愛はその程度で弱まったりしない。
二重群霊に挟まれるなんてそうそうない機会なんだ、アリス、待て! 今度たっぷりグルーミングしてあげるから――。
頭の中に響く猛抗議を意識的に追い出していると、ふとブリュムが不思議そうな顔で言った。
「しかし、どうして私達に依頼なんてしたの? 他にやることがあるとか言っていたけど――あんなに強いんだから、時間を置いてアリスを使って探索すればいいのに」
「ああ。アリスは強いんだけど、致命的な弱点があってね――少し温存したかったんだ」
もちろん、時間がもったいなかったというのもあるし、この地の探求者の実力を見たかったというのもあるし、元素精霊種とお近づきになりたいというのもあったが、彼女はこの地において、ブリュムが考えている程万能ではない。
「へ? 弱点って?」
「補給ができないんだよ。霊体種ってのは――特に悪性霊体種ってのは魂を吸収して己の力にするものだからね」
王都のように生命種の魔物が大量に生息する場合、彼女の継戦能力は底なしだ。そして、この世界には生命種がはびこる地の方が多い。
魂持たぬ者ばかりが生息するこの地はアリスにとって、この世界で最も不利な土地とも言えた。もちろん、街に住む人々の魂を奪えば補給もできなくはないが、それは許される事でもない。
それと比べて、精霊種はいい。彼らが力の源とする自然のエネルギーは膨大で、どこにでもある。【黒鉄の墓標】のように人造物に囲まれていたりすると少しばかり弱るが、活動に困る程でもない。
これは、相性の問題である。アリスが有利な地もあれば精霊種が有利な地もある。今回は後者だった、それだけの事だ。
さて次は何を検査するべきか……精霊種の詳細な検査には特殊な装置がいる。あいにく、この街でそれらを取り寄せる事はできなかった。いつも持ち歩くような物でもないので家に置きっぱなしで、アリスにも持たせていない。
そうだな……丁度いいし、順番に魔法でも見せて貰おうかな。
随分距離が近くなってきたブリュム達にそう提案しようとしたところで、ドアの方でがたりと音がした。
半裸のブリュムとトネールがびくりとそちらを見る。
しっかりかけたはずの錠がゆっくりと回り、まるで魔法のようにドアチェーンがスライドして外れる。
魔法のようにというか、間違いなく魔法であった。魔法というのは基本的に威力と精密性に比例して難易度が高くなる。扉を破壊するならばともかく、鍵を開ける事のできる魔法など限られている。
扉が静かに開く。ブリュムとトネールがさっと僕の後ろに隠れる。現れたのは――。
「フィル……私に何か言うことがあるのではないですか?」
「………………やぁやぁ、ソウルシスター。初めて部屋に来たんだ、歓迎したいところではあるが――今はちょっとタイミングが悪いな」
拳を握り、ぷるぷると身を震わせながらエティが言う。ぼさぼさの髪。目の下に隈。耳が少しだけ赤くなっている。
タイミングが悪かった。いつか部屋に招待するつもりではあったのだが、少なくとも今ではない。
僕は学術的な理由でトネール達を半裸にしたのだ、何の負い目もないがそれでも、そんなタイミングで女性を部屋に呼ぶのが余り好ましくない事くらいはわかる。
というか、宿の場所教えてたっけ? 約束とかしてたっけ? 言うことなんてないよ。少し寝たほうがいいよ。




