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俺と天使のワンルーム生活  作者: さとね
第三章「不屈の英雄に最高の誉れを」
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その2「天使 イドミエル」

「い、いや。なんでもない。この人が導華さん。片穂のお姉さんだよ」


 焦った司は少し言葉に詰まりながら導華を紹介した。案の定、導華の外見から一目で片穂の姉とは分からなかったようで朱理は目を丸くした。


「あら、この方がそうでしたか。初めまして。私、雨谷朱理と申しますわ」


 深々と頭を下げる朱理に、導華は何事もなかったかのように声をかける。


「話は司たちから聞いておる。なんでも司をとても慕っているそうじゃな」


「その通りでございます。私は司様にこの身を捧げる覚悟でございます」


 導華は薄っすらと眉間にシワを寄せる。


「その理由を、訊かせてもらおう。無条件に人生を誰かに捧げる人間をワシはまだ見たことがないのでな」


「司様が運命の人だから、ですわ」


 朱理は即答した。しかし、導華の表情は変わらない。


「……それだけか?」


「はい。これ以上ない理由でございますわ」


「……理解は出来んな」


「それも、承知の上でございます」


 変わることのない朱理の意志を見て、導華の表情が僅かに柔らかくなった。


「……今はそれで納得しておこう。頼りになるとも聞いておる。司たちを頼むぞ」


「ありがたき幸せでございます。この身、尽き果てるまで捧げさせて頂きますわ」


 導華が握手のために差し出した右手を、朱理は丁寧に握った。


「それじゃあ、片穂たちのところに行きましょうか」


「うむ。ワシはすこぶる腹が減っているからのぉ。早く食べさせてくれ」


 速歩きで進み始めた司は、常に一歩後ろで付いて歩く朱理に聞こえないように導華の耳元で問いかける。


「……いいんですか、悪魔のこと」


「先程、握手の際に確認したが悪魔に取り憑かれてはおらんかった。言葉にも嘘は感じられん。しかし、悪魔の力は自然と身につくものでは決してない。司よ。あの娘の過去について話をしたことはあるか?」


「いや、聞いてもいつも茶を濁されちゃって、話してくれないんです」


 この一週間、さりげなく朱理についてのことを色々と訊こうと様々な質問をしてきたが、全て躱されてしまい、朱理の個人的な情報は何一つも得ることが出来なかった。


「僅かでも悪魔の気配を漂わせている以上、こちらも警戒しなければならん。出来るだけ早く確認しておいてくれんか?」


「了解です」


 司が頷き顔を上げると、目の前に長蛇の列ができていた。その列の先を目で追うと、その先にあるのは片穂たちが働いているであろう教室だった。


「うっわ……凄い並んでる」


「なんじゃこの人の数は。すぐに食べれんではないか」


「すいません。ちょっと片穂たちにどんな状況か聞いてきます」


「いや、ワシも行くぞ。片穂が仕事をきちんとしているのか確認しないと不安で真っ直ぐ立っていられんわ」


 関係者として列をかき分けて、司は教室の中へと入った。その後ろから導華が続き、教室の様子を眺める。そして、その目に移った光景に、導華は困惑の色を隠せなかった。


「おまたせしました! カレー二つとお味噌汁です! 心を込めて作ったので、たくさん味わってくださいね!」


 そこにいたメイド服姿の片穂は、ハキハキと笑顔で料理を運び、完璧に仕事をこなしていた。


「ありがとうございました! また来てくださいね!」


 嬉しそうに頭を下げ、接客をしていく片穂。見ていた限りでは、何一つとしてミスがない。司には、片穂が輝いてみえた。


 文化祭が始まってすぐにカレーが無くなったために司は片穂の仕事中の動きを途中までしか見れていなかった。始めは上手くいっていたが、その分自分が見ていない間に盛大に転んだり注文を忘れていたりなどしているのではないかと不安に思っていた。しかし、司の想像以上に片穂は頑張っていたようだった。


「なんか、めっちゃまともに仕事してますよ……って、導華さん⁉︎ どうしたんですか⁉︎」


 ふと司が導華を見ると、導華の双眸から涙が溢れていた。瞬きもしていないのに流れる涙を、導華は慌てて拭き取る。


「片穂が……誰に迷惑をかけることもなく仕事を順調にこなしておるぞ。司よ……ワシは夢でも見ているようじゃ……」


「今までって、そんなに酷かったんですか……」


「学校に行かせて正解じゃった……こんなにも片穂が育ってくれるとは——」


 妹の成長の感動に浸る導華の声を遮ったのは、誰でもない妹の声だった。


「ひゃああっ! す、すいません!」


 カレーを運んでいた片穂が、盛大に転んだ。


「え⁉︎ カレーがまだ一つ来ていないんですか⁉︎ すいません! 今持ってきますね!」


 カレーを運び終わった片穂が、注文を忘れていた。


「……」


 鉄仮面のような淡白で無表情な顔で、司と導華は笑顔で接客する片穂を見つめる。


「……あの、導華さん」


「……なんじゃ」


「なんか、すいません」


「気にするな。軽率に判断したワシのミスじゃ」


 片穂がまだまだ一人前には程遠いことを痛感した司は、更なる悲劇が起こる前に片穂に駆け寄る。


「片穂、大丈夫か」


「あ! 司さん! おかえりなさい!」


「片穂、ちゃんと仕事するんだぞ。導華さんが悲しんでるから」


「お姉ちゃん! 来てたの⁉︎」


 自分の言葉が見事にスルーされたことが若干気になるが、司は気にせずに導華を見る。


 片穂の失態を仕方のないものだと割り切って気持ちを切り替えた導華は、いつものように胸を張る。


「うむ。今来たところじゃ」


「カ、カトエル様⁉︎」


 導華の来校を知らなかった誉が、カレーを運びながら器用に嘆声を上げた。


「誉。その名をここで呼ぶではない」


「あ……す、すいません!」


 謝る誉の後ろ側から、導華の名前を耳にした契約者が慌てて現れた。


「導華ちゃん⁉︎ 導華ちゃんが来てるの⁉︎」


「おぉ、華歩か。調子はどうじゃ」


「うん。元気だよ!」


 片穂に無理矢理メイド服を着せられたため接客に回ることになった華歩は、溌溂とした返事をした。


 文化祭が始まってからもメイド服に乗り気ではなかったはずなのに、妙に違和感のある明るい雰囲気に司は怪訝な顔をする。


「華歩……なんか異様にテンション高くないか……?」


「そ、そんなことないよ。ただ、導華ちゃんに用があって……」


 そっと華歩が導華に上目遣いで視線を送った瞬間に何かを感じ取った導華は踵を返したのだが、司が気づいた時には華歩は導華の腕を強く掴んでいた。


「なんじゃ、華歩。離してくれんか? ワシは腹が減っておるから——」


「導華ちゃん、逃げないでよ? せっかく導華ちゃんのためにお洋服作ったんだから」


 低い声で冷たく言い放つ華歩は、俗に言う『ヤンデレ』の空気を纏っていた。


 逃げようとする導華の腕を離すどころか、華歩はさらに強い力で握っている。戸惑う導華は、司に視線を送る。


「つ、司。助けてくれ……」


「え、えっと……」


「司くん。まさかとは思うけど、さっき私を見て見ぬふりしたのに導華ちゃんを助けるなんてことないよね?」


「あ……はい。その通りです」


(うっわ、目がガチじゃん。導華さん、ごめんなさい。俺には無理です)


 目を見開いて悪魔でも身に宿したかのような圧倒的な圧力の前に、司は抵抗することが出来なかった。


「司! 貴様、それでも男か!」


 司に叫ぶ導華の腕をさらにキツく握り、華歩は優しく、恥ずかしそうに、可愛らしく、まるで恋する乙女のように頬を赤らめながら上目遣いで言う。


「ほら、導華ちゃん。お着替え、しよ?」


「ひっ……」

 

 エリート天使、天羽導華が人間に始めて恐怖した瞬間だった。


 数分後、華歩に引かれて裏方へ連れ込まれた導華は綺麗に装飾されたメイド服を身に纏って出てきた。


「……こんな、こんな服を再び着ることになるとは……」


 周りから見たら文化祭に来た知り合いに勢いでメイド服を着せてみた、ぐらいにしか思えないので違和感自体はない。むしろ、興奮している野郎どももいるくらいだった。


 その一部始終を見ていた誉は、恐れるように華歩を見ていた。


「カ、カトエル様が手も足も出ないなんて……梁池華歩、何者なの……?」


 自分に着せられたメイド服を見回しながら、導華は耐えきれないようで体を震わせていた。


「ワシは客じゃぞ……なぜ店員になっておるじゃ……」


 案の定、現状に納得していない導華はぶつぶつと文句を誰に対してでもなく漏らしていた。


「お姉ちゃん! 他のお客さんもたくさん待ってるから、早くお仕事を——」


「——ッ‼︎」


 会話の途中で、天使三人が一斉に振り返った。三人のこの反応に覚えがある司は、意識を集中させてみる。


(悪魔だ……!)


 今までに何度か経験した禍々しさを、確かに司は感じとった。天使ほどではないが、人間の状態でも悪魔の気配を感じた。


 しかし、天使の感覚は人間よりもずっと鋭い。肌に突き刺さるような悪魔の気配を感じている三人は、一斉に纏う雰囲気を尖らせていた。


 教室の壁を透き通すように三人は遠くを見つめる中、まず最初に口を開いたのは導華だった。


「人が多く集まる場所に、出現しやすいからといって、よりよってここに出てくるとはの……」


 このあからさまな言葉に、事の異変を察知した華歩が導華に問いかける。


「もしかして……」


「うむ。じゃが、前回のように大きな力は感じられん。デーモンだけじゃろう」


 司もデーモンほどの弱い力しか感じていない。アザゼルやアスモデウスの時に感じた悪寒は一切なかった。ならば悪魔たちを撃退するのは簡単だろう。


「それなら、俺と片穂が——」


「私に、行かせてください! カトエル様!」


 司よりも先に、進撞誉が名乗りを上げた。


「お前は仕事があるじゃろうが。ワシが行けば数分で終わる。任せておけ」


「カトエル様のお手を煩わせるわけにはいきません! それに、私はこのために努力を重ねてきたんです!」


 誉は声を張って導華を説得する。だが、その大きな声は周りの人の目を引きつけていた。かなりの視線を感じる司は、二人の会話に静かに割って入る。


「ちょっと、ここでその会話はよくないんじゃ……」


 この状況ではあまり長く話を出来ない。導華は何も言わずに誉の目を見つめる。その双眸は透明で美しく、しかし決意に満ちたような力強い目だった。


 数秒考えてから導華は一つ息を吐いて、


「……仕方ないかのぉ。司、付いて行ってくれ。何かあったら電話をかけろ。すぐに行く。それで、いいか?」


「はい! ありがとうございます!」


 誉は返事をするやいなや、司の事など無視してメイド服のまま走り出した。


「お、おい! 待てって!」


 人混みの中を全力で走る誉は、スピードを緩めずに後方を走る司に声をかける。


「佐種司! 簡単に辺りを一望できる場所はあるかしら⁉︎」


「屋上なら、なんとかなるはずだ! その角を曲がってすぐの階段を上がってくれ!」


「急ぎなさい! 一秒すらも勿体無いわ!」


 執拗に急ぐ誉の行動に、司は納得がいっていなかった。


「だったらなんで、導華さん達にも助けてもらわないんだよ!」


 勢いよく屋上へ通じる扉を、誉は開いて外を見渡した。続いて司も屋上へと上がり、誉と同じ視界を得た。


 眼下に映るのは出店で人々が食べ物を買う姿、イベント場で行われる小規模なレクリエーションなどだ。屋上まで響いてくる人々の喧騒はどこか幸せな雰囲気を感じさせた。


 しかし、その視線を上げる先に見えるは黒に染まった、悪の象徴。


 過去に見たときと同じ、夥しい数の悪魔。一見した限り、種類はデーモンのみ。強力な力は感じれなかった。


 悪魔たちはまだ学校から遠く、今の段階で撃退すれば文化祭に来ている人々が被害を被ることはないだろう。


 少しずつその距離を縮めてくる悪魔たちを誉は遠目に見つめながら、誉は口を開く。


「恐らく、カトエル様に任せたら、ここに来ている人たちの安全を考えて躊躇いなく【縛魔ばくま神域しんいき】を使うわ」

 

「それが、どうかしたのか」


 学校の人々を守るために【縛魔之神域】を使うのは当たり前の事である。それなのにまるでその結界を否定的に考えている誉に、司は違和感を感じた。しかし、


「カホエルの契約者なら、あの結界がどんな効果を持っているか知っているでしょう?」


 視線を悪魔に向けたまま、誉は言った。


【縛魔之神域】はその空間に存在する人を逃し、結界内に悪魔を留めることで悪魔から人間へ干渉する可能性を限りなく減らす結界だ。


 しかし、それはつまり悪魔と闘うためにこの学校から人々を一掃するということで。


「文化祭が、中止になるのか……?」


「終わった後に記憶操作が行われるから、皆の記憶の中では文化祭は滞りなく終わったことになるわ」


「それなら、なんで……」


「あなたは、この文化祭が作られた記憶でいいの?」


 天使の力によって削られた記憶は、天使の力によって補完される。何も知らない皆は、きっと幸せだった文化祭の記憶を作られる。


 その作られた記憶でいいのか、と訊かれたら、司は素直に頷けなかった。


「それは……」


 悪魔とは別の遠い場所を見ながら、誉は口を開く。


「この一週間、クラスのみんながどれだけ頑張って準備してきたか、私は見てきた。不恰好だけれど、それでも楽しそうに作業をしていた。特に英雄よ。あのバカ、ずっとゲラゲラ笑ってみんなと楽しんで……」


 微笑みながら、話している本人も楽しそうにこの一週間を噛みしめるように振り返る。


 誉が少し強く拳を握ったのが、司の視界に映った。


「きっと皆の安全を考えれば、いち早く結界を張って避難させるのが一番よ。万一の可能性もあってはいけない。でも、私はそれでも、みんなにこの瞬間を楽しんでほしい。作られた記憶で、終わってほしくない」


「誉ちゃん……」


 ここで始めて、誉は振り返った。司が見た誉は笑っていた。それはとても幸せそうで、輝いていて、まるで本物の天使を見ているかのようで。否、それは紛れもなく、本物の天使だった。


「これでも私は天使なのよ。みんなが心の底から笑える未来を望むのは当たり前じゃない」


 司は吹き出すように微笑した。


「やっぱり天使ってのは変なやつばっかなんだな」


 つられるように、誉も笑った。


「はっ! あの姉妹と一緒に暮らしておいて今更過ぎるかしら。あの二人に比べたら私はよっぽど普通よ」


「それなのに、なんであんなに片穂に突っかかるんだ?」


 誉の笑みが片穂に勝負を挑む時のような挑戦的な、自身の溢れる表情に変わった。


「だからこそよ。負けっぱなしは性に合わないの。そこで見ていなさい。すぐに終わらせるわ。早く店の手伝いに戻りましょう」


「あぁ。待ってるよ」


 司の後押しを聞いて、誉は一歩前に進む。その瞬間に、誉の身体を碧い光が包みこんだ。光の中で誉の服は今着ているメイド服とは全く別の、神々しさを纏った服へと姿を変えていく。


 そして、包む光はその背中に集まり、凝縮され、形を成していく。天使の象徴である、白銀の翼へと。


 双翼を大きく羽ばたかせ、誉は右腕を横へ突き出し、その手を開く。


「【滔碧とうへき大鎚おおづち】」


 その言葉と共に顕現するのは、碧く輝く巨大なハンマーである。自分の体と同じかそれ以上の大きさのハンマーを手にして、誉は戦闘準備を整えた。


 右手に握りしめた巨大なハンマーの先を悪魔へと向け、誉は片穂へ勝負を挑む時とは別の、敵意に満ちた鋭い視線で悪魔たちを睨みつける。


「観念しなさい、デーモンども。この天使イドミエルが、その汚い魂を粉々にして穢れたその存在丸ごと魔界に送り返してあげるわ」


 天使イドミエルは凛々しく、力強く、悪魔に向かってそう告げた。




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