その4「進撞誉からの挑戦状」
苦しそうな顔をした英雄は、ひたすらに健闘を続けていた。休み時間の度に誉に向かって何かしらを話しかけてみるが、「えぇ」「そうね」と言った言葉しか返ってくることなく昼休みまで突入し、挫けそうな英雄は小さく司に話しかける。
「なぁ、司。あの誉ちゃんって子、なんか怒ってるのか?」
「いや、単に片穂だけにしか興味がないんだと思うぞ」
誉がこの場所に立っている理由は、十中八九片穂に学校でも勝負を挑むためだ。それはつまり、誉は学校に対して何も価値を見出していないということだ。それなのに隣の知らない男子に話しかけられても、返事などまともにしないだろう。
「そうか……。また今度話しかけてみるかな」
残念そうに英雄が机に体重を預けたところで、クラスメイトの一人が教室の前まで歩いてくる。
「それじゃあ、文化祭の出し物を決めようと思います。誰か、案のある人はいますか?」
学級委員としてクラスをまとめる生徒が定型的な言葉で皆に問いかけた。
その言葉に対して、先程まで元気のなかった英雄がこれ以上ないほどにピンと手を伸ばす。想像以上に勢いのある挙手に少し驚きながらも、学級委員は英雄を指名する。
ゆっくりと英雄は立ち上がり、最後の闘いに挑む勇者のような決意に満ちた目で口を開く。
「俺が出す案は……」
一呼吸置いて、キリッとキメ顔を決めた英雄は胸を張ってこう言った。
「メイド喫茶、だ」
初手から大砲をぶち込んできた英雄の言葉で、クラスがざわざわ……と騒ぎ始める。
男子生徒たちは「よく言った! お前こそ英雄だ!」と英雄を支援するように鬨の声を上げている。その一方で女子生徒たちは下心丸出しではないかと男の醜さに拒絶反応を起こしていた。
きっと皆からの信頼と好感度のある英雄でないと口に出来ない提案だっただろう。
そして、英雄は二の矢を放つ。
「落ち着け! 何も女の子にメイド服を着させるだけじゃねぇ。男ももちろん執事服を着て接客などもするし、女の子でも裏方の仕事をしたって構わない。強要はしないさ」
実際、男どもからしたら執事服など着ても構わないのだ。それをあたかも等価交換のように英雄は巧みに交渉材料に織り込んでいく。
「司さん。めいど、って何ですか?」
「あー。えっと、なんて言ったらいいんだろうな」
「可愛いお洋服を着て、お客さんに飲み物とかを運ぶ人、かな?」
戸惑う司に、華歩が助け舟を出した。概要を掴んだ片穂は、閃いたようにピンと人差し指を立てる。
「じゃあじゃあ、ふぁみれす、でおむらいすを運んでくれた人もめいどさん、ですか?」
「それはウエイトレスだな。あの人たちの服をもっとこう、前に導華さんが華歩に無理矢理着せられた時みたいにフリフリにさせた感じだ」
司の言葉を聞いて、片穂は斜め上に目を向け、自分の想像力を働かせて『めいどさん』を頭に浮かべる。
イメージの固まった片穂は、楽しそうに声を上げる。
「私、めいどさん、やってみたいです!」
ここで初めて、無邪気な片穂が女子で最初のメイド喫茶賛成派となった。この言葉で、クラスの騒音は最大にまで引き上がる。
「お前たち! 片穂ちゃんがメイドをやってくれるそうだ! どうする!」
重要な点は、『片穂がメイドをやりたい』ということだ。現在、この学校では天然美少女転校生、天羽片穂は学校中の噂になっており、たまに片穂を一目見るために司たちの教室にくる生徒までいるほどだ。
その度に『なんだ片穂ちゃんの横にいる冴えない男は』みたいな痛い視線が刺さるのが少々司には辛かったりもするが。
学校でも一、二を争う美少女と言われている少女がメイドをやりたいと言い出したら、男どもの興奮は最大限にまで上がる。
しかし、人気が片穂に集まることに我慢できない少女が一人。
「ちょっと待ちなさい!」
クラスに響く騒ぎ声の中、進撞誉が立ち上がる。
「どうしてカホ……天羽片穂だけ囃し立てるのかしら! そのメイドというもの、私もやるわ!」
片穂のライバルと豪語する誉は、人気でも片穂に負けたくないようだった。
「イーちゃんもやるの!? きっと凄い可愛いよ!」
「そんなものじゃないわ! 私が望むのはあなたに勝つことよ! どちらがよりメイドとして優れているか、勝負よ!」
ビシッと片穂を指差して、誉は挑戦状を叩きつける。
「いや……メイドってそもそも何かを競うようなものじゃないからな?」
「そうでもないかもしれないぞ。司」
ニヤニヤと笑みを浮かべる英雄が、司に話しかけた。
「なんだその見るからに何かを企んでいそうな不敵な笑みは」
「誉ちゃん。片穂ちゃんとメイドで勝負がしたい。そうだよな?」
「え、ええ。そうよ」
「片穂ちゃんも、メイドをやってみたいんだよな?」
「はい! 可愛いお洋服、着てみたいです!」
二人の方向性は明らかに異なっているが、同様に頷く二人を見て英雄はその見た目に全く似合わない渋い声を出す。
「なら、答えは決まってるじゃないか」
「その突然のキャラ変更を一切無視して訊くよ。答えって?」
「人気投票、だよ」
「とーひょー、ですか?」
「そうだ! メイド喫茶をやって来てもらった客に片穂ちゃんと誉ちゃんのどっちが可愛かったかを投票してもらうんだ。接客だけじゃなく、容姿や立ち振る舞いもメイドの評価点の一つだ。客からの投票なら、簡単に優劣ってのは決められるんじゃねぇか?」
その場で考えたにしては異様に説得力のある説明を英雄は始めた。これで、誉の望む片穂との勝負が現実味を帯びてくる。
この提案には、誉も納得しているようで不敵な笑みを浮かべる。
「ふっ。面白いじゃない。英雄、と言ったかしら。なかなかいい発想だわ」
口角を上げた誉は、探偵ドラマの主演かのようにビシッと片穂を指差す。
「天羽片穂! この男の言うように、人気投票で勝負よ!」
「司さんは、どう思いますか?」
「片穂が嫌じゃないなら、いいんじゃないかな」
人気投票がいまいちよく分かっていない片穂は勝負の決断を司に委ねた。司としても反対をする理由がないので、柔らかく頷く。
それを見て、片穂は決意で表情を固める。
「じゃあ! とーひょー、やります! めいどさん、頑張ります!」
「はっ! 精々今のうちに楽しむがいいわ。負けて後悔するのはあなたよ」
片穂と誉のせいで置いてけぼりを食らっている学級委員が黒板の右端にメイド喫茶、と書いたまま戸惑いを露わにしていたが、なんとか話を進めようと声を出した。
「みんな、他に意見がなかったら嘉部くんのメイド喫茶に決まるけど、他に何かある……?」
クラス全員、意見なしであった。というよりも、ここまで片穂や誉が盛り上がり、それに合わせて歓声を上げてしまった男子たちは引き下がれない。加えて、嬉しそうに「めいどさんです! 頑張ります!」なんて言っている片穂に水を差す勇気を、女子たちは持っていない。
一切挙手が無いのを確認すると、学級委員は口を開く。
「それでは、文化祭での僕たちのクラスの出し物はメイド喫茶に決まりました」
その言葉を聞いた瞬間に、英雄が拳を高々と天に掲げ感嘆の声を上げる。
「よっしゃあぁ!」
「そこまで喜ぶか……?」
「喜ぶさ! 念願のメイド喫茶だからな!」
ここまで大袈裟に喜びを見せるのは英雄だけだが、その他の野郎共も随分と幸せそうな顔をしていた。
そして、昼休みが終わる前に話し合いを終了させたい学級委員は、早速話題を次へと進める。
「出し物が決まったので、次は役割分担に移ります。まずは、今回の全体の指揮を取る人なんですが――」
この言葉にも食い気味に、英雄は手を挙げる。
「それは、発案者の俺が責任を持ってやろう。部活で忙しいやつらの分も働いてみせるさ……司とな」
「俺もかよッ!」
「頼むッ! さすがに一人じゃあキツいんだよ! この通りだ!」
そう言って英雄は土下座に近い別の何か(足が片方だけ伸びているので名前を付けるのも難しい)の姿勢を作り、頭を下げた。
ただ、自分で発案したという責任は、一番に背負うつもり英雄を見て、司は断ることが出来ない。というより、周りを見ても断る雰囲気ではない。
「分かった。分かったよ。手伝うからその理解不能な懇願姿勢を直してくれ」
「リーダーが決まった所で、次は肝心の衣装の作成についてです。市販されているものを店で買うか、クラスで作るかがありますが……」
メイド喫茶をやるにあたって、一番の難点である衣服の準備。買えばいいだけなのだが、それだとかなり予算がかかってしまう。ここで予算を使いすぎると内装に手をかけれなくなってしまうのだ。
そんな状況で、迷わず手を挙げたのは華歩だった。
「私、お裁縫とか出来るから、週末までなら二着ぐらい作れると思うよ。他の人も手伝ってくれるなら、もう数着出来るかも」
「すげぇな華歩。メイド服まで縫えるのか」
「うん。今度導華ちゃんに着てもらおうと思って丁度練習してたから」
「あっ……そう、なんだ」
華歩に無理やりメイド服を着せられて苦しむ導華が頭に浮かんだが、少し面白そうだから導華にはこの事を黙っておこうと司は思った。
華歩の立候補を聞いて、学級委員はクラスを見渡す。
「なら、梁池さんを手伝ってくれる方はいますか?」
自分では前には立たないが、先に誰かが進むとその後ろに続くのは簡単、というのが集団というものなので、華歩の挙手を見て女子が数人、手を挙げた。
それを見て、元気に手を振りながら立ち上がる少女が一人。
「はい! はい! 私、華歩さんのお手伝いします!」
「な、なら私もやるわ!」
この片穂のアクションにも、もちろん誉は反応する。もうこれはライバルとかそういうものではない気がするが、導華が天界でもこの調子だったと言っていたので放っておいてもいいのだろう。
「これだけいれば、充分ですね。では、残った人たちは内装を任せたいと思いますが、大丈夫ですか」
もちろん、これに対しての反対意見は一つもない。面倒な仕事は英雄が、衣装は華歩が担当するので、皆も素直に視線だけで異論がない事を伝える。
「それでは、役割分担もこれで決定にします。作業は今日の放課後から始めます。部活がない人は、早速今日から残って作業をしてもらいます」
「わかった! 頑張ろうな、司」
「はいはい。慣れた慣れた。手伝うよ」
「ありがてぇ!」
どうせ何かを言っても結局手伝う羽目になるのだから早めに折れておこうと、司は気怠そうに頷く。
「じゃあまずは他の部とかから頼まれてる仕事もあるからそっちからだな!」
「……は?」
もし自分に時を巻き戻せる能力があるとしたのなら、つい先程の発言を無かったことにしたいと司は切実に思っていた。




