第四十五話:僕が、フィル・ガーデンだッ!
§ § §
円形の巨大な闘技場は熱気に溢れていた。
高い天井に配置された巨大なモニターに、数万席はあろうかという客席は満員で、皆が始まりの時を待っている。
「さぁ、開始から一月が過ぎました、第三百二十二回ランドガレノフ友魔祭もいよいよ最終試合です。本日行われる決勝戦で、《魔物使い》の頂点が決まることになります。会場の熱気も否応もなく高まっております。本日こそ、間違いなく魔物使いの歴史に刻まれる栄光ある一日となるでしょう」
テンションの高い声が会場に響き渡った。客席の熱気が爆発する。声の主はコロシアムに立つ二人の少女の内の一人だった。黒い制服をきちんと着こなす長身の少女と、白い制服をだらし無く着崩している短身の少女。その内、黒い制服で犬に似た耳を持った少女が声をあげ、笑顔を振りまく。
「司会はお馴染み、初日と十日目、二十日目と司会を務めました、犬妖精のノワール・ロワイヨムと」
「猫妖精のヴァイス・ケーニヒライヒがやってやるニャー」
テンションの高い声に続き、白い制服の猫の耳を持った少女のやる気のない声があがる。
「はい、ちなみに最終戦の司会は皆様ご存知の通り、人気投票で決まりました! 何でこの碌に働いていない猫より私の方が票数が少なかったのか凄く不思議ですが、皆様、投票ありがとうございます!」
「おおおおおおおおおおお!」
客席と試合場の境目を隔てている透明な壁、結界が観客からの声援に大きく揺らめく。
「客席ばっかり撮ってつまらないニャー。カメラ、こっちにもほしいニャー」
「馬鹿、そんな事マイクで話しちゃ駄目でしょ! おまけに語尾に『ニャー』って完全に狙って……あ、カメラマンさん、私も! 私の方にもカメラほしいワン!」
黒と白、犬妖精と猫妖精、長身と短身、対照的な二人の掛け合いに、会場は異様な盛り上がりを見せていた。人気の理由は二人の種族にある。犬妖精も猫妖精も、本来、妖精の国に引きこもっていて滅多に姿を現さない種族だ。希少な種に、ミーハーな《魔物使い》の客たちはメロメロだった。
「ほら、ヴァイスも笑顔、笑顔! ちゃんと仕事して!」
「愛想笑いは苦手ニャー」
「ええええ……じゃあ何でカメラ呼んだのぉ!?」
「面倒臭いニャー。とりあえず脱げばいいのかニャー?」
「ちょ……」
ヴァイスが唐突にネクタイ代わりにつけていたリボンをしゅるりと抜き取る。元々ボタンがちゃんと閉まっていなかったこともあり、身長に見合わぬ大きく膨らんだ胸元から白い肌がちらちらと見え隠れしていた。スカートから伸びる白い尻尾がふらふらとカメラの前を横切り、どこか艶めかしい。
「やめなさいッ!!」
ノワールがその暴挙に慌ててヴァイスを止めようと飛びかかる。が、今までやる気なさげだったヴァイスは、その気怠げな表情からは想像もできない俊敏さでそれを躱した。尻尾一本を床に立て、その上に脚を組み座ってみせる。まるで玉座の上に座っているかのようだった。
「犬妖精は野蛮ニャー。そんなに悔しいならノワールも脱げばいいニャー」
「く……犬妖精は猫妖精みたいに淫乱じゃないんですッ!」
「淫乱と呼ばれるのは不服だニャー。けど、ニャーは見られて困るような身体はしてないニャー」
ヴァイスがジャケットを脱いで床に落とす。薄いワイシャツに身体の線がはっきり写り、さしものノワールもその華奢な肢体、盛り上がった胸元に眼を見開くケット・シーの少女は、クー・シーのノワールが見ても納得できるくらいに、自尊するに相応しい確かなプロポーションを誇っていた。
「まぁ、確かにノワールじゃあ厳しいかもしれないニャー。面はともかく胸が足りないニャー」
「あ、あんたが、無駄に大きいんでしょ……」
「素が出てるニャー? まぁ、所詮その程度の覚悟もない『二位』は隅っこの方で大人しくしているといいニャー。『一位』のニャーが全てうまくやってやるニャー」
「く……言わせておけば……私だって――」
「ノワールさん、あの、いいところなんですがそろそろ試合の方を……」
と、そこでスタッフからのストップが入った。ノワールが我に返り、顔を真っ赤にする。
「あ、す、すいません! えっと……失礼致しました! お待たせいたしました! では、いよいよ第三百二十二回ランドガレノフ友魔祭の最終試合、両選手の紹介に入ります!」
コロシアムは直径数百メートルはある常識外の大きさだった。左右両側には巨大な扉が備え付けられていて、その上には人一人が立つスペース――マスターが立つためのスペースがある。
「それではAブロックの選手入場です!」
東側の扉が音を立ててゆっくり開く。観客が息を呑み、雰囲気が一瞬で静粛なものに変わる。
ずしん、と。極めて広い場内に鈍い振動がこだました。ノワールが振動に負けじと声を張り上げる。
「第三百二十一回友魔祭の覇者、魔物使いの名門ファーフナー家の嫡子にして、SSS等級の探求者! 世界最強の《魔物使い》、アルド・ファーフナー! 並み居る強豪を尽く打破し、数々の大会新記録を打ち立てた魔人の登場ですッ!! 今年も世界最強の座を守れるか!」
「……ちなみにファーフナーの一族は友魔祭にも百二十回も優勝しているニャー」
闇の中に垣間見える瞳は金色。再度、場内に重く響き渡る振動の正体が判明する。
それは、足音だった。地鳴りのような足音と共に、巨大な金色の竜が現れる。全長およそ百五十メートル。全身を覆う金の鱗に、見る者を萎縮させる竜の瞳。そしてその巨体に巡る凄まじい密度の『魔力』。
目に見える程の膨大な力はオーラとなり、闘志となり、波となって金色の鱗で覆われた全身から立ち昇る。もし観客席との間に結界が張っていなかったらそれだけで気分が悪くなる者もいただろう。
竜が頭を大きく振り、咆哮する。その衝撃で結界が大きく撓む。
余りの音量に観客が耳を塞いだ。だが、客席の興奮はその程度で消え失せる程小さくない。
むしろ、世界最強種である竜種の登場にその興奮は絶好調だった。目がぎらぎらと輝いている者が半数。もう半数はスレイブだろう、もう諦めたような眼で己のマスターを観ている。
「さぁ、現れしはアルド氏のスレイブにして至高の刃。前回同様、王者の威厳を携え登場です! このスレイブの威光を知らぬものは博識な魔物使いの皆様には居ないでしょう!」
「ファーフナーは竜使いの家系だニャー。最強種たる誇り高き竜と契約しているだけでなく、本来なら一代で途切れるはずの契約が受け継がれているニャー。さすがのニャーもやりあいたくないニャー」
竜の背に立っていた人影が背を蹴って大きく飛び、マスター用の席に軽々と着地した。
金色の西洋鎧、甲に身を包んだ騎士然とした男である。身長はおよそ二メートル。《魔物使い》にも拘らず、その背には同色のバスタードソードが携えられていた。
紛れも無い英雄の姿に爆発するような歓声と喝采される拍手に、大きく人影が右手を上げて応えた。
「アルド・ファーフナー。超重量級の鎧に身を包み、動き回るその姿はまさに旋風の如し。その武力はスレイブなしでもSSS等級ともっぱらの評判です。ギルドがつけた二つ名が《無尽の金鱗》!」
「常識外ニャー。スレイブなしでもニャーはやりあいたくないニャー」
「……えっと、このよくわからない事をいっている猫は置いておいて、アルド氏にインタビューです!」
カメラがマスターを捕らえる中、二人の少女が側に軽々と跳躍し、着地する。
アルドがゆっくりとその甲を外す。中から出てきたのは金髪銀眼の眉目秀麗の男だった。
ファーフナー家の嫡子。その御姿、その勇名、知らぬ者がいない、竜使いの竜人。
世界最強の《魔物使い》の名は伊達ではない。主も屈強なのはそれだけの力がなければ竜を御し得ぬためか。世界広しといえども、純竜をスレイブとする者は片手の指で数えられる程しかいない。
「アルドさん、お久しぶりニャー」
「ああ、お久しぶりです。今年もよろしくお願いします」
丁寧な物腰に、線の細い相貌。アルドが柔らかな笑みを浮かべて、インタビューに応じる。
名門の生まれとなれば、将来は自ずと決まっている。アルドは自らその道に入った《魔物使い》と比べて常識ある者としても有名だった。そして、その力と容貌から多くのファンを擁している。
「今年の友魔祭はどうですか?」
「はい、例年通り……いや、例年以上の熱気とレベルの高さですね。なんとかこの栄光ある決勝の場に立てて正直ほっとしています」
「主は些か闘志にかけるな」
スレイブの竜が低い唸りを上げた。その圧倒的な威容に反し、その目には強い理性が見える。
「我がスレイブを務める限り、主に敗北は存在しない」
「ああ、わかっているよ。レン。今回はライバルのシェイドも倒したし、コンディションも悪くない」
アルドがレンと呼んだスレイブを宥める。竜が、その言葉に然とばかり頷いた。
「然様。主、今宵も我らの最強を証明しようぞ」
「ああ、勿論だ」
「闘志は十分、ですね! 今年の相手は例年では出場していなかった新鋭ですが、どうですか?」
「Bブロックは波乱だったニャー。アルドさんのライバル候補は誰も残っていないニャ―」
ノワールが続けて尋ねる。《魔物使い》は少ない。友魔祭の出場者は大体面子が決まっている。
が、今年のBブロックの覇者は今回の大会が初出場だった。そして、初出場でありながらも数々の強敵を突破し、恐るべき胆力で一月という長く険しい戦いを勝ち抜いている。初めは無名だったその名は本人の宣伝活動もあって、もはや知らぬものはいない。
「新しい時代が追いついたということかな。強敵ではある。だけどまだ負けてあげるつもりはないよ」
「手応えはどうかニャー?」
「相性は五分だし、種族等級はこちらの方がずっと上だ。後は純粋な魔物使いの実力で勝負だね」
「ニャー。王者の余裕ニャー。是非いい試合を見せてほしいニャー」
緊張もしていない、終始、非常にリラックスした物腰でアルドはインタビューを終えた。その眼に浮かんだ澄んだ水面のような色はアルドの精神に一片の乱れもないことを示している。
そして、続いてノワールがBブロックの覇者を呼んだ。
「さぁ、続いて、前回優勝者への挑戦者。Bブロックの選手に登場していただきましょう! 友魔祭への出場は初。にもかかわらず世界最強への切符を手に入れた《魔物使い》の風雲児。身長百七十五センチ、体重六十五キロ。十八歳。《魔物使い》歴四年。趣味はデータリングと図鑑観賞。詳しすぎる? いいえ、このプロフィール、第一回戦で本人が発表したものです! グラエル王国のギルドで急速に名を上げている期待の新鋭《魔物使い》、フィル・ガーデンッッッ!!!」
Bブロックの門が大きな音を立てて開く。
観客が固唾を飲んで見守るが、足音一つ、気配一つそこにはなく、何も起こらない。
「あれ? フィル・ガーデンさん?」
「ノワール、そっちじゃないニャー」
「え?」
「……犬妖精に猫妖精……あー、やっぱり可愛い……。本性、本性が見たいぞ」
いつからいたのだろうか。ノワールの後ろ、司会席に中肉中背、黒髪の青年が立っていた。
それは、吹けば飛ぶような儚げな男だった。アルドとは違い、格好は軽装、鎧も武器も、外套すらもない。アルドは線の細い儚げな美貌だったが、フィルも同じく儚げだった。
その身に秘める力が、魔力が、この濃い空気の中、今にも溶けて消えてしまいそうな程脆弱で陽炎のように儚い。
だが、目だけは違った。ギラギラ昏い欲望に輝く双眸に、ノワールが短い悲鳴を上げて一歩後ろに下がる。
ヴァイスがそれを面白そうなものでも見るかのような眼で見ていた。
「フィルは《魔物使い》っぽい《魔物使い》ニャー」
「なな、何でこんな所にいるの!?」
「さっきからいたニャー。ニャ―が連れてきたニャー。開場前からニャー達を出待ちしてたニャー」
「え……!?」
ヴァイスが尻尾をひょこひょことフィルの目の前で揺らす。フィルの視線もそれに釣られて上下に揺れる。今にも飛びかかってしまいそうな程に。それは猫じゃらしを見る猫のような眼だ。
「ようやく、ここまできた。誘われてる? いやいや、待て待て、フィル・ガーデン。落ち着くんだ。触りたい。凄い触りたいが、こんな衆人環境で女の子の尻尾に飛びついてみろ。ずっと変態の汚名を背負っていくつもりか? 落ち着くんだ、フィル・ガーデン。お前は未来ある若者だ」
「多分もう遅いニャー」
「ロワイヨムとケーニヒライヒと言ったら王の系譜じゃないか……王女様じゃないか、くっそ、ただの猫妖精と犬妖精でも十分レアなのに、王族とは完璧じゃないか……く、データを、取りたい」
「何この人……」
ノワールがげんなりとした表情で呟く。変人ばかりの《魔物使い》の中でもこれほどの奇人は記憶にない。そういう意味ではヴァイスの言う通りこれほど《魔物使い》らしい人物もいないだろう。
一言で言うと、汚いのだ。
その眼にあるのは淀みきった欲望、渇望であり、その眼は完全に獲物を狙う虎のソレだった。そしてそれは多くの《魔物使い》が大なり小なり持つものでもある。
「貴方、何でこんな人、司会席に連れてきたのよ!?」
「この人いい人ニャー。かつお節もらったニャー」
「かつお節……!?」
この猫はそこまでだらしのない奴だったのか。それじゃまるで……ただの猫じゃないか。賄賂で容易く関係者以外立ち入り禁止の席に入れるなんて、ノワールからしてみれば正気の沙汰ではない。
が、本人は尻尾でぴしぴしフィルの頭を叩いて遊んでいる。フィルがそれを血走った眼で見ている。
ノワールはヴァイスのその度胸が凄く羨ましくなった。
「ヴァイス、そろそろでてもらわないと……」
「そうだニャー……フィル、そろそろ出るニャー。優勝できるように頑張るニャー」
ヴァイスの言葉に、フィルの瞳に僅かに理性が戻った。だが、その視線はまだ自分の頭に乗せられた尻尾を追ったままだ。マイクが拾う程の歯ぎしりをして、ようやく口を開く。
「……いいだろう。勿論約束は守ってくれるんだろ?」
「約束は守るニャー。もし優勝できたら、勇者様をニャー達の部屋に招待してやるニャー」
「……は!?」
口から出てきた信じられないヴァイスの台詞。フィルが地獄の底から響き渡るような声で叫ぶ。
「……いいだろう……やってみせる。僕はやってみせるぞ。この千載一遇のチャンス、絶対にモノにしてみせる……竜だろうがなんだろうが、ダース単位で掛かってこい!」
「……き、気合は十分のようです!」
何を考えているんだこの猫。色々頭の中がぐちゃぐちゃだったが、やけくそ気味にノワールが叫ぶ。
そして次の瞬間、フィルの身体が大きく浮き上がった。
視線が注目する中、マスターの席にゆっくりと着地する。
誰一人、言葉を出さなかった。フィルは自身の登場に誰一人拍手しない周りを訝しげな表情で見渡し、首をかしげると、マイクも使っていないのに無駄によく通る声で叫ぶ。
「称賛しッ、喝采ッせよッッ! 僕が、フィル・ガーデンだッ!」
ぱちぱち、と小さな拍手があがる。いつの間にか、コロシアムの門の前に少女が立っていた。
身長はヴァイスと同じ位、新雪のような白い髪は切りそろえられ、十分に手入れされている。頭部から生えた垂れた犬耳に、眠そうとも泣きそうともぼんやりしているとも言えない宙を彷徨う視線が酷く印象的だ。ゆっくりと叩かれた拍手に、フィルの視線がそちらに向く。




