行間「薔薇と蜜」
「この世界は醜いと思わないか?」
これが、父から聞いた最後の言葉だった。
世界を見た事がない自分からしたら、世界がどうなっているのか分からなかった。
醜いのか、美しいのか、殺風景なのか、華やかなのか、絶望に満ちているのか、希望で溢れているのか。
何も、分からなかった。だから聞いたのだ。
「世界って、本当に醜いの?」
返事はこなかった。
気がついたら父は目の前にいなかった。
何もない部屋。孤独だった。
次に来たのは、父の部下だった。
恨みはないが、命令なんでな。
そう言った。
拳が体中に飛んできた。途中から意識なんてなかった。殺さずに捨てられたのは、彼にできる最低限の優しさだったのだと思う。
別に誰かを恨んでいるわけではない。
ただ知りたかったのだ。この世界が本当に醜いのか。見た事のないものを醜いだなんて呼びたくはなかったから。
次に目が覚めたのは、どこか薄暗い場所だった。今までいた世界とは別の場所にいると、息を吸った瞬間に分かった。
ここが、父が醜いと言っていた場所か。
見て回ろうと思ったが、ボロボロになった体は言うことを聞いてくれなかった。どこか体を動かそうと思う度に激痛が体に響いた。
だから蹲っていた。後から自分のいた場所が路地裏なのだと、知識を得てから分かった。
どれだけ時間が経っただろうか。それも分からない。
近くで力を行使する気配を感じた。そちらへ行けば何か怒るのだろうか。
だが、傷ついた体は動かない。
また時間が経った。痛みが引く様子はない。むしろ気分が悪くなってきた。
ここで死ぬのだろうか。そう思った。
別に生きることへの執着はなかった。父に捨てられた以上、もう自分に価値はないのだから。
ふと、カツン、という音が響いた。
誰かが歩いているようだった。それも普通ではなく、足を引きずって歩くような音だった。
足音の源を視認した。Tシャツにジーンズの女性だった。しかし、服も体もボロボロでシャツには血が染み込んでいた。折れているのか、右手を押さえながら壁に体を支えてもらって歩いていた。
女性がこちらに気付いた。
自分と同じように傷だらけであることに気づいたのだろう。女性は心配そうに顔を覗き込んでくる。
もうすぐ死ぬと思っていた少年は、助けを求める前にこう言った。
せめて、答えだけは知ってから死にたかったから。
「この世界は、醜いの?」
少し驚いたような顔をしてから、女性は口を開いた。
「否定はしないわ。確かに醜いところもたくさんある」
でもね、と女性は笑って、
「それ以上に、この世界は美しい」
ボロボロの体なのに、それでもこの世界に希望を持った顔で、大切なものを見るような目で、空を見上げる。
「私はこの世界を守りたいの。たとえこの命が消えようとも」
「……そうなんだ」
少年は呟いた。
女性は静かに問いかける。
「あなたは、この世界が醜いと思うの?」
「分からない」
素直な気持ちだった。
少年の返事に、女性は「そう」と言ってから手を差しだす。
「なら、見てみない? 世界が本当に醜いのかどうか」
痛みで動かなかったはずの体が自然と動き出し、魔女の手を取っていた。
「帰りましょう。可愛い小悪魔さん」
そして運命が引き寄せた二人は歩きだす。
これは悪のまま、美しい世界を救おうと考えた、魔女と悪魔の物語。




