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地味令嬢の魔力は規格外です。婚約破棄? どうぞご自由に。でも、この国の結界が消えても知りませんよ?  作者: 九葉(くずは)
第二章

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第二章 第二話

「……また、か」


アシュレイ様の低い声が、静かな朝の寝室に響いた。

その手には、彼の私室にだけ届けられる、王都からの緊急報告書。ここ数日、同じような報告が続いていた。


王都を中心に、奇妙な病が蔓延しているらしい。

罹った者は、まるで眠るように意識を失い、どんな治療を施しても目を覚まさない。しかし、命に別状はなく、ただただ深く眠り続けるのだという。人々はそれを『眠り姫病』と呼び、恐れていた。


「最初は数人だった患者が、今や百人を超えたと……。しかも、アーベンハイト領の南端の村でも、同じ症状の者が出始めたようです」

「……」


アシュレイ様は答えず、ただ厳しい顔で報告書を睨みつけている。

眠り続ける、謎の病。

私の脳裏に、あの時の嫌な予感が蘇る。リリアーナが修道院で起こしているという、不可解な『奇跡』。そして、闇市場で買い占められているという禁術の書物。


バラバラだった点が、ゆっくりと線で結ばれ始める。

その線が描き出す形は、あまりにも邪悪で、私の心を冷たくさせた。


(まさか……ヴァインベルク家に伝わる、あの禁術を?)


私たちの不安を肯定するかのように、その日の午後、王都から衝撃的な報せが舞い込んできた。


「リリアーナ様が、幽閉先の修道院から姿を消しました!」


血相を変えて飛び込んできた伝令兵の報告に、私は息を飲んだ。


「どういうことだ! 見張りはどうしていた!」

「はっ、それが……修道院の者たちが、一丸となって彼女の逃亡を助けたようで……! 彼女を『聖女様』と呼び、彼女こそがこの国を救う唯一の希望だと……」


そして、伝令兵はさらに信じがたい言葉を続けた。


「リリアーナ様は、王都の広場に姿を現し、こう宣言されたそうです。『この国を覆う眠りの呪いを解けるのは、聖女である私だけ。しかし、呪いをかけたのは、国を追われた悪魔の魔女……私の姉、エリアーナなのです』と!」


「なっ……!?」


頭を鈍器で殴られたような衝撃。

私が、呪いをかけた張本人?

あまりのことに、言葉を失う。


リリアーナは、眠り続ける人々を人質に取り、その罪を私になすりつけ、自分を『救世主』として再び祭り上げようとしているのだ。なんという、悪辣な計画。


「民衆は……それを信じているのか」


アシュレイ様の、地を這うような低い声。

伝令兵は、恐縮しきった様子で答えた。


「は……はい。眠り病に罹った者の家族を中心に、リリアーナ様を信奉する声が高まっており……。『悪魔の公爵妃を王都へ引き渡せ』という過激な声も……」


怒りで、目の前が真っ赤になる感覚。

違う。私じゃない。

本当に人々を苦しめているのは、リリアーナ、あなたの方なのに!


「……エリアーナ」


アシュレイ様が、震える私の肩をそっと抱き寄せた。

彼の赤い瞳が、静かな怒りの炎を宿して、私を真っ直ぐに見つめている。


「君がやったことではないと、俺は誰よりも知っている。何も心配するな。俺がすべて、解決する」

「アシュレイ様……」


彼の言葉と温もりに、少しだけ冷静さを取り戻す。

そうだ。感情的になっては、敵の思う壺だ。


私は、ゆっくりと深呼吸をし、思考を巡らせた。

眠り続ける病。魂だけが肉体から抜き取られたような状態。

間違いない。これは、ヴァインベルク家に代々伝わる禁術の一つ。


「……『魂縛りの呪詛人形』です」

「魂縛りの……?」

「はい。我が家に伝わる、最も邪悪な禁術。対象者の髪の毛や血を混ぜ込んだ人形を作り、その魂を人形に縛り付ける呪いです。術者は、人形を介して対象者の生命力を少しずつ奪い、自らの力に変換することができます」


だから、リリアーナは『奇跡』を起こせたのだ。

眠っている人々の生命力を奪い、それを自らの魔力であるかのように見せかけて。


「なんと、悍ましい……」

「呪いを解く方法は、ただ一つ。国中に隠された、全ての呪詛人形を見つけ出し、破壊することです。ですが、人形は巧みに隠されており、見つけ出すのは至難の業……」


そこまで言って、私はハッとした。

リリアーナが「自分だけが呪いを解ける」と言った理由。

それは、彼女だけが、人形の隠し場所を知っているから。

彼女は、マッチポンプを演じているのだ。自分で病を撒き散らし、自分でそれを解くことで、民衆の支持を得ようと。


「リリアーナは、おそらく王都で『救済の儀式』とでも称して、見せしめにいくつかの人形を破壊し、人々を眠りから覚ますでしょう。そうして、民衆の信頼を完全に掌握するつもりですわ」


そうなれば、私が『悪魔の魔女』だという嘘は、真実になってしまう。


その夜、私はアシュレイ様に内緒で、一人、書斎の奥にある禁術庫を訪れた。

ヴァインベルク家から嫁ぐ際に、アシュレイ様の許可を得て持ち込んだ、一族の負の遺産が眠る場所。


(これを使うしか、ない)


手に取ったのは、古びた水晶の振り子。

『魂の共鳴』を利用し、強い呪いの波長を探知するための魔道具だ。これを使えば、国中に隠された呪詛人形の場所を特定できるかもしれない。

しかし、これを使うには、術者自身の魂を大きく削る必要があった。下手をすれば、私自身が眠りの呪いに罹ってしまう危険な賭け。


アシュレイ様は、絶対に許可してくれないだろう。

だから、一人でやるしかなかった。

彼に、これ以上、私の家の問題で迷惑はかけられない。


私は振り子を握りしめ、魔力を集中させる。

目を閉じると、意識が深く、深く沈んでいく。

国中に張り巡らされた、無数の呪いの糸。人々の苦しむ声。魂の悲鳴。

そのおぞましい奔流に、私の意識が飲み込まれそうになる。


(……負けるわけには、いかない)


アシュレイ様との幸せな日々を、こんな奴らのせいで壊されてたまるか。


その一心で、私はさらに深く、呪いの源流へと意識を潜らせた。

そして、ついに見つけ出した。

無数の呪詛人形が隠された場所を示す、巨大な魔力の淀みを。


(……見つけた!)


安堵した瞬間、私の意識は限界を迎えた。

急速に遠のいていく光。

最後に脳裏に浮かんだのは、愛しい夫の、心配そうな顔だった。


「……エリアーナッ!!」


薄れゆく意識の向こうで、アシュレイ様の悲痛な叫び声が聞こえた、気がした。

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