最終話
圧倒的な力の差を前に、完全に戦意を喪失したユリウス殿下は、アシュレイ様の配下の騎士たちによって丁重に、しかし有無を言わさず「保護」された。王都が危機的状況にあることに変わりはない。アシュレイ様はすぐさま国王陛下に事の次第を伝える書状を送り、私と共に王都へ向かうことを決めた。
「君を、これ以上危険な場所に連れて行きたくはない。だが……」
「わかっています、アシュレイ様。これは、私が始めなければならなかったことの、後始末ですわ」
馬車に揺られながら、私は彼の大きな手を握った。もう、一人ではない。彼の存在が、私に無限の勇気をくれる。
王都に戻ると、その惨状は想像以上だった。
街には活気がなく、人々は疫病と魔物の脅威に怯え、空はまるで鉛のように重く淀んでいる。私が維持していた結界は、もう虫の息だった。
私とアシュレイ様が王宮に到着すると、国王陛下自らが出迎えた。陛下の顔には深い疲労と後悔の色が浮かんでいる。
「エリアーナ嬢……すまなかった。我々は、とんでもない過ちを犯してしまったようだ」
「お顔をお上げください、陛下。今は、一刻も早く王都の機能を取り戻すことが先決です」
私は国王と大臣たちが集まる謁見の間で、これまで自分が担ってきた役割――王都の大結界を維持・管理してきた事実のすべてを包み隠さず話した。そして、結界を修復・再起動させるための具体的な方法を提示する。大臣たちの中には信じられないという顔をする者もいたが、私の規格外の魔力を目の当たりにした国王陛下と、何より『氷の公爵』アシュレイ様が後ろ盾となっている今、誰一人として異を唱える者はいなかった。
そして、偽りの聖女、リリアーナと、私の家族もその場に引きずり出された。
リリアーナは、私の姿を見るなり「いやぁっ! 悪魔よ! あの女は国を滅ぼす悪魔だわ!」と見苦しく叫んだが、その言葉を信じる者はもう誰もいない。
「聖女リリアーナよ。其方、本当に聖なる力を持っているというのなら、今この場で、淀んだ王都の空を浄化してみせよ」
アシュレイ様の冷たい声が響く。
リリアーナは顔を真っ青にしながら、必死に祈るふりをするが、当然、何も起こらない。彼女の虚偽は、完全に白日の下に晒された。
「リリアーナ……お前、今まで私たちを騙していたのか!?」
ユリウス殿下が絶望の声を上げる。
私の父と継母も、自分たちの犯した罪の大きさに気づき、その場で崩れ落ちた。彼らは、自らの野心と虚栄心のために、本物の救世主を追放し、偽物を祭り上げたのだ。その代償は、あまりにも大きかった。
ヴァインベルク侯爵家は、国家転覆未遂の罪で爵位を剥奪。父たちは領地を没収の上、北の僻地へ幽閉されることが決まった。そして、リリアーナとユリウス殿下は、王家と国を欺いた大罪により、その身分を剥奪され、生涯を修道院で過ごすこととなった。彼らが望んだ栄光も愛も、全ては砂上の楼閣のように崩れ去ったのだ。
まさに、最高の「ざまぁ」だった。
けれど、私の心にあったのは、爽快感よりもむしろ、一つの時代の終わりを見届けたような、静かな感慨だけだった。
全ての裁きが終わった後、私は一人、王宮の最上階にある『星見の間』にいた。
ここは王都の魔力が集まる中心地。大結界を再起動させるのに、最も適した場所だ。
窓の外に広がる、沈みかけた王都の景色を見つめながら、私は深く息を吸い、魔力を練り上げていく。
もう、誰かのために自分を犠牲にする力じゃない。
私が愛しいと思う人々が、穏やかに暮らせる未来を守るための力。
「――古き理よ、今一度、我が声に耳を傾けよ。光の礎となりて、この地を穢れより守りたまえ――」
私の体から放たれた白銀の魔力が、奔流となって空に駆け上る。
魔法陣が王都の空を覆い尽くし、浄化の光が雨のように降り注いだ。街の淀んだ空気は一掃され、疫病の元凶となっていた瘴気も消滅していく。弱り切っていた結界が、以前よりもさらに力強く、そして温かい光を放ちながら、完全な復活を遂げた。
空には、美しい夕焼けが広がっていた。
全てを終えた私の体を、ふわりと、優しい腕が背後から包み込む。
「……お疲れ様、エリアーナ」
「アシュレイ様……」
振り向くと、血のように赤い瞳が、愛おしそうに私を見つめていた。
「君は、本当にすごいな。たった一人で、この国を救ってしまった」
「一人では、ありませんわ。あなたが見つけてくれたから、信じてくれたから、私はここにいられるのです」
彼の胸に顔をうずめると、冬の森のような、澄んだ安心する香りがした。
「エリアーナ」
アシュレイ様は、私の肩を掴んで、まっすぐに向き直らせた。
その表情は、いつになく真剣だった。
彼は、私の前で再び、恭しく片膝を突いた。
あの日、絶望の淵にいた私を救い出してくれた時と同じように。
「君はもう、誰かのための道具でも、国のための礎でもない。ただ、一人の女性として、幸せになるべきだ」
彼は、懐から小さなベルベットの箱を取り出し、開いた。
中には、夜空の星をそのまま閉じ込めたような、美しい青い宝石の指輪が輝いている。
「俺の、唯一の光。俺の人生の、全てだ。エリアーナ、結婚してほしい。俺の妃として、これからの人生を、共に歩んではくれないだろうか」
それは、私が今まで聞いたどんな言葉よりも、甘く、誠実な愛の告白だった。
見せかけの評価でも、家柄のためでもない。
私の本質を、私の魂そのものを愛してくれる人が、ここにいる。
涙が、今度は悲しみからではなく、どうしようもないほどの幸福感から、とめどなく溢れ出した。
「……はい、喜んで。私の全てを、あなたに捧げます」
私の答えに、彼は心の底から嬉しそうに微笑み、指輪を私の左手の薬指にはめてくれた。ひんやりとした感触が、永遠の誓いのように感じられた。
立ち上がった彼に抱きしめられ、交わした口づけは、夕焼けの空よりもずっと、甘く、温かかった。
こうして、私は地味で目立たない侯爵令嬢としての人生を終え、アーベンハイト公爵妃として、新しい人生を歩み始めた。
隣には、誰よりも私のことを理解し、愛してくれる人がいる。
もう、力を隠す必要はない。
孤独に耐える夜もない。
私は私のままで、彼の隣で笑う。
規格外の魔力は、今度は、愛する人々と私たちの幸せな領地を守るために。
窓の外では、完全に蘇った王都が、七色の光に輝いていた。
それはまるで、私と彼の輝かしい未来を、祝福してくれているかのようだった。
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