第四十九話;ちょっと親玉をぶっ殺してくるよ
空はまるで今の僕の気分を反映しているかのような快晴だった。どこまでも広がる蒼穹を仰いでいると、精神が落ち着いてくる。
レイブンシティには今日も沢山の魔導機械が働いていた。
機械人形型、乗り物型、街灯一つから建物の一つを取ってみても、高度な魔導機械技術が費やされている。金属製の道路の下には街中にエネルギーを送るための線が通っていて、人の生活を支えている。そもそも、この地のギルドで販売されている重火器類も外では滅多に見ない代物だ。
街の人々の中で、マクネスさんがいなくなった事を知る者はまだいない。恐らく、彼が街を発った事を知ったら悲しむ人も多いだろう。
マクネスさんはこの街の魔導機械類の管理を一手に引き受けていた。街の人々の中には修理やら何やらでお世話になった人は多いはずだ。
レイブンシティのギルドの職員のほとんどは機械人形だ。だが、それら全員がマクネスさんの所業を知っていたわけではないだろう。いや――もしかしたら、全員知らなかった可能性もある。
マクネスさんは恐らく、機械人形達との付き合いを制限していた。だから、白夜と小夜は名前を持っていなかったし、何も聞かされていなかった白夜が勝手に僕にお願いをしてしまった。
それが信用していなかったからなのか、愛着を持たないためなのかは今となっては知る由もないが。
今回もよく働いてくれたアリスを護衛に、街を歩く。エティはばらばらにしてしまった小夜の再構築に取り掛かっているためいない。
「ちゃんと直ったらいいんだけど……」
「御主人様、優しい……これまであんなに沢山殺してきたのに」
アリスの褒めているんだか貶しているんだかわからない言葉に、肩を竦めてみせる。
当たり前だろう。これまで屍を積み上げてきたが好きでやっているわけではない。やらざるを得なかったから、やったのだ。
だから、今回はマクネスさんを追放するに留めた。彼は理性的だし、ああいう形で交渉を試みれば退く可能性が高いと、わかっていた。
いや、違うな。
退くとわかっていたのは真実だが、僕が彼を殺さなかった理由はそこにはない。
今回は――戦っている余裕がなかったから、彼を殺さなかったのだ。
アリスは弱っていた。同時に相手にするのは余りにも危険だったから、一人とは戦うのをやめた。
基本的に、僕は嘘をつかない。いや――純人は嘘がついてもすぐにバレるから、つけない。
これは筋肉や魂の微細な反応から判断できるものらしく、どうやら他種から見ると純人の嘘ははっきりわかるらしい。僕は一度徹底的に演技指導を受けたが、嘘だけは身につかなかった。
だが、僕は今回――マクネスさんに一つだけ嘘をついた。マクネスさんはそれを感じ取っていたはずだったが、何も言わなかった。
人は、信じたいものしか信じない。あるいは、その後の流れで何かの間違いだと思ったのか。
僕は彼を、この地の王だと言った。
だが、僕の想定が正しければ、彼は――魔導機械を統率し、彼等の王だったが――この地の王ではない。
マクネスさんは僕との交渉をあっさり呑んだ。これまで苦労して取り組んでいたはずの計画を捨て、これまでの立場を捨て、街を出た。
恐らく、自分がいなくても計画は……回るから。
彼は滅私の人だ。本当に、出会う場所が違ってたら良き友になれていたろうに――運命というのは酷なものだ。
久しぶりに『小さな歯車亭』を訪ね、リンに預けていたアムを受け取る。アムは僕を見るとぱぁっと花開くような笑み――というか、涙を浮かべて駆け寄ってきた。
抱きとめ、久しぶりに頭を撫でてあげる。【機蟲の陣容】でも共には行動していなかったし、最近は素気ない態度を取っていたせいか、反応がオーバーだ。
「フィルさん! 私の推理によると――フィルさんは私をひと目で見てパワーアップを感じ取った。修行はこれで、終わりという事ですね!」
「…………余り長い事この街にいる予定じゃなかったからね」
そこまで期待していたわけではないけど、後で結果チェックするからな。勝手に職まで取って……。
リンがどこか寂しげな、どこか物欲しそうな表情で僕を見上げる。
「まさかフィルさん、もしかしてこの街を出るんですか? 大規模討伐依頼が終わったから――」
「いや、すぐ出るわけじゃないよ。世話になった人にも挨拶しなくちゃならないしね。…………アムのお世話をしてみたフィードバックもしてもらうからね」
「!?」
リンには色々《魔物使い》について教えて上げる予定だった。僕がアムを預けたのも、その一環を兼ねている。
計画、実行、評価、改善。PDCAサイクルを回すんだよ。みっちりレポートを書いてもらうからな。
引きつった笑みを浮かべるリン。それに対して、これから待ち受けている運命も知らずに能天気なアムは、アリスを見て目を丸くした。
「アリス……? その……何を飲んでるんですか?」
「魔力回復薬……ずっと飲まされてる。とても苦い」
薄緑の液体が入ったガラス瓶を嫌そうな表情で呷っていたアリスがちらりと僕を見る。
…………あまねく全ての生物だけでなく同種からすら恐れられる夜の女王相手に脳天気なままで声をかけられるのは一種の才能かもしれないな。
「アリスは注射が余り好きじゃないんだ。僕はそっちの方が手っ取り早くて好きなんだけど……注射の方が回復速度早いからな」
「…………御主人様は、注射し過ぎ。アシュリーも辟易していた。もうお腹がたぽたぽ。触ってみる?」
特にたっぷり魔力を回復しなくてはならない時は経口より注射の方が手っ取り早い。
そして……嘘をつくなよ。霊体種の彼女は魔力回復薬の効きがかなりいい。ポーションはお腹に溜まる前に魔力に変換されるはずだ。味はともかく。
アムに近づき、肉質の確認がてらその頬に手を当てる。柔らかく少しひんやりしたほっぺた。
一瞬目を丸くしたアムは、すぐに僕の手の甲に手を重ねた。アリスがジト目で僕を見ているが、なにも言わない。
すでにアリスの憑依対象は僕に戻している。文字通り、通じ合ってるのだ。
「早速、たっぷりパワーアップしたアムの力を見せてもらおうかな」
「えへ……えへへ……ま、任せてください! い、いつでも、準備は整ってます! いつでも、なんでもやります!」
「まさかこんな調子の良い事を言っていたアムがその夜に消滅してしまうなんて――少し、哀れ。でも大丈夫、所詮貴女は私の代わり」
しんみりした口調で言うアリスを、アムがぎょっとしたような目で見た。
「!? 死にませんよ!? まだ悔いがいーっぱい残ってますから!」
もしかしたら死ぬかもしれないな……いや、その《探偵》のクラススキルで何をするのか推理してみろ! ほら! ほら!
どうやら欲深さだけは一端らしい。頬から手を離すと、僕はその頭をごしごしと撫でて、少しでも死ににくくなるように魂を磨いてあげた。
§
アムとアリスを連れ、色々な人に挨拶をしながら時間を潰す。
《明けの戦鎚》の拠点に向かうと、ランドさんとガルドから手荒い歓迎を受けた。
「まったく、何を考えているんだ、フィル。状況が状況だが――そういう事をするなら、事前に話を通してもらわねば困るッ!」
「そもそも、先に俺たちを呼んで話をしておくとかあるだろうが!」
「あぁ。悪かったよ…………ほら、少しでも不自然な行動はしたくなかったからさ」
ランドさん達を呼んでいたら、マクネスさんの排除の優先リストはランドさん達の方が上になっていただろう。ランドさん達は数が多いし連携も得意としているが、所属メンバーの間には実力差もあるし、《機械魔術師》は時間さえあればいくらでも対策ができる。
マクネスさんが大人しく引いたのはあれが予想もしない手だったからだ。もしも僕が味方として《明けの戦鎚》を選びそれがマクネスさんに伝わっていたら、間違いなく沢山の死人が出ていた。エティは一人だったからあの程度の人数で済んだのだ。
話を全くわかっていないアムが目を瞬かせている。《探偵》のクラススキルが働いていない。
他のクランメンバー達が語気の荒いマスター達に何事かと出てくる。
そこで、僕が一番迷惑をかけたセーラが、目尻を持ち上げずいずいと近づいた。随分怒らせたようだ。
怒りと安心が入り混じったその目からは彼女の心優しい性根が伺える。
「……ちょっと、こいつ借りるからッ!」
ランドさん達が何かを言う前に腕を掴まれ、部屋の一つに連行される。
周囲に誰もいないことを確認すると、セーラは目に涙を浮かべ、僕の襟元を掴み壁に押し付けた。
いつもこういうシチュエーションに遭う度に思うのだが……セーラは細腕で非戦闘職のはずなのに、筋トレしている僕よりも力が強いの、納得いかない。
「あ、あんた、なんて危ない事、してんのよッ! 何も……何も、説明もせずにッ! 私は、そういうつもりで加護を使ったわけじゃないわよッ!」
同じスキルでも、使う種族によって効果が変わるものがある。霊体種の使う『憑依』はその筆頭とも言えるスキルだ。
悪性霊体種と善性霊体種は魂の持つ『属性』が異なっている。自身の魂の欠片を他者に与え干渉するそのスキルは、悪性霊体種が使えば憑依と呼ばれ、善性霊体種が使えば加護と呼ばれる。毒が時に薬となるように――そして、絶対に見破られないと思っていた。《機械魔術師》のスキルは良かれ悪しかれ、強力過ぎるのだ。
スキャンした情報をくまなく確認すれば絶対に加護の形跡はあったはずだが、マクネスさんは生真面目過ぎた。
最初からマクネスさんを疑っていた僕が、何の対策も取らないわけがない。そもそも、アリスをエトランジュにつけた時点で僕の枠が空いているのだ。
僕がセーラに助力を求めたのは、アルデバラン討伐――【機蟲の陣容】探索。それ以来、ずっとセーラは僕の魂に寄り添い、全てを見ていた。
加護は本来、大したスキルではない。多少本人に良い影響はあるものの、行動や生活、心を見られるという事には変わらず、善性霊体種の気質もあって使われる機会はほとんどない。それも、この手がマクネスさんの盲点だった理由の一つだ。
セーラに事前に説明をしなかったのは、説明をしたら止められると思ったからだ。止められるだけならばともかく、彼女はきっとランドさん達にすぐに相談していただろう。コミュニケーションの大切さを説いたのはこの僕だった。
「ごめんごめん……心配した?」
「あったりまえでしょ! 一歩間違えれば、あんた、死んでたのよ!?」
然もありなん。だが、マクネスさんの性格はわかっていた。多分、大丈夫だと思っていた。僕の言葉が通じなくても、善性霊体種の言葉ならば、この街で名高いクランのメンバーの言葉ならば、セーラの言葉ならば――間違いなく通じる。そして、その程度の事をマクネスさんが理解できないわけがない。
交渉とは武力のみで成るわけではないのだ。
「ランドさんには相談した?」
「…………したわ。悪い?」
「百点だよ」
すると思っていた。マクネスさんもこれくらいは想定済みだろう。如何にマクネスさんでも、魔導機械の軍団でも、ランドさんのように純粋に強力な探求者にはそう簡単に手を出せない。彼が退いた振りをして計画を再開する可能性は低い。
しかし…………やはりマクネスさんは、ちょっと闘志が足りないな。この程度の交渉で敗北を認めるとは――アルデバランの件といい、諦めの良さは、彼の大きな短所だ。
楽ではあるが、敵にするにはつまらない。理屈を重んじる故に理屈に縛られ過ぎている。
セーラが声を潜めて、こそこそと言う。クランメンバーの目を気にして僕を一人隔離したあたり、そこまで情報が広まっているわけでもないらしい。
「そ、それで……どうするの? 外に連絡すれば、全て終わると思うけど……」
「秘密だよ。今明らかにするにはこれは危険過ぎる」
セーラの言葉に、顔の前に人差し指を立ててみせる。マクネスさんとの約束もある。
僕は、約束は守る。余りにも事が大きすぎるし、この事が露見して無実の機械人形まで処分されたら寝覚めが悪すぎる。
「で、でも――」
「内々で済ますんだ、セーラ。時には真実に蓋をした方がいいこともある。当然、忘れてはいけないけど――」
もちろん、僕はセーラ達に口止めする材料を持っていない。ランドさんがやはり明るみにしたほうがいいと判断する可能性もあるだろう。
だが、それは仕方がない事だ。この街――レイブンシティは、僕のものではないのだから。たとえSSS等級の探求者でも何でもできるわけではない。
セーラはしばらく沈黙していたが、やがて小さな声で言った。
「………………フィル、あんた……とんでもない奴ね。言っておくけど、私、すっごく動揺したんだから! 見せてあげたいわ!」
それは……見てみたかったな。慌てふためくセーラの姿――目に浮かぶようだ。
探求者をやっていると、どうしても負けられない時も来る。あらゆる手を尽くし、命まで積まねばならない事も。
加護は憑依とほぼ同じ事ができる。あの時セーラは僕の元に転移する事もできたはずだが、感情的に見えて意外と冷静なのも僕がセーラを評価している点の一つだ。
「周りに話すにしても――少し、待って欲しい。と、ランドさんに伝えてくれ」
「…………どういう事?」
今回の件。ここで止めたら片手落ちだ。やるべき事はきっちり済ませる。それもまた、高等級の探求者に求められるスキルの一つだった。
なかなか戻ってこない事にじれたのか、ガルドの声が聞こえた。どうやら今日はここまでだ。もうセーラが危険な事に巻き込まれる心配はない。
セーラの加護も昨晩の内に解除し、アリスを憑けなおした。彼女の力はとても暖かく心地がよかったが、やはり僕にはアリスの方が性に合っている。
そういえば、マクネスさんはまるで憑かれているような顔をしているとか言っていたな。
思い出し笑いをすると、不安げな表情をしているセーラに言った。
「仕上げがある。ちょっと親玉をぶっ殺してくるよ」




