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願いを叶える宝石に纏わる冒険譚  作者: 2991+
石が見る星

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第14話



 ひたすらに闇が続く洞窟の、気が遠くなるほど先。


 …夢を見たせいか、少し笑えてしまった。

 確かに遠い。随分と歩く。

 洞窟に入ってどれだけたったのか、日が見えない以上数えることすらできない。


 精霊たちは出てこない。実体化した途端に恐ろしい勢いで力を奪われるのだそうだ。

 けれど会話はできたし、少しくらいなら力も使え、狼は相変わらず僕の前を跳ねる。


 確かに闇は続く。

 あまりに長いその洞窟には一本道ながらも幾度も緩やかなカーブがあって、松明の明かりもさして先まで届かない。

 何日も何日も岩肌が続く代わり映えしない景色だ。本来なら不安に負けて狂いそうになるのかもしれない。


 本当に進んでいるのか。

 別れ道を見逃してきてはいないか。

 こんなにも長く一本道だけが続く。


 何かあっても逃げ場もない。そんな風に思っただろう。

 辛かっただろうな。

 ここを行くのが、僕一人ならば。


 あの日足を引き摺り歩いた隠し通路との、それは決定的な違い。


「この道はほんの少しずつだけれど、上へ向かっているのじゃないかな」


 口にした僕に、狼はにやりと笑う。


「ははァ。どうしてそう思う」


「地の裂け目の底にあった入口から、洞窟へと入った。当初は少しずつ下がるまっすぐな道に見えた。だというのに実際に進んでみれば、道は少しずつ曲げられていたように思う。地面の下を通って、あの見えなかった向こう岸へ向かっているのじゃないかと思って」


 既に方向感覚もない。

 外の景色など一切見えないし、上ることも下ることもあって高さもわからない。

 それでも今、深い谷の底からは、上がってきているような気がする。


「水がなァ」


 呟いた狼に目を向けると、はっとしたように彼は首を横に振った。


「水が、何?」


「何でもない」


「ずるいぞ、バルザック」


「ずるくない。でも、まァ、いいか」


 どうせ、もうすぐだ。

 そんなバルザックの言葉に耳を疑う。


「…え…?」


「水が零れちまうから。最初は一番低いところに置いてあったんだけどなァ。精霊界は物の見事にこの辺りにぶつかってきやがったんだ。色々抉れるし、人間は吹っ飛ぶし。本当に散々だったな。誰も願う暇なんかありゃしなかった。誰かが願わなけりゃ、石なんか無意味なんだ」


「バルザック?」


「おめでとう、ジルオール。ここが終点。願いを叶える石とやらが、いっつまでもある場所だ。この世の終わりまでなァ…」


 狼が走り出して、僕は慌てて後を追う。

 不意に目の前が開けて足が止まりかけるけれど、スピードを落とさない狼を見失うわけにはいかない。


「バルザック、待てっ」


 広がるのは地底湖。


 冷たい湖の真ん中に。

 願いを叶える宝石は…。


 水の中まで駆けていった狼は、不意にばしゃりと音を立てて倒れた。


「バルザック!」


 悲鳴を上げて彼を追う。

 濡れるのも構わずに駆け込めば、水は僕の膝を越える。


 バルザックは。

 水の中に沈む、四角い石の上に身を横たえている。


「どうした、具合が悪いのか。起きろ、バルザック!」


 服が水を吸って重い。

 そんなものより、両手で抱え上げた狼が異様に重い。


 意識がないのだ。

 そう思い至って、血の気が引いた。


「バルザック、バルザック! どうして! 呼吸…そう、呼吸は、あぁぁ、していない、どうして、どうして!」


「しているよ、落ち着けって」


「していないじゃないか!」


「しているんだよ。弱いが今はまだなァ。早く水に戻してくれないか、死んじまう」


 言われた意味はわからなくて、でも、死んでしまうと言われれば水に戻すよりない。震える手で、四角い石の上に彼を横たえた。


 ぐにゃりと、狼は抵抗もなく…。


 …僕は今、誰と話していた?


 狼は意識がない。けれど、今のはバルザックの声だ。

 恐る恐る、目を上げる。


「はははァ、落ち着いたか。ちょっと身体から離れてくれよ。息のあるうちにしまわないと使えなくなるんだ」


 周囲を見回しながら、バルザックから一歩離れた。

 声はどこから…、上…?

 見上げようとしたら、狼を緑色が包み込むのが見えた。


 思わず手を伸ばすけれど、間に合わず…狼の身体は水の中へと引き込まれた。


 追いかけようとする僕に、再び彼が笑う。


「ジルオール。あれは外へ出るのに最近使っている身体でなァ。久方振りに息のあるまま谷底まで落ちてきた狼なんだ。俺ァ、死体は動かせないからな」


 ああ。

 バルザックは、水の中じゃない。


 水の中、緑色の石柩に閉じ込められた狼。けれども彼の声を、頭上から発するもの。

 ゆっくりと目を上げた。

 自分でも、眉根が寄るのがわかった。


「メディヴァル、なのか?」


「そうだ」


「…願いを叶える…、…宝石?」


「お前がそう思うんなら、そうかもなァ」


 岩壁に埋まる男の姿。


 手足は洞窟の壁と同化していて見分けがつかない。胸像のように、まるで岩から生えているようなその姿。

 にやりと笑うその顔は、人間と同じ作りをしているのに。…まるで、僕の狼が笑ったときのよう。


「…なぜ、そんなことに…」


「願わないのか、ジルオール」


「元々は人間なのか?」


「いいや、俺は石だ。石らしくないがね、人に似た姿を取って遊んでいただけ。そのうち全部同化して、完全に石に戻るよ。とはいえ、お前の願いを叶える間くらいはもつ」


 わからない。


 頭痛を堪えて、濡れた手で目許を覆う。


 願いを叶える宝石。


 彼は自分を石だという。

 僕には、人に見える。

 さっきまでは、狼だと思っていた。


「ジルオール。そのままじゃあ風邪を引く。人間は脆いからなァ。そら、そこに上がるといい。水精霊を使うのを忘れるな」


 彼が言い終わると同時に、水中から緑色がせり上がってきた。

 広場のような、石床。透明な。緑色。

 その上に身体を引き上げて、僕は床を撫でる。


 緑石。滑らかな質感には覚えがある。


「僕の剣と…何か関係はあるのだろうか」


「あるさァ。あれは俺の右足だ」


「右足!」


「その頃はまだ左が動いたしな。どうせ動かないならこっちは要らないだろうって、剣にするよう願った奴がいたからな。まァ、そいつがあったところで、もう俺が歩けないのは事実だ。乾かすのを忘れてるぞ、ジルオール。ここでは精霊を使っても問題ない」


 呆然とする僕に、彼は何でもないことのように言う。

 メディヴァルの足。

 だけども、この剣は。緑石の、剣は…。


「イシュテアス…、彼が願ったのか。この剣は…代々伝わる王の剣だ。彼は、彼が、お前の足をっ…」


「会いたいか。あるぜ、イシュテアス」


 ほれ、と。

 小馬鹿にするような声が降る。


 ざばりと水音が響いて、僕は目を向ける。

 水の中から持ち上がるのは緑色の石。大人一人くらいの大きさの…、違う、人間が一人閉じ込められた緑石の柩。


 その中には、目を閉じた男。


「…え…?」


「残念だが魂は既にない。瀕死だから、開けてやることもできないな。開けたら死ぬぞ、二秒くらいで。話をすることはできないが、見るだけでも嬉しいか?」


 イシュテアス。建国の英雄。

 僕のご先祖様。

 柩は流れつくように僕の側まで漂ってきた。自分が立ち上がったことにも気がつかないまま、濡れた手で、緑石の表面を拭う。


「なぜ…?」


「あるのかって? それがイシュテアスの願いだったからだ」


「…なぜ…?」


「こうして身体を残したかって? お前にわかりやすく言うんなら、魔を封じるための要だから、かな」


「…な、ぜ…?」


「俺が保管してるかって? ここなら世界が終わるまで、壊れないからだ」


「…バルザック」


「なんだ」


「…お前、本当にバルザックなんだな…」


 僕が言葉にできないうちに、さらさらと先読みして答えてしまう。

 苦笑して、石柩から手を離した。


 見上げた男は、ふんと鼻を鳴らして目を逸らした。


「いけないか。俺ァ、動けなくなったからな。外に出たければ入れ物がいるんだ」


「…動けなく、なった。前は動けたのか」


「そのために人の形になったんだ。ここから出ることは、できなかったけどな」


「なぜ動けなくなった」


 メディヴァル…バルザックは口籠る。


「答えたくないか」


「無駄話は願いを叶えた後にしよう。その後なら、幾らでも話をしてやるよ。お前は辿りついたのだからな」


「いいや、先に答えてもらう」


 バルザックはぱちぱちと目をしばたたかせた。

 けれども、僕は退かない。




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