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俺と天使のワンルーム生活  作者: さとね
第三章「不屈の英雄に最高の誉れを」
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その5「天使として」

 片穂が誉に冷たく事実を告げたのは、司が屋上のドアを開けた瞬間だった。

 本当は二人の間に入って空気を和ませようなどと考えていたのだが、扉の隙間から溢れ出す張り詰めた空気を感じ、司はその手を止め、僅かな間から様子を伺った。


 司は改めて二人の戦いを見つめる。

 二人が天使の姿で戦っているのは司の予想通りだった。しかし、先程の片穂の言葉は、司の予想の遥か遠くにあった。


 この言葉が片穂から飛び出し、意外だと思うのは正しいのだろう。自分よりもずっと前から片穂を知っている誉が、あんなにも怒りと動揺に顔を歪ませているのだから。


「そんなこと……ッ! やってみなくちゃ分からないじゃない!」


 片穂は、静かに首を横に振った。


「ううん。分かるよ。今のイーちゃんじゃ、私には勝てない」


 鋭く研ぎ澄まされた言葉が、誉の心に突き刺さる。片穂の顔は冗談を言っている顔ではない。天使として真剣に、誉の勝ちは不可能だと、そう片穂は告げた。


「そんなわけない! そんなわけ、ないッ‼︎」


 声を張り上げ、誉はハンマーを力いっぱい振り上げる。


「【波濤はとう大鎚おおづち】‼︎」


 文化祭一日目で誉が見せた、巨大な波が片穂に襲いかかる。自分の身長よりもずっと高い波が片穂を飲み込もうと牙を剥くが、片穂は逃げようとする動作を一切せず、ただその場に直立していた。


「イーちゃん。私にはそんな技、太刀を使う必要もないんだよ」


 一閃。素早く上から振り下ろされた黄金の剣は、波を縦に割った。枝分かれするように波は二股に裂け、片穂には触れることすら許されない。


「なッ……!」


 渾身の一撃をいともたやすく打ち破られた衝撃は相当なものだったようで、誉の体から一度全ての力が抜け落ちた。


 誉は呆然とした表情で片穂を見つめる。

 そしてそんな誉を見つめる片穂の目には、未だに悲しみしか感じられなかった。


 誉は、再びハンマーを強く握りしめた。


「嘘だ……! 嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だァア!」


 信じられない現実を誤魔化そうと、誉は正面から片穂に突撃する。


「……」


 しかし、放つ打撃は片穂の剣に跳ね返される。


「ぐッ……!」


 一振りで後方に飛ばされた誉は、歯を軋ませて片穂を睨みつける。片穂は、それでも動かない。


 司の感想は、圧倒的、だった。

 確かに、最初に誉の戦いを見たときは片穂の方が力があるとは思っていたが、ここまでの差があるとは考えられなかった。

 だが、考えても見たら簡単なことだ。以前、アザゼルの片手を落とすほどの一撃を放った片穂がアスモデウスに苦戦したのは、天使の力が半分しか回復していなかったから。


 それはつまり、片穂は半分の力で強力な悪魔と善戦が出来るレベルだということ。

 そして、アスモデウスと戦ってからもう既にかなりの時間が経っているし、文化祭では戦闘に参加せずにメイドとしての仕事に従事し続けていた。


 これだけの間があったのだ。片穂の力は完全に回復しているはずだ。自分が万全の状態だと分かっているから、片穂は誉には負けないと分かっているのだ。


 きっと、片穂が誉の勝負を快諾したのに天使としての戦いを渋ったのはこの差を既に理解していたからだろう。


 自分に勝負を挑んでくれる誉が、この果てしない差を理解し、心が折れてしまうのが怖かったから。

 それでも誉は引かないと思ったのだろう。だから引き受けた。そして、司に嫌わないでくれと言ったのも恐らく、自分がこれから誉の心を折ってしまうと分かっていたから。


 だから片穂はずっと、悲しそうで寂しそうな目をして、誉を見ていたのだ。


「もう、やめよ? イーちゃん。何回やっても、私は負けないよ」


 まだ引き返せる。まだ逃げてもいいんだと、そう伝えるように、片穂は誉に言った。


「それ以上、喋るな……! 私と……闘え……!」


 そんな片穂の気持ちがわかってしまった誉の体は、小刻みに震えていた。


「どうしてそんなに、勝負に拘るの? 私はただ、イーちゃんと……」


「……うるさい」


 低い声で、誉は言った。


「でも、これじゃあイーちゃんが……」


「同情なんて、するんじゃないわよ……」


 震える声で、誉は言った。


「そんな……同情なんかじゃ──」


「だから私は、あなたが大っ嫌いなのよ‼︎」


 大粒の涙を流しながら、誉は心から叫んだ。


「イーちゃん……」


「闘え‼︎ カホエル‼︎」


 涙を拭く挙動など一切見せず、誉はハンマーを振り上げ叫んだ。

 視線は真っ直ぐ、天使カホエルへ。ただ、その視線が、細かく揺れ始める。

 視界が歪む。遠く離れていく。小さい頃からずっと近くにいたライバルが、遠く遠く、手の届かないところへ。


 嫌だ。追いつかなくては。強くならなければ。なら、どうする。どうすればいい。

 分からなくて、誉は泣いた。

 分からなくて、誉は武器を強く握りしめた。


「闘えぇぇえええ‼︎」


 誉が走り出した瞬間、両者の間に緑色の風が吹いた。


「……そこまでじゃ。イドミエル」


「カトエル様ッ……!」


 二人の前に姿を現したのは、既に天使に姿を変えた片穂の姉、導華だった。

 その瞳に宿るは憤怒か、はたまた失望か。導華は、敵と向かい合った時と同様の威圧感を放ち、そこにいた。


 二人の顔に少し視線を移して、導華は口を開く。


「ほんの少しだけ、見せてもらった。明らかに互角の戦いではない。諦めろ」


 冷酷に、端的に、導華は事実を告げた。誉は地を見つめ、歯を噛みしめる。


「嫌……です」


「なんじゃと?」


 顔を上げ、誉は導華の目を見つめる。


「嫌です。カホエルと、戦わせてください」


「駄目じゃ。今のお前では決して片穂には勝てん」


 導華は間違っていることなど、一つも言ってはいない。圧倒的力量差のついた、無意味な争い。止めないなんて選択肢は、どう考えてもありえない。


 それが分かっているから、誉は目を背けた。


「…………知ってるわよ……そんなこと。私よりもカホエルが強いことなんて、ずっと前から、痛いほど知ってるわよ……」


 誉は、小さく呟いた。

 導華は呆れたような目で誉を見る。


「分かっているなら、尚更じゃ。これ以上不毛に力を使うことも──」


「知ってるから、勝ちたいんじゃない‼︎」


「──ッ‼︎」


 司と片穂が出会ったあの日、人生が変わったのは片穂だけではない。片穂が変わったから、誉も変わった。

 努力を続け、自分に勝ち始める片穂を見て、今までの自分が恥ずかしくなった。

 力などなかったのに、驕っていた自分が憎たらしくなった。


 自分も片穂のように強くなりたいと、誉は願い、負け続けても勝負を挑み続けた。

 それでも、届かなかった。


 ゆっくりと誉は顔を上げた。悲しそうな目をした片穂が、はっきりと映った。誉の涙は、未だに止まらない。


「あなたが変わってから、私はあなたに追いつこうと努力した。でも、届かなくて、届かなくて……それでも、あなたは私の勝負を受けてくれたからッ……だからッ……私は……ッ!」


「……イーちゃん…………私は」


 片穂の気持ちはよく分かる。彼女が優しい天使であることも、誰よりも知ってる。自分を傷つけないように、こんなにも考えてくれることなんて、最初から知っている。


 でも、だからこそ、誉は止まれなかった。


「あなたがこれ以上離れたら、私は一体……何を追えばいいのよ…………カホエル」


「──ッ‼︎」


 数秒衝撃を受けたように片穂は目を見開き、目を閉じ、そして開いた。それはとても、力強い目だった。

 片穂の目から、悲哀の一切が消滅した。

 あるのはただ、湧き上がり沸騰する闘志のみ。


「……お姉ちゃん。お願いがあるの」


「駄目じゃ。許可は出せん」


 願いなど聞くこともなく、導華は首を横に振った。

 しかし、片穂の目の奥で燃える何かは、さらにその火力を増していた。


「お願い。戦わせて」


「何度も言わせるでない。こんな闘い、認めるわけには──」


「嫌。闘う」


 駄々をこねる少女のような言葉だった。我慢も自制も一切ない、欲と本能に思考を委ねた言葉だった。


 導華は、静かに問いかける。


「…………後悔はないか」


「うん。ない」


 頷くこともせず、片穂は短い返事だけを導華に返した。

 少し考えてから、導華は呆れたようにため息を吐いた。


「後で二人でも説教じゃ。覚えておれよ」


「うん。わかった」


 導華は白銀の翼を羽ばたかせ、姿を消した。これで再び、入り口でこっそりと覗き見をしている司を除いて、屋上にいるのは天使の二人のみ。


 ここが学校とは思えないほど、屋上は静かだった。


「ごめんね、イーちゃん。私、分かってなかった」


「カホエル……」


 片穂は決意に満ちた目を誉に向け、腰を落とし、剣を構えた。

 そして、凛々しい声で片穂は言う。


「正々堂々、戦いましょう。天使、イドミエル」


 誉は、思わず笑みを浮かべた。

 嬉しくて仕方がない。自分よりもずっと強い片穂が、こんな弱い自分を対等に見てくれる。油断のない鋭い視線を自分に向けてくれている。

 高鳴る鼓動が、全身に滔々と血を巡らせた。


「……だから私は、あなたが大好きなのよ」


 目尻が赤く腫れ、頬に涙の跡すらある誉が笑い、反対に鋭い視線で目の前の友を見つめる片穂は、笑わなかった。


「手加減、しないよ」


「望むところよ。痛い目見ても知らないわよ」


 先に動いたのは、誉だった。

 作戦など一切感じさせない、正面からの特攻。自分の持てる最大の一撃を叩き込むつもりだ。

 これ以上ないほどの握力でハンマーを握り、最大出力の打撃を打つために、誉はハンマーを振り上げ、渾身の力を振り絞り、片穂へ向けて振り下ろす。


「【巨濤きょとう大鎚おおづち】ィイ‼︎」


 今までで一番巨大な波が、片穂へ向かって放たれる。先程の技よりも奥行きも、勢いも、全てが強化されており、飲み込まれればひとたまりもないだろう強力な攻撃なのは、一目瞭然だった。

 しかし、片穂はその場から一歩も動かず、剣を握る手に始めて力を入れた。


「【灮焔こうえん太刀たち】」


 光り輝く一太刀は、自らを飲み込もうと迫り来る波を再び二つに割った。

 誉の放った大波は、今度は負けてたまるかという意思を見せるかのように片穂の放った斬撃に力を寄せ、抵抗していく。

 しかし、片穂の攻撃は止まる様子など微塵も見せず、波を消し去ろうと進んでいく。


 消えていく。自分の力で、親友の放つ全力の攻撃が。進んでいく。自分の斬撃が、親友の攻撃を無に帰すために。


 片穂は、自分の視界が何かで歪み、自分の心臓が何かに締め付けられる感覚に襲われた。

 ダメだ。自分が泣いては、絶対にダメだ。

 泣くな。胸を張れ。友が追うべき、自分になるために。情けない顔なんて、見せられない。


 片穂が再び顔に凛々しさを戻したのと同時に、誉の大波が消滅し、誉に【灮焔之太刀】が届いた。


「きゃあ‼︎」


 武器で咄嗟に防いだが、当然片穂の攻撃を抑えきれるわけもなく、誉は吹き飛び、屋上のフェンスに体を叩きつけられた。

 その体が床に崩れ落ち、その体から天使の翼が消え始め、その姿が人間へと戻っていく。


 沈黙が、屋上を満たしていく。

 無傷で立つ片穂。倒れる誉。

 勝敗は決した。圧倒的な力量差の前に。


 天使イドミエルは、人間進撞誉は、人として、天使として、天羽片穂に完敗した。



感想など、一言だけでもお待ちしております。たった一言でも、作者にとってはとても大きな心の支えとなりますので。

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