その6「お裁縫の時間」
ダンボールを一箱持ちながら自由に使える少しの指を巧みに動かし、司は教室の扉を開いた。
「た、ただいま。内装で使う道具、持ってきたよ」
「あっ! 司さん! おかえりなさい!」
「お、おう。そっちはどうだ?」
メイド服製作のためか、裁ちバサミと布を手に持っている華歩が代表して返事をする。
「初日にしては、順調だよ。ちょっと、片穂ちゃんと誉ちゃんが大変だけど……」
苦笑いしながら華歩が視線を移すと、そこにいるのは騒がしく布を糸で縫いつける少女が二人。
「ほら! 見なさい! どうかしら? 私のこの華麗な針使いは!」
「凄い凄い! 誉ちゃん、お裁縫も上手なんだね!」
「そうよ! あなたなんかに負ける訳がないじゃない!」
「あー。なるほどな」
一体何に勝ちたいのかは分からないが、誉は片穂に見せつけるように小さな布に別の生地を縫いつけていた。若干不器用に見えるのは、気のせいだろう。
「司くんは大丈夫? なんだか、凄い量の荷物を運んでたって聞いたけど……」
「それは、大丈夫なんだけど、さ……」
心配してくれるのはありがたい。確かに大変だったし、腕もかなり疲労が溜まっているのだが、問題はそこではなくて、
「司様。このお荷物はこの教室でよろしいのですか?」
「う、うん。そこに置いておいて。ありがとうね」
「とんでもございません。またなんなりとお申し付けくださいな」
まるで本物のメイドのように振る舞う朱理の姿を見て、教室の空気が凍りついた。確かに荷物運びに行った男子が従順なメイドを引き連れて帰ってきたら不可解な空気が流れるに決まっている。
「司くん。この子は……?」
「え、えっと……」
怪訝な顔をする華歩を見た朱理は、上品な動きで丁寧に自己紹介を始める。
「申し遅れました。私、雨谷朱理と申します」
「司くんの、お友達?」
「いや、さっき初めて会ったんだけど……」
司の言葉が終わる前に、朱理は凛々しく話し始める。
「えぇ。確かに私、雨谷朱理は本日初めて司様にお会いしました。しかし、司様は私の探し求めていた運命のお方です。どれだけ長く知り合いだったか、何回会ったなど、問題にはなりませんわ」
「そ、そう、なんだ」
「ですから――」
「ほぇっ!?」
朱理は司の腕を可愛らしく抱きしめると、幸せそうな笑みを浮かべて皆に告白する。
「私、司様と共に歩んでいくことを心に決めておりますの」
敵意を存分に含んだ突き刺すような鋭い視線が、自分の体を突き刺す感覚を、司は感じていた。
朱理のこの発言を受けて、今まで朱理を気にしていなかった片穂が声を上げて朱理を司から引き離した。
「な、な……ダメです! ダメです! 司さんのお友達なら構いませんけど、司さんの隣にずぅーっといるのは私って、決まってるんです!」
片穂によって無理やり引き剥がされた朱理は、口元を手で軽く隠しながら艶やかに笑う。
「あらあら、僻みですの? 司様のお気持ちも考えないなど、自分勝手もいいところですわ」
「そんなこといったらあなただって自分勝手じゃないですか! 納得いきません!」
「何を言っておりますの。私はちゃんと、司様から許可を得ておりますけれど」
「ほ、本当なんですか!?」
「違う違う! 荷物を運んでもらってる時に隣を歩いてもいいですかって聞かれたから、いいって言っただけだっての! 拡大解釈だ!」
目を見開いて嘆声を上げる片穂に対して、司は腕をブンブンと振って全力で否定した。確かに「隣を歩いてもいい」とは言ったが、そんな意味はもちろんない。
しかし、そんな司とは裏腹に、朱理は残念そうに言葉を漏らす。
「あら。そうだったのですか。てっきり私はこの世界が終わるまで司様の隣を歩いていいという許可を頂いたと思っておりましたのに」
「なんなんだその超ウルトラ拡大解釈は……」
重なり続ける困惑とそれに伴う疲労感で、司は遂に膝に手をつきうなだれた。
そんな司の背中を見ながら、英雄はお気楽に口を開く。
「それにしても、なんでこう司のこと周りには美人が集まるんだ……?」
「俺だってなんでこんな事になってるのか訊きてぇよ!」
「まぁ、お悩みでしたら幾らでも相談に乗りらせて頂きますわ」
司は苦い顔をしながら「困っている理由は君なんです」という言葉を飲み込み、状況を把握しようと問いかける。
「……えっと、雨谷さん、だよね。まず、なんで俺が『運命の人』なのかな」
「運命だから、ですわ。私が司様に尽くすのに、それ以上の理由はいりませんの」
「むぅ〜! ダメですよ! 司さんは渡しません!」
さすがに腕に抱きついたりしないが、ぐっと距離を近づける朱理に対して、片穂は頬を膨らませて抵抗する。
目の前で勃発した争いを収めようと、司は二人の顔を交互に見つめながら、
「待て待て待て! 今はみんな作業中なんだから邪魔しないで早く続きをやろう! な?」
「あら、そうでしたの?」
「今運んできてもらった荷物も一応準備で使うやつなんだけどな……」
「ならば、私もお手伝いさせて頂きますわ」
一切躊躇わずに作業参加の意を示した朱理の言葉を聞いて、司は眉をひそめる。
「自分のクラスは大丈夫なの?」
「えぇ。このクラスとは違ってやる気があるようには見えませんでしたし、私一人いなくても誰も気づきませんわ」
「そ、そうなのか」
とりあえず司が納得した姿を見ると、朱理はパチン、と可愛らしく手を合わせて、
「では、早速作業を手伝わせて頂きますわ。私は何をすれば宜しいのでしょうか?」
「じゃあ……後からお洋服に付ける装飾を作ってるから、それをお願いしていいかな。手順は私が教えるから」
素直に頷くには難しい状況だが、クラスの大半が部活でいない今は、一人でも人手が多い方がいい。
少しの作業でそれを身に染みて感じた華歩は、ほぼ迷うことなく頷いた。
「わかりました。司様、見ててくださいませ」
「お、おう」
華歩の後ろについていく朱理を見ながら、片穂は嫉妬心を露わにして司に声をかける。
「むぅ〜! 司さん! 私も頑張ります! 見ててくださいね!」
「はっ! 笑わせないで頂戴! あなたが呑気に騒いでいる間に、私はもう二つ完成させたわ!」
何かにつけて片穂に勝負を挑む誉が今はやけに静かだと思ったら、先程の勝負の続きを黙々と進行させていたようで、メイド服につける装飾品を既に数個完成させていた。
「あー! ずるいよイーちゃん!」
「言っていなさい。勝負から勝手に背を向けたのはあなたよ。不正なんて一つもないわ」
「むぅ〜! 負けないからね!」
慌てて片穂は元の位置に戻り、誉に追いつくべく作業を再開した。
皆が作業を始め、嵐の後のようにポツリと残された男二人は、それぞれの箇所で少女が作業をするのを見つめて、静かに口を開く。
「なんか、凄いことになってきたな」
「あぁ。俺も何がなんだか未だに分かんないよ」
二人が呆けていると、華歩の説明を受けた朱理がさっそく実践を始めていた。
「これで、よいですの?」
「凄い……とっても上手だよ」
「身の回りの家事や裁縫は全て自分でやっておりますので、これくらいならば普通に出来ますけれど」
「じゃあ、こっちの縫い合わせもお願いしていいかな」
「えぇ。構いませんわ」
ちっぽけな勝負を繰り広げる少女二人とは違い、滑らかな手つきで朱理は生地を縫い合わせていく。正直不安などもあったが、ここまで力になってくれるならば幸運なのではないかとも司は思った。
「なぁ司。お前の周りにはどうしてこんな優秀な美人が集まるんだ?」
「だから俺が一番訊きてぇよ」
この後、英雄と司が今日の作業が終わるまでに同じような会話をもう三回ほどするほどに、少女たちは優秀だった。
日の入りまでが長くなってきても、さすがに午後七時を過ぎると夕日も限界のようで、外は既に夜の闇に覆われていた。
そんな外とは裏腹に、誉が明るい声を高々と上げる。
「どうかしら。私の勝ちのようね!」
胸を張る誉の前には装飾に使うであろう花の造形が山のように積み上がっていた。
「凄い! イーちゃんそんなにたくさん作ったの!?」
「私にかかればこれっぽちの量なんて一瞬よ!」
「がっつり日が暮れてるけどな……」
「うるっっさいわね! 余計なお世話よ!」
「お、おう……」
鋭く指を差された司は少し引き気味に返事をしてから、改めて二人の勝負の成果を見つめる。
「それにしても、とてつもない量作ったな……」
「お洋服だけじゃなくて、内装にも使う予定だったから沢山お願いしたけど、一日で出来ちゃったね」
感心している二人に対して、山積みになっている装飾品を片穂は一つ丁寧に取り上げて、花と笑顔を並べる。
「司さん。可愛くできましたよ」
「おう。頑張ったな」
「はい!」
「司様、私の成果も見てくださいませ」
片穂に負けんとばかりに、朱理が華歩と共に作ったメイド服を広げた。
「普通にすげぇ……!」
朱理が作業を始めて二時間ほどしか経っていないにも関わらず、その見た目は完全にメイド服のそれであり、完成品まで後一歩の場所まできていた。
「朱理ちゃん、お裁縫凄く上手くて基礎が全部出来ちゃったから、後はまとめてミシンで縫えば完成だよ」
「これなら、週末にはちゃんと間に合いそうだな」
「うん。みんなも頑張ってくれてるから、四着ぐらいなら作れると思うよ」
なんて優秀な女子たちだろうか。そう考えるのは英雄も同じのようで、司と同様に感嘆の声を上げる。
「すげぇじゃねぇか! やるなぁ、華歩!」
「うん。ありがとう」
素直に礼を言った華歩を見てから、この作業全体のリーダーである英雄がクラスメイトたちに声をかける。
「よっしゃ。それじゃあ、みんな今日は終わりにしよう。また明日も頼むぜ」
この言葉を聞いて、「お疲れ様ー」と皆が荷物をまとめてそれぞれの友人のグループを形成しながら少しの疲労感と共に教室を出ていく。
明日の授業などに支障が出ないように道具をまとめると、司は大きく息を吐いて、バックを背負う。
「俺たちも帰るか」
「そうだな。さすがに疲れたぜ」
メイド服をまとめる華歩と朱理、未だにワイワイとはしゃぐ片穂と誉に声をかけて、今日の仕事は完全に終えた司たちは帰路に着いた。




