26 幽霊
「む? フレキ、何か言った?」
『なにも言ってないのじゃ?』
「じゃあ、何か聞こえた?」
『なにも聞こえないのじゃ。いや、地上の神殿で神官たちが晩飯について話している声は聞こえておるが』
俺にはそのような声は聞こえない。
フレキはおじいちゃん狼なのに、耳が良いらしい。
「フレキに聞こえなくて俺だけに聞こえるのだとすると……」
俺は声が聞こえた方へと歩いて行く。
声がしたのは物置部屋だ。
神具の入っていた木箱とは逆方向。
部屋の隅っこで、地上への階段の近く、特に乱雑に木箱が積み上げられている場所だ。
乱雑に積み上げられたせいで、木箱の一部が崩れている。
その崩れた木箱に踏まれた白い骨が見えた。
全身骨格ではない。恐らく大腿骨が一本だけだ。
「お前は……不死者か?」
その木箱に下敷きにされた幽霊が、俺の持つ神具の大鎌を見て、怯えている。
大鎌で斬られれば、不死者は基本的に天に還ることになる。
だから、怯えているのだろう。
その幽霊の雰囲気は、隣の部屋にいた不死者たちとはまったく違う。
『ひぃ』
俺は不死者を怯えさせないように、大鎌を棒に戻す。
「俺はお前を苦しめたり怯えさせたりするつもりはない」
『本当か?』
幽霊から言葉が返ってきたので、俺は少し驚いていた。
意味ある言葉を話せると言うことは、自我が残っていると言うこと。
「本当だ。俺は死神の使徒」
『ひいいいいい、死神! お許しを! 殺さないで』
幽霊は死神と聞いて、ガクガクと震え始めた。
一般的な死神のイメージがよくわかるというものだ。
「殺さないでって、もう死んでるだろう?」
『ひいいい』
「安心しなさい。死神は怖くない」
俺は優しい声音を作って語りかける。
「地上に囚われた魂を、安らげる神の御許に還すことが仕事なんだ」
『よ、よくわからんが、こ、殺しに来たんじゃないのか?』
「死神は殺さないよ。あんまりね」
そういうと、幽霊は安心したようだった。
俺は幽霊の下にある白骨を見る。
この白骨が、この幽霊のものであることは間違いない。
それは死神の使徒の権能ではっきりとわかる。
「隣の部屋にいた不死者たちは知り合いか?」
『そんなわけない。恐ろしい。不死者どもがいることすら知らなかったんだ、本当だ!』
幽霊は必死になって弁解している。嘘をついている雰囲気ではなかった。
「お前は、いつからここにいる?」
『……えっと』
死体が白骨化するほど時間が経てば、自我を失うのが普通だ。
それに、それほど長い時間不死者として存在しているのに、不死神に目をつけられていないのもおかしい。
実際、隣の部屋の不死者たちは不死神の眷属とされていた。
この幽霊だけ無事な理由もわからない。
俺は警戒しつつ注意深く幽霊の様子を観察した。
幽霊は俺の問いに、真剣な表情で考えている。
『……わからねえ。多分、一週間、いや一月ぐらいたったかな?』
一月のわけがないと思う。
幽霊になってしまえば、お腹も空かないし、眠くもならない。
時間経過を正確に把握することは難しいのだろう。
だが、この部屋には大量の魔鼠がいた。
死体が食べられたのならば、白骨化が急速に進んだとしてもおかしくはない。
幽霊に話しかける俺を、フレキは無言で見つめていた。
恐らくフレキに幽霊は見えていない。
だが、俺の発する言葉から俺のしていることを推測して、見守ってくれているのだ。
とりあえず、この状況で死神の使徒がやるべきことは一つだ。
俺は死神の使徒の務めを果たすべく、幽霊に右手を向けた。
天に還す前に幽霊に語りかける。
「どのくらいここに居たのかはわからないが、無事で良かったよ」
『無事? っていっていいのか? 死んでるのに』
「ああ、死んで時間が経てばたつほど、不死神に目をつけられやすくなるからな」
不死神は、幽霊自体には興味が無いと思う。
幽霊は肉体がないので「完全なる者」である不死者の王にはなれないからだ。
だが、幽霊は不死神の使徒や不死者の王の手駒にはなる。
不死神に目をつけられた、幽霊の末路は悲しいものだ。
適当な死骸に取り憑かされて、亡者となるしかない。
「大丈夫だ。俺がきちんと天に還してやろう」
『ちょ、ちょっと待ってくれ!』
「ん? どうした?」
『俺は、この薬をアンナに届けないとダメなんだ』
幽霊は自分の足元を指さした。
大腿骨の近くに、小さな小瓶が転がっていた。
俺はその瓶を手に取った。
「おお、運良く木箱の崩落に巻き込まれなかったんだな。割れてない」
恐らくこの小瓶が、幽霊が不死者となった未練そのものである。
奇跡を使えば、未練ごと天に還すことはできる。
だが、なるべくならば、未練を解消させ、満足して天に還ってもらいたい。
それが死神の意志であり、死神の使徒の意志だ。
順番に未練について、聞き取りをしていかなければなるまい。
まずはアンナについてだ。
「ところで、アンナっていうのは誰なんだ?」
『俺の娘だ。母親がいないからな。男手ひとつで育てているからか、おてんばに育ってしまって……』
幽霊はアンナについて語り出す。
『一人娘か。かわいいであろう』
『狼がしゃべった!』
幽霊が驚いた。俺も驚いた。
「フレキ、幽霊が見えるのか? 普通の者にはみえないと思っていたけど」
『みえるのじゃ。伊達に死神の使徒の従者を長年務めておらぬわ』
そういってから、フレキはぼそっと呟いた。
『そうか、一人娘が』
フレキは、一人娘である俺の母のことを思い出しているのだろう。




