第四十八話:僕の要求はたった一つ――
「あれが……SSS等級探求者、か……」
魔導機械が縄張りにする荒野と外の世界の境目。そこに存在する小高い丘の上に、二つの影が立っていた。
大柄な全身鎧の騎士を連れ、簡素な旅装をしたマクネス・ヘンゼルトンは目を細め、どこまでも広がる荒野を眺め、感慨のため息を漏らす。
レイブンシティが存在していたのは魔導機械の縄張りのど真ん中だ。丘の上からはその街は欠片も見えない。
長い間、この地の環境を管理、調整してきた。
マクネスが何代目になるのかはわからない。だが、魔導機械のみで成り立つ生態系というのはマクネスにとって興味の対象だった。
できることはやったつもりだ。人工物である魔導機械が生態系を食い荒らすというのは一般的に許される事ではない。
必要なのはボーダーラインを見極めることだった。
この地に危険を感じ取れば、外の街のギルドは強力な探求者を派遣し、この地の実態を見極めようとしていたことだろう。そうなれば、これまでの努力は全て水の泡になる。
恐らく、マクネス達が動かなければとっくの昔に魔導機械達は殲滅されていたはずだ。魔導機械達は未だ自立に至っていない。
物見遊山にやってくる探求者達から危険人物を間引き、魔導機械達を成長させる。あえて自分が先頭にたち魔導機械を研究し、情報統制する。少しずつ、この環境に対する疑問が表に出ないように、何かを尋ねられた時に納得できる答えを返せるように。
全てがうまくいっていた。まさか、高等級探求者の超長距離転移などというイレギュラーが発生するとは。
もはや災害に巻き込まれたようなものだ。
手の平の上で転がされた。全て、見透かされていた。こちらの方が圧倒的に力を持っていたはずなのに――。
§
怖気が背筋を駆け上がる。このような気分を味わうのは生まれて以来、初めてだった。
血の気のない、疲れ果てたような表情。その目だけがぎらぎらと得体の知れない輝きを宿していた。
マクネスにはわかった。この、無防備で敵として相対している男が、間違いなく最底辺の力しか有していない事が。
いや、そもそも、能力を隠していたとしても無駄だ。己のテリトリーにおいて、魔術師は無類の力を発揮する。エトランジュが複数の《機械魔術師》を圧倒したように――ましてや、今のマクネスの隣には最高傑作であるスレイブがいるのだ。
製造型ツリーを進めた《機械魔術師》であるマクネスが生み出した、戦闘特化のスレイブが。相手が仮にこの地で二番目の身体能力を誇る戦士――ランド・グローリーほどの能力を持っていたとしても、マクネスが怯える理由など無いはずだった。
ただの――はったりだ。フィル・ガーデンのやり口は知っている。マクネスは油断などしない。
「交渉…………? 何を、言っているんだ?」
交渉とは互いの譲歩を引き出すもの。相手にはもはや手札は残っていないのだ。成り立つわけがない。
アリスが憑いていない以上、目の前の男は無防備だ。いや、もしも仮にアリスの代わりにあのナイトメアを憑依させていたとしても憑依は既に解除しているし、そもそもアムが状況から何かを察して街の人間に訴えかけたとしても、マクネスとアム、どちらに信用があるかは明らかである。
その、敵意の見えない視線に心臓が強く鳴った。
大丈夫。嘘は見破れる。純人は嘘をつけない。どれだけうまく隠しても、鋭敏な知覚を誇る他の種族から見れば、無意識下の動きで言葉の真偽がわかる。それはもはや、デメリットのみを齎す種族スキルと言ってもいい。
どうすべきか。このまま耳を貸さず捻り潰してしまおうか。一瞬よぎったそんな考えを、マクネスは眉を顰めて振り払った。
問題は――ない。目の前の男は何ら不自然な動きはしていない。
ならば、すぐさま消す必要はない。そんな事をしたら――まるでマクネスが、無抵抗の男を相手に、恐れているかのようではないか。
それよりも、馬鹿馬鹿しい話を、最後の言葉を聞いてやろう。
鼻を鳴らし、フィルを睨む。フィルは肩を竦めると、まるで宥めるような優しげな声で言った。
「僕の要求はたった一つ――消えるんだ」
「なに……?」
予想外の言葉に、瞠目する。空気が張り詰めていた。薄ぼんやりとした明かりの中浮かぶフィルの姿は今にも闇に消えてしまいそうだった。
とつとつと最強と呼ばれた魔物使いが続ける。
「マクネスさんを、見逃してあげると、言っているんだ。この街の状況はマクネスさん一人で作り出したものではないだろう? まぁこれまで大勢死人が出ているんだろうけど――責任がマクネスさん一人にあるとは思わない。この街の歴史は長いからね。境界線の向こう、北側にも噂が届くくらいに」
それは、断じて不利な者が有利な者に言うような内容ではなかった。だが、フィルは間違いなく本気だった。
「マクネスさんの行為はモラルから見ても法の観点から見ても許される行為じゃあない。だけど、許す。マクネスさん一人を倒したところで、ここまで完成してしまった環境はどうにもならない。だから――立場を捨てて、今すぐ街を出て、もう戻ってくるな。《機械魔術師》のスキルがあればどこの街でもやっていける。そうだろ?」
音は耳から入り脳に届き、しかし脳が悲鳴をあげていた。
動悸がした。何もかもが、論理的ではなかった。弱者が強者を恐れないだけでは飽き足らず降伏勧告するなど。
この男は馬鹿なのか? あるいはまだ取れる手段はあるのか?
冷や汗が頬を伝い落ちる。動揺を隠せないマクネスに、フィル・ガーデンが手を合わせ、笑みを浮かべる。
「それで、全て解決だ。僕は何も言わない。これ以上マクネスさんを追ったりもしない。この街のギルドの憐れな魔導機械達はマクネスさんの所業を知る事もなく、表向きは平穏なままだ。まぁ、小夜とか一部は……仕方ないが。この辺でお開きにしよう。なかなかうまくやっていたけど、元々バレるのは時間の問題だったんだよ。僕がここに来なくてもいつかはバレていた」
「ありえ、ないッ!」
淡々となされる『交渉』に、思わずマクネスは拳をテーブルに叩きつけた。
もう十分だ。くだらない交渉だ。時間の無駄だ。立ち上がり、反論する。だが、どうしても声が震えるのは抑えられなかった。
「君は、間違えているッ! 圧倒的に不利な立ち位置にいるのは、君だッ! 武力を持たない君がたった一人で交渉など、降伏勧告など、応じる者がいるとでも思ったのかッ!」
全て、想定通りだった。この街は――いや、この地は、マクネスの手の平の上にある。
神の製造から長い年月が経ち、魔導機械の魔物達は十分、進歩した。彼等がまだ街を襲っていないのは、まだ世界に喧嘩を売る時ではないからだ。
街が滅亡した事に気づかれれば、外部から高等級の探求者がやってくる。それに対応できるようになるまではもう少し時間が必要だったから――邪魔者は、消す。
この地の禁忌に気づいた者はこれまでもいた。
だが、ここまで辿り着いたのは初めてだ。
「フィル、君を消すッ! そして、君が消えた事を、誰も気づかない。スレイブは、総力を持って潰すッ! 知っているぞ、アリスのライフストックが切れかけている事は」
国や探求者達からのギルドへの信頼は絶大だ。マクネスもこれまで表向きは街のために身を粉にして働いてきた。
監視網で確認している限り、目の前の男は誰にも話をしていない。
全て、見ていた。全て、知っている。
「ああ、その通りだ。マクネスさん、アリスは既に死にかけている。全く、まさかこんなに相性の悪い土地があるなんてな」
無駄だ。どう考えても、フィルに反撃の手はない。フィルを殺し、エトランジュを改めて暗殺する。圧倒的に有利なのはマクネスの方だ。
何だ、この余裕は? どうして平然としていられる? どうしてまだ、恐れない!
フィル・ガーデンが続ける。
「確かに、マクネスさんの言うことには筋が通っている。アリスはいないし、仮にアリスやアムがマクネスさんの罪を叫んでも誰も信じないだろう。ところで――」
そこで、フィルは大きくため息をついた。
「――マクネスさん。アムがおらず、アリスをエトランジュにつけたとしたら――誰だと思う? 僕に……憑いているのは」
「!?」
ありえない話だった。マクネスは確かにスキルを使った。《機械魔術師》のスキルはあらゆる傷を、病を癒やし肉体を正常に戻す。相手がどれほどの怪物でも憑依を解除し損なうなどありえない。
改めてスキルを使用し、フィルの状態を確認する。
膨大な情報がマクネスに流れ込んでくる。その中から必要な情報を取捨選択する。
睡眠不足。興奮。やはり悪性霊体種の干渉を受けている気配は……ない。目の前の男は――正常だ。
かつて、小夜はフィルに憑いたアリスの気配を見破れなかったらしいが、マクネスのスキルは戦闘用である小夜の比ではないし、情報を見落とさないよう、注意して見ている。
ただの、ブラフだ。純人の嘘が見破られないわけがないのだが、そうとしか思えない。
立ち尽くすマクネスに、フィルが目を細める。そして、まるで講義でもするような口調で言った。
「《機械魔術師》のスキルは余りにも――強力過ぎる。あらゆる情報をキャッチしてしまうから、見る情報を選択する必要がある。だから、気づかないんだ、毒は検知しても薬は検知しないように……マクネスさん、僕に使われているスキルは――『憑依』じゃなくて『加護』だよ」
§
セーラ・ライトウィスパー。それが、フィル・ガーデンの切り札の名前。
この地のトップクラン《明けの戦鎚》のメンバー。ランド・グローリーのパーティの一員。
スレイブですらない、取るに足らないその善性霊体種から加護を受けているなど、誰が想像しようか。
あの【機蟲の陣容】の内部で加護を受け、そのまま続いているなどと。
憑依と加護は一つのスキルの表と裏だ。スキルを漆黒の魂が使えば憑依となり悪影響を与え、純白の魂が使えば加護となり良影響を与える。そして、《機械魔術師》の持つ強力な回復スキルは悪影響のみを取り除く。
最悪だった。マクネスの正体が知られた。レイブンシティでも屈指の有名クランのメンバーに。
おまけに、知られた相手は、悪性霊体種と正反対の、誰にでも信用される善性霊体種ときている。
負けた。作戦負けだ。あの男は、フィル・ガーデンは――あの時点で、この可能性を考えていたのだ。
「だが、フィル・ガーデンで良かったというべきか……」
あの青年は、物的証拠もないのに限りなく真実に近づいていた。
何か決定的な証拠を見つけたのならばまだ納得できるが、マクネスとして真に恐るべきは、何もなしに近づけていた事実だ。
普通は、近づけない。真実に気づいても、近づかない。何しろ、近づいたところで、一切のメリットがない。それどころか、命の危険すらある。
にも拘らず、彼は全てを承知の上で、無防備な身をさらけ出してでも勝負に出てきたのだ。
だからこそ、要求を飲まざるを得なかった。衝動に任せ始末することはできなかった。あの男はそんな短絡的な手を打つのはあまりにも危険過ぎる。
だが、同時に彼には――理解があった。
彼がもしも普通の探求者だったとしたら、マクネスと顔を合わせて交渉するなどという手は使わなかっただろう。
物的証拠はなくても、あそこまで読み切った上で、彼の交渉力があれば他の街の高等級探求者やギルドを抱き込む事など簡単だったはずなのに――。
フィル・ガーデンは約束を守る。彼は、身を引けばこれ以上は追わないと、そう言い切った。魔導機械達を処分しろとも言わなかった。交渉に失敗し、アリスでも殲滅しきれなかった武力が解放されるのは危険過ぎると考えたのだろうか? あるいは《魔物使い》特有の感性故か? 今となってはその真意を知る術はない。
どちらにせよ、マクネスは負けたのだ。プライドを捨て我が身を省みなければあの男を殺す事もできたのに殺せなかった時点で、もうマクネスは終わっていた。
口惜しい。志半ばで身を引くのは口惜しいが、マクネスが去ってもこれまでの成果は残る。
全て台無しにされるのと比べれば――まだ少しはマシだろう。
そして、フィル・ガーデンはまもなくいなくなる。そうなれば、全ては元通りだ。
フィルはほとんど全てを見抜いていた。だが、一つだけ、間違いなくわかっていないと確信できる事がある。
もうマクネスとは関係のない話になるが、楽園は――マクネスがいなくなっただけでは終わらない。
マクネスはしばし遠い目でレイブンシティの方を見ていたが、
「…………武運を」
小さく呟くと、マクネスは荒野に背を向けた。
その力を見せる事のなかったスレイブが重い足取りでそれに続く。
マクネス・ヘンゼルトンがその地を踏むことは、約束通り、二度とない。




