第四十五話:簡単に殺せないとでも思ったか?
テスラGN60346074B機械人形。魔導機械関係の大手企業、テスラ社が技術の粋を尽くして製造した、攻撃特化の機人。
それまで機械人形の用途は人間の護衛や情報処理が主だった。強力な兵装を搭載した戦闘向け機械人形は世界中で大きな波紋を起こし、数多の批難を受けつつも一部の国で喝采を以て受けいれられる事になる。
知識でこそ知っていたものの、小夜の動きはエトランジュの想像を遥かに超えていた。
一挙手一投足は並の戦士の動きならばはっきり見えるエトランジュの感知能力をたやすく振り切り、四肢に搭載されたブースターが夜闇に紅蓮を撒き散らす。
装置により物理法則を超越した動きは、ともすると職とスキルによる補助を受けた熟達の探求者をも凌駕していた。
戦士としての知識と技術がインプットされているのだろう。間の取り方が、足運びが、重心の動きが、絶妙だ。身体は細身だが金属の肉体を持つ機械人形にとって身体の大きさなどさしたる問題ではない。
おまけに、小夜は何者かに改造されていた。いくら新型の機械人形でも、『電磁災害』に耐えるなど、量産型ではあり得ないのだ。
「ぐッ…………小夜、目を、覚ますのですッ!」
エトランジュの言葉を無視し、小夜が接近してくる。
相性が悪すぎる。スキルで強化されているとは言え、エトランジュは魔術師だ。近接戦闘はそこまで得意ではない。
踵から噴射される炎が神速の動きを可能にしていた。その眼は夜闇を容易く見通し、エトランジュの一挙一動をはっきり捉えている。
その動きは、エトランジュが小夜を最初に見た時の想定性能を二周りは上回っている。
機神の補助を受けてギリギリだ。純粋な格闘技術は相手に一日の長がある。命中すれば相手に致命的なダメージを与えるスパナも掠りすらしない。
その流れるように美しい猛攻を前に、術を起動する間すらなかった。
連撃を後ろに下がり回避、屋根に飛び上がればすかさず小夜も追ってくる。
細腕から繰り出される砲撃のような突きに、いなした腕がしびれ、スパナが手から離れ地面を転がる。
いい。当たらないスパナなど、いらない。そもそもあれを当てたら殺してしまう。
「小夜、手を、止めるのですッ!」
「…………」
何度目かの呼びかけ。小夜の瞳には何の変化もない。ただ、冷たい瞳で己の敵だけを見ている。
だが、その反応に、エトランジュは小夜を縛るものの存在を感じ取った。
機械人形とは人間の友として作られた。故に、本来ならばどれほど敵対していたとしても呼びかけられて反応を全く返さないなどありえない。
何らかの手段で思考を強固に制御されているのだ。
必要なのは破壊ではなく――治療だ。
相手には『電磁災害』を耐える程の耐性がある。だが、試さない訳にはいかなかった。
息が上がる。先程の戦いで消耗しすぎた。屋敷の補助ももうない。
横から飛んでくる飛び蹴りを腕で受ける。軽減している筈の衝撃が骨まで伝わり、鈍い痛みに唇を噛む。
蹴りを受けた勢いで地面に降り立つ。小夜も躊躇いなく追ってくるが、その時には既にエトランジュは準備を終えていた。
「少しだけ――ちくっとするのです!」
「…………」
『制止信号』
魔導機械を停止するためだけに生み出されたスキルが小夜に放たれる。
たとえ神速の動きを誇ろうとも、雷の速度には敵わない。
止まるのです、小夜ッ!
願いを込めて放った己の天敵たる攻撃に対して、小夜の取った行動は――突進だった。
雷が弾け、小夜の瞳が一瞬揺れる。だが、その動きは止まらない。
そこで、ふとエトランジュは気づいた。
小夜はボロボロだった。衣装は焼け焦げ、良く見たら身体のそこかしこから異音が上がっている。恐らく、痛覚が機能していたら全身に激痛が走っていただろう。
地面を蹴る度に、拳を振るう度にその肉体はぎしぎしと強く軋み火花を散らしている。
刹那、エトランジュはなぜ小夜がここまで強いのか理解した。
リミッターを解き放ち、自壊を厭わず動いていたからだ。とうの昔に小夜の部品は限界を迎えている。そもそも、冷静に考えたら、いくら対策しても――エトランジュの『電磁災害』を無影響で乗りこえられるわけがないのだ。
選択肢が増える。これなら、もしかしたら、殺さずに止められるかもしれない、と。
そして――たった一秒足らずの迷いが選択を狭めた。
戦意の欠片も見えない赤の瞳。その動きが一段加速した。
気がついたら、紫電を纏った拳が振り上げられる。すぐ眼前に接近する小夜に対して取れる選択肢は余りにも少ない。
風景が一瞬、緩やかに流れる。エトランジュは否応にも悟った。
駄目だ――死ぬ。手加減などできない。本気でやらねば、死ぬ。
エトランジュの人生で最速の術の発動だった。
『電子圧縮』。かつてアリスを殺した術の起動準備が整う。
相手の拳が落ちてくる。間に合うかかなり微妙だ。
迫る拳。それそのものには恐怖を感じない。エトランジュが恐怖を感じているのは別の点だ。
目の前の人形は、フィルの友人は、殺さなければ止まらない。
――頭だ。頭を、破壊しなくては。
その時、緩やかに加速した視界の中、拳の動きが明らかに鈍った。
「!?」
頭のアンテナが高速で回転している。その瞳に一瞬感情が過る。
集中力が乱れ、発動寸前までいっていた術が霧散する。
しまったと考える間も、その正体を推測する間もなく、衝撃がエトランジュの全身を貫く。
それは、エトランジュがこれまで受けた中で最も重い攻撃だった。
機神の防御を貫通してきた衝撃に息がつまり、意識が飛びかける。
ミスだ。甘さが招いた。先に、届いた。先に、届かせる事ができたはずなのに――。
小夜が意識を取り戻したのは一瞬だ。動きを止めたのは一瞬だ。
その時間があれば、彼女を殺せた。意図しない殺人から解放できた。
たった一度のチャンスだったのに、希望が過って――。
地面を数度バウンドし、屋敷の壁に叩きつけられる。
衝撃に揺れる思考。立とうとするが、手足が自分のものではないかのように動かない。
地面を蹴る音。真上に見える小夜の酷薄な表情と月。
そのぼろぼろの足が持ち上げられ、一瞬の躊躇いもなくエトランジュの顔に振り下ろされる。
――ごめんなさい、フィル。
目を瞑り、覚悟を決める。
そして――攻撃はいつまで経っても来なかった。
「…………?」
ゆっくりと目を開ける。そこに広がっていた光景に、エトランジュは一瞬何もかもを忘れた。
最善。小夜が意志を取り戻し攻撃を止めた。
予想。小夜がぎりぎりで限界を越え自壊した。
現実。小夜の脚が、止まっていた。それを止めているのは――エトランジュの右腕だ。
もう上がらないと思っていた右腕が、勝手に攻撃を止めている。反射などではない。
ずっと無表情だった小夜の目が見開かれている。開いた唇から意図しない声が出た。
冷たい、冷たい、奈落の底から響き渡るような、美しい声が。
「『諦めるな、発情娘。まだ、動くでしょ?』」
これは――エトランジュの声ではない。
身体が勝手に動く。小夜の一撃を受け止めた右腕が、そのまま脚を握り小夜を地面に叩きつける。。
激痛が全身に広がるが、身体は止まらない。
魂だ。今のエトランジュの肉体を動かしているのは、悪性の魂だ。
アリ、ス……いつから!?
身体が脚が地面を強く蹴り、勝手に立ち上がる。足の骨が折れているのに、血が流れ身体が痺れているのに、一切意に介さずに。
「『御主人様は、僕を信頼しろと、言った。だから、私は信頼して――御主人様について行かなかった。御主人様、アリスを――褒めてください。私は――もう貴方を裏切りません!!』」
その言葉に、フィルとの別れ際の言葉がエトランジュの脳裏を過る。
そうか――あの言葉は、私にじゃなくてアリスに――その後、ずっと目が覚めていなかったのも――。
身体が制御を取り戻し、大きくふらつく。いつの間にか隣に顕現していたアリス・ナイトウォーカーが、倒れかけるエトランジュを支える。
「くすくすくす……なんて情けない、探求者」
「貴、女も、随分ッ、不安そう、なの……です」
地面に叩きつけた小夜が起き上がる。既に勝ち目はなくなったと理解しているはずなのに、その目に恐怖はなかった。
頭のアンテナだけが激しく回転している。まるでその内に秘めた感情を吐露するかのように。
だが、もう駄目だ。治療する余地はない。
小夜が地面を強く踏む。それと同時に、アリスは、エトランジュの予想とは裏腹に、一歩下がった。
「譲ってあげる。発情泥棒猫」
「一体、何を――」
拳が迫る。その速度には切れがないが、今のエトランジュは立っているだけで限界だ。
それを見て、アリスが呆れたように言った。
「馬鹿。壊れたなら、組み立てればいいでしょ? 《機械魔術師》なんだから」
それは、エトランジュにとって青天の霹靂だった。
生きている機械人形を分解して組み立てるなど、そんな残酷な事、これまで考えた事もなかったが――。
もう限界だったはずなのに、手が勝手に幻想兵装スパナを生み出し、小夜の拳を迎え撃つ。
分解の概念に触れた小夜は、完全にバラバラになって崩れ去った。
「………………確かに、その通りなのです」
§ § §
マクネスさんはまるで悪魔でも見たかのような表情で虚空を見つめ、掠れた声で呟いた。
「あ…………ありえ、ない……」
その表情に先程までの強気だった姿は見えない。恐らく、エトランジュ達の様子を確認したのだろう。
小夜を出してくるのは予想外だったが、どうやらなんとかうまくいったようだ。
「あり、えない…………憑依は、私が、解除した――確かに。それに……アリスは、確かに、街の外に――」
その通りだ。彼は、ファイアフライを使っての結果を省みて、即座に僕の憑依を解除した。
――だが、あの結果で学んだのは彼だけではない。
「元々、僕はアリスを憑けてなんていないんだよ」
アリスにはアルデバラン戦に赴く前から、街の外で適当な魔導機械を狩らせていた。ウォーミングアップのようなものだ。
僕の近くにアリスがいなかったら、普通自分につけていると思うだろう。
エティだ。僕は、次に狙われるとしたらそれはエトランジュ・セントラルドールだと思っていた。
彼女は極めて優秀な《機械魔術師》だがまだ甘えが残っているし、うまく使えば人質にだってできるだろう。それに――あの強力な魔導師を敵にする事だけは避けねばならない。
彼女にアリスを憑けたのは、僕が奇襲を受けた後、エトランジュの屋敷に泊まった時だ。もちろん了承なんて取っていないが――優れた《魔物使い》に言葉などいらない。何も言わずとも、アリスはしっかり僕の意図を汲んでくれた。
アルデバランが死んでいたのには本当に驚いた。僕は半ばギルドを決め打ちで疑っていたが、最も大きな根拠があるとすればそれは――アルデバランの戦闘前の死になるだろう。
魔導機械に自殺させる事で証拠を消すなんて、同じ魔導機械の発想ではない。
ましてや境界船のチケットまで手に入れて見せて――逃げ切る事で勝利を狙うなど、もはやまともな人間のする発想じゃないと言える。
戦いにならなかったらどうしようと思ったが、万一の時の備えが役に立って本当によかった。
そもそも、マクネスさんが敵になるとわかっているのに、すぐ解除されるとわかっているアリスを憑依させてくるわけがないではないか。
アリスは強力だが、転移前では何もできない。彼女を連れてくるのならば、憑依などさせずに一緒に侵入する。
「!? ?? ば……馬鹿な……そんな筈は、ない! では、お前は、一人で――」
僕のような弱者が一人で敵陣に乗り込むわけがない。
そうだろう。それが、普通の考えだ。僕だって博打を打った自覚はある、が――これが、正しい唯一の道だった。
グレムリンという種族は知恵比べが大好きだ。だが、彼らには想像力が少しだけ足りていない。
屍の山を築き血の河を渡りSSS等級まで至った僕が――自分を簡単に殺せないとでも思ったか?




