第五十一話:エヴァー・ブラスト
「…………それ、で?」
カイエンが震える声で尋ねてくる。三メートル近い体躯。押しつぶされるような威圧感に、ただそれだけで身体が悲鳴を上げていた。
このプレッシャー、戦士として間違いなく高みにある。ランド・グローリーよりも恐らく――上。
そして、その力は現役を退いた今も全く衰えていない。
僕はにっこりと微笑むと、カイエンが望んでいるであろう言葉を言った。
「パスワードの紙は処分した。後はお前を処分すれば計画は失敗だ。僕はお前を――殺しにきたんだよ」
カイエンは黙って言葉を聞いていた。だが、その目つきには剣呑な光が宿り、額に皺が寄っている。震える身体は、何かを堪えているようにも見えた。
押し殺したような声でカイエンが言う。
「くだら、ねえ、全てが……全てが、ただの、邪推だ。見当違いだと、言ったら?」
「言わないだろ、キング。手が、震えているよ」
――僕には何も見えなかった。
瞬間、轟音が世界を揺らし、目の前に立っていたアリスが床の染みとなる。
カイエンが、酒瓶を振り下ろしていた。肉体が上気し、白い靄を生み出している。
カイエンが震えていた。まるで溶鉱炉が稼働でもしているかのような――迸るようなエネルギー。
ゆっくりと、その腕を持ち上げ、背筋を伸ばす。
ただでさえ巨大な肉体が一回り大きくなったような錯覚を受ける。カイエンが身を震わせ、笑った。
「ふー、ふー、ふー、ふっ……ふふふ、はは、ははは…………はははははははははッ! まさか、まさか、このような時が、来ようとは…………期待――以上。期待以上だ、実に――好みだ、フィル・ガーデンッ!!」
アリスが元に戻る。浮かんだしかめっ面が相手の強さを裏付けていた。かつてL等級討伐依頼対象だったアリスにこんな顔をさせるなんて余程の強者か狂者しかいない。
だが、全て想定済みだ。だから、マクネスを逃したのだ。
一対二だったら恐らく、負ける。そういうレベルの相手。
ようやく我を取り戻したおまけのアムが剣を抜き、頼りない動きで僕の隣につく。敵として、せめて悠然と、宣戦布告する。
「カイエン、お前は殺す。マクネスさんのように逃したりはしない。僕のために、そしてこの街のために、死んでもらう。肉片の一欠片も残さない」
「退屈過ぎて、死にそうになっていた、ところだ! 安心しろ、フィル・ガーデン――マクネスは、パスは知らんッ! あのパスワードは――我が一族の遺産だからなッ! マクネスは、俺が引き入れただけよッ! 《機械魔術師》というのは、どいつもこいつも、知識に飢えているからなッ! 俺を殺せば――お前の勝ちだッ!」
その表情はまるで獣だった。否――先程までのどこか億劫そうな動きこそがブラフだ。
その在り方は、まさしく僕がこれまで出会ってきた魔王そのものだった。アリスの能力を知りつつ、僕の等級を知りつつ、彼らは強く、賢く、勇猛で、安易に逃げたりはしない。
これがレイブンシティでの――最後の戦いになるだろう。
カイエンが酒瓶をとんとんと手の平の上で確かめる。先程の攻撃、その仕草から職を予想する。
この男――《破壊者》だ。近接戦闘系上級職、ランドさんと同じ――いや、恐らく彼がオリジナルだ、練度が違う。
ランドさんは靭やかな身のこなしを誇っていたが、本来の《破壊者》は回避など考えない。
エルが職を持っていたのはランドさんから見せてもらったのではなく、カイエンから見せてもらったものだったのか。それを、ランドさんに与えた。以前、アムにした推理はどうやら……間違えていたようだな。
そして、そうなると《機械魔術師》を引き入れた方法も――《破壊者》にはおあつらえ向きなスキルがある。
精神的障壁を破壊するスキルだ。確かに、惚れ薬では少し弱いかなとも思っていた。
「『精神破砕』か。二つも外してしまうとは、焼きが回ったかな?」
「くく…………間違いじゃ、ねぇッ! ポーションも、確かに、使ったからなぁ! マクネスはそういうのが、好きだったなぁ……これは正統な、復讐だ!」
「よく言うぜ。生きてる事は知ってるくせに――」
カイエンが懐から液晶のついた魔導機械を取り出す。旧式の通信機のようだ。
それをカウンターの上に置くと、食物を前にした飢えた餓鬼のような眼差しで言う。
「これが、神への――通信機だ。もっとも、通信機自体は大したものじゃねえが、パスワードを登録してる。くく……これが、最後の一つだ。マクネスは、いつもこれを欲しがってた。だが、無駄だ。俺は、あいつが俺を倒せたらやると言ったが――あいつのスレイブはずっと、ナンバー2だった。そもそも、マクネスは、英雄の器じゃない。あの男には――」
「戦意が足りない」
カイエンが深い笑みを浮かべると同時に、踏み込んだ。大砲のような音と共に、金属製の床にくっきりと足跡が残る。
一歩下がるアリスに振り下ろした酒瓶が掠る。それだけで――アリスが死んだ。
身体が破裂し、血が撒き散らされ、頭が吹き飛ぶ。
《破壊者》の力は使用者が粗野であればあるほど上昇する。本来、その職に最も適した武器である斧や槌を使わずこれとは、想像以上の力だ。アムは出せそうにないな。
カイエンは弱い僕を狙わず、アムを狙わず、アリスだけを狙っていた。
彼は戦闘狂だ。殺戮の欲求に酔っている。戦いたくて戦いたくて仕方ないのだ。
下手をすればこの計画に関わっているのも、強い探求者を呼び出し戦うためである可能性すらある。最初に楽園を造った時の目的はそんな事ではなかったろうに、歪んだか。
経験上、こういう手合いが一番厄介だ。
この男――戦闘者としての天稟が見える。恐らくほとんど負けたことがないのだろう。
「さぁさぁさぁッ! 無数の命を操るという力を、それが尽きる瞬間を、見せてみろッ! 運命的な出会いを、果たしたんだッ!」
即座に復活したアリスが白銀の弾丸を連続で放つ。奇妙な軌道を描き降り掛かってきたそれを、カイエンは酒瓶の一振りで打ち消した。
《破壊者》の技術樹に刻まれたスキルは全てを破壊する。その力は攻撃に偏重しているように見えて、攻防一体だ。
おまけに、ブランクも感じられない。恐らくギルドマスターの仕事をサボっている間、鍛え上げていたのだろう。
ライフドレインも通じない。対策されている。少し、力を見られすぎたか……。
カイエンの動きはまるで嵐のようだった。一挙手一投足が凄まじく速く、凄まじく強い。
アリスが少しでも消耗を抑えようと肉体を強化するが、掠っただけで瞬間死んでいる。復活した瞬間に死んで――まるでもぐら叩きだ。
スタミナ――カイエン有利。
身体能力――カイエン有利。
《職》――空間魔法を使う暇なし。カイエン有利。
と、そこでカイエンが放った横薙ぎを、アリスが死にながらも伏せて回避する。得た一瞬でアリスは力を引き絞り、解き放った。
「『エヴァー・ブラスト』」
「ぐッ!?」
それは、アリスの最も得意とする技の一つ。何度も何度も繰り返し磨いた必殺の技だ。
防ぐ余地はないはずだった。だが、至近から放たれた白銀に輝く破壊のエネルギーに対して、カイエンは回避を選ばなかった。
咆哮をあげ、酒瓶を降り下ろす。
建物がびりびりと震える。その咆哮は、《破壊者》の持つ自己強化スキルだ。
その鍛え上げられた肉体が真っ赤に燃え、光と酒瓶がぶつかり合う。そして――白銀の光が、弾け飛んだ。
「ッ!?」
剣を構えまるで小動物のように怯えた目でカイエンを見ていたアムが小さな悲鳴をあげる。
恐ろしい力量だ。まさか、エヴァー・ブラストをただの酒瓶で攻略するとは――。
カイエンは肩で息をしていた。その肉体から先程とは比べ物にならない熱が放出されていた。
さすがに消耗はしているようだが、相手は無傷だ。持久戦では勝てない。武器にしている酒瓶に破損がないのは《破壊者》のスキルだ。スキルツリーに存在する最上位のスキルの一つである、『不壊の牙』。武器を壊すのは無理だな。どうやら、《破壊者》の道をかなり深くまで進んでいるらしい。
カイエンが飢えた獣のような眼光でこちらを見下ろす。そして、さも残念そうに言った。
「はぁ、はぁ…………この俺の前に、ここまで立っていられるなんて――死にながらも衰えぬ戦意。最高、だッ! だが、それ故に、惜しい――知っているぞ。マクネスに、聞いている。ナイト・ウォーカー、お前に時間は、残っていない。ライフストックを使い果たして――」
僕はそこで、新たな手を取ることにした。
動きを止め、指を鳴らし注目をこちらに惹きつける。
「………………安心していいよ、カイエン。アリスはまだ戦える」
「なに……?」
アリスがそっとこちらに近づいてくる。カイエンは追撃をしなかった。
その目が期待に滾っている。僕だって、最高傑作のお披露目をする時くらい、格好をつけたい。
鞄を探り、一本のアンプルを取り出す。これを使うのも、久しぶりだ。
「そもそも、最初にここにやってきた際に持っていたストックなんてとっくに切れている。補給もできないし――カイエン。冥土の土産に教えてあげよう。アリスの種族スキル『生命操作』の真髄は――『可逆』である事だ」
「可……逆…………?」
簡単に言うと、生命力を魔力に変え戦う彼女は逆に――魔力を生命力に変える事もできるのだ。
だから、かつて街を一つ飲み込んだ彼女は、僕との戦いの中で力を使ったにも拘らず全員に命を返す事ができた。
だから、この街に来た後、ろくな補給もなく戦い続ける事ができた。
だから、今日はずっと、お腹がたぷたぷになるまで魔力回復薬を飲んでいた。
だから――切り札も使える。
そっと身を寄せてくるアリスを抱きとめる。アンプルはすでに注射器にセットされていた。
アリスの表情が強張っている。その汚れのない首筋に一瞬だけ唇を当て、僕は言った。
「いい戦いをしよう。アリス――」
「はい。御主人様」
僕は――《魔物使い》だ。ただの足手纏いではない。
針がアリスの靭やかな肉に突き刺さり、中身が注ぎ込まれる。カイエンが瞠目する。
変化は一瞬だった。そういう風に、僕は調整していた。
契約の紋章を刻めなかったアリスに、僕のスキルは通じない。だから、代替を用意した。
研究に研究を重ねて生み出した、『夜を征く者』に更なる力を与える魔法の薬。
魂魄暴走剤。
《機械魔術師》の禁忌がこの楽園なら、《魔物使い》の禁忌はこの薬だ。
瞳孔の大きさがまるで鼓動するように収縮し、拡大する。深紅の眼が更に黒の混じった色に変化する。
空気に重さが加わる。アリスが蹲り、金属製の床がみしみしと音を立てる。
獣の唸り声に似た何かがその喉の奥から響く。それはすぐに地鳴りとなった。
霊体種の実体とは魂から成っている。アリスがこの世界で持っている姿形は仮初に過ぎない。
彼女の本質はその変幻自在のその魂にある。
身体が大きく痙攣し、床に四肢を使い、立つ。いつの間にか、僕よりも僅かに身長の低かったその身体は二回り大きくなっている。
華奢だった四肢、体幹が更に二回り巨大に膨張する。細身の身体に合わせて作られた衣装が巨大化する肉体に弾け飛ぶ。
人の顔は大きく歪み、伸び、膨張、縮小し化生のそれに変わる。
その眼だけが、人の頃と変わらず血の赤に染まっていた。
アムもカイエンも、ただ呆然とその変化を見ていた。
シルエットだけ比較しても、人のものではない。
それは獣だった。体毛こそ生えていないが、その口蓋から飛び出たナイフのような牙と爛々と輝く瞳孔、体幹の延長線上、尾骨から伸びる、蜥蜴に似た細長い尾がぴしりと床を打つ。
四肢は狼と比較しても遥かに強靭で、怪物の形をしているのにどこか人に似ている点が何よりも恐ろしい。
全身から揺らめく白銀の炎はその魂核が激しく燃焼している証だ。
「――――ォ――――ォォオオオオーー」
アリスが咆哮する。如何なる獣と比較しても全く異なるその声が魂を揺さぶり、空気中を伝播する。
きっとこの獣をモデルにした魔導機械は存在すまい。
魔力回復薬を散々飲ませたかいがあった。
全身に纏った揺らめく銀の光は力を視覚化したもの。その身体は、強く燃え上がる内燃機関から迸る力を纏い、まるで装甲のようだ。
今のアリスの性能は先程とは比べ物にならない。
我に返ったカイエンが、大ぶりに酒瓶を振り上げ、アリスに突進する。
最速の踏み込み。全てを破壊する一撃がその身に叩き込まれ――アリスの巨体が揺れた。
カイエンの表情が激しく歪んだ。
揺れた、だけだった。先程まで掠っただけでアリスを屠った一撃を身に受け――。
アリスが身体を大きく振るう。斜め上から振ってきた右前足を受け、カイエンがまるでボールのように弾き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
槍のように伸びた尾がそれを追う。カイエンはその尾を、とっさに放った横薙ぎで破壊した。
だが、塵と化した尾は刹那で復元し、カイエンの腹に突き刺さり壁に縫い付けた。
初めてその口から苦痛のうめき声があがった。
過剰に生産された力は彼女自身の傷を自動的に修復し、その身体能力を常に上限まで強化する。
もう終わりだ。彼女は今、文字通り魂を燃やしている。変換し溜め込んだその膨大な魂を、花火のように一瞬で。
尾が縮み壁に縫い付けていた巨体を解放する。
口元から血を垂らしながら、それでも両脚で立つカイエン。だが、その程度では致命傷ではないだろう。
カイエンが顔をあげる。その視線はアリスではなく、こちらに向いていた。
双眸にはもはや愉悦は浮かんでいない。
そして、僕は初めてその殺意を身に受けた。脳が警鐘を鳴らし、心臓が激しく鼓動する。
死を目前にして分泌される脳内物質。激しい高揚に、僕は笑った。
悪鬼羅刹の如き表情で、カイエンが初めて僕に向かって踏み込んでくる。敵というのはやはりこうでなくてはいけない。
僕は、喜んで《命令》した。
「アリス、『エヴァー・ブラスト』」
尾を引っ込めたのは油断ではない。力を溜めるためだ。
アリスの巨大な口腔に先程とは比べ物にならない力が一瞬で収束する。
そして――視界が白で包まれた。




