美月の過去 ある雨の日
※生々しい部分があります
私、七瀬 美月は共働きの両親のもとに生まれて育った。
両親は二人とも忙しくて家族の時間なんてものは滅多になかった。
仕事終わりの二人は疲れていたからか、そもそも仲が悪かったのか、夜になるといつも喧嘩ばかりしていた。
だから二人とも私にかまってくれた思い出がない。
家族の思い出が、私にはない。
子育てがストレスになるたびに父と母の喧嘩は増えて、いつの間にかそんな喧嘩が日常茶飯事になっていった。
怒鳴り声を聞かない日はなかった。
そして喧嘩でストレスが溜まった母はいつも私に八つ当たりしてきた。
目が合うだけで顔を引っ叩かれた。
ご飯も何度も抜きにされることがあった。
父のことはよく知らない。
私が嫌いなのか興味がないのか面倒臭いのか、私と話そうとも目を合わそうともしなかった。
基本的に不干渉のスタンスだった。
泣いても、誰も来なかった。
もしかしたら私はこの家庭に邪魔な存在なのかもしれない。
幼いながら悟った私は途中で泣くのをやめた。
私はそんな喧嘩や怒鳴り声、虐待が日常の家庭で生まれ育った。
今だからこそおかしい家庭だったって気づけるけれど、当時は他の親もみんなそんな感じだったと思っていた。
それがおかしいと気づけるようになったのは私が一樹と関わり始めてからだった。
「いらっしゃい、美月ちゃん。どうぞ上がって」
小学校になって、一樹の家に初めて上がった時、私は一樹の母の優しさに驚かされた。
美味しいお菓子も飲み物もくれたし、笑顔で歓迎してくれた。
何より一樹と親の仲の良さに私は驚いた。
一樹の方から母に笑顔で話しかけていて、一樹の母もそれに笑顔で答えている。
母に話しかけたら叩かれるというような今までの常識が一樹の家族に壊された。
授業参観でも他の家族の様子を見て、みんな親子の仲が良さそうで、その時から羨ましいという感情が芽生えた。
そして私の家庭はおかしいのかもしれないと気付かされた。
気づいたところで、日常は変わらなかったけれど。
そんな日々が生まれてから十年以上続いていたある日のことだった。
小学五年生くらいの頃、突然、両親の仲が良くなった。
理由はわからない。
父と母の喧嘩は減って、怒鳴り声が聞こえる頻度は減っていった。
母の機嫌もよくて、叩かれることも減った。
完全に無くなったわけじゃなくても、私はずっと欲しかった暖かい空間が手に入りそうで嬉しかった。
けれど代わりに、私の家をよく知らないおじさんが出入りするようになった。
いつも父がいない日におじさんは家に入ってきた。
その日は暴力にさらされることはなくても、私はずっと父の部屋に閉じ込められていた。
母の甲高い声を聞きながら。
……昔にもこんなことあったなー。
何もせずに寝っ転がって天井を見るのは退屈だった。
父が帰って来ない夜にはおじさんは夕方からずっと家にいた。
そのせいで私は出られないので、空腹で仕方がなくて、怒鳴り声を聞いている方がまだマシだと思うこともあった。
「暇だし、一樹の家にでも行こっかな」
一樹と遊べる日はラッキーだった。
母の浮気現場を見ずに済むし、一樹の母は料理も振る舞ってくれた。
お互いに思春期に入ったにも関わらず、たまに家に泊めてくれることもあった。
今思えば、一樹を好きになった理由の一つはそれかもしれない。
昔は一樹と接する機会が多かった。
でも、中学校に上がってからそんな日々は続かなくなった。
私も一樹も、お互いに離れて行った。
最初こそ登校は一緒だったのに、クラスが違って、話す機会が減って、気づけば別々に登下校をするようになった。
一樹とはだんだんと疎遠になっていったのだ。
知らないおじさんが家に来た日は勉強をして暇を潰した。
おじさんが先に家にいて帰れない日もあったから、外でずっとおじさんが帰るのを待っていた。
母と父の喧嘩も増えた。
生きる理由といえば学校の廊下ですれ違う一樹の横顔をチラッと見ることくらい。
そんなちっぽけな行動が生きる理由になるほど、私は一樹が好きだった。
同時に、そんなちっぽけな行動しか生きる理由がなかった。
しかしある夏の日だった。
私はそんな行動さえ、できなくなってしまった。
そして同時期に母の浮気が父にばれた。
母は半狂乱になりながらナイフを持って、父は怒鳴りながらあらゆる家具を母に投げて、私はそれを傷だらけになりながら仲裁した。
その日、家の中は今までで一番カオスな状況だった。
当然、警察沙汰になった。
生きる理由も何も無くなった私は公園に行った。
「……もう、死のうかな。生きる理由も……何もないや」
けれど一人公園で泣いていても……誰も来なかった
***
「美月、どっちの方に来る?」
やがて騒動の後、母の浮気を原因に私の実両親は離婚することになった。
母にどちらについて行くか聞かれたけれど、結局、私には母か父かなど選ぶ権利はなかった。
母を選んであんなことになるなんて知っていたら、正直、父の方に行っていたと思う。
当時の私も父の方に行きたい気持ちもあった。
しかし父は私を育てるつもりはなくて、浮気した母親の子供として嫌われていた。
浮気が見つかったのは母。
でも、多分、父も不倫していた。
父は母も私もいない全く新しい環境でやり直したかったのだろう。
そうして私は母の元に行くことになった。
母はまだ私を愛してくれていた。
……いや、当時の私が母はまだ私を愛してくれていると思っていた。
どれだけ酷いことをされても、私の母親であることには変わりがなかったから。
中学二年生になった頃に私は転校した。
母が不倫相手と結婚して新しい父親の家に引っ越すことになったのだ。
だから私は七瀬 美月じゃなくて、木村 美月。
これが今の私の名前。
一樹と離れ離れになるのは寂しかったけれど、全く新しい環境に私は心を躍らせていた。
転校した中学は悪いところではなかった。
女友達と呼べるような間柄の子も何人かいた。
そして何より、引越し先の家はとても快適だった。
母の機嫌が良くなって、叩かれることが無くなった。
そもそも喧嘩がなくなった。
新しい父親が母の不倫相手だったとはいえ、いい人だったのだ。
私にもよくかまってくれた。
本当の父親のように接してくれた。
父親の愛は母の愛とは違って暖かいと同時に、とても頼れて、安心できる、そんな愛だと知った。
私も新しい父を本当に父親のように思って、お父さんと呼ぶまでに信頼していて、私が欲しかった家族がそこにあった気がして……。
「美月ちゃん、何か欲しいものとかあるかい?」
私に話しかけるたびに見せる優しくて、暖かい雰囲気の笑顔に私は……騙された。
問題が起き始めたのは引っ越してから一ヶ月くらい経ってからだった。
「……あれ、私のパンツ、減ってる? ブラジャーも無くなってるし」
始まりはそんな些細な問題からだった。
私の下着がなぜか無くなっていた。
そしてそれに気づいたあたりで義父が私の部屋に入って突然プレゼントを渡してきた。
「はい、プレゼント買ってきたよ」
「え、あ、プレゼント……? いいの?」
「うん、いつも勉強頑張ってるからご褒美」
「ありがとう……お父さん」
それが親からもらった初めてのプレゼントだった。
プレゼントなんて親からは貰わないのが当たり前の家庭だったから私は正直、とても嬉しかった。
ただ、肝心のプレゼントの中身はブラジャーとパンツだった。
なぜかサイズもしっかり合っている。
デリカシーとか……ない人なのかな。
また似たようなことがあれば言ったらわかってくれると思って、あまり私は気にしなかった。
プレゼントをもらえた嬉しさの方が勝っていた。
あの男があんな人だったとは知らずに。
とはいえ、気づいていても結局、私にはどうすることもできなかっただろう。
そうなることが決まっていたのだと思う。
梅雨入りのある雨の日のことだった。
その日は土曜日で母は仕事で出掛けていて、家には私と義父の二人きりだった。
……その日、私は義父に初めてを無理やり奪われた。
睡眠薬を飲まされて眠らされて、起きたころには裸の義父がスマホを持ちながら体を動かしていた。
「お父……さん? 何……これ? なん……で?」
私を愛してくれる義父だと思っていた。
でもその愛は全て下心からくるものだったと初めて気づいた。
「っ……いやっ! やめて! 離して!」
「うるせえ、黙れ。近所に気づかれたらどうするんだよ」
無理やり口で黙らさせられて、力で押さえつけられて、私はただ犯され続けた。
成人男性の力に私が抗えるわけがなかった。
義父の荒い息遣いと雨粒が物に当たる音が私の耳にいつまでもいつまでもこびりついて離れない。
「やめてよ……おとう……さん……」
「お前も喘げよ、気持ちいいだろ? ……ほら、喘げって!」
その日から私は義父に犯されるようになった。
平日でも関係がない。
深夜に部屋に来たりして、母の隙を狙って私は犯された。
その度に雨の音が私の頭の中でするようになった。
義父が部屋に来る頻度は不定期だった。
けれど毎日のように私は義父に怯えていた。
不幸中の幸いは、私が最後まで妊娠もせず、性病にも罹らなかったこと。
「……お前、少しでも変なことしたらこれをネットにバラすからな。母親にでも警察にでも言ってみろ。一生この動画がネットに残るだろうな」
母の前では家族思いの父親。
二人きりになれば性犯罪者。
このことを誰にも知られたくなくて、誰にもいえなかった。
母にさえ言わなかった。
ネットに晒されるのも怖い。
けれどそれ以上に知られたらまた家族の仲が悪くなると思った。
また母に叩かれるようになると思って、それが怖かった。
どちらにせよ、言わずとも母は気づいてしまったわけなのだけれど。
「あんたなんて産まなきゃよかったよ! 本当!」
母にそう怒鳴られた日も雨が降っていた。
前日の夜にしていたことを見られた私は母に頬を思いっきり叩かれた。
……痛い、苦しい、息ができない……うるさい。
母は私を助けるのではなく怒鳴った。
「結局はあの人の子供ね! お前なんてさっさと死ね!」
何度も何度も叩かれた。
狭い室内で母の怒号と私の頬を叩く鋭い音、そして雨の音がした。
内からも外からも雨の音がした。
その日、私は家を失った。
私を愛してくれる人は最初からいなかった。
耐えられなくなった私は家を出た。
もうどうでも良くなった。
あの男がネットに動画をばら撒こうが、もうどうでもいい。
この生活が一刻も早く終わるのならとそんな思いで私は家を出た。




