行間「残香」
佐種司と雨谷朱理は、二人で並んで帰路を歩いていた。
屋上での出来事の後、朱理は司への敵対を止めると決めた。しかし、司がサタンの『器』でないことを悪魔側へ隠すためにも、悪魔との関係は断つことなく、今回の襲撃は失敗に終わったと報告するらしい。
つまりは本当の意味で雨谷朱理は、司たちの味方になったわけだが、
(困ったことになってしまった……)
苦い顔をしながら、司は自分の横を歩く、いや、自分の腕を掴みながら歩く朱理に言う。
「あ、あの……雨谷、さん?」
「なんでしょう? 司様?」
「いや、もう悪魔からの命令とかは気にすることないから、俺のこと様付けで呼んだり、こうやってべったりくっつく必要はないと思うんだけど……」
司がサタンの『器』ではないと朱理が知った以上、忠義だの服従だの、そういったことに捕らわれる必要はないはずなのだが、現に朱理は司と距離を取るどころかむしろ接近してしまっているわけで。
「なにをおっしゃいますか。自分のために生きてもよいと言ったのは司様ではないですか。自分が惚れた殿方の腕を抱きしめて歩くことがそんなにもおかしいでしょうか?」
「そうじゃないけど、そうじゃないけど違うんだってば。それに、俺には片穂がいるし!」
司は腕を振りながら朱理を引きはがそうとするが、司を苦しめたあの力は未だ健在なので、平凡な男子高校生の腕力では朱理は動じない。
「片穂さんがいることは重々承知の上ですわ。ですが、それが関係ありまして?」
「へっ……?」
「二番目でも、私は司様の横にいることが出来るのならば幸せでございますわ」
「んなことあるかっての! ちょっ……! ち、近すぎ……!」
どれだけ司が抵抗しても離れるどころか頬をすりすりと司にこすりつけてくる。
(どうしてこうなった……)
自分のために生きろとも、悪魔から護るとも言ったが、今までの好意が演技だったと思っていた司は、急にカンストした好感度の理解が出来なかった。
そのことについても問いかけてみたのだが、それについては、
「今まで悪魔へ向いていた忠誠が真の意味で司様に向いただけですわ」
とのことだった。
司としても、こんな美人に腕を抱かれて歩くことに気分が悪くなることはないのだが、司には天羽片穂という心に決めた人がいるし、しかもこの状況はほぼ浮気だし、導華や英雄や華歩に見つかったら殺されると思うし、朱理の胸がぐいぐいと押し付けられて刺激が強すぎるし、髪の甘い匂いで頭がくらくらするし、司は冷静ではいられない状況だった。
とにかく帰宅して、早く朱理を家に帰らせようと思った司は無理やり歩くスピードを上げていく。
その甲斐あってか、五分もかからず帰宅することが出来た。
「じゃあ、俺はここで。雨谷さんも気をつけて帰ってね……って、どうして普通に家に入って来ちゃってんの!?」
「……? 司様に仕える身としては当然のことでございますけれど」
「いやいや! だから自分のために生きてって! 俺のためになんかすることなんてもう必要ないから!」
「あら、そうなさいますと私が司様に対してサタンの『器』としての価値なしと判断されてもおかしくないのですよ? 現状維持のためにはこれが最適解かと」
「……なる、ほど」
完璧に言いくるめられた司は渋々朱理を家に招き入れる。そして、丁寧に靴を脱いで家に入ると、朱理は司にぐっと近づいて、
「それと、私のことは朱理と呼び捨てで呼んでくださいませ」
「だから……! そんなことしてると片穂が…………って、あれ?」
司は後ろを振り返った。
今日、片穂は朱理からの呼び出しがあるからと先に帰らせたはずだ。華歩の買い物に付き合ってくれと言ったが、近くのスーパーで買い物してから帰ったとしても家で待ちぼうけをくらうほどの時間が経過してるはずだ。
「あれ……? 片穂、いないのか?」
「どうかしましたか?」
「片穂が帰ってないんだ。華歩と買い物に行ったはずなんだけど、さすがにもう帰ってきている時間だと思うし」
「では、華歩さんに電話をかけてみてはいかがでしょう? それではっきりすると思いますが」
それもそうだと、司はスマートフォンを取りだして連絡先から梁池華歩を選び、電話をかける。思ったよりも早く、華歩は電話に出た。
『あ、司くん。どうしたの?』
「華歩、今どこにいる?」
『どこって、もう家にいるよ』
「片穂と一緒に買い物行っただろ? そっちにいないか? まだ帰ってないみたいなんだ」
『え? でも、私、片穂ちゃんが司くんの家に入るまで見送ってから帰って来たよ。司くんのために美味しい料理作るって言ってたから、家以外にはいないと思うけど……』
「……なんだって?」
何かがおかしい。違和感を覚えた司は台所に目を移す。確かにこれから料理をしようと食材が並んでいた。しかし、肝心の片穂がいない。
通話を聞いていたのだろう。朱理も部屋を探し始める。
すると、何かを見つけたらしく朱理は司に声をかける。
「司様。こちらを」
明らかにトーンの変化した朱理の声に、司は事態の深刻さを理解した
朱理が手に持ってきたのは、ガラスの破片だ。片手に全て収まるくらいのガラス片は、まるで少量の薬を入れる瓶を叩きつけて壊したような見た目だった。
そして瓶はガラス製であるにも関わらず、少し鉄のような匂いがした。
「これは……?」
「一見するとただの割れたガラスです。しかし、このガラスにこびりついた嫌な気配は──」
朱理の頬に、冷たい汗が流れる。
彼女は決意を固めるように息を吸い、吐き、そして口を開く。
「──魔女の、気配です」
次から五話です。魔女との戦い、開幕でございます。




