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俺と天使のワンルーム生活  作者: さとね
第三章「不屈の英雄に最高の誉れを」
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その5「それぞれの正義」


 それは人間と呼ぶには禍々しすぎると、司は思った。

 目の前にいるのは、間違いなく魔女のはずだ。人間だと宣言していたし、司もそうだと思っている。その血が魔女の力の根源で、天使化を封じる結界や水製のゴーレムは彼女の血を混ぜ込んだ水によって生成されたことも、理解できた。

 ただ、これはなんだ。


「随分と驚いているみたいね。これが魔女の力よ」


 巨大な腕が魔女の両手を覆っていた。それはさっきまで誉が水を操る力で封じていた魔女の血が混じった水からできたものだった。水によって作られているはずなのに、強固になっている。ゴーレムよりも血が濃いのだろう。色は見ただけでも分かるほどに赤黒く染まっていた。


「誉ちゃん。勝てるよね?」


「なに弱気なこと言ってるのよ。先にあんたから叩きつぶすわよ」


「そんなこと言うなって。俺たちは司と片穂ちゃんを助けるために来たんだから」


「はいはい。そうだったわね」


 言って、二人は司の前に歩きだす。

 ゴーレム達がいなくなった今、意識すべき敵は魔女一人だけ。

 ハンマーの先を魔女へ向けながら、英雄は呟く。


「あの水が力の元なんだろ? また奪えないのか?」


「無理よ。あの腕、多分さっきよりもずっと濃度が濃いから、魔女の力が強まっているみたい。私は水は操れるけど、魔女の血は操れないわ」


「なるほどなぁ。ならぶん殴るしかないな」


 単純明快だな、と英雄は笑った。

 そしてハンマーを構えて二人は魔女へ突撃しようとしたが、


 ブオンッ‼ と巨大な右腕が二人を薙ぎ払った。

 必死に堪えた英雄だったが、人間の力では堪え切れずに体が浮き始めるが、


「こんっな所で簡単に飛ばされそうになってんじゃないわよこのアホッ‼」


 英雄を支えるように、誉のハンマーが魔女の手を防いだ。以前片穂に大敗したとはいえ、腐っても下界に降りてきた天使である誉の力は人のそれとは明らかに違う。

 雨谷朱理のように洗練された戦闘技能があれば話は別だが、司や英雄は全くの素人だ。できることなど力任せに武器を振るくらいしかできない。

 だからこそ、英雄は下手な技術など考えずに力だけでハンマーを押し返す。


「うらぁあああぁァ‼」


 押し切った、が、右腕を弾いたと思った次の瞬間には、握りしめた魔女の左手が上から振り下ろされる。

 避けきれない、そう思って英雄を突き飛ばそうとした誉は自分が天使であることを思い出す。英雄は司と違って天使に触れることが出来ない。だから彼を突き飛ばそうとしても、そもそも腕がすり抜けてしまう。

 舌打ちをして、誉はハンマーを振る向きを変える。


「歯ァ食いしばって耐え忍びなさい‼」


「ちょ──ッ!?」


 できる限りダメージがないように、ハンマーで誉は英雄を吹き飛ばした。

 吹き飛んだ英雄は、司の横に転がってきた。


「大丈夫か?」


「骨を切らせず肉を打たれた感じだな……」


 意味が分からないが、とりあえず大丈夫のようだ。

 それに、目の光も消えていない。英雄の目は常に魔女へと向かっていた。


「俺は力任せにハンマーを振るだけしかできないからな。細かいことが分かんねぇ。なんか策はないか?」


「んなこと言われても……」


 正直、勝ち目が見えなかった。そもそも、この場にいること自体が不利なのだ。英雄と誉がいなかったら今頃ゴーレムにぺしゃんこにされてしまっているだろうし、あの魔女がいかに入念に司を殺すために準備をしてきたのが窺える。

 それに、あの手だってそうだ。あの量の水にあの量の血を混ぜるためには、人間一人の血を全て使っても足りるか分からないだろう。

 それが、魔女が以前に会ってから今日まで日にちを開けた理由だろう。恐らく、これだけの量の血を何週間、いや、何カ月もかけて抜き続けてきたのだろう。

 それだけの執念に、自分は勝てるのか……?


「勝つなら、俺も覚悟を決めなきゃいけないってわけか」


「どうすんだ」


「一つだけ、考えがある。でも一人じゃ無理だ。どうにかして魔女の意識を俺から逸らさなきゃならない。頼めるか?」


「何度も言わせんな。当たり前だ」


 司は一歩引き、英雄は一歩前へ出る。

 魔女を倒すためには、まずあの巨大な手をどうにかしなければならない。

 一つだけ浮かんだ策があるが、成功するかも分からない上に失敗したら確実に死ぬ。タイミングを一つ間違えただけでも致命傷だ。

 慎重に動かなければならない。

 それにしても、


(雨谷さんの時と言い、今回と言い、綱渡りしまくってんなぁ、俺)


 慣れると言うのもおかしな話だが、こうも命を懸けた戦いを何回も経験すると不思議な気分だった。

 司の存在を隠すように、英雄と誉が動き始める。だが、魔女の視線が司を逃がすことはない。巨大な腕で二人の攻撃を防御し、反撃しながらも、その合間に魔女の目は定期的に司へ向かう。

 異常なまでの執念と用心深さ。これが人を殺してまで世界を守ろうとする魔女の決意と覚悟の現れだ。だからと言って、素直に殺されるつもりはない。

 司は視線で誉に合図を送る。それを感じ取った誉がハンマーを持つ手に力を入れる。


「【波濤はとう大鎚おおづち】‼」


 誉が振ったハンマーから、巨大な波が巻き起こる。この技に現実の水は必要ない。天使の力を波状にして放出しているからだ。ただ、今回は天使の力でできた波の中に、誉は実際の水も混ぜ込んで僅かでもその水量を増すことを優先した。

 まるで、カーテンのように波が魔女の襲いかかる。

 だが、魔女は動じず、巨大な手を二本とも使って全力で波を消そうとその腕を横に振った。水とも個体ともどちらとも言えないような物体に衝突し、聞いた事のない音と共に波が弾け飛ぶ。


「まだまだね。天使の姿になってもそんな力じゃ、絶望しか感じないわ」


「そんな煽りに乗るほど、私は馬鹿じゃないわよ」


 自分の技を一瞬で破られて動揺するかと思ったが、むしろ笑顔を浮かべている誉に違和感を抱いた魔女だったが、その理由は次の瞬間には明らかだった。


「──ッ!?」


 慌てて魔女は倉庫の至る所に視線を動かすが、その動揺は鎮まらない。

 定期的に視界に捉えていたはずの佐種司がどこにもいない。

 先ほどの誉の技はこのためだった。だから無駄に水で蛇足的に波の大きさを増やしたのだ。カーテンのように魔女の視界を覆い、司を影へ隠すために。

 魔女は身構えたが、出てくる様子が無い。奇襲するならばいなくなったことすら気づいいていなかった今のタイミングが最高のはずなのだが、数秒待っても動きがない。

 理由が分からないのが不気味だが、攻撃がないのならそれでいい。


「全く、変に不安を煽るために技を放つなんて力の無駄遣いなんて愚行の極みだわ。つくづく生かす意味を感じない」


 冷たく吐き捨て、魔女は再び腕を振るう。それに合わせるように誉と英雄がハンマーで応戦していく。英雄もハンマーの扱いと魔女の腕の動きに少しずつ慣れ始めていた。

 蠅を手で叩こうとしているような感覚の魔女は一向に反撃をせずに回避に専念する二人に痺れを切らし、大きく腕を振り上げた。

 ここだと言わんばかりに、誉が地面を強く蹴り出す。既に腕を振りおろし始めていた魔女は急いで腕の動きを曲げようとするが、


「させねぇよ‼」


 その手を英雄がハンマーで弾き、腕による防御の余裕を与えない。


「チィ‼」


 魔女は地面を思い切り蹴り、空中へ飛び上がった。初めて魔女が腕以外の回避行動を取った。飛び上がったおかげで誉のハンマーは魔女の足すれすれを通過した。

 頬に冷や汗を流しながら魔女は再び着地をしようとするが、敵意と殺気を後方に感じた魔女は慌てて振り返った。

 誰かが何かを投げたようなのだが、倉庫が薄暗く、その物もある程度のスピードがあるため判別が出来ない。さらに、魔女は空中から地面に着地する瞬間だ。このタイミングでは動いて回避することは出来ない。

 得体の知れないものを避けられないのは臆病な魔女からすると本意ではないが、腕で防御する以外の選択肢がない以上、魔女は自分の血が滲む水により作成された腕でその何かを防御する。


 バチャン‼ と水の弾ける音を、魔女は聞いた。

 しかし、ただそれだけだった。


「…………?」


 何も変化がない。意識を逸らすためかと思ったら、正面の二人からの追撃もない。

 どういうことだ、と眉をひそめる魔女の視界に、もう一つの物が映った。


「はぁ……ッ‼ はぁ……ッ‼」


 息を切らした佐種司が、そこにはいた。

 どうやら魔女に何かを投げたのも彼のようで、右手は前に出ていた。

 しかし、どうも様子がおかしい。

 視線が曖昧だ。さらに息も上がっている。いや、意識的な深呼吸を繰り返しているというほうが正しいのだろうか。さらに司の足は若干震えており、今にも倒れるのではないかというほどだった。

 魔女には佐種司にここまでの傷を与えた覚えはない。

 ではなぜ彼はここまで消耗しているのか。魔女は目の前の情報から推測を始めようとする。

 と、魔女はあることに気付く。焦点は司が上げている右手のその手首だ。

 司の手首の切り傷から、血が溢れていた。

 まるでリストカットをしたような傷口に、魔女は困惑する。


(この期に及んで自殺志願? いや、そんなわけはない。それなら何かを投げてくるわけが──ッ!?)


 何かを察した魔女が足元を見た。そこにあるのは目の前にいる司が投げたであろう物体だ。それはバケツだった。どうやら腕にぶつかった時に聞こえた音はこのバケツに入った水が弾ける音だったらしい。

 ただ、問題はそこではない。魔女が勘づいたのは、そのバケツに入っていたであろう水の正体だ。


「血の、匂い……‼」


 魔女が声に出した途端、バケツを防御した魔女の腕がドスンッ! と力が抜けたように床に落ちた。

 それを見て司はうっすらと笑いながら、震える唇で言う。


「お前は自分の血を使うことで、それが混じった水も制御して力を使ってんだろ……?」


 司は朦朧としながら、歪む視界の中心に確かに魔女を捉え、


「だったら、その血と水にどっちつかずの『欠陥品』の血が混じったら、どうなっちまうんだろうな」


「悪知恵のよく働くこと……‼」


 司の投げたバケツに入っていたのは、司の血が大量に混じった水だった。

 誉の技によって身を隠した司は、近くにあったバケツとガラス片を使い、バケツに水を張ってその中に手首を切った右手を入れ、深紅の水を作りだしたのだ。

 医療などの現場ではあり得ない速度で司の体内から血が流れ、献血をした時以上の出血を司は経験したのだ。

 魔女にバケツを放ってから司の体に異常が起こっていたのは、大量の失血による重度の貧血症状だった。

 実際、司の視界は半分以上が灰色で染まっているし、体からは寒気もするし、感覚的にはどちらが上でどちらが下かも曖昧になるほどに意識が朦朧としていた。

 それでも立てたのは、薄れる視界の中に捉えた天使のおかげだ。


「絶対に……ッ! かた、ほ、は……ッ! 殺、させない……ッ!」


 命を賭してまで戦う理由なんて、それで充分だった。

 大切な女は死んでも守ると、約束したのだ。

 その気迫は、魔女の動きを止めていた。


「後は任せなさいッ!」


 声は、魔女の後ろからだった。

 ハンマーを持った天使が、その武器を振り下ろす瞬間だった。


「しまっ──」


 決定的に追いこまれた魔女は、最後の手段に出た。

 ビタッ! と誉のハンマーが動きを止める。それを見て魔女は不敵に笑いながら、


「やっぱり、この盾は効くみたいね」


 司によって動きを封じられた右手とは反対の腕の中に、天羽片穂が掴まれていた。

 当然、誉は片穂ごと魔女をハンマーで押しつぶすことなどできない。


「卑怯者‼」


「一人の女性に学生三人が寄ってたかって襲いかかる方がよっぽど卑怯ではなくて?」


 少し卑怯だと言われた程度で、魔女の動きは鈍らない。

 しかし、


「──ならば、ここは王道のRPGらしく四人のパーティで戦ってみるのはいかがでしょうか?」


 声が聞こえたかと思ったら、いつの間にか片穂を掴んでいた腕は切り落されていた。バチャン、という音と共に片穂が床へと落ちる。切り裂いたのは、その切っ先がついさっきまで司に向いていたはずの赤黒い大鎌。


「タイミングが早くても遅くても問題が起きそうな状況でしたけれど、これならいかがでしょうか、司様」


「さい、こう……だよ」


 身に余る光栄でございます、と雨谷朱理は頭を下げた。


「やっぱり、あなたの立場だと佐種司側につくはずよね」


「ええ。確かに、つい数時間前まででしたらそうだったでしょう」


 しかし、と朱理は真剣な面持ちで続ける。


「私は今、この場所に、司様とその仲間を、いえ、私の友達を助けるために自分の意志で立っております。どうか勘違いなさらないように」


「今日は不愉快なことが連続する最悪の日みたいね」


 朱理よって切り落されたものの、司の血がかかっていないために水に帰ったはずの腕が再び形作られようとしていた。朱理はその腕を切ろうとするが、意識して血の濃淡を変動させているのか、切り落すまではいかずにその手がもう一度片穂へと伸びていくが、


『人質をその手から離した一瞬を、ワシが見逃すと思ったのか?』


 閉鎖された空間のはずだった倉庫に、激しい風が吹きつけた。


「ぐ──ッ!?」


 咄嗟に魔女は片穂に伸ばしていた腕を自分を守るために体に巻きつけたが、その腕ごと魔女の体を天使の打撃が打ち抜き、ドガンッ! と倉庫の揺れる音が響いた。

 そして目の前に現れたのは、天使の力をその身に宿した司の大切な友達。

 梁池華歩が形勢逆転の一撃を魔女へぶちかました。


「待たせてごめんね。司くん」


「ああ……だい、じょうぶ、だ」


 血が不足した司は真っ青な顔でそう答えたが、その緊急性に気付いた華歩は慌ててその体を支える。


「ぜ、全然大丈夫じゃないよ! 顔真っ青だよ!? それに……右手、怪我してる! 待っててね。治すから」


 華歩は司の体に手を重ね、右手首の切り傷と失血を癒すために白い光で司を包みこむ。数秒で司の真っ青だった顔色は普段通りに戻り、傷も全て回復した。

 ただ、先ほどまでの失血のためか、回復しても少しふらついた調子で司は立つ。

 視線の先にいるのは、腕を巻きつけて自分を守った魔女だ。華歩の打撃で壁に激突したが、ダメージを負っている様子はない。

 しかし、片穂から引き離された魔女はもう人質という交渉手段を持ち得ない。


「こんなに不利になるなんてね。さすがの私も想像できなかったわ」


「諦めて帰ったらどうだ。俺たちだってお前と殺し合うつもりはない」


「……まるで私が殺人鬼みたいな言い方ね。心外だわ。私は自分の欲のためにここにいるわけではない。この世界を救うためには、あなたはこの世界にいてはいけない存在なのよ」


 言葉を返したのは司ではなかった。


「そんなわけ……ないじゃないですか」


 人質として捕らわれて倒れていた天使が、その拘束を解かれて立ち上がる。

 何らかの手段で力を奪われているのか、震えた足で無理やりに体を上げる。


「司さんが、存在すべきでないわけ……ないじゃないですか……!」


 魔女が否定する司の存在を、世界の安寧のために否定されてしまう司の存在を、彼女は決して否定しない。


「私は、認めません……ッ!」


 意味を持てなかった世界に理由をくれた。モノクロだった世界に色を付けてくれた。殺風景だった世界を鮮やかにしてくれた。

 そんな彼と一緒に居たくて何が悪い。

 彼と笑い合う世界が許されないのなら、そんな世界は認めない。


「大切な人と一緒にいたいという願いが否定される世界なら、私はそんな世界を否定するッ‼」


 ゴオッ‼ と片穂の体が光で包まれた。

 ただ、その光は今まで天使たちが身に纏ってきた白い光ではない。神々しさがさらに増した、黄金色の光。まるで隠された財宝の宝箱を開いたかのような眩しいほどの光が片穂から溢れだした。

 そして、片穂の外見も変わっていく。制服が衣装に、黒い双眸は金色の瞳に、そして最後に見えるのは……。


「どう……して……?」


 魔女は言葉を失っていた。それもそのはずだ。人質として近くに置けなくなってしまったことは確かだったが、それでも片穂にかけた天使化の封印はまだ消滅していないはずだ。

 厳密にいうならば、魔女のこの封印はそこまで万能なものではない。これは魔女の力によって天使を覆うことで、天使の力の出力をゼロにするものだ。つまり、最初から天使化されてしまうとそれをまた人間に戻すことはできない。さらに多くの血を使うため範囲もごく限られた範囲でしか使えない。

 だが、しかし、これだけの欠点があっても、一度結界によって覆ってしまえば天使の力は絶対に使えないはずなのだ。

 では、なぜ目の前の天使はあそこまで光輝いているのだ。

 その体は明らかに人間ではないことは魔女の目からも明らかだ。でもそれはあり得ないことなのだ。

 だって、あの結界は、天使の力の発動を──


「天使の……力……?」


 ふと、魔女は違和感を覚えた。

 目の前にいるのは天羽片穂であり、天使カホエルのはずだ。そして理由は分からないが力が溢れている今、彼女は天使カホエルのはずだ。ただ天使であるはずの彼女の背に、


 翼が、ない。


 完全に人間では無くなったはずのその体に、天使を象徴するはずの白銀の翼がどこにもない。形が変わったのでもなく、色が変わったわけでもない。天使の翼という存在そのものが完全に消えていた。

 力が制限されているわけではない。むしろその光の力強さに本能が危険を訴えているほどだ。

 まるでその力は運命を捻じ曲げるかのような力にも見えた。

 そんな力を全身に纏って、目の前の天使は凛々しくこう言うのだ。


「私たちが世界を救います。だから安心して帰ってください」


 目の前の現象には納得できない。ただそれ以上に、簡単に世界を救ってみせるというこの子供たちの幻想に納得できなかった。


「餓鬼が……ッ! そんなわがままのために世界を危険に晒せるわけがないでしょう‼ そんな甘い世界に永遠に生きられると思うな‼」


『じゃが、そんな餓鬼のわがままを叶えてやるのも、大人の仕事だと思うんじゃがのぉ』


 華歩の中にいる天使が、彼女の内部から声を響かせた。

 だが、それでも魔女は動じない。


「話す時間も勿体ないわ‼」


 身体の防御に使っていた巨大な右腕を、魔女は全力で振った。


「【軀癒之天翔(くゆのあまがけ)】‼」


 その腕を、過剰治癒による身体強化で威力を増加させた腕で殴り飛ばす。

 吹き飛ばすとまではいかないが、衝撃に耐えきれずに魔女の腕は手を上げるような体勢になる。

 完全に無防備になった魔女の目の前に現れたのは、もう一人の天使。


「頭冷やしなさい。馬鹿魔女」


 誉のハンマーが魔女の右半身に直撃し、そのまま壁へと吹き飛ばした。

 華歩の一撃とは違い、防御行為無しの直撃だ。気を失っているか、最悪の場合死んでいるかもしれない……。

 そう、その場にいた誰もが思った。


「世界を……守らなければ」


 魔女が倒れているべき場所から、声が聞こえた。


「お前を殺して……この世界を、守らなければ」


 聞き間違いではなかった。

 傷だらけの体で、血みどろの服装で、折れた右腕を反対の手で押さえながらも、魔女は立ち上がる。

 魔女の願いはたった一つ。世界を守りたい。ただそれだけだ。そのためなら何でもやると決めたからこそ、彼女は立ち上がり、人を殺す覚悟をした。

 睨む先は佐種司ただ一点。守るべき世界で殺すべき存在を否定する視線を司にぶつける。

 すぐにでも刺し殺してしまうような殺気を鋭く尖らせて魔女は立つ。

 しかし、それが限界だった。


 ガクン、と足の力の抜けた魔女は倒れそうな体を意地だけで支えて司を睨む。

 荒れる息を整えながら、魔女は口を開く。


「佐種司。私はあなたを絶対に殺すわ。もし、生きたいと言うのなら、私があなたを殺す前に世界を救ってみなさい。それ以外に私の矛先があなた以外に向かうことは決してないわ」


「……肝に銘じておくよ」


 司の言葉を聞いて、魔女は少し笑ったように見えた。

 彼女は翼のない天使を見て、


「それにもう一つ興味深いものが見られた。これなら、まだ少しだけ待ってみるのも、いいかも知れないわね」


 そして次の瞬間、左のポケットから小さな血液の入った瓶を取り出して地面にたたきつけ、


「【魔女(まじょ)闇路あんろ】」


 揺れぬ軸の通る信念を彼らにつきつけて、魔女は倉庫から姿を消した。


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