番外編「れっつしょっぴんぐ、です!」
「来ましたよ! 司さん! 今日こそれっつしょっびんぐ、です!」
週末のショッピングモールのど真ん中で嬉しそうに高々と拳を掲げたのは、佐種司の同居人である天使、天羽片穂だ。
笑う片穂の隣にいるのは、黒髮でショートヘアの落ち着いた雰囲気を感じるような女子高生。興奮に耐えきれなくなった片穂に少し驚いたように、梁池華歩は一歩後ろから片穂を見ていた。
「片穂ちゃん、元気だね……」
「まぁ、楽しみ過ぎて昨日の夜もこんな感じだったんだ。多めに見てやってくれよ」
そう佐種司が横で笑いながら声をかけると、華歩は小さく頷く。
「うん。それは大丈夫だよ。私はあんなに元気出せないから、むしろ羨ましいくらい」
「それで、買い物と言ってもどうするんじゃ? ワシは特に欲しいものや不足しているものはないが」
片穂に連れてこられたが、特に買い物に関心がない片穂の姉、天羽導華は頭の後ろで手を組みながら声を漏らした。
「導華ちゃんは、お洋服とか興味ない?」
「服はこれで足りておるからのぉ」
導華は自分が着ている特注の着物の襟元を少し撫りながら答えた。導華は私服として、家にいるとき以外は基本的にミニスカートのような丈をした特製の着物を着ている。片穂が言うには江戸時代に商人に作らせたらしいのだが、真偽は不明である。
「でも、導華ちゃん、ちっちゃくて可愛いから色んな服が似合うと思うよ?」
「別に洒落た服を着たいとも思わんぞ。そもそもワシに今の浮ついた服は似合わーー」
ぐちぐちと面倒臭がる導華の言葉を遮って、片穂は導華の腕を掴む。
「先ずは行ってみないと! お姉ちゃん! 早く行こう!」
畳み掛けるように、華歩も口を開く。
「私も導華ちゃんに色んな服、着てみて欲しいな。きっと、凄く可愛いから」
「……って、二人は言ってますよ?」
司がそう言うと、少し難しい顔をしてから導華は大きく溜息を吐いて、
「仕方ないのぉ。少しだけじゃぞ」
「うん!」
満面の笑みで片穂は早速洋服店へと足を踏み入れ、華歩と共に服を物色し始める。
次々と服を見ていく中で、気になった服を取り出し、高く掲げたそれを片穂は目を輝かせて穴が空くのではないかと思うほどに見つめる。
「はわぁ~……。かわぃいですぅ……」
「片穂ちゃん。向こうで試着できるみたいだけど、する?」
「はい! 行ってきます!」
気に入った洋服を数着持ち、可愛らしく小走りで試着室へと入ると、想像以上の速さで着替え、片穂はカーテンをガラリと開いた。
「司さん! 似合ってますか?」
現れた片穂が着ているのは慎ましやかな花柄のワンピース。天使の衣もワンピースなのだが、こうして人間として柄のあるワンピースを着ると、普段とは別の雰囲気が感じられた。
「あ、あぁ。似合ってるよ」
言葉に詰まりながらも司が返事をすると、笑顔のまま片穂はカーテンを閉めてほんの十秒ほどで再びカーテンを開く。
「じゃあじゃあ! こっちはどうでしょう!」
次に片穂が身に纏うのは街を歩く十代の女性によく見る無地のトップスにハイウエストスカートというなんともお洒落な装いだった。
「うん。いいんじゃないかな」
司が頷くと、片穂は両手で頬を押さえながら複数の洋服たちに目を映して困惑を露わにする。
「うぅ~。どれにしましょう……。迷いますぅ……」
幸せそうに迷っている片穂を導華は細目で眺めながら小さく口を開く。
「相変わらず甘ったるい奴らじゃのぉ」
「でも、この方が二人らしくて私も楽しいよ」
「四六時中あれだと、ワシは糖尿病になりそうじゃがの」
「ふふっ。そうかもね」
皮肉交じりに華歩と導華が笑いながら話している最中に、片穂はどの洋服を買うか決めたようで、商品を手に抱えて試着室から出てきた。
「決めました! 華歩さんも試着室使いますか?」
「あ、私は導華ちゃんに着て欲しい服があって……」
「そうなんですか! どんなお洋服でしょう?」
「これ……」
そっと華歩が持ち上げた服は、導華の着ている着物とはかけ離れたTシャツとショートパンツ。それを見た導華は、苦虫を噛み潰したような顔をして一歩後ろへと下がる。
「な……。こ、これを着るのか……?」
「ダメ、かな?」
自分よりも背の小さい導華の目線まで華歩は腰を落とし、そっと囁いた。そんな華歩の願いを、導華は断れないのだが、
「い、いや……構わんが。しかし……」
それでも渋る導華の手を取って、片穂は試着室へと連れ込む。
「とりあえず着てみようよ! お姉ちゃん!」
「な……こら! ワシはまだ着るとは……」
「いいの! 着てから似合うかどうか決めればいいんだから!」
拒み続ける導華を華歩の持ってきた服と共に試着室に押し込むと、導華は諦めたように着替え始める。それからあまり時間はかからずにそのカーテンが開かれる。
常に着物を着ているためこうした服を導華が着るのは若干違和感を感じたが、本来背は小さくともスタイルや顔は抜群に綺麗なので、華歩のセンスも相まってモデルのような風貌が見られた。
「や、やはりワシにこのような服は似合わんぞ……」
それでも、服が自分ににあっていることに気付いていない導華は恥ずかしそうに視線を斜め下に向けて呟くが、華歩はそんなことなどお構いなしに声をかける。
「ううん。すっごい可愛いよ。次は、これ、着てもらってもいいかな?」
いつの間に持ってきたのか、華歩は次に導華が試着する服を持ってきており、逃げ場のない導華は引き気味にその服を受け取る。
「う、うむ……」
そして、再び着替えた導華は普段着ないような現代風の服に違和感が拭いきれないようで、少し着苦しそうな表情を見せる。
「ワシはもっと落ち着いた服が好きなんじゃが……」
「ううん。とっても可愛い。次はこれ」
間髪入れずに、華歩は次の服を導華に渡した。ただ、その動きは明らかに大人しい華歩とは食い違う動きで、少し息遣いが荒くなっているように感じた。
「な、なんじゃ……? 妙に圧力を感じるが……」
「か、華歩……?」
表には出さない興奮が華歩の中で渦巻いているのだろうか。不思議に思った司に対して、華歩は吐き捨てるように、
「司くんは少し下がってて」
「お、おう……」
華歩の鋭い気迫に負けた司は、そのままゆっくりと後退して片穂の隣まで戻る。片穂も華歩の雰囲気の違いに気づいているようで、戻ってきた司に小さく声をかける。
「華歩さんって、あんな感じでしたっけ……?」
「さっきは、元気な片穂が羨ましいって言ってたんだけどな……」
そう言って司が少し目を離したほんの十数秒の間に、事態はさらに進展していた。
「導華ちゃん! この服! 次はこの服着て!」
「や、やめろ! ワシにそんな服は似合わんと言っておるのに!」
先ほどの服を試着し終わり、さらに追加の服が導華に渡されているようだが、さすがの導華も限界がきたようで力を入れて拒み始めていた。
それもそのはず、華歩が手に持つ洋服はどこから持ってきたのか分からないような西洋の王女を彷彿とさせるピンクのフリルドレス。街中でも普通は見かけないようなド派手なドレスを手に華歩は熱狂して導華にドレスを押しつける。
必死に拒む導華だが、内なる感情を露呈させた華歩は一切引かずに導華へと服を押し付ける。しかし、一人では無理だと感じたのか、華歩は声を荒らげて、
「片穂ちゃんも手伝って!」
「は、はい!」
高圧的な声に反射的に返事をしてしまった片穂は、華歩と共に導華を抑え始める。もがき逃げようとする導華は司を睨んで声を上げる。
「司! 助けろ!」
助けに行きたいのは山々なのだが、狂人に近い華歩を見た司はそれに立ち向かう勇気が生まれてこない。頭を掻きながら申し訳なさそうに司は口を開く。
「えっと……きっと、似合いますよ。導華さん」
「この薄情者め! 後で覚えておれよ!」
「ほら! 導華ちゃん! 早く」
司の裏切りに憤慨する導華だが、必死の抵抗は華歩によって押さえ込まれ、試着室へと詰められる。
「ぐ、ぐぐ……」
今度はドレスなので今までよりも数分ほど時間をかけてから導華が試着室から出てくる。
「な、なんでワシがこんなものを……」
赤面して苦しそうな表情をする導華だが、目を輝かせて見つめる少女が一人。
「可愛いぃ……お人形さんみたい……」
その光景を見る片穂と司は、目を丸くする。
「お姉ちゃんが、妹みたいです……。あんなお姉ちゃん、初めて見ました」
「なんか、二人とも凄い新鮮だなぁ」
導華の恥じらう姿もそうなのだが、華歩の狂喜乱舞も司は初見である。今までずっと大人しい少女だと思っていたのだが、こういった面もあるのだと、司は感じた。
「導華ちゃん! 可愛い!」
勢いあまった華歩は導華に抱きつき、小さな子供を愛でるかのように頬を導華に擦り付ける。
「や、やめんか! 離れろ! ワシは玩具ではないぞ!」
抵抗しながら声を荒らげる導華だが、華歩は一歩も引くことはない。
「大丈夫! 優しくするから!」
「そういう問題ではないわ! アホが!」
バタバタと暴れる導華だったが、結局それから一時間ほどは華歩の着せ替え人形のように弄ばれ、心身ともにボロボロの導華が力無く司の元へと歩いてきた。
片穂と華歩は商品の会計中で、二人きりになった司と導華は静かに会話を始める。
「なんか、すごい一日でしたね」
「まさか、華歩があそこまで活発になるとは……」
「俺も華歩のあんな姿、初めて見ましたよ」
会話の途中で、はぁ、と大きく溜息をついて導華は続ける。
「ここ最近で一番疲れたわ。全く、なんでワシがこんな目に……」
ボヤく導華に、司は笑いながら答える。司にとっては自明とも言えるような、人間の心を。
「心から信頼してるから、じゃないですかね」
華歩にとって、天羽導華が、天使カトエルがどれだけ大きな存在であるのか。それが全ての答えである。
それを聞くと導華も小さく笑って呟く。
「……そうか。まぁ、今回は多めに見てやろう」
その会話に割って入ってきたのは、洋服の入った紙袋を幸せように抱きしめる片穂だった。
「司さん! 買ってきました!」
その横にはようやく落ち着いて普段と同じ雰囲気となった華歩が立っているのだが、導華は怪訝な顔をして口を開く。
「して、なんで華歩は自分の服を買わずにワシの服を買っておるんじゃ」
「私が、買いたかったから……」
華歩の手に抱かれている紙袋に入っている服は、導華に着せた服の一部だけ。自分の服は買わずに、華歩は導華の服だけを買っていたのだ。
「全く、人の心はよくわからんのぉ」
導華が呟くと、司は笑顔で片穂に視線を移す。
「まぁ、片穂はすっごい人間らしいですけどね」
「可愛いお洋服ですぅ……」
司が視線を移した先にいるのは買った服を早速袋から取り出して高々と掲げて、恍惚とした表情でそれを見つめる片穂だった。司の少し無愛想な相槌でも、片穂は心から喜んで服を眺めていた。
店を後にして時計を確認した司は、服に夢中の片穂を放置して声を出す。
「じゃあ、当初の目的は終わったわけだけど、この後はどうするか」
「今月末は期末テストもあるし、私は帰って少し勉強しようかな」
「うげっ。そういえばテストじゃんか。何にもやってねぇよ」
司たちの「テスト」という言葉に反応したのか、先ほどまで満面の笑みだった片穂はその場に座り込んで首を振り始める。
「テストなんて無いですぅ……。そんな言葉聞きたくないですぅ……」
現実から目を背ける片穂に対して、導華は厳しい言葉をぶつける。
「折角ワシが学校への手引きをしてやったんじゃから勉学ぐらいやってみせんか。甘えるでないわ」
「うぅ……」
耳が痛いと言わんばかりに落ち込む片穂に対して、華歩は隣に並んで、
「こ、今度一緒に勉強しようよ。私でも教えられるところもあるかもしれないし」
「ありがとうございますぅ……」
涙を目に浮かべながら、片穂は華歩に頭を下げた。
結局この後は帰宅することに決まったので、司たちは帰路を歩き始める。そして、華歩の家との分かれ道まで着くと四人は足を止めて、そこで華歩は振り返り、言う。
「今日はありがとね」
「いえ! こちらこそありがとうございました! とっても楽しかったです!」
丁寧に笑顔で頭を下げる片穂とは対照的に、導華は唇を突き出して不貞腐れたように口を開く。
「ワシは、もう勘弁してほしいがのぉ」
「ふふっ。はい、導華ちゃん」
「う、うむ……」
複雑な表情を浮かべて導華は華歩から洋服の入った服を受け取る。固い動きで袋を持つ導華を見た華歩は笑みを浮かべて、
「気が向いたらでもいいから、着てくれないかな? きっと、可愛いから」
「……気が向いたら、じゃがの」
「……うん!」
嬉しそうに大きく華歩は頷いた。
「それじゃ、またな」
「うん! また、学校で」
「はい!」
司たちと別れの言葉を交わすと、華歩は導華を目を見つめて、
「バイバイ。導華ちゃん」
「うむ。さらばじゃ」
導華が静かに頷くと、華歩は自分の家への道を歩き始めた。
その背中を見て、司たちも帰路を進み始める。
「今日は楽しかったですね」
「ワシは楽しくなかったぞ」
「はは。そんなにもたまにはいいんじゃないですか? 華歩は喜んでましたし」
相変わらずの仏頂面の導華に、笑顔で司は声をかける。
「たまーーにだけじゃぞ。頻繁にあったら堪ったものではないわ」
「はい。わかりましたよ」
何の変哲もない会話を交わしながら、司たちは帰路を歩いていく。
今日は何でもない、普通の一日。当たり前に過ぎていく、些細な一日。しかしそれは、四人の喜びとなって消化される、素敵な一日。
今日も、明日を楽しみに寝ることができそうだ。
相も変わらずに沈んでいく夕日は、のんびりと歩く司たちを優しく見守っていた。




