第三十話:ならば、好きにさせて貰おうか
「うわああああああああああああ、フィルさんのばかあああああああッ!!」
お、帰ってきた。
酷い風評被害な言葉を叫びながら、アムが階段を駆け上っていく。僕はそれをキッチンで聞いていた。
さすが宿屋だけあって、『小さな歯車亭』のキッチンは必要十分な設備が揃っていた。食材も豊富だ。本来、衛生的な理由もありキッチンを借りる事は難しいのだが、やはり人助けはしておくものである。
「フィルさん、料理なんてやっていたんだねえ……」
「良質な餌はスレイブを強くするのに欠かせませんからね。種族によっても変わりますし……」
調理魔術師という職が存在するのはそのためだ。僕の腕前は本職には劣るが、そこは愛情でカバーする。
長いこと料理の役目はスレイブ達に取られていたので、久しぶりに腕が鳴る。
「餌……? その瓶は、なんだい……?」
「秘伝の隠し味です」
「隠し……味? 錠剤に見えるけどねえ」
アムじゃないので心配はいらないと思うが、一応言っておく。
「一応言っておきますが……間違っても純人は食べては駄目ですよ。死にますから」
「!?」
だが、アムは死なない。投与量を間違えなければ、逆に強くなる。
昨日の昼間に買ってきた、アムが正体を聞いてきた瓶の一つ。『アルファトン』は魂脈活性剤とも呼ばれる、全身の魂脈を一時的に活性化させて生成させる魂素の量を上げる薬である。
魂素というのは霊体種の活動能力を決めるエネルギーであり、この生成量の増加は純粋に能力の上昇を意味するのだ。簡単に言うとドーピングだが、適量投与し続ける事により通常時の魂脈の機能を強化する事ができる。霊体種以外に投与するのは危険なので避けたほうが良い。
霊体種は筋トレなどで身体能力が上がらない。基礎能力の向上にはメンタルケアや魂の吸収などが必要だが、手っ取り早く大幅に能力を上げるならば薬によるドーピングが一番だ。
そのために大金を叩いて薬を買い込んだのだし、アムのチェックもやった。《魔物使い》の間でも一般的な行為ではないが、既に悪性霊体種への臨床実験はアリスで済ませている。
それに、アルファトンは比較的危険が少ないのである程度適当に投与しても問題ない。その反応で他の薬の投与を決めるのだ。
そして何より、熱しても性質が変わらないところが最高にイカしてる。
皆が強くなるために最善を尽くしている。それを超えるにはそれ以上の最善が必要になる。
英雄に至るためにはあらゆる努力が必要になるのだ。ここに《魔物使い》のスキルを一匙加えるのが最善。
『奈落の食鬼の晩餐』
「くくく……ははははは………………」
「そ、そう。それじゃあ、私は外に出ているから――」
すりこぎ棒で錠剤を粉々に砕き、鍋の中に丁寧に投入する。食事の効能を強化するスキルを使い、笑顔で愛情たっぷりの料理を作っていると、アネットさんが気を利かせて外に出ていってくれた。
§
キッチンを出て階段を上ろうとしたところで、アムとばったり出くわした。
僕を見るなり、体全体で不満を表しながら大声を上げてくる。
「フィルさんッ!! 何起きてるんですかッ!」
「ごめんごめん……怒ってる?」
何度か起こされたのは覚えている。
「怒ってますッ!」
「どうしたら許してくれる?」
「え!? え……ええっと……」
予想外の事を言われるとアムはすぐに目を白黒させる。
可愛いなぁ。
「も、もう、夕方ですよ、夕方ッ! どれだけ寝てるんですかッ!」
「いやぁ……眠くて眠くて……ここまで酷くはなかったはずなんだけど」
もともと僕は低血圧で、あまり寝起きが良くない方だ。だが、ここ数日の寝起きの悪さは自分でも驚くほどである。
時間がないのはわかっているが、体調が悪い状態では頭がうまく働かない。
「手紙、届けてくれた?」
「はい。これ、返事です。そ、それで、その話なんですが…………」
「その話なんですが?」
アムが急に黙り込む。しばらく僕をじっと見ていたが、頬を染め、小さな声で言った。
「…………なんでも、ないです」
さては、この子、勝手に依頼を受けようとしたな? 止めておいて正解である。
今のアムならばD等級討伐依頼程度ならば問題なく可能だろうが、この手のスレイブはマスターにいいところを見せようとするきらいがあるので一人で動くことを許可するのは尚早だ。
万が一、調子に乗った挙げ句負けてしまったらようやく整えた精神状態にヒビが入りかねない。
「ほら、機嫌直して。今日の夕飯は僕が作ったんだ」
「え!? フィルさん、料理できるんですか!?」
失礼な。料理は《魔物使い》の必須技能だ、僕ができないわけがない。
《調理魔術師》の友人に教えを受けたことすらあるのだ。あいにく純人は職を一つしか持てないので職を変えるわけにもいかず、スキルを得ることはできなかったが、その技術を見ることはできた。
「期待していいよ。少し自信がある」
「わー、楽しみです!」
すっかり機嫌がよくなるアム。感情表現が素直な点はとても好感が持てる。
「ノートを持ってくるから、食堂に行っててくれるかな?」
「わかりました! …………ノート?」
最初の投与なのだ。アリスで臨床試験は終えているとはいえ、アリスとアムでは存在強度が違いすぎる。結果は全て次に活かさねばならない。
食堂に戻ると、アムの他にもリンと広谷が揃っていた。
「ちょうどいい。多めに作ったから、リン達も食べるといい」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「リンは料理できないからな」
広谷がぼそりといい、リンに叩かれている。宿屋の娘なのに料理できないのか……まぁ、《魔物使い》の料理と一般向け料理はそもそも違うのだが、出来るに越した事はない。
「リンも覚えておいた方がいいよ。マスターの愛情たっぷりの料理程、スレイブの力を高めるものはない。食事も訓練の一つなんだ」
「やっぱり……違うんですか?」
「違うね。まぁ、広谷は有機生命種だからそこまで急激な成長は見込めないけどね。有機生命種は上がりにくく下がりにくいのが売りだし」
「?? なるほど……?」
今日作ったメニューはシチューだった。
アルファトンは独特の苦味があるらしいが、煮込めばわからなくなるので、煮込み料理は僕の得意料理である。別に投与を隠しているわけではないが、美味しいものを食べた方が気分が良くなるに決まっているので、味がわからないに越したことはない。
当然、アムと僕たちの食べるシチューの鍋はわけてある。僕たちの分には薬は入っていない。
アルファトンの効果は魂に作用するので、肉体的に頑丈な広谷でもアムと同じ物はきついだろう。
注意深く深皿に分ける。アムはにこにこしながらスプーンで口に運び、一口目で目を見開いた。
「!? ?? お……美味しい……なんですか!? これ。こんな美味しいシチュー、初めてです」
「愛情たっぷりだからね」
「美味しい……美味しい……」
アムが目に涙を浮かべながらぱくぱく食べる。そこまで喜んで貰ってマスター冥利に尽きるな。
随分信頼されているようだ。僕の料理の腕はそこそこ止まりだが、霊体種は何かと感情で反応が変化するので、こういう事がままある。
「確かに、美味しいです……」
「うむ……」
現に、アムの反応に、リンと広谷はどこか訝しげな表情をしている。まぁ、そうなるよね。
続いて、アムがちょっと気が進まなさそうにサラダを手にする。粉チーズに混ぜる形でアルファトンがかかった特製サラダだ。一口食べた瞬間に、目を丸くした。
「美味……しい?」
この子、本当にろくなもん食べてなかったんだな。サラダなんて食材さえ同じなら誰が作っても大差ないだろう。アムは大満足のようだが、僕が注意していたのはアムの反応だった。
魂脈の活性の影響は表にも出てくる。アムの白い肌が徐々にほてり、顔に赤みが差していく。
アムの変化に気づいたリンが目を見開いた。
「アム、顔が赤いけど、どうしたの?」
「へ……? そう言えば……この部屋、少し暑い?」
霊体種は風邪なんて引かない。アムが今気づいたように額に触れる。どうやら少し汗をかいているようだ。脈拍を確認すればいつもより速い事だろう。僕はノートを取り出し、アムに確認した。
「アム、体調は大丈夫?」
「え……は、はい」
「痛いところとかない?」
「えっと……特には……」
ふむ……後で体温や血液含めて身体検査をしなくてはならないが、この分だと問題ないだろう。
「よし。分量ばっちりだな」
「???? 何の話――」
そこで、アムがふと黙り込む。顔の赤みがさらに強くなり、心臓を押さえ、激しく呼吸をし始める。
「???? あ、あれ……?」
「アム、それ以上は食べない方がいいな。形が保てなくなるかもしれない」
「!? ?? も、もしかして、何か、入れました?」
「うん、食事も訓練の一つだって言っただろ?」
「ふぇ!?」
アムが混乱している。勝手に反応する肉体に戸惑っているのだろう。霊体種は肉体が精神でできているため思考通りに身体が動く傾向にあり、予想外の肉体反応に慣れていない事が多い。
アムがスプーンを取り落とす。その場に立とうとして膝が砕ける。
「……ちょっと反応が強すぎるな」
アリスを基準にしているので今回は少なめに投与したのだが、それでもアムには強すぎたらしい。
「!? フィルさん!? アムが……え?」
「リン、こういう時は慌てちゃダメだ。大丈夫、このくらい想定の範囲内だ。最初はこんなもんだよ」
慌てているリンを置いて、僕はアムの前に出ていた皿をキッチンに持っていった。
アムがどれくらい食べたのか――どのくらいアルファトンを摂取しているのかはわかっているので、後はこのデータを元に調整していけばいい。
皿はきちんと洗う。アム用のシチュー鍋には劇物注意の紙を張っておく。そこまで大きく許容を越えていたわけではなさそうだし、また明日食べさせよう。
明日は今日よりも慣れているはずだ。
食堂に戻ると、僕はりんごのように顔を真っ赤にしてうずくまっているアムに言った。
「アム、触れるよ。『ライフドレイン』を切るんだ」
「??? な、なんでぇ、こんな酷い事してぇ、そんなに、悪気ない顔、できるんですかぁ?」
決まっている。僕は一部の隙もなくアムのために最善を尽くしている自信があるからだ。
「大きく深呼吸をして。魂を制御するんだ。部屋に戻ったら身体検査して一晩寝れば落ち着くよ」
肩を貸すようにして、アムを持ち上げる。金属布を通して伝わってくる体温は純人では考えられない程度に熱い。僕は思わず笑顔になった。
「お、魂脈が活性状態なだけあって体重も増えているな。パーフェクトだ」
と言っても、生命種と比べたらずっと軽いのだが――。
アムが身を完全に預けながら、目に涙を浮かべて息も絶え絶えに言った。
「もう、好きにしてください」
ならば、好きにさせて貰おうか。




