第三十七話 初恋の幼馴染と
「それで、家を出た後はお金もなかったからキャバクラで稼いでたんだ……死のうとも思ったけど、空腹のまま死ぬのも嫌だったから。その時にお世話になったのが今日会ったあの先輩なんだよ?」
隣にいる美月は話し終えて、やっと笑顔を見せた。
しかしそんな笑顔も一樹を安心させるために取り繕ったもののように一樹は思えた。
美月はずっと苦しそうに何度も詰まりながら思い出したくもないであろう過去のことを話していた。
一樹がずっと知らなかった美月の過去は筆舌に尽くし難いものだった。
「ふふ、そんな顔しないでよ。今はもう平気だから。一樹が隣にいるし」
美月はそう言いながらも、一樹の手を握る自身の手は震えている。
そのことに気づいた途端に一樹は耐え難い罪悪感と申し訳なさに駆られた。
幼馴染だと言うのに一樹は何も知らずに、何もできずに、美月のそばにただいることさえできなかった。
『……ばいばい、一樹』
あの時、しっかりと美月の顔を見れていたら、美月に何かできたのだろうか。
それよりも前に美月に何もできなかったのだろうか。
一樹は今まで何も考えずに学校生活を送っていた過去の自分を殴りたい気持ちに駆られた。
何となく学校に行って、何となく遊んで、何となく勉強して、何となく大学に入って。
その何となくで美月はずっと苦しむことになった。
「……ごめん、美月……ごめん」
幼馴染でありながら、かつては側にいながら。
美月が想ってくれた相手でありながら。
一樹は何もできなかった自分に打ちひしがれるばかりだった。
「……ごめ、ん」
泣くのは美月の方にも関わらず、溢れ出た涙を堪えることができなかった一樹の目からは涙が流れている。
美月はそんな一樹を抱きしめる。
そうして体に伝わる暖かさはより自分は情けない人間なのだと思わせた。
美月は一樹を抱きしめたまま、言葉を発する。
「違う、違うよ? 一樹」
「何も違わない。俺、何もできなくて、ごめん」
「ううん、違う。違うよ……今までずっとありがとう、一樹」
美月は何もできない一樹に感謝の言葉を述べた。
感謝されるようなことは何もできていない。
せいぜい住む家を貸してあげたくらい。
にも関わらず、述べられた感謝の言葉でなぜか一樹は涙が止まらなかった。
美月のためにしていた行動が美月のためになっていると、今までの自分を肯定してくれた気がしたから。
「一樹は昔も今も私の恩人。何も知らなくても、私の支えになって私を救ってくれた私の恩人なの」
「っ……美月……」
「だからもう謝らないでよ。私のために泣いてくれるくらい、私のことを考えてくれたってことでしょ? それだけですごく嬉しいから……ありがとう、一樹」
美月は耳元で何度も何度も感謝の言葉を呟く。
一樹の涙はいつの間にか落ち着いて、やがて一樹も美月を抱きしめ返した。
たとえ情けなくても美月の支えになれていたのだろうか。
美月の生きる理由に今もなれているのだろうか。
それでも、何も考えなかった、何もできなかったことが許せない気持ちは残っていた。
自分がまだ許せなかった。
「でも、それでも、俺はまだ自分が……」
「それにさ、さっき、あの人から私を救ってくれたじゃん。助けてって言ったらすぐに駆けつけてくれて、私たちを助けてくれた……一樹が来るまでは怖かった。だって、あの人が怖くて家を出たんだから。でも一樹はあの人から私を救ってくれた」
一樹はまだ自分が誇れない。
けれど美月は一樹に感謝してくれている。
なら、それに一樹も答えるべきなのだ。
そう思った一樹は美月をより強く抱きしめた。
「……あいつの金玉なら思いっきり握り潰しておいたから安心してくれ。もう性行為も何もできないだろうな」
「ぷっ、ふふ、あはは。ふふ、そ、そうなんだ。ちょっとスッキリしたかも。それもありがと、一樹」
それからお風呂上がりということもあって暑くなりすぎた二人は離れる。
お互いに赤くなった顔を見合って、二人は笑い合った。
「悪い、俺が取り乱した」
「ううん、大丈夫。むしろ一樹の泣いてる姿なんて初めて見たから……実はちょっと嬉しい」
「……恥ずかしいな」
「新しい一樹の顔を知っちゃった」
美月はニコッと笑う。
それはまるで雨上がりに雲から顔を出す太陽のような、そんな笑顔だった。
「それで話を戻すが、キャバクラ行った後はどうしてたんだ?」
「しばらくそこで働いてたんだけどさ……お義父さんに会いそうになっちゃって」
「店で?」
「うん。お義父さんがお客として来ちゃって。先輩が私だってバレないように隠してくれたからバレてないんだけど、お義父さんに会うかもだったからやめないといけなくなっちゃったの」
「……なるほど、な」
美月の義父に対する怒りがますます湧いてくる。
もう十回ほど男の急所を握り潰しておけば良かった、そう思いながらも一樹は自身の怒りを収める。
「その後はキャバ嬢してた時のお客さんがグラビアアイドルのプロデューサーだったから、紹介してもらって始めたんだ」
「月乃……だよな」
「うん、そう」
コメントでの批判の件も含めて、一樹が心配そうに美月を見る。
すると察した美月は笑顔でそれに答える。
「今はもう大丈夫だよ。引退も発表して、批判も消えた……枕営業までは行かなくても、しかけたのは事実だから」
「……そっか」
「グラビアはキャバクラで働くよりずっと給料が良かった。マンションの一室を借りれて、空腹にもならないくらい。その……ほら、自分で言うのもアレだけど、スタイル良かったからね」
「お、おう……そうだな」
「……今、ちょっと胸見たでしょ。一樹のえっち」
美月は普段はあまり言わない冗談を交えながら話していく。
しかし一樹にはそれが全てを打ち明けるのが怖くて虚勢を張っているようにしか見えなかった。
一樹が冗談を笑いながらもう一度美月の手を握ると、美月は体の強張りを弱めた。
「……それでしばらく経って、ちょっと有名になった私は日常生活くらいはできるようになった。でも、グラビア以外で生きていける方法は知らなかった。中卒ですらない私はお金の稼ぎ方なんて知らないから。それでグラビアをクビになったらどうしようって怖くなった時に、有名な編集長から枕営業のお誘いが来たの」
コメントのようにそれがダメなことかいいことなのか、一樹はわからなかった。
わからないというよりも自分で判断することではないと思った。
肯定も否定もしないし、ただ、一樹はそれを事実として受け止めるだけだった。
そして目の前で美月が辛そうな顔をして俯いているのもまた事実だった。
「私、受けるしかないと思って、ホテルまで行った……けど、ダメだった。いざ行為をするってなった時にお義父さんのことが蘇ってきて、怖かった。だから直前でホテルから逃げ出した。誰もいない遠くに逃げた。そしたら逃げた先に、一樹がいた。覚えてる? コンビニの日のこと」
「ああ、覚えてる。本当に、偶然だったんだな」
「でも……ごめんね」
「……何がだ?」
「私、あの日、いっぱい一樹に嘘をついた」
それから美月の口から語られたのはあの日の本音だった。
家に上がったのは始めから一樹の体目的だったこと。
稼ぐためにもトラウマを早く治してまたグラビアに復帰しようと思っていたこと。
チョロいと思ったら一樹がEDで驚いたこと。
初めてだと嘘をついてシたこと。
行為中に泣いたり、朝早くに家を出たのは一樹の優しさに耐えられなかったからだということ。
初めて語られた美月の本音に一樹は、やはり美月は美月だと思った。
「これが私の人生。私は結局、一樹を騙そうとした卑怯で、嫌われても仕方のない人……だから……本当は、一樹には嫌われたくないけど、言わないとダメだと思った。ずっと騙したまま生きるのも、嫌だったから……今まで、ごめん、ね」
美月も美月で罪悪感や申し訳なさをずっと抱えていたらしい。
先ほどの一樹のように美月の目から涙が溢れて止まらない様子だった。
そんな美月を一樹は抱きしめる。
「……私、抱きしめられるような人間じゃないよ?」
「俺が抱きしめたいから抱きしめてるだけだ」
「罵らないんだ。俺をよくも騙したなー、とか」
「別に。あの日、本音はどうであれ俺のEDも心の傷も治してくれたのも事実だからな。感謝してる」
一樹は強く美月を抱きしめて、目を瞑った。
美月を触覚でより鮮明に感じたかった。
あの日の夜の話をしたから、美月がより手放せないものになった今、少し怖くなったのだ。
美月もそんな一樹を抱きしめ返す。
「一樹に話して、良かった」
「……話してくれてありがとう。おかげでもっと好きになれた」
「うん……え、あ、え? い、今、こ、告白された?」
「あ、いや、そ、そういうわけでは……いや、でも……」
うっかりと本音が漏れてしまった一樹は慌てて訂正しようとする。
しかし否定するわけにもいかずに頭をフル回転させていると、美月はクスッと笑った。
「ふふ、冗談」
「……タチの悪い冗談だな」
「ところでさ、私のこと異性として好き?」
美月は耳元で小さく囁く。
突然の質問だった。
冗談の後にからかいがくるのもタチが悪い。
正直に言いたい気持ちもありながら、まだ言いたくない気持ちもある。
後者に関しては言う勇気が出ないだけ。
それゆえ、一樹は話を逸らすことにした。
「……って言うかさ、その前に」
「あ、う、うん、どうしたの?」
「……さっきさらっと言ってたけど、昔、俺のこと好きだったのか?」
「それは……し、質問に質問で返すのはダメ。私の質問に答えてあげたら答えてあげる」
美月はそう言って一樹から離れる。
一樹の目をまっすぐと見ると、首を少し傾げて、上目遣いで……。
どうやらからかいでは、ないようだった。
「私のこと、異性として好き?」
美月はそう言いながら髪をいじり始めて、わかりやすく頬を赤くする。
目を逸らして恥じらっている姿はやはり愛おしい。
それが答えだった。
「本音、でいいのか?」
「うん、一樹の本音が聞きたい」
「関係が壊れるかもしれない」
「……それでいいよ。聞きたい。話を聞いた上で、好きなら好き、嫌いなら嫌いってはっきり言ってほしい」
この感情を好き嫌いに当てはめるのは何か違うと思った。
美月のことを知った今、自身の感情に変化があるのが自分でもわかった。
恋と分類されても違うし、愛と分類されても違う。
けれどある意味では恋とも愛とも言える。
「好き嫌いっていうか、その……」
「その……?」
「……大好き、だな。異性としても幼馴染としても」
美月は目をぱちぱちとさせる。
口はポカーンと空いていて、何も喋らない。
ただ、だんだんと頬が赤くなってきたかと思うと、次第に表情を緩めて口角を上げだした。
「そ、そっか。だ、大好き…… 嬉しいな、一樹から言われると」
「美月は?」
「うん、私も昔、好きだった。今も……一樹のことは大好き。異性としても幼馴染としても」
二人は目を見合わせた後、またお互いを抱きしめ合う。
何度も何度もお互いの存在を肌で感じている。
……正直、告白とかはまだ考えてなかったんだけどな。
ここまできて言わない男はいないだろう。
一樹は覚悟を決めると、抱きしめたまま、言った。
「なあ、美月」
「どうしたの?」
「……俺と、付き合ってください」
美月はしばらく無言だった。
好き合っているとわかっているとはいえ、その時間は一樹の緊張を呼んだ。
それでもその間、二人はお互いを離したりは決してしなかった。
「一樹、返事はもうちょっとだけ、待っててもらってもいい?」
「そっか……何か、あるのか?」
「うん、私、一樹に迷惑をかけたまま、付き合いたくないの。わがままでごめん。だけど、みんなに恩返しできるようになった時に、付き合いたい」
「……そっか」
ああ、振られた。
そう落ち込んでいると美月は甘い声で囁いた。
「だから……それまで彼女の座、開けててください。約束」
「っ……ああ、もちろんだ」
二人は抱きしめあったまま、少し離れて目を合わせる。
顔を近づけると、そのまま約束のキスをした。
何度も何度も、キスをすればするほどそれは深くなっていった。
気持ちよくて何も考えられなくなる。
キスをしている間だけ、性と快楽と、気持ちも満たされていた。
一樹は気づけば美月にベッドに押し倒されていた。
あの日の夜のように。
「……ねえ、一樹、ま、まだ付き合えないけどさ……別のことなら、できるよ」
美月は何ができるのかを言わずとも、それを一樹に対する口付けで示す。
本当ならこのまま満たされたままでいたかった。
でも、一樹はこれ以上流されたくはなかった。
理性で本能を押さえつけながら、今度は一樹が起き上がって美月を押し倒し返す。
「きゃっ……ふふ、一樹って意外に肉食だよね」
「……それは知らないがデザートは最後に食べるタイプではあるな」
「それってどういう……っ……」
一樹は喋っている美月の口を自身の口で塞ぐ。
少しふにゃけて、トロンとした顔は今までに知らない美月の顔だった。
今日でどれだけ美月のことを知って、どれだけ好きになったのか。
それを美月に示したい。
でも……今じゃない。
最後に一樹は美月の首に強めに口付けをして、キスマークをつけると、美月から離れた。
「……しないの?」
「美月が俺と付き合わないように、俺も美月とはまだできない」
「……理由聞いてもいい?」
「また性に流されて美月のこと泣かせたくないから。だから、付き合うまではお預け」
「ふふ、前のこと、気にしなくていいのに」
「それにセフレの関係みたいで嫌なんだ……でも、キスくらいなら、いくらでも」
一樹がそう言うと美月は柔らかな笑みを浮かべた。
そしてゆっくりと起き上がる。
二人はもう一度顔を近づけると、お互いの唇に口を付けた。
その夜、二人は腹を割って話しながら、一緒のベッドで眠った。
ベットが二つある部屋で一つのベッドを使って寝ている男女二人。
テーブルの上には飲み終わりのストロング缶が二本置かれている。
朝、一樹が起きると、目の前には寝息を立てながら可愛らしく眠っている美月がいた。
「かず、き……すき、だよ」
美月はふにゃふにゃと可愛らしい寝言も発している。
一樹はそんな美月の額にそっと口付けをした。
本編はこれにて完結です。ここまで読んでくださった読者の皆さま、ありがとうございました。
ブックマークや評価、感想等、大変励みになりました。
回収しきれていない物語があるので、後に投稿するアフターストーリー三本をもって、作品完結とさせていただこうと思います。




