第十一話:未知
空を飛ぶこと数時間。地平線のその先に、目的地が見えてくる。
今回セイルさん達と共に探索するダンジョン、【黒鉄の墓標】はレイブンシティ近辺の中でも一際奇妙な場所にあった。
このレイブンシティ近辺の土地の特異性の一つに、食物連鎖が存在しない点があげられる。
本来、どれほど強力な種族でも生きるのには食べ物が必要だ。霊体種や精霊種についても多少方向性は違えど原則に代わりはなく、どれほどの魔境でも食うものと食われるものが存在している。
だが、魔導機械の原動力は光や熱、電気の類であり、食物を必要としない。この地に住まう魔導機械は生存に他の種族を一切必要とせず、レイブンシティと近辺の二つの都市の周辺に広範囲に存在する荒野には魔導機械以外の動物はもちろん、植物すらほとんど存在していない。
この地の探求者はほとんど疑問を抱いていないようだが、これはとても――稀有な現象だ。原因は不明だが、恐らく魔導機械が何某かの干渉をしているのだろう。
己の種以外の生存を許さないとでも宣言するかのような徹底的なその機能からは妄執に似た何かが感じられる。
抱きしめていた迷惑そうな表情をするスイを解放し、風の船から身を乗り出すように下界を見下ろす。
地上に広がる見事で奇怪な光景に、僕は思わず感嘆の息を漏らした。
「なるほど……これが、書物にあった、『金属樹』か……」
「結局この人、到着するまでスイを離さなかったよ」
ブリュムの呆れたような声も耳に入らない。
ダンジョン【黒鉄の墓標】の名称の由来となった聳えるような巨大な黒の十字架。その付近一帯にはこれまで飛んできた荒野と違い、非常に『精巧』な草木が無数に生い茂っていた。
空から見下ろす限りではただの植物と見分けが付かない――色と光沢以外は。
植物群は、レイブンシティのギルドで『金属樹』と呼ばれている代物だ。
その名の通り、幹も枝葉も全てまるごと金属で出来た植物であり、【黒鉄の墓標】近辺にしか見られない代物だった。僕が最初に訪れるダンジョンとして【黒鉄の墓標】を選択した理由の一つでもある。
ダンジョン近辺は既にモデル・クリーナーの縄張りで、他の魔導機械は生息していない。よく目を凝らすと、金属製の植物の間には、数こそそこまで多くないものの、奇怪な動きを見せる蚯蚓型魔導機械の姿があった。
僕の視線を追ったトネールがうんざりしたように言う。
「うへえ……気持ち悪ッ」
「草木を始めとする植物や虫や動物――自然は元素精霊種の力を高めるだろ?」
元素精霊種がエネルギー源とする気は文明と離れた場所に集まるものだ。大森林の奥地や人の手の入らない火山口などで彼らはもっとも力を発揮する。
「!? お兄さん、本気で言ってるの!? あれが『自然』に見える!?」
「……いや、全然本気じゃないけど」
「トネールをからかうのはやめてくれ、フィル。人の手の入らない荒野ならばともかく、ここまで魔導機械が蔓延っていると星の補正も受けられない」
セイルさんがため息をつく。どうやら彼は僕のコミュニケーションの取り方が余り気に入らないらしい。いや――悪意は感じないから慣れていない、と言うべきだろうか。
金属で出来た草木は鋭利で、僕のように柔らかい身体を持っている者がむやみに立ち入ると傷を負うだろう。
細長い身体を持ち自在に草木の間を動けるモデル・クリーナーにとってホームグラウンドと言えるが、僕の想像が正しければ彼らは――戦闘用ではない。
「……近くに下ろしてくれ、せっかくだし、草木も調べたい」
「……危険だと言っても、聞かないんだろうね」
「危険を避けようと思ったら、探求者になんてならないよ」
どうやら僕の性格を理解してくれたのか、船が一際立派な木の近くにゆっくりと下降する。
船から飛び降り、数時間ぶりに固い大地を踏みしめる。トネールとブリュムがふわりと浮遊し、僕の左右についた。付近をきょろきょろしながら、双子が口々に言う。
「モデル・クリーナーはD等級の魔導機械だ、私達ならまず負けない」
「でもお兄さん、覚えておいて。僕達でも自ら死に行く者を救う事はできないよ」
「わかった。つまり、余り無闇に危険な事をすると死ぬぞって意味だね?」
「「わかっているなら少しは大人しくしてて!」」
「今の状況とは全く関係ないけど、僕は君達の力を借りるのに相場以上の金を出している」
「…………お兄さん、よく今まで生きてこられたね」
楽しく軽口をたたきながら、草木に近づく。『金属樹』は聞いていた以上に見事な代物だった。
聳えるような金属の植物はため息が出る程立派で、陽光を浴びて鈍く輝いていた。
植物はそれぞれ色が違う。恐らく、構成する金属の違いだろう。鉄に銅、鉛に――それ以外も。
かがみ込み、地面に生えた鈍色の草を指先でつつく。草は本物さながらの見た目を持っていたが、固く冷たく滑らかで、本物と違って風に吹かれても揺るがない。きっと無防備に踏みつければ足がズタズタになるだろう。
「こんなものに興味を持つなんて、変わり者だね、お兄さんは」
「ただの金属の塊だ。植物に似ているのは形だけだよ」
セイルさんが腰の剣を抜き、軽やかに振るう。涼やかな金属音と共に、地面一帯に茂っていた鋼鉄の雑草が短く切り裂かれる。
飛び散った破片を拾い確認するが、彼の言う通りのようだった。断面を見るに、内部には部品のようなものは詰まっていない。
この草木はただの金属の塊だ。魔導機械と異なり、何の機能も持たない、いわば植物の像である。
事前調査によると、根まで掘り起こしてもそれは変わらないらしい。
僕の故郷の王国の探求者がこの光景を見れば目を輝かせていただろうに、どうやらこの地の探求者にとってこの光景は余り興味のそそられるものではないらしい。退屈そうな顔をしていたブリュムが僕の視線に気づき眉を顰めた。
「植物はやっぱり生身が一番だよ。見た目だけ模しても本物にはなれない」
「確かに。しかし、本当に人気のないダンジョンなんだな」
立ち上がり周囲を見回すが、僕達以外の探求者はなかった。そもそもレイブンシティの探求者の数はその街の規模にしてはかなり少ないのだが、独り占めするには余りにももったいない光景だ。
グラエル王国の探求者を半分くらい連れてきたい気分だった。王国では探求者が余り過ぎていて、こう言うのもなんなんだが――結構邪魔だったからな。
「ここ、お金にならないからね。モデル・クリーナーのドロップは価値が低いし、もっと効率的に稼ぐ方法が山程ある。草木を切り出そうにもレイブンシティではただの金属は二束三文でしか売れない。お兄さんに言われて初めてこのダンジョンの存在を思い出したくらいだ」
「まったく、探求者が金だけを求めるなんて世も末だな」
「……じゃあ聞くけど、お兄さんは何を求めてるのさ?」
「未知」
「………………」
最初は何も持っていなかった。仲間を得て知識を得て経験を経て、ささやかな栄光を手に入れた。だが、人の欲望に果てはない。
未知こそ、我が人生だ。だから、探求者というのはきっと僕にとって天職だった。
服の埃を払い、こちらを遠巻きに窺っている奇妙な魔導機械を見る。
「金属樹を作っているのはモデル・クリーナーかな」
「えー、そんな話聞いたことないけど――」
「だってほら、この周辺にはモデル・クリーナーしかいないらしいし……」
もちろん、何らかの魔導機械が隠れて金属樹を生み出している可能性もゼロではないが――ともかくとして、これらが何者かの手により作られているのは間違いない。魔法にも科学にも理屈があるのだ、何の理屈もなく金属の塊が生えたりはしないし、唯一他に可能性があるとするのならば『そういう物語』が生息している可能性くらいだが、金属と幻想精霊種という種族は相性がとても悪いのだ。
そこで、たどり着いてからずっと沈黙を保っていたスイが僕を見上げて小さく首を傾げた。
「……何のために?」
「……種類ごとに金属を分けて保管しておくと使いやすいだろ?」
「…………」
「……もしかしたら芸術の可能性もある。この精緻な造型は外まで運べばそれだけで売れそうだ」
「………………」
別に冗談ではなかったのだが、お気に召さなかったらしい。
ムスッとした顔で佇むスイの頭に手を伸ばし撫でるように触診すると、僕は巨大な十字架の方を指差して言った。
「よし、それじゃ早速ダンジョンに入ろうか」
§
ダンジョンには幾つか種類がある。自然物型。人工物型。世界型。【黒鉄の墓標】は人工物型、地下に進むタイプのダンジョンだった。
名の由来である高さ数十メートルにも及ぶ黒鉄製の十字形構造物はさながら大地に立てられた墓標のようで、いつから存在しているのか定かではない。
ダンジョンの入り口は十字架の根本にあるが、それらは金属製の扉により塞がれ、内部に生息するモデル・クリーナーが自在に出入りできないようになっている。
セイルさん達が留め金を外し、協力して重い扉を持ち上げる。
金属臭を含んだ冷たい空気が漂ってくる。扉の先にあったのは――真に近い闇だった。まるで地獄の釜が開いたかのようだ。
指を伸ばし、奈落に続く階段に触れる。階段は痛い程冷たい金属で出来ていた。
自然物型のダンジョンには趣がある。その探索では否応にも一個人としての存在の矮小さを思い知らされ、底知れない恐怖を感じるものだが、人工物型の冷たいダンジョンにはまた違った恐ろしさがある。
陽光の届かない全き闇に包まれたこの迷宮を低等級認定するとは、この地のダンジョンはどれほどレベルが高いのだろうか?
何よりも、このダンジョンからは――悪意の匂いがするな。
ポケットから目薬を取り出し使用する。僕のような夜目を持たない種族に一時的に闇を見通す目を与える魔法薬だ。
目を瞬かせる僕に、トネールが不思議そうな顔で聞いた。
「? お兄さん、なにそれ?」
「ブリュム達にはいらないものだ。僕はこの目薬がないと――暗闇を見通せなくてね」
特殊な視界を持つ精霊種や霊体種にとって闇などないようなものだからな。というより、闇を見通せぬ目を持つ種族の方が少ないのだが――。
「えぇ!? そんな人いるの?」
「傷ついたな。まぁ、その落とし前は後で付けて貰おう。さぁ、先に進んで」
呆れたような顔をするトネールの背を押す。ハンデがあるのは最初から承知の上だ。大丈夫、能力不足は補える。
僕は頭だ。頭に必要なのは能力ではなく意志だ。それらは決して外から補う事は出来ないのだから。




