その7「じゃんけんぽん」
「……それで、なんで雨谷さんは俺たちと帰ってるんだ?」
帰路についてもなお司のすぐ横を上品に歩く朱理に、司は戸惑いながらも問いかけた。
やはりあそこまで司に対して好意を示して来た後なので何かあるとは思ったが、まさか共に帰路を歩くとは思わなかった。
帰り道は最後まで残っていた華歩と英雄と朱理、そして四人が歩く後ろで未だに何か騒いでいる天使が二人である。
騒がしい誉と片穂を無視して、朱理は丁寧に司に返答する。
「家の方向が同じなのですわ。例え同じでなくても、司様のご自宅までご一緒させてもらって、夜でも変わらず司様に奉仕したいのですけれど」
「大丈夫だから、遅くならないうちに帰ってな」
「あら、残念ですわ」
冗談なのか本気なのか。司が冗談だと受け取って返事をすると、朱理は艶かしい笑みを浮かべた。
「こんな遅くに帰ると親も心配するんじゃないかな」
「それは心配なさらなくても大丈夫ですわ。私、両親など物心ついた時からおりませんので」
「いない、の?」
冷たく言い放つ朱理の言葉に、「両親がいない」という告白に、華歩がいち早く反応した。
華歩の表情を見て、司は慌てて取り繕うように、
「ごめんな、ちょっと無神経だったよ」
「いいえ。構いませんわ。別に両親が死んだわけではありませんから」
「……それって?」
問いかけたのは、華歩だった。
「捨て子、というやつですわ。朝早くに孤児院の前で捨てられていたそうですの」
「そう、なんだ……」
「すいません。少々話を暗くしてしまいましたね」
家族からの愛を受けなかったからだろうか、親がいないという言葉に悲しみは感じられなかった。
それでも少し空気が重くなった感覚に司は覆われたが、すぐにあることを思い出してその場に立ち止まる。
「あ、いや、大丈夫だよ。多分すぐに明るくなるから」
「……?」
首を傾げる朱理の後ろから、明るい声が響き始める。
「これで三勝目ね! 私の勝ちよ!」
高々に誇らしく声を上げる誉に対して、片穂は噛みつくように言う。
「まだ! まだ負けてないもん!」
「はっ! 笑わせないで頂戴! 何度やってもあなたの負けは変わらないわ!」
「むぅ〜! そんなに言って負けても知らないんだからね!」
「ならばやってごらんなさい! 何回だって受けてあげるわ!」
言葉だけ聞くと熱戦を繰り広げているように聞こえるが、実際は帰り道に全力でじゃんけんをしているだけである。もう夜遅くなってきているので少し静かにしてほしいが、声をかけたら誉に「邪魔をしないで頂戴!」と一蹴されたので少し距離を置いて歩いていたのだ。
早くこの戦いを終わらせようと、司は手招きして片穂を呼びつける。
「片穂、ちょっとおいで」
「はい? なんでしょう?」
「えっと……」
丸い目をした片穂の耳元に口を近づけ、司は小さな声で作戦を伝える。
それを聞いた片穂は、丸い目のまま首を傾げる。
「ほぇ? それだけでいいんですか?」
「まぁやってみなって」
「は、はい」
戸惑いながらも、片穂は誉と向かい合う。
「何をしたって無駄よ! ほら、いくわよ!」
「うん!」
互いにじゃんけんの準備を始めるタイミングで、片穂は頬に少し力を入れて膨らませる。
「むぅ〜……」
数秒置いてから、二人同時に振りかぶった腕を勢いよく出して、
「「じゃん、けん、ぽん!」」
片穂はチョキ、誉はパーをだした。
「な、な、な……」
信じられないと顔に書かれたかのように、誉は驚嘆に顔を歪ませた。一方で、ようやく勝利を手にした片穂は、飛び跳ねて喜びを表現する。
「やった! やった! 司さん! 本当に勝ちましたよ!」
「おう。よかったな」
「はいっ! でも、なんで私、勝てたんでしょうか?」
素直に笑いかけた司に、片穂は不思議そうに問いかけるが、
「それは……秘密だ」
種は、至極単純なのだ。
まず、片穂は基本最初にチョキを出さない。そして、頬が膨らみ、顔に力が入っていたらグー。そうでなければパー。なんとも単純なこの天使には、パターンさえ分かれば基本じゃんけんで負けることはない。
しかし、それは片穂には教えられない。
「はぇ? なんでですか?」
「それも、秘密だ」
ただ、風呂洗いのじゃんけんで負けたくないだけ、ということは決して言わないと司は心に決めているのだ。この秘密だけは、守り抜くつもりだ。
重々しい声色で拒否する司の顔を見て、片穂は少し残念そうに下を向く。
「むぅ〜。なら諦めます……」
そんな二人を見て、朱理が小さく呟く。
「お二人は、とても仲がよろしいのですね」
「そうかな?」
「えぇ。まるで、絆以上の『ナニカ』で繋がっているようですわ」
そう言って、朱理は笑った。
朱理を纏う空気が、わずかに変わった。ほんの少し司は背筋に寒気を感じ、この悪寒に動揺した司は、途端に顔色を変えて、
「……それって、どういうーー」
「深い意味などありませんわ。見て思った事を伝えさせて頂いたまでです」
司が問いかけ終わる前に、先程とは違う軽い笑みを浮かべた朱理は司に返答した。
司が感じた威圧感は、いつの間にか消えていた。勘違いだったのだろうか。初対面の朱理に警戒心が取れないだけなのか。
得体の知れない感覚のみで判断のできない司は詰まりながら返事をする。
「そう、か」
「じゃあ、私はここで」
司が返事をした途端に、華歩が皆に告げて道を曲がる。
「おう。じゃあな」
「さようなら!」
「じゃあなー!」
皆が皆各々の別れを伝え、華歩も軽く手を振って家へと歩いていく。
しかし、変わることなく司の横で歩く朱理に、
「雨谷さんの家は、どっちなのかな」
「ちなみに、そこの道はどちらに行かれますの?」
「右だね」
「そうですか。とてもとても残念なのですけれど、その分かれ道で司様のお宅とは別の方向となってしますわ。出来れば最後までご一緒したいところなのですけれど」
寂しげに視線を下へと向ける朱理に、司は優しく言う。
「遅いからもう帰ってゆっくり寝なよ。俺たち、部活とか入ってないし、明日も作業してるから、手伝ってくれるならまたおいでよ」
「あぁ。司様はなんと寛容で慈悲深いお方なのでしょうか。そのお気持、ありがたく頂戴させて頂きますわ」
目に涙が浮かんでくるのでないかというほど感激に身を沈める朱理の信頼の出所が分からず、司は苦笑いをしながら、
「そ、そっか。そりゃあよかった」
「それではまた明日お会いしましょう、司様」
そう言って、朱理は自分の唇をそっと司の頬につける。
「……へ?」
突然の出来事に、司は頭が回らずに情けない顔をしたまま少し熱くなった頬に手を当てる。
そして、その光景をはっきりと見てしまった片穂が顔を赤らめながら声を上げる。
「あー!! な、な、なにやってるんですか!」
流石に我慢できなくなった片穂は腕をブンブンと振りながら朱理に詰め寄るが、くるりと回って回避すると、
「ふふふ。失礼しますわ」
妖艶な笑顔のまま司に手を振り、朱理は歩いて行った。
「司、あの雨谷って子、本当に知り合いじゃないんだよな?」
「あ、あぁ。そのはずだよ」
「お前、羨ましすぎないか?」
自分でもそう感じる。あまりにも都合が良いというか、今からドッキリでしたと言われても信じるほどだが、もしこれが現実であるならば、
「この反動でこれ以上死にかけるのは勘弁してほしいけどな」
まず最初に、自分の体の安否を祈る司だった。




