第七話:巣を襲われた虫けらのようだとアリスは思った
レイブンシティ近辺には無機生命種を除いた魔物はほとんど生息していない。
魔物に限らず生命の気配一つなく、植物すらほとんど生えていない寒々しい夜の荒野は、墓場にも似た雰囲気を持っている。
青白い月が照らす下。誰一人魂持つ者のいない地に、アリス・ナイトウォーカーは一人立っていた。
古来より、夜は悪性霊体種のものだ。数多存在するその種の多くは夜闇の中でこそその真価を発揮する。
だが、だからこそ、周囲に生命は疎か、精霊種や霊体種すら存在しない夜の世界には違和感があった。
等級の低い悪性霊体種の中には自意識を持たない種も存在する。そういった種は力もなく存在自体希薄で空気の流れに揺蕩うようにあちこちを移動する、誰も気に留めない空気のような存在だ。
だが、この地にはそれらの種すら存在していない。全ての原因はこの地を支配する魔導機械にあった。
アリスの視線、数十メートル程先で巨大な施設が静かに佇んでいた。
鋭敏な五感を持つアリスでも聴覚に意識を集中しなければ聞き取れない程小さな駆動音。どこまでも続く聳えるような分厚い金属の壁の上には無数の昆虫型魔導機械が規則的な足音を立てて動き回り、外敵を警戒している。
レイブンシティに多数存在する無機生命種の生息地。冒険者ギルドが認定するところのダンジョンの一つ。
近辺で最難関であるSS等級ダンジョン――【駆動砦】。
どこまでも続く加工された金属壁に、分厚い警戒網。巡回する無数の警備機械の等級は高く、数も多い。
内部構造はほとんど不明、あらゆるスキルによる探査を跳ね返し、生きて帰った者は存在しないとされる難攻不落の砦だ。
ギルドに残っている情報によると、この砦はこの地に街が出来るその前から存在していたらしい。
種には相性がある。精神汚染を得意とする悪性霊体種は干渉する魂を持たない無機生命種との相性が良くないが、逆に物理文明の粋である無機生命種もまた、物質世界の干渉を意識して遮断できる霊体種との相性が良くない。
だからこそ、フィルのスレイブの一人である世界最高の魔導機械人形の一つ、護衛人形の夜月はいざという時、アリスを殺すために全身を換装していた。魔導機械は人工物だから、対策しようと思えばいくらでも悪性霊体種の対策ができる。
このダンジョンが難攻不落とされているのは、あらゆる攻撃・種族への対策を取っているからだろう。
霊体種や精霊種に大きな影響を与えられる物理兵器は限定的で、製造に希少な素材を幾つも必要とする。徹底的なまでの異種族の排除は機械的で、しかしどこか執念のようなものを感じさせた。
あの最後までアリスに気を許さなかった機械人形を思い出し、アリスはふんと小さく鼻を鳴らした。
アリスが舌を巻くほどの、恐ろしい完成度の機械人形だった。最高の技術と情熱を込めて生み出された実験機を主が教育し、アシュリーが取り込んだ。
技術は幻想を駆逐する。幻想の物語を出自とする幻想霊体種にとって、蓄積された技術の成果であり歴史の浅い魔導機械は天敵だ。だが、だからこそ、本来噛み合わないはずの二種の組み合わせは常識から外れた、もしかしたら発表するだけで世界を揺るがすような代物だった。
それと比べれば、このあらゆる魔導機械が動員された砦すら時代遅れだ。
『夜を征く者』の眼は人では認識しない者も見える。アリスの視界には砦から放たれる無数の不可視の光線がはっきりと映っていた。
恐らく、あそこが砦のキルゾーンだ。この【駆動砦】は誰一人挑めないように出来ている。
ギルドではダンジョンとして登録されていたが、これは厳密にはダンジョンではない。
ダンジョンには定義がある。ダンジョンとは本来、幻想精霊種の一種、世界最強の種の一つとされる『回廊聖霊』がその力を行使し生み出した異界を指すのだ。
そして、その種が生み出し管理するダンジョンはこの世界のルールからは外れ、決して力づくでは攻略出来ないものになる。アリスが苦手とするものの一つだ。
人造ダンジョンにはそれがない。そしてだがしかし、本物と異なり『こういう風』に、外敵を完全に寄せ付けない備えをすることもできる。
本物のダンジョンは侵入者を排除しながらも侵入者を求めているが、この砦は違う。
「ご主人様はいつだって、私に危険な仕事を任せる」
《魔物使い》としてSSS等級に至りアリスを手に入れた最強の《魔物使い》、フィル・ガーデンは、振るうメインの武器をアシュリーからアリスに切り替えた。その事実に対してアシュリーは明らかに不満を感じていたが、アリスとて何も感じていなかったわけではない。
選ばれた優越感こそあったが、それはつまり――大事にされていないという事だ。
一つ与えられれば二つ目が欲しくなり、二つ欲を満たされれば三つ目の欲が生えてくる。
そして、たとえ百与えられても他の者が百一与えられていたら、決して満たされない。
アシュリーを消し去る作戦は失敗し、信頼を損なってしまった。だが、アリスはまだ負けていない。
アム・ナイトメアはまだ未熟だ。今、ご主人さまが頼りにできるのは自分だけだ。だからこそ、その眼がこちらだけに向けられている間に功績を挙げるのだ。
精神を研ぎ澄ませる。アリスの様子に気づいた砦の警備達が、不可視の波動を放ってくる。
全身が激しく揺さぶられる。霊体種に作用する振動兵器だ。特殊な波長で空気を揺らし相手を攻撃する武器である。最下級の霊体種ならばそれだけで存在を消滅させ、存在を保てる種にとっても近づきがたいだろう。最近近辺で暴れていたのを見られたのだろうか、こちらの種がバレているようだ。
だが、その程度の攻撃でアリスの肉体は揺るがない。
霊体種にとって存在の強度とは意志の強さだ。最強の悪性霊体種とはすなわち、最も精神の強い者でもある。
ぬるい攻撃は目的は牽制と警告か。アリスは無言で手を挙げると、異空間から三本の注射器を取り出した。
中に入っている薄青の液体は霊体種の魔力を回復させるための液剤だ。シィラ・ブラックロギア戦に備え用意していた内の一部を、アリスは躊躇いなく自らの腕に突き刺した。
生命の補充できない地でもやり方はいくらでもある。
魔力の源になる生命のストックが足りないのならば、別の形で補えばいい。
腕をぴんと伸ばし、繊細な指先を突きつける。
漲る力を凝縮し、放出する。
「『エヴァ―・ブラスト』」
白色の光が一瞬夜闇を剥ぎ、荒野を焼いた。破壊のエネルギーはその衝撃だけで地面をえぐり、合金製の金属壁に正面からぶつかり合う。
ご主人さまの前でなくても着用している特注のエプロンドレスの裾がはためく。大地が、空気が震える。魔導機械達が放つ光線から成される不可視の警戒網が撓む。
世界を破壊させるような音と光、衝撃が収束する。アリスに向かって無数の弾丸が放たれたのはそれとほぼ同時だった。
四方から音速に迫る速度で放たれた弾丸を、アリスは軽やかなステップで回避する
その名の如く、まるで砦のように聳えていた合金製の壁はアリスのはなった一撃によりごっそりとえぐれていた。
『回廊聖霊』が管理しているダンジョンならば、こうはならない。防御力というよりルールの問題で、本当のダンジョンを外部から傷つけるのは不可能だ。
破壊できたのはどこまでも続く壁の一部に過ぎない。だが、修理には時間がかかる事だろう。そんな事を考えている間にも、弾丸は雨あられの如くアリスに降りかかる。
弾丸をばらまいているのは壁の上部に取り付いた魔導機械だ。アリスの空間魔法でも詳しい数はわからないが、さすが砦と呼ばれているだけあって詰めている魔導機械は荒野を徘徊する数の比ではない。
だが、だからこそ攻める意味があった。守りが固いという事は、守る理由があるという事。
ご主人様には疑似ダンジョンを攻めろとまでは言われていないが、どう動くかの判斷はアリスに委ねられている。
放たれた弾丸は高等級種族の探求者でも耐えられない程の密度を誇っていた。物理攻撃だけならば種族スキルの『透過』で対応出来るが、相手はこの地の全てを駆逐している。霊体種ならば誰でも使えるような手法を安易に使うのは危険だ。
アリスが抉った壁。その隙間から、侵入者を排除するための魔導機械がぞろぞろと群れを成して出てくる。
まるで巣を襲われた虫けらのようだ、とアリスは思った。
無数の冷たい殺意が全身に突き刺さる。衝撃。音。鉄の、土の、戦争の匂いがアリスを高ぶらせ、それが冷たい力となる。
アリスは口元だけ笑みを浮かべると、一歩踏み込むと同時に残された魔力を絞りきり、『空間転移』を行使した。
§
高等級魔術師系職。空間魔術師のクラスは、フィル・ガーデンがアリスに与えた力の中でも最たるものだろう。
空間魔法は数多存在する魔法の中でも特に複雑で扱いが難しく、その職を授けられる託宣師はほとんど存在しない。
その職をナイトウォーカーという怪物に与えるためにどれほどの苦労をしたのか、アリスは知らない。だが、それは間違いなく愛がなければできない行動だった。
空間魔法は強力な魔法だ。異空間に特殊な空間を作成し物を収納する『アナザー・スペース』から、指定した空間に即座に移動できる空間転移、空間を断絶する事により攻撃を弾く『無垢の盾』まで、便利な術が揃っているが、何よりこの魔術師の術が特異なのは、空間魔法が物理的な世界から一段高いところ――高次元に干渉する術だという事だろう。
物理文明の最たるものである魔導機械技術で高次元干渉に抵抗するのはかなりの手間が必要だ。
分厚い金属壁も、無数の弾丸も、火炎放射や電流といった攻撃も、ただそれだけでは空間魔法には通じない。機械魔術師のスキルが強力とされているのが、それらの攻撃が高次元への干渉まで網羅している点にある。
身に付けさせられた空間魔法はただでさえ負けなしだったアリス・ナイトウォーカーを唯一無二の怪物にした。
魔力の消費が激しいというデメリットも、生命を膨大な魔力に変換できるアリスにとっては大きな問題にならない。そういう意味で、空間魔術師はアリスにとって最適な職だった。
決して進撃が楽なわけではなかった。この砦はある程度まではそういうタイプの種族や職への備えが成されている。壁や床は透過できなかったし、一定区間毎に空間転移を遮断する特殊な結界が張られている。放たれる弾丸の一部やブレードは霊体種を殺すためにカスタマイズされている。
だが、本来ならば立ち入る事すら難しかったはずだ。いくら強力とは言え、ただの一個体であるアリスへの万全の備えをするのは、時間さえあれば難しくない。
希少職である空間魔術師。稀少種であるナイトウォーカー。この砦の主の想定外であるその二つが揃っているからこそ、一人で攻め入られる。
少しでも時間をかければこの砦の主は全力を尽くしアリスへの警戒態勢を取るだろう。だから、アリスはまだ攻められる内にここに来た。
ご主人さまに最高の成果を披露するために。
無数の魔導機械が蠢く通路を、アリスは駆けた。
通路を徘徊する無数の監視機械。無数の砲塔を持つ遠距離型の警備装置に、ブレードを有する人型の警備人形。そこかしこに施されたトラップを我が身を顧みず無理やり突破する。
マスターが近くにいる時に取れるような手ではなかった。アリスにとってフィルとは――全てだ。目的であり、恐怖の対象であり、守るべき人であり、愛する人であり、そして――足手まといでもある。
無数の命を持つ悪性霊体種にとって、敵陣を無理やり踏破する事など容易い事だ。
回復できても痛みは感じるが、主のための痛みとは甘美ですらある。
「広い…………それに、同じような光景ばかり」
幾つ目かの扉を蹴破り、何体目かの魔導機械を破壊する。装飾のない似たような通路はまるで同じ場所をぐるぐる回っているかのような錯覚をアリスに抱かせる。
前に進んでいる事を示すのは、より激しくなっていく攻撃だけだ。
周囲を把握しようとして魔法を使うが、僅かな抵抗の後、弾かれる。この短時間でアリスの職と種を看破し対策しているのだとしたら、この地にやってきた探求者を長い間はねのけたというのも納得だ。本物のダンジョンは力づくではどうにもならないルールに支配されているが、ここまで狡猾ではない。本物のダンジョンを知っていればいるほど、違和感は強くなるだろう。
だが、土地も無限ではない。異空間から魔力回復薬の注射器を取り出し、五本まとめて腕に突き刺す。
液体化した魔力が炎のような熱を持って全身を巡る。と、その時どこからともなく声が響き渡った。
『アリス・ナイトウォーカー。無作法な夜の王、なにゆえ我が城でそのような暴虐を成すのか』
「…………」
絶え間なく放たれていた攻撃が一時止まる。不気味な機械音声が細い通路に反響する。
アリスは立ち止まると、使い終えた注射器を異空間に戻した。
『名を知られているのが不思議か? 三千世界に恐れられた夜の神の愛し子よ。攻撃を――止めさせた。話をしよう、君にとってもきっと益になるはずだ』
声の出どころはわからない。人語を解する魔物などいくらでもいる。
いや、ここが魔導機械の縄張りという事はこの声の相手は――。
「誰?」
短いアリスの言葉に、得体の知れない声は感情のない声で答えた。
「隠す名でもない。我こそは無機生命種の王、原初の機械魔術師の生み出した魔導機械の神――L等級無機生命種『オリジナル・ワン』である」
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フィル・ガーデンが至極真面目にめちゃくちゃやる話になっております。まだ手に入るはずなので、興味がある方はよろしくお願いします!
/槻影
更新告知:@ktsuki_novel(Twitter)
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Re:しましま先生の美麗なイラストが多数収録、過去話の書き下ろしも入っている他、紙初版と電子版には別作『嘆きの亡霊は引退したい』とのスペシャルコラボSSが同封されています。気になった方は是非宜しくおねがいします!




