第三話:少しばかり優秀過ぎる
その一挙手一投足は以前、共に活動していた頃とは比べ物にならないくらいに洗練されていた。
リン・ヴァーレンは《魔物使い》としても探求者としても未熟である。知識ももちろんだが、何より経験が足りていない。だが、そんなリンの目から見ても、アム・ナイトメアの剣術はなかなかのものに見えた。
地面を踏みつけ、躊躇いなく相対する魔物――犬型の魔導機械の攻撃範囲に飛び込む。軋むような音と共に放たれる鋭い爪による一撃を、流麗な一撃で弾く。
リンのスレイブ――広谷もまた、剣士系クラスの持ち主である。侍は刀と呼ばれる東洋の特殊な剣を自在に操る特殊な剣士であり、速度に秀でた斬撃は長い鍛錬の末に培われたもので美しかったが、アムの動きはまたそれとも少し違っていた。
その斬撃には確かな剣士クラスの技が見えるが、それだけではない。
昔は、違った。リンの下にいた頃のアムもそれはそれで強かった。
種族等級B。夜魔はダイヤの原石だ。素の状態でもその能力は人とは隔絶している。
だから、リンと協力していた頃の彼女も、少し危なっかしいところはあったものの、魔導機械の魔物相手に獅子奮迅の働きを見せていたし、十分食べていけた。依頼をこなす毎に強くなっていくアムを見るのは当時のリンの楽しみでもあった。
だが、今のアムを見ていると当時のアムは全くポテンシャルを発揮できていなかった事がわかる。
かつてのアムには魔導機械に対する怯えがあった。
かつてのアムには縦横無尽に武器を振り回す事への陶酔があった。
そして、かつてのアムには――敵対する者への戦意が足りなかった。
彼女は魔物と戦っている間も常にリンの評価を気にしていた。彼女には強さへの欲求も、戦闘への心構えも足りていなかった。
そもそも敵対種であるアムが人里に現れたのは――生き物と戦うのが怖かったから、なのだ。そしてそれは、決して優しさなどではない。
アムを預けられるその前に、フィルが言っていた言葉を思い出す。
『リン、アムの弱点はね――怠惰である事なんだ。新たに行動を起こすのにはエネルギーが必要だが、彼女は無意識の内にそれを避けている。それは彼女が臆病だというのもあるが…………如何にしてそういうスレイブにやる気を出させるのかというのが、マスターとしての手腕の見せ所でもある。長所と短所は一枚のコインの表と裏――どのスレイブでも、大なり小なり扱いにくい点ってのはあるよ』
一体目を切り捨てたアムは喜びを浮かべる事もなく、すぐに次の相手に取り掛かる。
基本的にモデルドッグの魔導機械は透過スキルによる耐性がない。そのセンサーは霊体種を捕捉するのに適切ではない。
遠くから確認すると、アムの足が攻撃の瞬間を除いてほとんど地についていない事がわかる。存在位相をずらし物質からの干渉を軽減する透過スキルは、重力の影響を大きく減らす。それは小刻みに種族スキルが発動している証だった。
今のアムは悪性霊体種としての特性をも融合し、有効活用しようとしている。それは、普通の剣士としての成長の一歩先を見据えている事を示していた。
その種族の生来の力である種族スキルは後天的に身に着けたスキルに比べて負担が小さい。だが、それでも連続で使用すれば相応の疲労があるはずだ。
あの遮二無二突撃してぶん殴る事しかできなかったアムがこの短期間でここまで変わるとは――。
複数体のモデルドッグに囲まれ、一見絶対絶命にも見えるが、今のアムには不思議な余裕があった。
山ごもりを始めとした厳しい修練により技を鍛えたらしい広谷が、その光景を見て唸りをあげる。
「うーむ、技術も上がってはいるが、何より見事な気迫だ…………つい先日まで俺よりも弱かったとは信じられん……」
その時、後ろに控えていた最も大きなモデルドッグが奇妙な声で吠える。
モデルドッグは群れを作る。最も大きな個体を長と呼び、群れの統率能力を持つと同時に最も高い戦闘能力を有している。背に生えた背びれにも似た刃が長の証だ。
その咆哮を合図に、アムを取り囲んでいたモデルドッグ達が一斉に飛びかかる。金属同士が噛み合う耳障りな音。重なるように上から襲いかかってくるモデルドッグに、アムが顔を顰める。
――その上から、長が落ちてきた。
配下共をけしかけた後、一拍置いて跳んだのだ。それは、その魔物が確かな知性を持つ証明でもあった。
魔導機械は金属の塊だ、長も大きさこそそこまででもないが、その重量は数百キロはあるだろう。純人ならばそれだけで脅威となりうる重さだ。
延びた爪が仲間たちごと、アムに振り下ろされる。部下たちよりも巨大な鉤爪が、金属の装甲を易易と切り裂く。空気が震え、砂埃が散る。無数の節を持った長い尾が地面を擦る。
と、そこで、アムの声が聞こえた。
「ラインスラッシュ」
巨大な長の身体に一本の線が奔る。
剣士系クラスの持つスキル――ラインスラッシュ。それは強いて表現するのならば、十分に力を込めた一撃である。
魔導機械が分断され、地面に崩れ落ちた。
ラインスラッシュは最も簡単なスキルと言われている。だが、剣一本で巨大な魔導機械を一刀両断する様は間違いなく熟達した剣士にのみ許された技だった。
金属製の魔導機械を剣で真っ二つにしたアムが戻ってくる。刀の数倍の重さはあるであろう西洋剣を鞘に納めると、どこか自慢げに笑った。
「いえ、それほどでも…………私はまだまだ未熟です」
「アム……」
(表情と言葉が合っていないが)まさか謙遜までするなんて――リンは思わず言葉を失った。
どうやらこのアム・ナイトメアという少女は少し見ない間にも成長を続けているらしい。
これは……負けてはいられないわね。リンは拳を握りしめ、決意を新たにした。
フィルがアムの訓練先にリンを選んだのはきっと、リンの成長のためもあるのだろう。かつては共に最底辺探求者をやっていたのに、差を付けられてばかりではいられない。
相手はアムとはいえ、SSS等級《魔物使い》から仕込まれたのには代わりない。書物だけでは学べない事もある。これは絶好の機会だ。
と、その時、広谷がアムに尋ねた。
「種族スキルを併用する戦い方は、自分で考えたのか?」
「…………いえ、フィルさんがやれと」
「ふむ……見事な『ラインスラッシュ』だ。随分鍛錬したようだな」
「はい。フィルさんが、それだけでいいから練習しろと」
「…………最後に透過で回避しなかったのは何故だ?」
その問いに、アムは呆れたような顔で指を立て、まるで道理を解くように言った。
「群れの長の知性は群れよりも高くできていますから……相手は私の透過を予想していました。あの背中の刃は透過に耐性があるようです。それに………………避けない方が格好いいでしょう? リンもぽかんとして見てたし!」
モデルドッグは完全に沈黙していた。魂なき魔導機械でも頭を潰されれば動けない。
今のアムがどれだけ戦えるか確認するだけのつもりだったが、これ以上ない戦果だ。これならば広谷の力も含め、高めの討伐依頼を狙えるだろう。
「ぽかんとしてって……そりゃ驚いたけど……」
「それも、フィル・ガーデンの受け売りか……」
そんな馬鹿な……。
目を丸くするリンの前で、アムが広谷の問いに対して不機嫌そうに眉を寄せた。
「…………そうですけど、それがなにか?」
なるほど…………どうやらフィル・ガーデンはアムに相当仕込んだらしい。
決定が苦手ならば、決めてやればいい。どういう時に何をすればいいのか、細かくパターンに分けて仕込んだ。無数の群れを相手に怯えを見せなかったのも、全ては教えによる結果なのだろう。
霊体種にとって、自信は能力の向上に繋がる。それは、リンが広谷に行っているアプローチとは大きく違っている。
『僕はアムに仕込む前準備としてロードマップを準備した。いずれは自らの力で道を定めねばならないが、最低限の能力がなければそれもままならない。だが、これは危険な賭けでもある。アムは――怠惰だからね』
アムを見る事でリンも学べ、頼りになるマスターを失う事でアムもまた自立心を学べる。つまり、そういう事だろう。
もしかしたらアムを見て広谷もより発奮するかもしれない。彼の武人としてのプライドの高さはなかなかのものなのだ。
ともあれ、せっかく憧れの《魔物使い》にスレイブを任されたのだ。しっかり頼まれた事をこなさねばなるまい。
自分の頬を叩き気合を入れ直す、努めて明るい声で言った。
「それじゃあ、今回で大体アムの今の力もわかったし、一端街に戻ってどの依頼を受けるか決めましょうか!」
「えー…………リン、まさか怖がってる?」
ん…………?
予想外の言葉に、目を見開きアムを見直す。アムはまるで我儘を言う子どもを見るかのような眼差しでリンを見ていた。
大きくため息をつくと、ぽんぽんとリンの頭を撫でて言う。
「大丈夫、まだまだ私の本気はこんなものじゃないし、もっと強い魔導機械とも戦った事があるから! フィルさんなんて、最初に私が何もできないって知っていたのに、モデルアントの群れに突っ込ませたんだから! リンには指一本触れさせないから!」
「………………」
リンは無言で、頭に載せられた手を払った。
まるで怖がる子を安心させるような口調に、少しいらっとする。
別にリンはアムの実力に不安があるわけではない。ただ、依頼は慎重に選ばねばならないというそれだけの話なのだ。
フィルには経験があるが、リンにはない。探求者という仕事は命がかかっているのだから。
リンの浮かべた表情にも気づかず、アムが浮かれたような声で言う。
「リンがそう言うと思って、良さげな依頼を見繕ってきたの! フィルさんに止められている依頼でやってみたいのが幾つかあって――」
「!? ちょ、ちょっと待って――」
今、アムはフィルさんに止められている依頼と言ったのか?
アムが目を丸くして、不思議そうな表情でリンを見る。嫌な予感がした。
SSS等級探求者が止めるような依頼を、どうしてリンが受け付けると、彼女は思っているのか?
引きつった表情で見返すリンに、アムは満面の笑みで言った。
「フィルさんがね、リンには我儘いっぱい言っていいって言ってたの! 私、戻ったらアリスと模擬戦やって、一撃入れたらご褒美貰えるの! だからしっかり鍛えないと――」
§ § §
髪を拭きながら、エティがやってくる。リフレッシュできたようで、顔色は先程と比べて大きく改善していた。
エティの屋敷は宝箱のような空間だった。置いてある機材はもちろんの事、本棚に並ぶ書籍も読んだことのないものばかりだ。
あいにく今日は忙しいので読んでいる時間はないが、いつか時間がある時に入り浸ろう。そのために全身全霊で時間を作らねば。
「そういえば、今日はアムはどうしたのです?」
「ああ、知人に預けたんだ。他のマスターの下で行動するのもいい勉強になるからね」
《魔物使い》というのはマスターによって育成方針が違うものだ。アムは元リンのスレイブだがその頃は余裕もなかっただろうし、再びリンの下で学べば得られる事もあるはずだ。
そしてリンには……アムのマスターとして思う存分苦労していただきたい。広谷は最初に扱うスレイブとしては少しばかり優秀過ぎる。
きっとアムを扱った時の経験がいつか大きな強みとなるだろう。だが、今日しにきたのはその話ではない。
ソファに座ると、持ってきた紙箱をテーブルに置く。タオルを片付けたエティが目を瞬かせ対面に座る。
「お土産を持ってきたんだ。気に入ってもらえるといいんだけど――」




