第四十八話:…………え?
意気投合したソウル・シスターとたっぷり語り合って宿に帰った時には、既に日が暮れていた。
至福の時間だった。同じ趣味の者同士語らう事程楽しいものはない。
エトランジュは予想通り、かなり強力な機械魔術師らしい。珍しい魔導機械を幾つも保有しているようで、今度見せてくれると約束までしてくれた。
図鑑を読むのに夢中であまり話せなかったが、最高の出会いである。
「ただいまー」
心地のいい疲労と達成感と共に部屋に戻ると、アムがやけに神妙な面持ちで待っていた。
今まで見たことがない、大人びた、少し儚げな表情だ。この手の表情にはいい思い出がない。
どうかしたのだろうか……? 確かに一日放っておいてしまったが、この表情はその程度で浮かべるものではない。荷物を置き、ちょいちょいと手招きする。
「アム、おいで」
僕の呼びかけに、アムは何を機嫌を損ねているのか、そっぽを向く。これは――まずい。何がまずいのかは分からないが、非常にまずい。何がまずいって何がまずいのかわからないのがまずい。
頭を撫でようとするが、いきなり払われる。アムの初めての拒絶に一瞬意識に空白ができる。
「!? アム、どうしたんだ?」
「……なんでも、ないです。どこに行ってたんですか?」
「図書館だ。夜魔の情報を調べにね。本命の情報は手に入らなかったんだけど、いい出会いがあった」
心の中の動揺は表に出さない。信頼が下がっている? いや、下がってはいないはずだ。
何かあって信頼がリカバリ不可能なまでに下がったのならば、アムが今、眼の前にいるはずがない。
「ほら、昨日のエトランジュに偶然会ってね。友達になった。ほら、遊びに来てって名刺まで――予想通りかなり強い術者だよ、アムとも年齢が近いだろうし、いい子だ。きっといい友達になれる」
アムに受け取った名刺を渡す。アムはちらりと名刺を確認して、小さくため息をついた。
「相変わらず、ですね……まったく」
「相変わらず……? まぁ、そうかもね」
心当たりはない――が、そのセリフに、僕は覚悟を決めた。
このアムの表情、半端な言葉で誤魔化すことはできまい。何が起こったのかはわからないが、僕はずっとこの方法でやってきた。今更変えるつもりはない。
ソファに腰を下ろす。頭がとてつもなく重かった。
昨日はアムの力に興奮して眠れなかった。どうやら徹夜明けで図書館はやりすぎだったらしい。
ベッドに倒れ込みたいが、まだ駄目だ。話を――聞かなくては。
鈍い熱を訴える頭を押さえ、アムを見つめる。そして、アムが一度深呼吸をして口を開いた。
「フィルさん、聞きたいことが沢山あります。ですが、一つだけ確認させてください。アシュリーって――知っていますか?」
「…………え?」
思わず耳を疑った。完全に予想外の質問だった。
僕はアムが不満や文句、もしかしたら契約破棄の話をするとばかり思いこんでいたのだ。そもそも、僕はアムの前でアシュリーの話をした覚えはない。
もしかしたら、リンから友魔祭の映像でも見せてもらったのだろうか?
そして、一番大事なのは――それが、今のアムの様子と何か関係があるのだろうか?
「……アシュリーは僕が最初に契約を結んだスレイブだよ。僕が『魂の契約』を結んでいた子だ」
「!? そんな事、一度も言っていませんよね?」
「え? ……まぁ、そうかもね。別に隠していたわけじゃないんだけど……」
アムは不安定だったし、前のスレイブと比較させ発奮させるのは僕の主義ではない。
アリスは同じ悪性霊体種だったので前例として出したが、それもアムが気にしすぎないように回数を絞っていた。
頭が重い。思考が覚束ない。目元を押さえるが体調は最悪だ。そこでようやく気づく。
なるほど、アムはアシュリーの力を見て自信を失っていたのか。
「大丈夫……不安は、あるかも、しれない。でも、焦る必要はない。アムのポテンシャルは多分アシュリーと同等以上だ。種族等級が違うから、研鑽を怠らなければ……絶対に追いつける」
「そうじゃ、ありません。フィルさん――」
アムが思いつめたような辛そうな表情で唇を開く。一体そんな表情で何を言おうというのか。
だが、もうダメそうだった。必死に意識を保とうとするが、すっと視界が遠くなる。
最悪のタイミングだ。意識が保たない。僕の様子に気づいたのか、アムが目を見開き、僕を揺さぶる。その唇が大きく開かれるが、声が耳に入ってこない。
大丈夫だ、いつもの事だ。そう言いたいが、舌が動かない。
意識が泥の底に沈むかのように闇に消える。最後に僕が見たのは、今にも泣きそうなアムの表情だった。
§ § §
アムには最早何が正しいのかわからなかった。情報のピースは出揃い、ほとんどの疑問は解消した。
だが、たどり着いた答えはあまりにも救いがないものだった。
教えない方がいい。一瞬そんな考えすら浮かんだ。だが、もうそういうわけにはいかない。
ベッドではフィルが幽鬼のような顔色で眠っている。出会ってからの日数を数えれば一月足らずだった。体感では何年も共にいた気がする。それは、アムが沢山のものをマスターから受けた証だ。
受けた恩は少しでも返さなければならない。たとえそれが――どのような結果になったとしても。
「大丈夫よ、アム。命に別状はないわ。フィルさん、少し身体が弱いみたいだし、多分疲れが溜まっていたんだと思うわ。ほら、これまでも朝は弱かったでしょ?」
アムに負けず劣らずの蒼白の表情で看護してくれたリンが、安心させるように言う。
悩んでいる時間はない。最早一刻の猶予もない。
アムは大きく深呼吸をすると覚悟を決めた。
昔のアムだったら何もできなかっただろう。だが、戦い方は教わった。ならば後は行動するだけだ。
顔をあげる。アムの眼差しから何かを感じ取ったのか、リンと広谷が沈黙する。
駄目だ。この程度では明らかに足りない。最善を尽くす。妥協はできない。
フィルさん、私にどうか力を貸してください。
アムは祈るように目をつぶると、フィルが意識を失う寸前に手渡してきた名刺を見下ろした。




