第十七話:落ち着いたら君にはお説教だ
まぁ、こんなものか。アムの告白を聞き、僕が抱いた感想はただそれだけだった。
アムの話した内容はありふれたものだった。アムにとっては一世一代の告白なのだろうが、似たような事例はいくらでもある。《魔物使い》はあらゆる種と絆を結ぶ難しい職なのだ。
スレイブを連れていない魔物使い。間違いなく半人前だ。契約したスレイブの数が多くなればなるほど円滑に関係を築くのが難しくなる都合上、《魔物使い》の中にはより強いスレイブと契約できるまでは普通の探求者として行動するものもいる。そのリンという探求者はその類だろう。
しかし、一人目のスレイブの相手に相性の悪い『悪性霊体種』を選ぶとは、冒険しすぎであった。
僕には、リンの抱いた恐怖もわかるし、それに絶望したアムの気持ちもわかる。どちらが悪いというわけではなく、組み合わせが悪かった。だが、まあ十分取り返しのつくトラブルだ。
何しろ、死人が出ていない。ライフドレインの制御を誤ったのはアムの大ミスだが、それを受け止めてやれなかったのはリンの度量の問題だ。リンとやらには文句の一つも言いたい気分だが、同種だし同職だし、《魔物使い》の先輩として大目に見るべきだろう。
重要なのはアムの意志である。
彼女は黙って僕を『小さな歯車亭』に向かわせようとした。それは僕を舐めきった行為だが、彼女には、意志があるはずだ。
逃げてもいいが、決定を後回しにしてはいけない。
アムはしばらく沈黙していたが、上目遣いで僕を見上げると、恐る恐る言った。
「…………仲直り、できますかね?」
ふむ……それがアムの意志か。ならば、是非もない。契約前のトラブルを円満に解決するのもマスターの仕事だ。この人間不信なスレイブの手助けをしてやろうじゃないか。
もしかしたらこれを機にアムがリンのスレイブに戻ろうとするかもしれないが、それはそれで仕方のない事だ。
ハンカチを取り出し涙で汚れた上着を拭くと、アムの曲がった背中を力いっぱい叩いて言った。
「できるさ。少し勇気を出せば簡単な事だ」
スレイブのミスはマスターのミスだ。リンがまともな《魔物使い》なら、頭も冷えている事だろう。
僕にはどうしてこじれているのかわからない。
「あ、まだ、心の準備が……」
往生際の悪いアムの手を引き、扉を開ける。
冷たい空気が頬に触れる。『小さな歯車亭』は寂れていた。立地も微妙で店構えに特筆すべき点がない事から流行っていない事はわかっていたが、客の姿が一人も見えないというのはちょっと凄い。
僕を盾にして入って来たダメダメなアムに尋ねる。
「客がいないな」
「ほ、本当ですね。昔はもうちょっといたはずなんですが……」
小さなロビーはよく掃除されていて、観葉植物と見るからに安物の小さな絵が飾ってある。
「…………」
天井を見上げる。観葉植物の裏を確認する。掛けてあった小さな絵を持ち上げ、その裏を確認する。
アムが目を瞬かせる。先程まで赤く腫れていた眼はもう元に戻っていた。
「どうかしたんですか?」
これは…………トラブルの匂いがするな。
さて、どうしたものか……だが、ここまで来たら逃げる事はできない。
アムの種族等級はかなり高い。故郷の王国でも上位十%には入っている。吐き出す事を吐き出し負い目が大体消えた今の精神状態ならばまあまあ戦えるだろう。昨日からの僕は随分働き者だな。
「いらっしゃい! 『小さな歯車亭』へ。おや――」
カウンターの向こうからエプロンをした恰幅のいい女性が現れる。先程外から見かけた人だ。
格好からして店員――アムの反応からして、リンの母親だろう。アムを見て笑みを浮かべている。
アムは僕の背後に隠れて、小さな声で言った。
「リンのお母さんの、アネットさんです」
どうでもいいが、友人の母親に対する態度ではない。社交性が足りなすぎる。最初に僕と顔をあわせた時はちゃんと会話できていたし、どうやらアムは……知らない人には素を出せる性格らしいな。
「初めまして、アネットさん。僕は《魔物使い》のフィル・ガーデン、遠い国から、最近この街にやってきました。今はアムのマスターをしています」
アネットさんが目を丸くするが、すぐに人好きのする笑みを浮かべた。やはり、同種だ。
純人は笑顔が得意だ。笑顔が苦手だと生き延びるのが難しいから、そういう進化をしてきた。
「これはこれは、ご丁寧に、フィルさん。アネット・ヴァーレン、この店の店長をしているよ。しかし、アムちゃん、最近顔を見なかったけど、久しぶりだねえ」
「は、はい……ご無沙汰、しています」
アネットさんは娘が《魔物使い》をしている事を知らないのか? そんなわけがない。
娘がアムをスレイブにしていた事を知らなかったのか? そんなわけがない。
全て知っているが、口には出していないのだ。さすがこの年齢まで生き延びただけあって、立ち回りを弁えている。
アムに偏見の眼も向けていない。これならば、良い付き合いができるだろう。
「どうも、アムとリンさんは喧嘩をしたらしい。仲直りに来ました。一度の喧嘩でせっかく結んだ縁が切れる程勿体ない事はない」
「あらあら、そうだったの。確かにリンの態度がおかしいとは思っていたけど……ねぇ」
「だが、まずは二人部屋を一つ借りたい。空きはありますか?」
客がいないから空きがないわけがない。だが、アネットさんは申し訳無さそうに眉を寄せた。
「悪いけど、今は部屋貸しはやっていないんだよ。食堂だけはやってるんだけどね」
知らなかったのか、アムが目を見開く。
「え? やってないんですか?」
「ああ、ごめんね。アムちゃんを嫌っているわけじゃないんだ。見ての通り、客がいないだろう?」
客足がないのは断っているからか。宿屋としては致命的だ。
だが、正しい。アネットさんは誠実だ。嘘をつく事が純人にとってどれだけ致命的か知っている。
「ごめんなさい、フィルさん……私、知らなくて――」
そこで、僕はカウンターに身を乗り出した。
「アネットさん、僕たちは助け合えると思いませんか?」
じっとそのブラウンの眼を見る。アネットさんは目を僅かに見開いた。
純人は珍しい。そして、純人は互いに助け合う事を信条としている。少なくとも、僕はそういう教育を受けてきた。弱者は助け合わねば生きていけない。
「面白い事を言う。フィルさんは、何をして欲しいんだい?」
「格安で部屋を貸して欲しい。アムとリンさんがちゃんと仲直りできているか、余裕がある時に見て欲しい。あらゆる便宜を図ってほしい。情報がほしい。それから……キッチンを貸してください」
アムがあたふたしている。アネットさんは一瞬思案げな表情をしたが、ただ一言、確認した。
「見返りは?」
「貴方の陥っているトラブルを解決しましょう。僕は《魔物使い》で、探求者としてそれなりに経験も積んでいる。礼はいりません。助け合うのは当然だと思いませんか? 僕は――純人です」
僕の言葉に、アネットさんが目を見開く。矛盾はしていない。同族を助けるのに理由はいらない。
まぁ仮に同族じゃなくても、僕はそうしない理由がない限りは貸しを作るようにしているが。
「なるほど……自信があるのか。頼りになりそうだ。でもねえ――」
「アネットさん、観葉植物や絵で隠すには限界がある」
そこまで言って、ようやくアネットさんの表情が変わった。彼女の流儀に踏み入るのは問題だが、助けを求めるのは別に恥ずかしい事ではないし、こちらにも事情がある。
諦めたような笑みを浮かべ。アネットさんはため息をついた。
「なるほど…………悪くない。お願いしようかね」
「いつ戻ってきますか?」
「今日か明日か明後日か――わからない。だけど、一週間は空けないはずさ」
なるほど。面倒事はできるだけ早く終わらせたいが、期間が空けば準備もできる。
まだ状況がよくわかっていないアムを置き去りにして、アネットさんは一束、鍵を取り出すと、カウンターに置いた。それまで黙り込んでいたアムに言う。
「アムちゃん、いいマスターを見つけたじゃないか。でも、もしよければリンともまた仲良くしてやっておくれ。あの子も後悔していた。口には出していなかったが、考えている事くらいわかるさ」
§ § §
アネットさんが案内してくれた部屋は、二階の日当たりのいい一室だった。長期滞在用なのか、部屋は三つあり、リビングと空き部屋、寝室にわかれていて、寝室にはベッドも二つ置いてある。
キッチンがないのは食堂があるからだろう。この宿の部屋の中ではかなり上等な部屋なはずだ。
清掃はきちんとされていたが、前の住人は薬師だったのか、仄かに薬草の香りがする。
「アムもここに泊まってたの?」
「……いえ。リンが、自立のために他の宿に泊まった方がいいって――」
自立のため、か。どうやらアムの前マスターは背伸びをする癖があったらしい。
僕は部屋を軽く確認すると、久方ぶりにベッドに身を横たえた。肉体が休んでいいと誤認したのか、抗いがたい疲労と眠気が全身を襲うが、まだ駄目だ。
まずシャワーを浴びたいし、計画も立てねばならない。洗濯はアネットさんに頼めばいいだろう。
部屋の中をそわそわ確認していたアムが聞いてくる。
「フィルさん……聞いていいですか?」
「駄目」
「どうして……アネットさんは部屋を貸してくれたんでしょう?」
仕方ないので身体を起こす。大きく欠伸をして、状況が全くわかっていないアムに言った。
「アム、交渉のコツは本質を見極める事だ」
「本質……?」
「アネットさんが部屋を貸してくれないって言ったのは、何故だと思う?」
「え…………?」
アムが眼を丸くする。どうやらアムには深く考える癖をつける必要があるようだ。
「アム、アネットさんが部屋貸しをやめたのは――この宿が今、トラブルを抱えているからだ」
噂はすぐに広まる。アネットさんが客を断る事にしたのは紛れもなく英断だった。
純人から信頼を抜いたら何も残らない。彼女は一番大切なものをよく知っている。
さり気なく置かれた観葉植物の影。絵の裏。天井。そこにあったのは――真新しい傷だ。大きな刃物で勢いよくつけられた跡だ。アネットさんではそんな傷つけられないから、間違いなく外因である。
「そして、僕はそれらを気にしないと言った。だから、アネットさんは部屋を貸してくれたんだ」
アムがぽかんとしている。もっと言うと、アネットさんは平然としていたがきっと困っていたのだろう。
蓄えがどれだけあるのかは知らないが、客足が遠のけば信頼は守れても生活はできない。
「え? ええ? 気にしない? なんで気にしないんですか?」
「アム、ちょっとこっちにおいで」
「はい……?」
アムが不思議そうな表情で近寄ってくる。僕は大きく欠伸をすると、その頭に手刀を落とした。
「!? 何するんですか!?」
「ちょっとは考えろ。僕は答えだけ教えるつもりはないよ。そして、落ち着いたら君にはお説教だ」
「!? !?」
「僕があそこまでチャンスをあげたのに、嘘をついた罰だよ」
締めるところは締めないと示しがつかないし、アムのためにもならない。
まさか許されたと思っていたのか、激しく混乱しているアムに問いかける。
「じゃあアム、考えてみなよ。アネットさんが抱えているトラブルは何だと思う? それは、金属製の建物に大きく傷をつけ、部屋を借りる客に迷惑がかかる類のものだ」
「えっと…………借金、ですか? 厄介な金貸しに目をつけられているとか――」
「面白い視点だ。でも違うな。アネットさんの表情には陰がなかった。借金ならああはならない」
「……じゃあ、犯罪者に目をつけられている、とか」
「それなら手っ取り早く憲兵にでも通報すればいいだけだ。でも、アネットさんはそうはせず、あまつさえ傷跡を隠しさえした」
ヒントはいくらでも転がっている。アムはうんうん唸っているが、何かとずるい子なので本当に考えているのかは、かなり怪しい。
「そして、アム。僕は便宜を図ってもらう条件として、トラブルの解決を約束した」
「それって……フィルさんで解決できるようなトラブルって事ですか?」
「少なくとも、アネットさんはそう判断したって事だね」
ついでに言うのならば、僕が言い出すまでアネットさんは僕に頼むという事を考えていなかった。
アネットさんはかなり分別がついていて、頭の回転が早い。だが、ここまで言ってもアムにはまだ理解できていないようだ。僕は最後のヒントをあげた。
「アム、アムはリンとの契約を破棄して、困った状態に陥った」
「はい……」
「じゃあ逆に――スレイブを失ったリンはどうなったと思う?」
「え……?」
アムは自分の事以外を考える余裕がなかった。だから、今まで気づかなかったのだろう。
アムとリンはもともと二人でパーティを組んでいた。スレイブはマスターの剣だ。
契約が解消されて困るのはリンも一緒――いや、戦闘能力がないリンの方がずっと困っただろう。
「アム、君は――別れた後のリンの動向を調べた事があったか?」
僕が言っている事をようやく理解したのか、アムの顔からみるみる血の気が引いていく。
きっと、ないだろう。アムはずるい子だ。嘘はつくし、逃げたい時は躊躇いなく逃げる。僕は徹頭徹尾スレイブの味方だが、そんな僕から見てもアムはもうちょっとどうにかならないのかと思う。
そして、アムが呆然とした表情で呟いた。
「新しい………………スレイブ?」
「よくできました。そして、それはうまくいってない」




