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願いを叶える宝石に纏わる冒険譚  作者: 2991+
石が見る星

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第18話



 水盤に何かあっては困るから、帝国の王女達と会うのは最奥よりも一つ手前の洞穴にした。


 ここも水と水精霊の気に満ちた、清涼で神聖な場所だ。


「…来たか」


 ぶわりと浮かんだ大きな水の膜。

 両腕で己を庇うような体勢のまま、二人の人間が姿を現した。


 シャロレイトラハは、危機只中と言わんばかりの二人の様子など気にする様子もなく、片手を振って水の膜を消す。

 僕に少し微笑みかけ、自身も姿を消した。


「ようこそ、二人のアルスセリヴァン殿。この急な呼び出しに応じて頂いた礼を申し上げると共に、まずは非礼をお詫びする」


 僕の声に、二人は素早く居住まいを正した。

 その姿は鏡に映したかのようにそっくりだ。女性にあるまじき短く切り揃えられた髪。全くお揃いの男装。間近に顔を見ても、確かに男らしい顔立ちとは言えないものの…失礼ながら僕には女性かどうかの判断がつかない。


 地精霊が情報をもたらしてくれなければ、アルスセリヴァンは一人の王子であると、疑いもしなかっただろう。


 どちらからともなく二人は手を繋ぎ、意を決したようにこちらへ歩を進めた。


「…貴方がグライア・メディエノルの?」

「本物なのか?」


 不審げな眼差しに、僕は頷きを返す。


「ジエラルーシオン・レノルジア・メディノーラ。貴方達帝国が執拗に首を求めていた、この国の最後の王族だ」


「…なぜ私の前に姿を見せた」

「…ここはどこなんだ」


 警戒しきりというその様子に、僕は背を向ける。その時には、場が整っていた。緑精霊が用意したテーブルと椅子。そして火精霊が用意してくれたお茶のカップが三つ。


「…いつの間にこんなものを」

「先程の、妖の女はどこへ行った?」


 異国の者の言葉だ。わかっている。

 けれど、怒りに似た思いを堪えるのには苦労する。


 僕は答えずに席に着くと、カップを両手で包んだ。

 温かさがじわりと指先に染みる。一口飲み込めば喉の奥から胃の腑へと滑り、僕の心の熱も押し流した。


「妖ではない。水精霊だ。深緑と霧のグライア・メディエノルにおいて水と緑を貶めることは許されない。帝国には馴染みのない事柄と理解はするが、言葉には気をつけてほしい。…彼女に何か用事が?」


 言葉を考えるように二人は目線を素早く絡ませ、意志の疎通を果たした。先程から一歩前に出たままのほうの王女が、どうやら主体として話をするようだ。


「私は彼女の言葉に応じてこちらへ足を運んだ。彼女の同席を望む」


 彼女らの意図はわからないが、僕はその望みに応じることにした。

 契約精霊は実体化しておらずともこちらの状況を把握している。

 しかしながら、シャロレイトラハを実体化しておくことにも、何の不都合もない。


「構わない。…シャロレイトラハ」


「ここに」


 シャロレイトラハは僕のすぐ側に水の塊として現れ、ゆっくりと人の形をとって見せた。


 彼女の同席を願っておきながら、帝国の王女達は片膝を付いた女性の姿が水から出来上がったとは俄かには信じられない様子だ。


 人でないということを存分にアピールしたシャロレイトラハは立ち上がり、微笑む。


「忠告しておく。帝国の女よ、その細腕と短剣で水精霊を害すことなどは不可能だ。どのような状況が訪れようとも、私を質に取ることはできない。私は人ではないので、勘違いをしないように」


 その言葉は予想の範疇であったため、僕は驚かない。武器を所持してはいけないとは伝えなかったし、己の身を優位に置きたければ人質を取ることもあるだろう。

 突然斬りかからなかっただけ、帝国の人間としては理性的に感じるほどだ。


「…飲むといい。冷めてしまうから」


 僕はそう言って、彼女達に席を勧めた。椅子に座ろうとしたどちらかのアルスセリヴァンが、足元にいた狼に息を飲む。


「彼は僕の友人だ。森の魔物で、願いを叶える宝石…その案内人といったところか」


「ははァ。俺は案内などした覚えはないぞ、ジルオール」


「けれどお前が共になければ、僕が森から戻るのはもっと遅くなったことだろう」


 呆然としていた二人は、信じられないものを見るように僕と喋る狼を見た。


「帝国のアルスセリヴァン『王子』。僕は僕の手札を見せるために貴女達をここへ呼んだ。僕と契約した精霊達とその力。…願いを叶える宝石は、見せてあげるわけにはいかないが。僕が既に辿りついたことは伝えておく」


 せっかくジャハンナリンクがお茶を入れてくれたのに、冷めてしまうな。


 そんなことを考える僕の耳に「大丈夫、熱々よ!」と自信満々な火精霊の声が響いた。同時に僕の持つカップの中身も、ふわりと湯気を上げて再加熱される。


 心の内で礼を言って、僕はもう一度帝国の王女達に席を勧めた。


「僕は帝国の退去を望む。僕が力を得て戻った以上、貴女達が望むまいとも状況は変わる。例えば、帝国兵はいつまで待とうとも水を得ることができないだろう。まずは城からの退去…そのために範囲を城に絞っているに過ぎない。城の外に集めた水も食料も、いつでも消し去ることはできる。それらがなければ兵を維持することは困難だろう。衰弱や飢えで死者を出す前に引き上げて頂きたい」


 もちろん、一兵卒が危険な状況に陥るまで放置するつもりはない。しかし相手が指揮官であるならば、衰弱死を止める必要もない。

 指揮官には退却の権限があるからだ。


 策もなしに決定する退かない選択とは、たかが意地で兵士達を見殺すという宣言も同じ。

 そんな指揮官は、惨めに滅びるべきだ。


「…願いを叶える宝石を使えば、帝国の兵を退けるなど容易いはず。宝石を手に入れてはいないと、私は考える」


 机の下で手を繋ぐ双子は、仲が良い。

 そんなことを思う僕とは別で、精霊達は彼女らが折を見て握る手の強弱で意思の疎通を果たしていると警告してくる。


「宝石を使わないのは僕の意志だ。宝石に願って帝国の考えを変えたとしても、貴女達は言うのだろう。私達は私達の考えで進軍をやめたのだ、宝石の力ではない、とね。宝石は初手に切るような札ではないよ」


 何もかもを馬鹿正直に話すつもりはないから、僕はそんな風に理由を付けた。


 宝石はどんな願いをも叶える。だから、本当はわかっていた。

 メディヴァルに願えば、『宝石の力を使って意志を変えた』ことを認識させたうえで、思うがまま帝国に言うことを聞かせられるのだろう。


 岩盤に身を沈ませるメディヴァルの姿を思い起こし、僕は小さく首を横に振る。


 使いはしない。

 願わずとも、切り抜けて見せる。

 僕は決して、帝国を退けるためだけに民を贄になどしない。


 矛盾し続ける僕の願い。

 世の平和とは、民の幸福とは、どうやって手に入れればいいのだろう。


 僕の望みは、まるで、メディヴァルが眺める星のようだ。手を伸ばす方法もわからぬまま、時に日や雲に隠されながら、けれどそこに在り続ける。僕らは瞬きに魅かれ、空を見上げ続けるのだ。


「…帝国は退かぬ」


 ぽつりと、小さな声が落ちた。

 暗い目をした、少女がそこにいた。


「私は『私』を守らねばならぬ。誰を犠牲にし、どれだけの血を流しても。私は『私』以外の命を踏みにじり、生き長らえる」


「…彼女か? 身体でも弱いのか?」


 僕は対話していたアルスセリヴァンに片割れを示して見せる。

 その途端に、二人のアルスセリヴァンが嘲笑した。


「私の破滅は避けられない。偽りの存在故に、未来は破滅か死かの二つしかない。それでも直近の可能性を選び続け、私は息をし続けた。生き延びる唯一の道が、帝国の進軍を示した。だから私は行軍に参加した」


「私の破滅は避けられない。帝国のアルスセリヴァンであるが故、破滅は常に擦り寄ってくる。私は可能性を選ぶことでしか生きられない。見誤ればすぐにも死ぬ。…誰を犠牲にしても。私は『私』と生き延びる」


 謎かけのようなその言葉。


 狼が、はははァ、と笑った。


「ジルオールと同じだな。混ざってる」


 ぎょっとして僕は狼を見た。

 それは、純粋なこの世界の生き物ではないということだ。どこかの世界がぶつかって、落ちてきた生き物の系譜。


「彼女達も…祖はイシュテアスなのか? 帝国の王がか?」


 口にした問いに、今度はアルスセリヴァン達がぎょっとした。

 しかしバルザックは、ゆるりと首を横に振る。


「いいや。これは母方の血だ。イシュテアスとは別の世界の生き物だなァ。んー…種としては精霊と似たようなもんだが、祖は遠いな。薄まりきっているから、もう概ねこっち産の人間と変わらないぞ。ジルオールの方が祖に近い。グライア・メディエノルの人間は出ていかないし、この地に来る人間も少ないからな。どうしても薄まるのが遅い」


 いつの間にか、帝国の王女達は僕をじっと見つめていた。形容しがたい表情を浮かべるアルスセリヴァン達に、問う。


「可能性を選ばなければ、死ぬ。だから誰を犠牲にしても生き延びる。それが貴女達の行動全ての理由なのだな?」


 責められたと思ったのだろうか。控えていた方の王女が、身を乗り出した。その瞳には、苦悩の色。


「私は、…私の話を聞いて欲しい」


 もう一人が悲鳴染みた音を喉の奥に飲み込んで、王女達は顔を見合わせた。


「私はいずれ死ぬ。誰も私のことを知らぬまま。…彼は不思議なもの達と共生している。『私』は私と思いを違えるだろうか」


「…違えない。私は疲れている。それでも。死ぬわけにはいかない。私は…そう、『私』と同様に考える。…聞いて欲しい、と」


 俯いた片割れの肩を慰めるように叩き、もう一度彼女は「聞いて欲しい」と言った。

 今まで話していた相手が黙り込んだところを見ると、僕と対話する者は交代するということのようだった。


「うん。聞こう」


 急かさぬように、僕はそれだけを答えた。そうしてようやく、二人のアルスセリヴァンは仮面を外すかのように微笑んだのだ。



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