第22話
どちらが姉でどちらが妹なのか、全く区別がつかない。それ自体は、三度の機会に顔を見ても変わらなかった。
彼女達も明確に自分がどちらなのかを口にすることはない。自衛なのだろう。自身も相手も「私」と呼ぶことを徹底していた。
「『私』の運命は明確になりつつある。深緑の王子を退けねば、アルスセリヴァンに未来はないが。深緑の王子の首を選べば『私』は死ぬ。ならば願いを叶える宝石を手に入れなければ帝国には帰れまいが。…宝石を手に入れる可能性は、相変わらず見えない」
「『私』の可能性は明確になりつつある。未来は常に流転し、決して確定されたものではないが。手に入らない宝石は、私の願いを叶えない。帝国の王の願いも叶わない…なれば、そう悪くもあるまい。私は『私』に手を伸べる精霊を見る。精霊は帝国にないもの。選択が深緑の王子の首でないのなら…『私』の生もまた帝国にはないのかもしれない」
「…決めかねている。この選択にも、アルスセリヴァンの未来はないが…どうにも『私』の死ではないように思う。彼は警告の赤と、彼を守護する緑を纏う。今しばらくは…緑」
「どの選択にも…もはやアルスセリヴァンの未来がないのか。けれど私も、『私』の死ではないように思う。彼を包む色は…同様に警告と守護。今は、深い緑の色。なれば選ぶべきと思う」
「同意する。私の選択はなされた」
「同意した。私の選択はなされる」
感情を廃した声は、まるで巫女の告げる託宣のよう。
僕らは目を凝らして帝国の王女らを見つめた。
「…どうだ、バルザック。何かわかったか」
「自身の可能性とやらは、どうやら見えないようだ。彼女達は互いのそれを読み合う。相手と、相手の周囲に見えるものをだ。それらを読み解き、総合して最も理想に近い可能性へ至る選択をするのだろう。常に側にある相手なら、確かに己の未来と変わらない」
狼の目は相変わらず僕とは別のものを見る。彼女の母親は、ならばなぜ『騎士』の可能性を読まなかったのか。
…いいや。敢えて読まなかったのかもしれない。どちらにせよ、選ぶ道はそれしかなかったのだ。
「常に可能性を選ばなければ死ぬ…というようなことを言っていたな」
先に失敗が見えれば竦むのが人というもの。
僕は、己の未来など知りたくはないが。
「…彼女達は、片割れがどのようにして殺されるかを何千何万と見続けて、それを避ける選択だけを選んで、ここにいるのだな」
疲れたと言った、あの言葉に嘘はない。そう思う。
生存だけを目的に掲げて生きるのは、辛い。人間は野生動物ではないのだ。困難な状況が長引けば当然に疲労し、這い寄る死を甘美にすら感じることもあっただろう。
けれど見えるのは片割れの死だ。その時に、自分が生きるか死ぬかは見えない。
「…ぅ…」
「どうした?」
「…いや…何でもない。どこか痛んだ気がしたが、大丈夫そうだ」
妙な姿勢で伏せていたから、筋肉が引きつれたのかもしれない。
「お前、疲れてるんじゃないのか?」
「そりゃあ…否定はしないけれども」
言っても仕方のないことではないかな。
後退して木陰に身を隠し、少しだけ身体を伸ばした。
城を出た先の野営地に、帝国兵達がひしめいている。一人の王子と、ローブ姿の影武者のいる軍議用の天幕に、駆け込んできたのはエルゼレ伯だ。
「正気ですか、殿下。我々が維持し続けてきた城を、放棄すると?」
「水も食料もなければ拠点になりえない。この野営地まで後退します」
その言葉に、僕は目を見張る。
寝返りは少し考えたい…なんて言った割には、随分とこちらに協力的だ。
「…後退してどうなさるのだ。相手の思うつぼというものだ」
忌ま忌ましいという表情を隠しもしないのはエルゼレ伯。
僕がここを追われてからは、彼がこの城を取り仕切っていたのだろう。手放す気になれないことは理解できた。
「ではどうするつもりか」
アルスセリヴァンの平坦な声が、無闇に広く響く。
皆、ぽっと出の王子が妙な無茶を振るのではないかと息を詰めているのだろうか。
人数の割に静かすぎる会合は、不穏な空気を醸し始めていた。
「食料庫は扉ごと存在が消失。どれだけ運び込んでも水が消える。挙句の幽霊騒ぎで城内の士気は壊滅的だ。既に伯が打てる手は打ち尽くしたのでは?」
食料庫はラグレンディアが壁を一枚増やしたので、僕ら以外は誰も入れない。
城内の水の気は僕が指定した場所以外、全てシャロレイトラハが回収している。
幽霊騒ぎは、僕が移動する際に兵士の目を逸らすためのフェイクだ。水と緑以外の精霊は城内の各所に媒介するものがあり、移動に然したる不便がない。
「ですから今は一時的に野営地を…」
「まともに休めもしない建物だけを守って兵を分散するより、ここに纏めおいたほうが良いのではないですか。どの道、既に王命が出されました。ジエラルーシオン王子の首か、願いを叶える宝石。このどちらかを早急に帝国に持ち帰るように、と」
「どちらも鋭意捜索している!」
「僕は命令を運んできたに過ぎない。帝国はいつもと変わらず結果が全て…やらねば従わぬと見なされる。深緑の王子か宝石に人員を回さねば、困るのは貴方自身では?」
何とも世知辛い。
帝国はグライア・メディエノル侵略の功労者にも容赦はしないらしい。
敵の指揮官を従えるか殺せば良いと思っていたのに、指揮官も崖っぷちだったとは…。帝国が恐怖政治だと知ってはいたが、よくこれで国が崩壊しないものだ。
「…私を見限るために来たのか。この地を、落としたのは私なのだぞ」
「僕は命令を運んできたに過ぎない」
「その命令には続きがあるのだろう。私が成さぬ場合には無能な指揮官を排除し、貴方が指揮を執るように、と」
そのために帝国の王子が派遣されてきたのだ。
帝国も、焦れている。
制圧したはずが、目的のものが手に入らぬ現状に。
「…探す探すと仰るが、どこをどのように探されるのか? 我々は城を落とした後、陰鬱としたこの地で粛々と任を遂行していたのだ。獣と霧が惑わすあの森に、一体どれほどの兵が消えたことか。…しかし、さすがは四目のアルス殿下。それも顧みずに指揮されるおつもりならば、我らには思いもつかぬような腹案がお有りなのでしょうな?」
エルゼレ伯の刺々しい言葉にも、帝国の子は表情を変えない。
…無礼を咎める者もない。
どうやら恐れられているのは、帝国の王その人のみであるようだ。誰も気にも留めない様を見るに、アルスセリヴァンの扱いとは常時このようなものなのだろう。
帝国の王は、息子を大切にする姿勢を周囲に見せてはいない。守る気配すらもないから、配下が王の子を侮り、それを隠しもしない。
帝国の王は彼女らのいう通り、どうやら子には興味がない。
「城は我らが守りますのでご心配なく。殿下はその優秀なおつむで考えた案を実行されるがよろしかろう。人手が必要であれば現地人を徴用するという手もありますからな」
結局、僕は僕の思うままに動くしかない。
溜息をついて、見つめた先で。
エルゼレ伯と部下達は、アルスセリヴァンの指揮には従わない道を選んだようだ。




