第二十六話:いや、全裸
「……え?」
アムは目を見開き、ぽかんとした表情をした。
しかし数秒経つと僕の指示が理解できたのか、徐々にその頬に赤みが差していく。
「そそそ、それは…………下着姿になれって、事ですか?」
「いや、全裸。正確なデータを取るにはノイズはなるべく減らす必要があってね」
「!?」
「あはははは、皆嫌がるんだよねえ。そりゃノイズは微々たる量だけどない方がいいに決まってる」
「ななななな……え!?」
アムが激しく混乱している。大丈夫、怖くないよ。
「スレイブが獣型だと拒否されないらしいんだけど、人型だとなまじ姿形が似ているからさ。アムが賭けとか言い出してくれて助かったよ」
「!? !??」
「本当は出会った直後にデータを取りたかったんだけど、初対面で服を脱げなんて言われたら信頼が築けないだろ? 『妥協』したんだよ」
全く面倒臭い。そもそも、僕はスレイブの裸身に興奮するような変態ではない。スレイブが純人ならばともかく、アムは形がちょっと似ているだけで有機生命種ですらないのだ。
通常時の状態を確認しないと異常が発生した時に気づかないし、体重と身長、諸々のサイズを計測しておくことで成長を数値で知ることができる。これは大きい。
さっき買ったメジャーの帯を引き出し使い心地を確認する僕に、アムがぷるぷる震えながら言った。顔が耳まで真っ赤に染まっている。
「フィルさん……い、嫌、です。許して、ください」
「え? いいって言ったじゃん」
「だって、あの時は、データを取るとしか……」
それは話を聞かないアムが悪い。もちろん、正面から頼んでも無理かなーと思ったので賭けにしたというのはある。
困ったな……ため息をついて言う。
「でも、アム。君は禁則事項なしの契約だから僕が命令すれば勝手に脱ぎ始めてデータを測りやすいよう直立不動の体勢を取るよ」
「!? それは……わ、私、禁則事項、なし、やめた方が、よかった……かも……」
焦り、そろそろと後ろに下がるアム。ようやく禁則事項なしの恐ろしさを理解してくれたか。
だが、後ろに下がっても、命令は紋章を通しているので無駄だ。たとえ耳を塞いだって通じる。
「どうして嫌なの?」
「どうして!? どうしてって言った!? は、恥ずかしい、から、ですッ! おかしいですか!?」
やれやれ、アムも形に囚われているのか。嫌がる事を命令するつもりはないが、かなり困る。
他種だよ? 服を着ていない犬を見て恥ずかしいと思うかね?
そりゃ形は似ているわけだし一定の理解は示すが、データを取れないのはとても困る。データリングは僕の趣味でもあるんだよ。
「わかった、わかったよ、しっかり目隠しする。それでいいんだろ?」
「え……? 目隠し、ですか?」
アムが困惑したように指先をいじる。まだ顔は赤いが、目隠しするなら許容範囲らしい。
「それなら……で、でも、目隠しした状態でどうやってデータを取るんです?」
「いや、目隠しするのは僕じゃなくてアムだから。視界が真っ暗なら恥ずかしくないだろ?」
目隠し分のノイズは発生するが、まあやむを得まい。アムのためだ。
「!? な、なんですか!? その発想! 頭おかしいんじゃないですか!?」
アムの拒否反応がすごい。やはりいくら信頼を稼いでいるとはいえ、出会って三日はさすがに尚早だったのか……? 僕がデータリングをするのは初めてではないが、アムは違うのだ。
「見られるだけだったとしても、無理ですッ! 恥ずかしすぎて、死にます」
「見るだけ……? いや、触るけど」
「みゃ!???」
徹底的にデータを取ると言っているのに、どうして触らないと思っているのか。触るだけでなく色々やるよ。採血だってするよ。
「学術的なデータ測定だ。恥ずかしがる必要はない。医療行為みたいなものだ」
「恥ずかしがりますよッ! よく、フィルさんの元のスレイブは、受け入れましたねッ!」
「元じゃないけど……いや、受け入れられなくてね。すごく苦労した」
いつも素直に命令に従ういい子だったのに、データを取るだけで大暴れには意表を突かれたし、いつも手を焼く。
データを取るのが一番大変って、どういう事……。
「!? フィルさんの、悪気のなさには、びっくりですッ!」
「でも、何をどうしても写真を撮る事だけは許してくれないんだよ。なんでだろう」
「当然です!」
「写真がないと、《魔物使い》仲間にデータを見せる時に説明しづらい」
「!? まさか、誰かに見せるつもりですか!?」
そりゃそうだ。僕のデータリングは趣味と実益を兼ねている。僕の取ったデータが後世の《魔物使い》の役に立ったら、これほど喜ばしい事はない。
だが、どうやら今回も妥協しなくてはいけないようだ。
賭け云々はともかくとして、無理にデータリングを強要して嫌われてしまえば本末転倒である。
どうやったら彼女たちは、僕が邪な思いを持っていない事を理解してくれるのだろうか。《魔物使い》になってそれなりに経つが、この説得方法だけはいつまでたっても答えが出ない。
「仕方ない、今日は初めてだし、服を着たままで妥協しよう」
「妥協って、なんですかッ! 私、女の子なんですよ!? ちゃんとわかってます!?」
「ああ、わかってるよ」
夜魔の雌だ。
「悪かった。拒否される事は予想できていたけど、でも、もしかしたら気にしないかなーって思ったんだ。採血するけど、それは問題ないよね?」
採血が苦手なスレイブもいると聞く。血が苦手なのに《魔物使い》と契約するなんて意味がわからないのだが、世の中には不条理な事が多いものだ。
僕の問いに、アムは目を瞬かせて、今度は素直に頷いた。
「はい。血くらいだったら……まぁ」
身体を傷つけられるのは大丈夫なのに服を脱ぐのは駄目、か。本当にアムの心はよくわからない。
§ § §
扉の前で、リン・ヴァーレンは大きく深呼吸をした。
《魔物使い》にはマスターとしての態度が求められる。いかなる時でも表向きは堂々としていなければいけない。だが、今のリンには自分がマスターたる態度を取れているのかわからなかった。
だが、それは後ろに立つ広谷も同じだ。いつも勇猛果敢な鬼人の侍が今は強張った表情をしている。
広谷の姿は、昨晩までとは明らかに変わっていた。狂気に打ち勝った事で表情が落ち着いている点もそうだが、二メートルを優に超えていた巨体は明らかに一回り縮んでいる。
それは、術式が定着した証だった。肉体は小さくなっているが体重は変わっていない。むしろ筋肉は圧縮され、引き締まっている。
契約をし直し、信頼を取り戻した事でリンのスキルも通りやすくなったその鬼人は昨日よりも間違いなく強かった。
今の広谷は、最初に出会った時の理性をとりもどしている。修練を積み強靭な肉体と理性を併せ持った鬼人の侍だ。『邪鬼のオーラ』も漏れていない。
契約の結び直しはスムーズに行われた。失敗を経験したからこそ得られた物もある。もともと、《魔物使い》の契約魔法は相互の信頼と最低限の魔力さえあれば失敗のしようがないものだ。
皮肉にも、アムを見返そうとしたリンの当初の思惑はここにきてようやく完遂したのである。
広谷が無闇に力を振るう事もなくなったおかげで、こうして実家にも帰れるようになった。この事が探求者達に知れ渡れば、離れていった客も戻ってくるだろう。
リンが戻ってきたのは、昨晩はさっさと去ってしまった恩人にしっかりお礼を言うためだった。
「リン、さっさとノックしないか」
「わ、わかってるわよ」
言葉だけで広谷の狂気を吹き飛ばした手腕は卓越していた。あの人間不信気味なアムがしっかりなついていた。
そして、あの時言っていた――元SSS等級探求者という言葉。
探求者等級の最上はL等級だが、それには尋常ではない功績を立てなければならない。一つ下のSSS等級探求者は探求者の中では実質的な頂点と言われており、純人でそこに立ったものは僅かだ。
大丈夫、今日、来たのはただお礼を言うため。緊張する必要なんてない。
覚悟を決めて、扉を叩く。声を上げかけたその時、扉が思い切り開いた。
「フィルさんの、馬鹿ッ! 変態ッ! 触らないって言ったのに、嘘つきッ!」
飛び出したのは顔を真っ赤にしたアムだった。昨日見た姿より少し薄着で、涙目で罵倒している。
「触らないなんて言ってないッ! 服は着てていいよって言ったんだッ! 採血とかするってちゃんと言っただろッ!」
「とか!? とかって、なんですかッ! 完全に騙そうとしてるじゃないですかッ! フィルさんの、ばかああああッ!」
振り向き駆け出そうとしたアムが、広谷を見て凍りつく。だが、驚いたのはリン達も同じだ。
驚いていないのは一人だけだった。やけに通りのいい声で命令する。
「広谷、アムを捕まえろッ! 絶対に逃すなッ!」
「!?」
予想外の言葉に、常に動じない広谷が混乱している。だが、命令は不要だった。アムはそのまま更に逃げたのだ。リンですら見たことのない速度で反転し、マスターの後ろにしがみつくように隠れる。
どうやら、突然現れた広谷が怖かったらしい。ただ唖然とする事しかできなかったリンに、フィルはどこかバツが悪そうに言った。
「おかしなところを見せてしまい、お恥ずかしい」
「フィルさん、それは謙遜で言うべき言葉であって本当に恥ずかしい時に言うべきでは――」
背中にしがみつき必死な声で言うアムに、そのマスターは我が意を得たりとばかりに、微笑んだ。
「もちろん謙遜で言ってるんだよ」




