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3. 2019年3月9日(土)⑥

 いとまを告げマンションを出たとき、陽は西に傾いていた。時刻は17時30分。道すがら、隣を歩く北原に丸多が言った。

「ちょっと、収拾がつかなくなりましたね」


 それを聞いた北原は、いかにも肩身が狭い様子でいた。「すいません、丸多さん。あいつらはいつもああなんです」

「いえ、私は全然構いません。北原さんこそ、大丈夫でしたか」

「ええ、僕は慣れてるんで。もっとひどいことされるかと思いましたけど、今日はそうでもなかったですね。ミントソーダだって言われて、液体ハミガキ飲まされたこともありますから。それと比べたら大したことないです」


「北原さん、まだ時間ありますか」駅で北原が自転車を出す間、丸多が尋ねた。「押上(おしあげ)まで行って、若干早いけどご飯でも食べませんか。そこだとスカイツリーが目印になって、ここから行きやすいですし。そこまで行けば、どこかしら食べる店が見つかるでしょう」


 十五分ほど歩き、二人はスカイツリー付近まで来た。全国に展開するチェーン店のレストランはすぐ見つかり、そのうちの一つに入った。


 丸多は、これまでの流れからカレーを頼むのは良くないと思い、無難にミックスグリルを注文した。逆に、北原がここでカレーを頼めば素晴らしい裏切り方だとして観察してみたが、彼が選んだのは、何の変哲もないたらこスパゲティであった。


「美礼さんとの関係についても聞きたかったんですが」丸多はおしぼりの包みを開けながら言った。

「美礼と東京スプレッドの関係ですか」

「はい。彼らは約二年前、美礼さんのオフ会に参加していました」

「そうでしたね」

「美礼さんが亡くなってから、彼らとシルバさんとの距離が急速に近づいたことについても聞く予定でしたが、どうやらあれが限界だったみたいですね。

 でも、いいです。彼らの発言のうち、どれが本当でどれが嘘かはまだわかりませんが、初の顔合わせにしては上出来でしょう」


「どうでした、丸多さん」北原が正面から丸多の顔を見つめる。

「何がですか」

「犯人はわかりましたか」

 あまりにも率直な北原の言葉に丸多は苦笑した。「正直なところ、全くわかりません。まだ情報量が少なすぎます」

「事件当時の映像も、あいつら出しませんでしたしね」

「それは仕方がないです。部外者がいきなり行って、観せてもらえるものでもないでしょうし。しかし、ポルノ動画が出てくるとも思いませんでしたが」


 それから二人は、舌が肥えてなければ十分上質と感じられる食事をとった。普段、神戸牛などを食べない丸多にとっては、大量生産品の腸詰めの寄り合わせさえ、むしろ贅沢(ぜいたく)代物(しろもの)といえた。


 北原は、出された麺を何の躊躇(ちゅうちょ)もなく音を立てながら吸い上げていた。もう少し親しければ「掃除機みたいな食べ方だね」と言ってあげられるのに、と丸多は思ったが、彼を呼び出してから一週間しか経っていないことを思い出し、その言葉を肉と共に飲み込むことにした。


 これ以上北原から話すことはないだろう、と丸多は考え、取り出したタブレットに二股のイヤホンジャックを差した。

「北原さん、イヤホン持ってますか」言われて北原は「はい」、とポケットから携帯音楽プレイヤーを出し、そこに刺さっていた蛍光色のそれを引き抜いた。

 

 丸多はすでに要領を得ているふうにそれを受け取り、ジャックの片方に差した。そして自分のも、もう一方に取り付けた。

「これで動画の音声を二人で聴くことができます」丸多は事もなげに言った。


「丸多さん、用意がいいですね」

「それしか取り柄がないのかもしれませんけどね」

 丸多はテーブルの上の皿をどかし、タブレットを二人の見やすい位置に据えた。

 北原は「何を観るんですか」とも聞かず、餌か何か判然としない物を眺める猫のようにじっとしている。


 丸多は「GING ちょいす 喧嘩凸」で検索し、出てきたサムネイルのうちの一つをタップした。それを見て北原は「ああ」と合点(がてん)したように声をあげ、顔にかすかな笑みを浮かべた。


「お前よお」まだ〈シルバ〉と名乗る前の〈シルバ〉、中田銀が、デスクの前に座り何やらまくし立てている。

 動画クリエイターをまだ始めていない頃のこの〈シルバ〉は日焼けしておらず、あか抜けない少年の雰囲気を捨て切れずにいる。おそらく自室であろう、背景にはタンスや、壁にかかったハンガーなど、生活感あふれる物が多数見られる。


 そして、画面端の長方形のワイプ[*2]には、中田銀と同様の姿勢で若い女性が映っている。双方ともに、PC上にリアルタイムで映る互いの姿を眺めているのだろう。さらにネット通話でも繋がっており、二人の言葉の応酬が始まった。動画のタイトルは「【GN過去動画】ちょいすとの一騎打ち」。


「お前よお、鼻毛出てんだよ」中田銀があけすけに言うと、画面端の〈ちょいす〉もそれを押し返すような剣幕でやり返す。

「は?出てねえし。どこ見て喋ってんだよ。馬鹿じゃねえのか、お前」

「うるせえよ。俺が鼻毛出てるっつったら、出てることになるんだよ。覚えとけ、馬鹿」

「何言ってんの、こいつ。頭悪いんじゃないの。そんなんだから、どこの会社も、お前採用しねえんだよ。義務教育からやり直せ、くそニート」

「お前の顔だったら、鼻毛出てなくても、出てるのと一緒だから。世間一般の女性が鼻毛出してるのと同じレベルの顔だよ、それ。何、お前、ちょいすとか言ってふざけた名前で顔出し配信してるけどさ」

「何で、私の鼻毛が出てるのか説明してくれますか?どこからも出てませんけど、はい、五秒以内に説明してください」

「お前、顔出し配信してるけどさ、何それ、アイドル気取り?言っとくけど、どのオーディションも通らないよ、君」

「はい、五秒以内に説明できないんだね。すごく可哀想。私のクラスに引き算できなくて留年した奴いるけど、お前そいつより馬鹿だよ」

「お前、いますぐ学校の校長に電話しろ。私みたいに全然可愛くない女が、顔出し配信してしまいました。すいませんでした、って電話しろ。校長いなかったら、教頭でもいい、早く電話しろ」


 画面上[*3]ではこのやり取りに重なって、「鼻毛アイドルwww」「引き算できない奴以下のニートwww」「校長にも鼻毛出てるって因縁つけよう」といったリスナーからのコメントが横に滑っていく。どれも焚きつけるような文言ばかりで、二人の間柄、及び知性について懸念する内容のものは一つも見当たらない。


 丸多が一旦動画を止めた。先に感想を漏らしたのは北原だった。

「バカ過ぎですね。この頃のシルバは」

「つける薬がない、というのが私の率直な印象ですね」


 丸多はグラスの水を一口飲み、北原に訊いた。

「正確な日付まではわからなかったんですが、この生配信が行われたのは大体、2014年から翌年の初め頃、で合ってますか」


 北原は当時の空気を懐かしむような微笑をたたえていた。「確か、そうですね。あいつのGING時代のことは詳しくないんですが、その頃だったと思います。あいつが22くらいのときだから、そうですね、それで合ってるはずです」

「ええ、それだと辻褄(つじつま)が合うんです」


 丸多は動画サイトを最小化し、続いてブラウザで「ちょいす 橋井(はしい)まどか」と検索した。

「古いウェブページなんですが」丸多はタブレットを北原の方へ傾けた。「今の動画に出ていた、ちょいすという女性のプロフィールが載ってます。本名 橋井まどか。1997年10月生まれ……」


 北原が一通り読み終えるのを待ってから、再び丸多が話し出した。「このプロフィールが正しいとすれば、ちょいすという人は、今の生配信を行っていた頃、女子高生だったはずです。そしてそれは、今の二人のやり取りの内容と合致します。ちょいすさんはその頃、学校に通っていたようですから」

「ちょいす、懐かしいなあ」

「北原さん、ちょいすという人、知ってるんですか」

「はい、シルバと昔付き合ってた人です」

「そうですよね」


 丸多は続けて、「関連動画」から「【GN】因縁の相手と外配信」とタイトルのついたものを選択した。

 まだ〈GING〉を名乗る〈シルバ〉が、〈ちょいす〉と隣り合って歩く様子を映すだけのたわいない動画。先の動画で互いに散々毒づいていた二人だが、ここではまんざらでもなさそうに、肩をぴったりと寄せ合っている。場所は都内の商店街らしく、色彩の統一感のない店々(みせみせ)が二人の両脇を二人の歩く速さで流れていく。


「ここにコンビニののぼりが見えますが」丸多はある時点で動画を止めた。「『新生活応援、くじ引きキャンペーン』と書いてます。このコンビニでこのイベントが行われていたのが、2015年の4月なんです」

「よく、そんなことまで調べますね」

「すると妥当に考えて、当時高校二年生だったちょいすさんと、シルバさんはさっき見たような低俗な喧嘩をネット上で行った。そして、それから2015年の4月、彼女が三年生になったばかりの頃ですね、それまでに二人は、外で一緒に生放送配信をするほど親しくなった」


 そこまで聞いた北原が感心したように言う。「あの頃のことを思い出してきました。ちょうどその一年後くらいですね、僕がシルバの動画撮影を手伝い始めたのが。まあ、その頃あいつはもう、動画クリエイターに転向してましたけど」

「北原さん、ちょいすさんと面識はあるんですか」

「あります。一回だけ」

「ある?」


 丸多が声を裏返してそう言い、北原は平然として答えた。「はい。確か僕がシルバの手伝いを始める少し前に、あいつ、ちょいすと別れたんです。本格的に動画クリエイターを目指そうってなって、あいつが安アパートに引っ越すとき、僕も手伝ったんです。そのとき、シルバの実家にちょいすの私物がいくつか残ってて、それらを埼玉県の彼女の実家に届けに行きました。シルバの運転する車で」

「どういう様子でしたか、ちょいすさんは」

「元気そうでしたよ。まあ、二人にしてみれば『最後の別れ』だったので、多少しんみりしてましたけど」


 丸多は聞きながらタブレットに触れ、手際よく「ちょいす 閲覧注意」で検索した。

「北原さん、これ観てもらっていいですか」

 例の〈ちょいす〉が半裸で呪いの言葉を吐き続ける場面が流れる。その数十秒の動画を観た後、北原がわざとらしく頭を抱えた。


「ちょいす、こんなふうになったか」

「北原さん、この動画を観たことは」

「ないです。今、初めて観ました」

 ちょうど、動画の〈ちょいす〉と同い年くらいのウェイトレスが皿を回収しに来た。テーブルの上が片付くのを待ってから、丸多が尋ねた。


「この動画がいつ撮影されたかは、わからないですよね」

「わからないですね。ただ、さっきの二人の喧嘩凸より前だとは思いません」

「私もそう思います」


 それから丸多が話そうとすると、彼の懸念を察知してか、北原が言い出した。

「あくまで友人としての勘ですけど、ちょいすがこんな動画撮るようになった原因は、シルバとの別れではないと思います。今言ったように、本当にシルバとちょいすは友好的に別れたんです」

「友好的に」

「はい。二人の別れの際、僕は横でその様子を観察してましたけど、ちょいすに遺恨があるようには見えなかったです。あれじゃないですか。ちょいすは当時から、心の病気を(わずら)っていたんです。だから、他の男にふられて、こんなふうに発狂したんじゃないですかね」

「そうですか」


 丸多は北原がそう言うのを聞いて、それ以上深く追求しようとはしなかった。しかし、二人の罵り合い、交際、別れ、そして最後の錯乱した〈ちょいす〉の姿、これらを頭の中で順に追えば追うほど、どこか腑に落ちない感覚が募っていくのであった。




[*2]: 正式にはコーナーワイプ。画面隅に中継先の様子などを映すために表示された小さな画面のことを指す場合が多い。


[*3]: 動画共有サイト「ニコニコ動画」は、動画閲覧中のリスナーから送られたコメントを画面上に横に流すように表示する機能を提供し、またそれは同サイトの主な特徴の一つとなった。

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