第四十七話:うちの子になる?
目覚めは空腹を刺激するいい匂いと共に訪れた。
ベッドの上で起き上がり、ぼんやりと周囲を確認していると、エプロンをつけたエティが入ってくる。
「おはようございます、フィル。ご飯、出来ているのです。まったく……」
「あ……あー? ちょっとまって、僕が作る……」
あれ? 何がどうなって――ん?
思考が定まらない。脳みその再起動が遅れている間に、エティがすたすたとやってくると、目の前に座り込み、至近距離から目を合わせてきた。
「フィル! 寝ぼけてないで、さっさと起きるのです」
吸い込まれるような銀の瞳、少しだけ染まった頬。月並みな表現だが人形のように整った容貌は容姿端麗の言葉にピッタリで、見る人が見れば即座に恋に落ちてしまう事だろう。僕は乾いた目を瞬かせ、とっさに口を開いた。
「……うちのこになる?」
「………………か、かんがえて、おくのです」
……あ、思い出したわ。マクネスさんと交渉して無事帰ってきたところで意識が落ちたんだ。
殴り合いこそしていないものの、まさしく薄氷を踏むような戦いだった。死ぬ可能性も五分より少しだけ高かったかもしれない。
マクネスさんがもう少し感情的な人間だったら僕はもう死んでいた。本当に危ないところだった。
そこで、目の前で固まっているエティに話しかける。
「あぁ、おはよう、エティ。昨日は大丈夫だった?」
「え……? へ……? あ、はい……」
よし、まだやる事もあるし、食事でもしながら昨日の話でもしようか。
§
エティの朝食は端的に言うと、肉の塊を焼いた物だった。この街の肉製品は豚草や牛草など植物を使った類似品だが、今回使ったのはエティがこの街にやってくる前に購入したものらしい。分厚い肉を豪快に塩コショウで味付けしベリーウェルダンに焼き上げたステーキは朝食としては少し重めだったが、空腹だったせいかぺろりとなくなった。
エティがちらちらと感想を聞きたそうにしているのが非常に可愛らしい。というか、朝から肉塊をワイルドに焼き上げている様を想像するとなんだかエティの新たな一面が見れたようでとても新鮮だ。とってもいい焼き加減だよ。焼き加減っていうか、適当に焼いたなさては!
「…………うちの子になる?」
「す、少し考えさせて欲しいと、言ったのです!」
「冗談だよ」
「!?」
「フィル様、その冗談は余りにも女性の心がわかっていません」
「ドライ!?」
まさか機械人形に指摘されるとは、僕も焼きが回ったものだな。
アリスがいないと思ったら、魔力回復薬を購入するために出ていったらしい。僕のやりたい事をわかっている子だ。アリスさん、加点十点です。
アリスが戻ってくる前にエティから昨日の話の聞きとりを行う。
《機械魔術師》の集団に襲われた事。その中に【機蟲の陣容】の映像を撮影した術者も交じっていた事。その後、その術者が転送術式で小夜を呼び出した事。そしてその小夜が襲ってきたところまで。
どうやら、マクネスさんはいつでもエティの屋敷を襲えるように準備していたようだ。そして、僕がギルドに侵入したのを知って、打って出たのだろう。
彼にしては随分思い切った手段だが、余程エティを倒す自信があったのか……無理からぬ話だ。いくら相手のホームグラウンドだと言っても相手はたった一人――複数の《機械魔術師》を派遣して負けるとは思えない。
「侵入者達は全員しっかり拘束しているのです。フィルはもちろん、心当たりはあるのですよね?」
「…………まぁ、そうだね」
恐らく、襲撃者は、この街にやってきて行方不明になっていた《機械魔術師》達だろう。それらを薬を利用して囲い込み、ギルドで働かせていた。
あの『比翼の血』は特殊な発奮剤である。そのまま洗脳に使える程強くはないはずだが、《機械魔術師》はそのパッシブスキルが与える強い耐性もあって余りそういう体験に慣れていないし、僕がエティに施術したようにやりようは色々ある。
僕はアレンさんの店で念の為に購入していた解毒剤をテーブルの上に置いた。
「解毒剤だ。一応、飲ませておくといい。慎重にね」
「!? 解毒剤? どういう、ことなのですか!?」
まぁ、効くかどうかは五分だろう。そもそも惚れ薬というのはそんなに長く効果があるものではない。精神状態を少しだけ寄せるだけだ。
後は人によって、薬の効果が切れた後も勝手に惚れていったりするし、戻ったりもする。マクネスさんの性格を考えたら少し不安定過ぎる手のようにも思えるが……。
そこで、話を変える。《機械魔術師》達の話はエティが街にやってきた目的とも関わりがあるはずなので、後で改めて話せばいいだろう。
運が良ければ、エティが探そうとしていた友達とやらもギルドにいるはずだ。
「まぁ、彼らも被害者って事だよ。ところで、小夜は直せそうなの?」
「……はい、おそらくは、ですが。スパナで分解したので、外側はともかく魔導コアや記憶装置――内部部品の損耗は少ないはずなのです」
不幸中の幸いだ。僕が名前をつけてあげた小夜を、ソウルシスターであるエティが殺してしまうなんて悲劇以外の何物でもない。
最近、小夜が受付にいなかったのは、マクネスさんがいざという時のための準備をしていたからなのだろうか?
気づいてあげられなかったな……。
と、そこで買い物に出ていたアリスが戻ってきた。
「御主人様は小夜を殺したくないのかと思いまして」
「アリス、おかえり」
アリスは背中に大きなタンクを抱えていた。なみなみと入った薄青の液体に、エティが目を丸くする。
「それ、もしかして……全部、魔力回復薬なのですか?」
「すぐに飲み干します、御主人様。王国で買った高級品も残っていますが、安い薬は効くのに時間がかかりますから」
「ど、どれだけ魔力を持っているのですか……」
健気な事を言ってくれるな。全体的に媚びているだけのようにも思えるが……。
早速、コップを使って一杯目を飲み始めるアリスの頭をぽんぽんと叩いてあげる。
時計の針がちくたくと心地の良い音を立てて動いていた。
エティは何か言いかけてやめたりともじもじしている。やはり昨日の夜の事が気になっているのか。
だが、言えない。僕からは何も言えない。約束したのだ。僕は小さく笑いかけると、エティに言った。
「エティ、小夜の修理を頼めるかな? 君にしかできない仕事だ」
「そりゃ……もちろん、やります。知らない仲ではありませんし、何があったのかも聞けるでしょうし」
小夜に襲われてもまだギルドを疑わない。エティが素直なのもあるが、これがギルドの持つ信頼だ。
小夜には悪い事をしてしまった。僕がいなければ彼女が思考を制限さればらばらにされる事もなかった。
いや、それを言うなら――エティにもセーラにも、皆に迷惑をかけている。
全て終わらせたら――謝罪しないと。
「それで、フィルは今日はどうするのです?」
「あぁ。最後の後始末がある」
僕の言葉に、エティが目を見開き、僕をどこかせつなげな表情で見る。
どうやら……本当に心配させてしまったらしい。
「え…………? まさか、ま、また危険な事をするつもり、なのです!?」
「いや、大丈夫。最後のはそこまで危険でもないよ」
「……それなら……いいのですが…………」
アリスがげんなりした表情で魔力回復薬を飲んでいる。
タンクを空けて、王国から持ってきた高価なポーションも飲ませて――回復したら行動開始だ。
次は恐らく――いや、ほぼ間違いなく、戦闘になるだろう。時間をかけるつもりは、隙を与えるつもりはない。
マクネスさん。君は今頃どこにいるのだろうか。
何を考えているのだろうか。
僕は小さくため息をつくと、昨晩、マクネスさんと話し合った時の事を思い浮かべた。




