その4「悪魔の力」
鎌を持つその少女は、司の目には悪魔には見えない。ただ、普通の人間に見えるかと問われたのなら、答えは否だ。その異質さは司の肌に突き刺さるように、明瞭に感じる。それでも、司はこの少女を悪魔と認めることはできない。なぜか? 簡単だ。
この少女が、護るためにこの鎌を握っているからだ。
自分の身長と変わらない長さの鎌を強く握り締めると、襲いかかろうとする悪魔を朱理は赤黒く染まった鎌で斬り裂いた。
左肩から右脇腹にかけて斜めに両断された悪魔は塵のように消えていく。その消えていく闇を纏うかのように朱理は突き刺すような殺意に満ちた目で、それでいて上品に立っていた。
「雨谷……さん?」
訳がわからず呆然とする司に、朱理は鎌を構え直しながら返事をする。
「司様。デーモンを一掃したいのならば、早く仰ってくださいな。てっきり何か考えがあるものと思っておりましたのに」
当然のように返事をする朱理。しかし、司は朱理がこの場で戦うその前提が理解できていなかった。
「見えるのか……? 悪魔が」
「私は一度も『悪魔や天使が見えない』などと言っていませんわ」
「それはそうだけど……」
逆に悪魔や天使が見えるか? などと質問するわけがないではないか。導華の言うように悪魔と関係しているのではないかという疑問があったが、この鎌は想定の遥か先だ。
(あの鎌は一体なんなんだ。あの、黒い鎌は)
天使の力の産物とは思えない、赤黒い鎌。それはまるで悪魔の力で作られたような、そんな武器。それはかつて司が感じた悪魔特有の禍々しさを纏っていた。
司は言葉を発せずにただ目の前に立つ朱理を見つめる。その視線に気づいた朱理はそれだけで意図を察し、不安そうな司の目を一心に見つめて、言う。
「全てが片付いたら、お話しします。隠していて、大変申し訳ありませんでした」
司は何か返事をしようと口を開いたが、言葉が出ない。
朱理は続ける。
「今は、この状況を打開すべきではないかと思いますわ。説明はそれからでもよろしいでしょうか?」
「あ、あぁ」
確かに、今は悪魔に囲まれたこの状況をなんとかしなければ。片穂がいない今、司は全くの無力だ。朱理に頼るしか、方法はない。
頷いた司が一歩後ろへと下がると、その背中が英雄とぶつかった。
「お、おい。司……」
(やば。今の会話、聞いてたよな……?)
「ひ、英雄。気にしないでくれ。実はこっそり演劇の練習を——」
「なんで雨谷さんは鎌持ってて、あの黒い奴らと戦ってるんだ……?」
司は、息を二度吸った。
「な……っ! 見える、のか?」
英雄が目を揺らして見つめる先は、明らかに司ではなくその先の悪魔たち。冗談抜きで見えていることは間違いない。
つい先ほどまで見えていなかったはずの悪魔が、見え始めている。普段から片穂たちと過ごしていくなかで、朱理の鎌の顕現が引き金となったのだろうか。
とにかく、この顔は冗談を言っている顔ではない。本当だ。
英雄は事実だと訴えるために、悪魔たちを見つめたまま司に言う。
「はっきりとまではいかないけど、何かがいるのは見える。司、あれは一体なんなんだ……?」
ここまでですら苦し紛れの言い訳しか出来ていない司は、これ以上の取り繕い方が分からなかった。
どもる司の代わりに、朱理が答える。
「詳しい説明は、また後ほどでよろしいでしょうか。私もさすがにそこまでの器用さは持ち合わせておりませんので」
そう言いながらも朱理は鎌を振り、悪魔を切り落としていく。
(普通に戦ってんじゃねぇか……どうなってんだ。本当に何者なんだ、この子は)
アクロバティックに回転して朱理は悪魔を両断し、少しづつその数を減らしていくが、
「数が、多い……!」
鎌は人智を超えたなんなかの力なのだろうが、使用者の朱理は恐らく生身。人間の体だ。スピードが異常ではなく、人の延長線上に見える。
だから、夥しい数の悪魔を減らしきれない。
悪魔に周りを囲まれた司が唇を噛み締めた瞬間だった。
司たちの周りを、力強い風が駆け抜けた。
「【軀癒之天翔】ッ!」
弾けるように、周りの悪魔が消滅した。それは司のよく知る高速の打撃。今まで何度も救われてきた、嵐のような攻撃。そして、その打撃を繰り出すのは——
「華歩ッ!」
天使化し、天羽導華の力を身に宿した契約者、梁池華歩の救援が到着した。
「司くん! 大丈夫⁉︎」
「大丈夫だ! 片穂は⁉︎」
片穂が来てくれれば、司もこの戦いに参加できる。この状況を一瞬のうちに打開できるのだが、
「私たちだけで十分だから、お店番してもらってるよ!」
「あ、そうなんだ……」
(ってことは今回は完全に足手まといじゃねぇか……)
力になれないことに落胆する司の後ろで、更なる驚嘆に目を丸くする友人が一人。
「華歩が、飛んでるぞ……!」
「ごめんな、英雄。後でちゃんと話すから、今は雨谷さんの後ろにいてくれ」
そして、応援に来た華歩を捕捉した朱理が珍しく声を上げた。
「梁池さん! 司様たちは私が守りますわ! こちらには気にせず迎撃を!」
「え……雨谷、さん?」
鎌を持ち戦いに参戦している朱理を見た華歩は、司と同じように動揺を露わにした。
『華歩、今は結界を張っておらん。あの娘は後じゃ。早く悪魔たちを倒すぞ!』
「う、うん!」
「カトエル様! お力添えをさせていただきます!」
華歩が向きを変えたと同時に、第一波を倒し終えた誉が合流した。即座にハンマーを構え直して臨戦態勢に入る誉に、導華が語りかける。
『イドミエルよ。結界を張りたくないのなら素直に言え。ワシもそこまで固い頭はしておらん』
「…………すいません」
誉は目をそらして小さく呟いた。
「誉ちゃん! 来るよ!」
「……わかっているわ! 任せなさい!」
空中の二人が悪魔へと攻撃を仕掛けると同時に、屋上の朱理も目つきを鋭くする。
「司様! 後ろへ!」
「わかった!」
困惑する英雄の手を引いて、司は朱理の後ろへ下がる。
次の瞬間、三人の戦士が一斉に攻撃を開始した。矢が、鎌が、鎚が、瞬く間に学校を覆う悪魔を一掃した。
自分が攻撃されたと気付かぬ間に、悪魔たちの存在が下界から消滅していく。三十秒ほどで、空を覆っていた黒い塊はなくなり、司の視界に映るのは美しく立つ天使二人と、大鎌を持つ少女が一人。それとほとんど雲のない青い空。ただそれだけ。
そして、空からゆっくりと華歩が舞い降り、司に近づいてくる。
「司くん、大丈夫?」
「ありがとうな、華歩。怪我一つないよ」
天使化した華歩から光が溢れ、人間へと姿を変えると同時に、導華も人間の姿となって目の前に現れる。
「幸い、被害はないようじゃな。皆が無事でなによりじゃ」
腰に手を当てて導華は屋上から悪魔の存在など知りもせず、文化祭を楽しむ人々を見て気を緩ませた。
続いて、落ち込んだ様子で下を見たまま軽く唇を噛んだ誉が屋上へと降りてくる。
何も言わずに、誉は人間へと姿を戻した。人間へと姿を戻しても、誉は一歩も動かずに拳を握り締めていた。
その誉に、導華はゆっくりと近づき、問いかける。
「イドミエルよ。お前が一人で戦おうとした理由は、ワシの想像通りでいいんじゃな」
「……はい」
床を見たまま、誉は答えた。
「お前の気持ちはわかる。ワシもこの学校に生徒として過ごしていたのなら、結界を張りたくないと思うじゃろう。心があるのなら、当然じゃ」
「……」
導華は一つ、大きめに息を吸った。
「じゃが、一つ覚えておけ」
少しだけ声色が変わったのを感じて、誉は初めて顔を上げた。
「守るものが増えれば増えるほど、必要な力も同時に増えていく。力が無ければ、守るものも守れない」
「……はい」
「人の心まで救いたいのなら、強くなれ」
「…………はい」
少し寂しそうな目で、華歩は二人を見る。
「導華ちゃん……」
誉も、華歩も、導華の言う事は理解していた。特に華歩は守るための力を願い、導華の契約者となったのだ。護るということの重みを知る華歩は、この会話に介入出来なかった。
この雰囲気に水を差せるとしたのなら、それはきっと、天使たちとは何の関係もない、ただ人間だ。
「なぁ、これは一体どうなってんだ」
静まった屋上で、英雄が耐えきれずに言葉を漏らした。
その言葉に、導華が答える。
「お前の疑問には、ワシが後ほど責任を持って答えよう。しかし、すまないが今は先に片付けなければいけない案件があるんじゃ」
「そう、ですね……」
司は視線を導華とは別の、自分のすぐ近くで上品に立つ少女へと向いていた。
「雨谷さん。今度こそ教えてくれないか。君は一体、何者なんだ?」
雨谷朱理は、いつもとは違った真剣な表情で司を見つめていた。
「さすがに、言い訳をするには苦しすぎですわね。仕方がありませんか」
「雨谷さんは、悪魔側の人間なのか?」
「……私が捨て子だったという話を覚えていますでしょうか」
司の質問に、朱理は直接的には答えない。しかし、本質に触れ始める気配を感じた司は話を切らさぬように軽く頷く。
「前の帰り道で話してた、よね。確か孤児院の前で捨てられていたって」
「恐らく、私は捨てられる前に悪魔から何かしらの攻撃や干渉を受けておりますの。私は、物心ついたときから天使や悪魔の姿を見ることができましたわ」
天使や悪魔が見えることは納得できる。実際に、華歩や英雄も、そして自分も見えているのだから。きっかけさえあれば見えても驚くことはない。ただ、どうしても一つだけ納得の出来ない事がある。
「じゃあ、その鎌は……?」
あり得ない。ただの人間が、天使や悪魔の力を使うなど。特別だと言われてきた司ですら、ナイフの一つも出せやしないのだから。
朱理は、首を横に振った。
「分かりませんわ。これも何かの力を得た自覚はありませんが、出し方も使い方も分かるんですの」
「導華さんは、どう思いますか」
導華は腕を組み、眉間にシワを寄せて、少し考えてから大きく息を吐いた。
「可能性はゼロではない。親が悪魔と関わっていた、もしくは赤子の時に悪魔と直接関わったことで悪魔の力が身に宿る可能性は否定できん」
「じゃあ……」
導華は、頷かない。
「それでも、余りにも不自然すぎるんじゃ。信じろと言われて素直に信じれるような案件ではない」
「私も、そう思うよ」
導華の意見に、華歩が続いた。
「華歩まで……?」
「私、一度悪魔に取り憑かれたことがあるから、何となくわかるんだけど、悪魔が体に入ってくると、こう……なんて言うのかな。自分の中をぐちゃぐちゃにされるような感じがして、耐えれないだろうし、受け入れられないと思う。少なくとも、普通の心だったら」
「普通の心?」
少し寒気を感じているのか、華歩は斜め下を見ながら片腕でもう一方を抱えながら、小さく口を開く。
「悪魔に取り憑かれている時に、苦しみが消えて溶けていく感覚になる瞬間があるの」
「……」
導華は何も言わずに華歩の言葉を聞く。きっと、かつて悪魔と共に華歩の心の中へ入った時に、導華は華歩がどんな感情を抱いていたか、知っているから。
司も、なんとなく理解はしている。しかし、それを口にしていいのか分からない司は、少し言葉を濁しながら、
「それって……」
「うん。『死にたい』って思った瞬間。その時だけはむしろ悪魔が心地良くすら感じるの」
躊躇うことなく、華歩は言った。
この言葉を受けて、朱理も口を開く。
「確かに、私もそう思っていたのかもしれませんね」
「雨谷さん……」
「幼い頃から悪魔が見えて、不安でした。そして幼い私は秀でた才能は無く、不器用で全てのことが苦手でしたの。孤児院でも小馬鹿にされた覚えは多くありますわ。辛いときに、味方になってくれる親がいない。幼い私は、死を望んだこともあったかもしれません」
「でも、雨谷さんは裁縫とか料理とか凄く上手じゃないか。それなのに……」
朱理は遠くを見ながら昔の自分を嘲るかのように笑った。
「いいえ、苦手でしたのよ。皆に言われるのが怖くて、必死に努力しましたの」
「そう、なんだ」
納得した様子の司だが、導華のピリついた雰囲気は未だに消えない。
「まだ、一つ訊いていないことがある」
「なんでしょうか」
「なぜ、司にそこまで執着する」
重々しく、威圧感のある声で、導華は言った。
「運命の人、だからですわ」
重々しく、威圧感のある声で、朱理は答えた。
「また、それか」
「これ以上の理由など、ありませんわ」
頑なにそれ以上の情報を出さない朱理に、今度は司が尋ねる。
「詳しくは教えてくれないのか?」
「……」
黙秘を貫く朱理。十秒ほど、たっただろうか。導華は大きく溜息を吐いて、体の力を抜いた。
「……お前が今、ワシらに危害を加えるつもりがないことはわかった。また改めて、訊くとしよう。それよりも別に説明を求めている者がいるようじゃからな」
この言葉で、全員の視線が一人に集まった。
「英雄……」
「みんな、教えてくれ。一体、何がどうなってるんだ」
ただの平凡な人間は、不安そうに皆に向かって問いかけた。




