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願いを叶える宝石に纏わる冒険譚  作者: 2991+
石が見る星

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第15話



「無駄話が先だ、バルザック。お前、誤魔化そうとしたな。僕の精霊が言っていた。僕は辿りつくだろう、けれど願えないかもしれないって。願えない理由がわからないんだ。わからないまま願うことはできない。お前は僕の友人だ。恐らくそこに、願えなくなる理由がある」


「ない。願えば叶える」


「バルザック。じゃあ、一つだけ答えてくれ。…お前はどうして石に戻る。動き回るために人の姿を取ったお前が、今は動けない。僕の願いを叶える間くらいはもつ。けれど、そのうちに完全に石になる」


「答えるのが願いか」


「石相手でなく、友達としてならね」


 むぅ、と小さな唸り声。


 彼は僕のことをよく知っていた。だから、イシュテアスを見せて、願いを叶えるのが先だと言えば丸め込めると思ったのだろう。

 僕の願いとイシュテアスへの思いは、長い間、僕の一番だったから。

 けれど僕だって、知っていることはある。


「僕とバルザックは友達だろう?」


「…さァな」


「僕がそう思うんなら、そうだな?」


「…う…、むぅ…」


 狼と違って。

 人間の顔になると、随分とわかりやすい表情をするんだな。


「答えられないなら僕が言おう。お前は願いを叶えるたびに、力を使い、ただの石に戻るのだろう? イシュテアスの頃には左足が動いた。今のお前は、ほとんど動けないじゃないか。これは…イシュテアスの、せいなんだろう? 彼がたくさんたくさん、大きな願い事ばかりを願ったせいなんだ」


「…違う」


「間違っていたか? 全て? 本当に?」


「あー、と。…うぅ、一部違う」


「ならば聞こう。やはり無駄話が先だ」


「…うがァ…」


 項垂れたバルザックは、諦めたように唸った。狼の姿が長すぎたのだろうか。


「…シャロレイトラハ。ここでは出ても平気だから、いい加減乾かしてやれ。ジルオールが風邪を引く」


 長い溜息をついた後、彼は呟いた。

 数秒の後、恐る恐るというように水精霊が姿を現した。


「本当だろうな、バルザック。私はまだ消えたくはないぞ」


「ここァ俺の領域だからな。全員出しても影響しないから、構わないぞ。通路に出ちまったらどうなるか知らないが」


 水精霊が手を振ると、ぐっしょりと濡れていた服から水気が消えた。緑石の床も乾いている。


「距離が遠いのだが、近くで話をすることは可能か? 少し休みたいし、ずっと上を向いて話すのは少々骨が折れる」


 上を見上げて問いかければ、渋い顔をしたバルザックが片眉を上げた。

 嫌なのか、と問う前に緑石の床に階段ができていく。

 それは壁の中程の高さに張り付いていたバルザックの側まで続いていた。一番上だけ、少し広い。


 手すりもない階段は、けれど恐ろしくはない。足を滑らせたとしても恐らく階段は広い床となり、僕を落とすことはしないだろう。


「お前は変わらない」


「いつと?」


「出会ったときと」


「そうかな。僕も少しは成長した」


「態度だ」


「そうかな。随分と仲良くなった」


「…むぅ」


「僕がそう思うんなら、そうだろう? ドルアリィグ、お茶にしよう。シャロレイトラハとジャハンナリンクも準備を手伝ってくれ。皆出ても構わないそうだから、アルトとラグレンディアも自由にするといい」


 僕の言葉と同時に精霊が実体化した。

 慌てたように床の面積が増える。

 緑精霊がバルザックの横に椅子を置いてくれたので、僕はそれに腰かけた。


 ドルアリィグの指示の元、シャロレイトラハとジャハンナリンクはまるで姉妹のようにお茶の支度を始める。

 ラグレンディアは出てこないようだ。

 アルトはきょろきょろと辺りを見回している。


「すぐにわかった。剣を持っていたからだけじゃない。イシュテアスの血統なら、純粋じゃないからな」


「…ん?」


「混ざってんだ」


「そうなのか?」


 何を言われてるんだかわからない。

 バルザックはよくこんな感じで唐突に話し始めたりするけれど、必要な話ならばそのうちに僕にわかるように噛み砕いてくれるから、曖昧な相槌を返しながら聞いていた。


 人との関わりが薄いせいで話し方が下手なのかもしれないし、捻くれものの性格なのかもしれない。あまり気にならない。


「イシュテアスは落っこちてきた奴だから。純粋なこの世界の生き物じゃない。色々と苦労もあったのかもしれないが、まァ可愛くない奴だったよ」


「ん?」


 ちょっと待て。今、予想外のことを言われた。

 けれど唇が真一文字になったまま、僕はぽかんとすることもできない。


 ご先祖が別の世界の人間だった。

 詳しく聞きたいところだったのだが、バルザックにはイシュテアスの素姓についてそれ以上語る気はないようだ。


「そんな奴の子孫がさァ。こんな素直で、笑っちまった。見慣れた森なのにさァ。何だか、本当に楽しかった。楽しい旅だったな」


「…バルザック…」


 彼は目を合わせない。


「お前の願いを叶えるのに、全く異論はない。俺ァ、やりたいことしかしないからな。お前の願いは小さな矜持と比べて良いものじゃなかったはずだろうから、さっさと願えよ」


「あたしの主にその口の利き方は何よ。飲ませてあげるわ、食らいなさい」


 いつの間にか側に立っていたジャハンナリンクが、バルザックの口に木のカップを押し当てる。

 ぶふぉっ、と妙な音がしたけれど、火精霊の身体の陰になってバルザックの様子は見えない。


「おい、大丈夫なのか? ジャハンナリンク、バルザックは…」


 問おうとした僕の手に、水精霊がカップを握らせる。礼を言って受け取ったのだが。


「ジエラルーシオンはこちらだ。熱いから気をつけるのだぞ。…もっとも、火精霊が煮立たせたあちらほどではないが…」


「わあぁ、バルザック!」


 両手が使えない相手になんてことを。


「石が熱い茶くらいで火傷なんかするか、馬鹿精霊が。自分の態度を直してから言え」


 しかし僕が割って入るより先に、元気な声が聞こえたので安心する。


「何よ、手加減してやったのに! それじゃあ、望み通り溶かしてやるわ!」


「無理だな、ここは俺の領域だ。あぁ、煩い。もう茶も入ったし、火を使う必要はないだろう。火の気は封じておくぞ」


「きゃっ!」


 小さな悲鳴を残してジャハンナリンクは消えた。

 驚いて火精霊を捜すと、唯一内界に残っていた地精霊へと愚痴っているのが聞こえたので、強制的に戻されただけのようだ。あまり追求はせずにおく。


 口元からべっちょりと茶が零れているバルザックだが、手を貸そうかと思った瞬間それは綺麗に消えた。

 大体のことは手が使えずとも何とかなるのだろう。

 領域内というのは伊達ではないらしい。


「ジルオール。また契約する機会があるときには、精霊はよく選べ」


「…えぇと。悪い子ではないんだ」


「悪い。性格と頭が悪い」


「バルザック。そう言うな」


 自分の領域内に来たからだろうか。随分と遠慮がない。

 思わず苦笑する僕の横で、バルザックは更に愚痴る。感情的な様子はいつもと違っていて、少し面白い。


「両手を縛ってから、熱い茶をわめかれつつ含まされてみるといいぞ。同じ気持ちになれるはずだ。お、悪いな、シャロレイトラハ」


「構わない」


 ことりと小さな音を立て、シャロレイトラハが新しいカップを置いていった。

 当たり前のように受け入れていたが、両手が岩に同化しているバルザックは、これを自力で飲めるのだろうか…。







 髪に触っても、頬を摘んでも、彼が石だとは到底思えない。


「おい、いいふぁげんにしおよ」


「うん」


 答えながら、僕は随分と長いこと彼の片頬を摘んでいる。


 どうしたものだろう。

 僕が何かを願えば、彼は石に戻るのだ。

 一つ二つの願いならば、叶えても現状と大差ないと彼は言うけれど。ならばイシュテアスは、一体どれだけの願いを彼に叶えさせたというのだろう。

 右足だけが動かなかったはずの彼が、胸像のようになるほど。


「…べうに、イシュテアスらけのせいひゃない。保へなくなっひゃらけら」


「何言ってるかわからないよ」


「らから、離せと…、お?」


 頬を離してやると、離されたことに驚いたような顔をする。

 僕はこっそりと苦笑した。

 ふんと鼻を鳴らしたバルザックは、気を取り直したように口を開く。


「例えイシュテアスが馬鹿みたいに願ったからと言って、あいつが責められる謂れは本当にないんだ。俺は願いを叶えるために存在していて、あいつはちゃんと自力で辿りつき、願った。願いの大きさや個数に制限はない。これは正しい関係だ」


「だけど」


「その前になァ。精霊界がぶつかったせいで、この辺りを修復するのに随分と力を使ったんだ。これは俺の意思に関係がないが、必要な処置だった。だからイシュテアスは関係ない。俺の意識の…寿命みたいなものが元々他よりかは短い。それだけの話だ」


 意識の、寿命。困惑する僕は、ドルアリィグの話を思い出していた。

 人が滅亡の危機に瀕したから名前が変わって伝わった。けれど。名の変わる前後で、石が叶える願いには差異があった。


「…メディヴァル」


「あァ?」


「お前はメディヴァルなのだろう」


「そうだなァ」


「メディエル・ヴァルゼクードというのも、メディーエヴァルクというのも願いを叶える石だと聞いた。…お前のことなのか?」


 バルザックは目を細めた。

 どうやら答えてはくれる話題のようだ。


「懐かしい名を言う…覚えているものなどいるんだな。確かにそれは願いを叶える石の名だった。俺の意識ではないが」


「お前ではないのか。他にもあるのか」


「他にはない。同じものだ。それらが消えて俺が目覚めた。同様に、俺の意識が消えれば次が目覚める」


 既に力を使い果たし、ただの石になってしまったもの。

 そういうことなのだろうか。


「お前は何のために…誰の命令で、願いを叶えている」


「はははァ。命令ではない。俺はこういう存在なんだ」


 言い切る彼に困惑した。精霊たちの話と違う。

 一つ目の石が願いを叶えたのは命令のため。

 二つ目の石は己の意思で。

 三つ目の彼はそういう存在だからだと言う。


「…本来は…命令だったと聞いた」


「ああ。メドゥ・ディエラ・ヴァルド・ザム・ゼルクード…古い話だ。まァ、な。命令というのならば神の命令なのだろうな。俺は生まれついてのこういうモノだ。言わば種族としてお前は人間、俺は願いを叶える石だということだ。お前が当たり前に息をするように、俺は当たり前に願いを叶える。お前が息をすることは誰かの命令ではないだろう」


 探るように問えば、あっけらかんと答えが返る。大したことではないというように。


「だって、願いを…叶えたら、死に近付くのだろう? そんなの…」


「お前も呼吸を繰り返せば死に近付く」


「違う、僕らは生きるためで…」


「違わない。ただ、俺には死が与えられないから、生きるためではないだけだ。俺の意識が消えれば新しい意識が入れ代わる。力を使い果たせば再構築が始まる。そうして石は願いを叶え続ける。お前と何も変わらない。精霊は精霊界に帰り、エネルギーとして循環する。人間は土に還り、また生まれる。石は石の中だけでそれを繰り返す」


「誰も願わなければ、お前は死なない…」


「そうだな。だが存在する意味もない。願うものがいなくなるというのは、人間が石のことを忘れるということだ。それでも俺は、願いを叶えるためにここに有り続ける」


 願いを叶えるためでさえ、辿りつく者のほとんどない道程。存在が忘れ去られれば、偶然ここへ来る人間なんて、きっといない。


 俯く僕に、小さな笑い声が降る。

 笑うところじゃない。そう思った。


「上見ろ、ジルオール。精霊界がぶつかったとき、天井に小さな穴が開いてさァ…よぅく凝らせば、たまに一つくらい星が見える」


「…なぜ、そんな話…」


「出られないんだ、願いを叶える石は本来、ここから。足があろうとなかろうと本体は出られない。この空間が俺を作り、生かし、消す…ここから通路までだけが俺の世界なんだ。精霊界がぶつかって一番の拾い物が、あの穴だろうなァ。俺にとっても、そのあとの石にとっても」


 弾かれたように顔を上げた。


 願いを叶えなければ。存在が忘れ去られれば。誰も来なければ、彼は死なないけれど。

 手足を岩に張り付けられたまま、時折見える、星だけを楽しみにして。死ぬことも許されずに…永遠に孤独だ。


 バルザックは歪んだ僕の顔を見て、にやりと笑う。人の姿を取った、バルザック。彼は、石の姿のままではいなかった。


「最初の名の頃はさ、何の疑問もなかった。近くにいる人間が願うままに叶えた。力がなくなれば再構築される、その繰り返しだ」


「繰り返し? メディエル・ヴァルゼクードは初めの石なのだろう?」


「長く一つの名で呼ばれただけだ、石自体は何度も再構築している。つまり、意識は何度も交代している。それでも特に問題なく叶え続けた。近くに人間がいたからな。ある意味、あの頃が一番正しく存在していた」


 けれども初めての世界同士の衝突が起こり、世界は滅びの危機に瀕したという。人間だけではなく、全ての生き物が激減した。それぞれの種が暮らしやすい場所へと固まった。


 世界は、その大半が未開の地へと逆戻る…。


 ドルアリィグよりもバルザックのほうが古い時代を知っていることに驚いたが、彼は以前の石の記憶を引き継ぐのだという。

 何も教えられずとも知っている。

 つまりは、そういうことだ。


「石ァ、動けないからな。誰もいない、誰も来ない。そんな時間が長く続いて…余計なことを考えすぎたんだろなァ…。自我が発達したのはそのせいだ。それでも、やるべきことは変わらない」


 メディーエヴァルクは長い時間をかけて、壊れた地形を人間が最低限通れるように整備し、自身が望みを叶える日を待った。


 ようやく、ようやく現れた人間は願った。


 生き残りが身を寄せ合う集落から来た。皆が飢えずに済むように、どんなに消費しても尽きぬ、水と食料を出せる道具が欲しい。


 石は考えた。それは素晴らしい、人間が増えれば石に願う人間も増えるだろう。人間という種が増えるような願いこそが、善い願いだ。善い願いを叶えていきたい、と。


「尽きぬ食料を持つ集落は…それを妬む他者に狙われ、奪われ、滅ぼされた。

 どんな怪我も病も治す力を求めた女は…時の権力者に捕らわれ、愛する者を救えなかった失意の中、自殺した。

 貧困から奴隷として売られ、同じ境遇の者を救わんと巨万の富を求めた男は…救ったはずの奴隷に、称賛したはずの周囲に、金に目が眩んだ者達に殺された」


 はははァ、と笑うバルザックの声。最後は、溜息のように掠れて溶けた。


「けれども人間は願う。不老不死、富、名声。

 敵の滅亡、同胞の甦り、己に都合の良い生き物の生成。

 善い願いなんて石が判別できることかね?

 …ある日、石は自分の存在に逆らった。

 願われたのに、好まぬ願いを叶えなかった。

 願いを叶える石が願いを叶えないなんて、あってはならないことだ。だから意識はすぐに消えた。力を使い果たすより早く、意識だけが削除された」


 そして新たに確立された意識が、メディヴァル…つまりバルザックだった。メディーエヴァルクが残した器と力を引き継いで、意識だけが入れ代わる。


「俺が初めて叶えた願いだった。『命を狙われている。敵はあまりに執拗で、このままでは逃げ切れない。だから姿を変えてほしい』…願われるままに姿を変えてやって、そいつの容姿をそっくり使う許可を貰った。石が提案しちゃいけないなんて、そんな決まりはなかったからなァ。足止めくらいにはなるぜって言えば簡単に頷いたな」


 追っ手はバルザックの元にも現れた。バルザックの姿を見た人間は相手を誤認し、命を狙うべく襲いかかる。


「死ねとは言われたが死にようがないし、奴らは別に俺やあいつの消滅を願ったわけでもない。願っていない人間への対応には制限がない。俺は生まれたてだったから、追っ手はいい教材になった。死にかけの身体に意識を詰め込むなんてルールの抜け道も、その頃見つけた。身体が完全に死ぬと使えないことも」


 ちらりとバルザックは笑った。


「あれから時間が経って。また幾つか世界がぶつかって。言語も魔物も人間も入り乱れた。伝えるものがいなくなって、イシュテアスまでまた間が開いて…名前も今はメディヴァルってとこまで縮んじまったけどな。俺の当時の呼び名はメドゥ・ディエ・バルザック。つまり、大体バルザックだ」


 バルザックは僕の求めるままに、有史以前の話をする。


 石は皆、自分の名など持たずに生まれてくる。ただ、問われれば神が彼に与えたという言葉、メドゥ・ディエラ・ヴァルド・ザム・ゼルクードと答えた。


 『新たなる血を祝福し、その望みを叶えよ』…しかし人間はその言葉を歪め、自分たちが信じたいように意味を当て嵌めて呼んでいく。


 メディエル・ヴァルゼクードとは『祝福されし血のみ願いが叶う』…つまりは石を守り、その地に住まうものだけに願いを叶える特権が与えられたという、専民思想の言葉なのだという。


 メディーエヴァルクとは『祝福されし望みが叶う』…つまりは彼が善き望みとしたものしか叶えなかったことに由来する。


「では…メディヴァル、とは?」


「ここまで壊れちまうと俺にもわからんな。意味を持っていない。種族と言語が入り乱れた弊害だろなァ…ただの名詞として発展したと言わざるを得ない」


「では。バルザックは?」


「メドゥ・ディエ・バルザックなら『新たな地にて望みを待つ』だな。祝福も血も似た音の単語に変わっちまった。まァ、もうあの時代には既に最古の言語が途絶えていたからな、仕方がないだろうさ」


 そして、バルザックは幾度となく僕に向けたあの笑みで言う。


「さァ、お前の願いはどう変わったかな。そろそろ叶えようじゃないか」


 僕は思案するばかりだった。

 全てを叶える、メディヴァルを前に。



 己が甘いことは知っていた。

 …それでも、決断は、せねばならない。





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